風 あざみ 井上 陽水。 風あざみの意味とは?少年時代の歌詞からわかる井上陽水の変人ぶり

夏になると井上陽水の少年時代が聴きたくなるよね 想い出訪ねて « ちょっと違う旅したい、何もないけど自分の街を知ってほしいを繋なぐ場所

風 あざみ 井上 陽水

井上が作詞作曲し、1990年にリリースされた『少年時代』。 彼はその中の歌詞「夏が過ぎ 風あざみ」の「風あざみ」について、「"鬼あざみ"という言葉は知ってましたから、風あざみもあるでしょう、みたいな感じで録音した」と回顧。 ちなみに「鬼あざみ」とは、キク科の植物「アザミ」の中でも、トゲがあるアザミを指す意味もあるそう。 井上は「一瞬、頭の片隅に、辞書でちゃんとそういう言葉があるかどうかチェックしたほうがいいのかなと、チラッとはかすめました」としながら、一方で「そんなことチェックしてどうすんのという気持ちがあった」と述懐。 造語であることを明かしていた。 そして、「僕の仕事は真実をお伝えすることではなくて、楽けりゃいい」と語っていた。 今年、活動50周年を迎えた井上。 これまでを振り返り、「この50年間、真面目にきちんと全力を尽くして音楽と戦ってきましたとは、とても言えない」と笑いを誘い、「相当いい加減なことをしたり、適当に休んだり、ひどい状態だった」と振り返った。 その上で、「そんな状態で応援していただいて、本当に申し訳なかった。 これから頑張ります!……ってウソだろ」と自分にツッコミを入れ、さらに笑わせていた。 《杉山実》.

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井上陽水「少年時代」に出てくる“風あざみ”の意味って? SNS「天才ですよね」:イザ!

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この「氷の世界」は、もちろん作詞:井上陽水、作曲:井上陽水の楽曲だ。 そして、本人さえも「なぜ そんな歌詞・フレーズを 書いたか分からない」と語ったことがある。 紐解いてみるとそこには、リリースから半世紀近く経った現在にも通ずる…むしろこんな時代だからこそ理解できてしまう、ひとりの男の孤独が隠されていた。 井上陽水とは? 福岡県出身の71歳、現役シンガーソングライター。 1969年に「アンドレ・カンドレ」の名でレコードデビュー。 1972年「井上陽水」と名を改め再デビューしたのちに発表した1stアルバム「断絶」、シングル「傘がない」はともに高い評価を得る。 さらに、1990年に発表され、夏の日の想い出を描いた曲「少年時代」は、ミリオンセラーを記録し、カラオケ各社が発表している井上陽水のカラオケランキングでも第1位、歌詞検索サイトUtaTenの井上陽水の歌詞ランキングでも1位となっている。 "風あざみ"というキャッチーなフレーズや、作曲を井上陽水と共に担当した平井夏美が作り上げたイントロが印象的だ。 自身の作詞・作曲を手掛けるだけでなく、他のアーティストへの歌詞提供・楽曲提供も多い。 2019年現在、デビュー50周年記念ライブツアー「光陰矢の如し 少年老いやすく学成り難し」が大盛況を博している。 井上陽水が描く独自の世界 井上陽水の作品の魅力は、フォーク、ロック、ブルース、歌謡曲…いずれとも定義されない独自の世界観。 形にとらわれない、彼にしか生み出せない音楽が同年代の若者たちに支持され、ヒット曲となりました。 歌詞には比喩表現や造語が度々用いられ、一見すれば難解なもの。 しかしひとたび紐解いてみれば、彼の楽曲や歌詞の世界には誰もが共感を抱くような普遍的な感情や、身近な出来事が溢れていたりします。 着眼点や表現こそ独特ながら、井上陽水も我々と同じ世界を生き、同じことを考えている。 そう感じられるのも、井上陽水の楽曲が愛される理由のひとつです。 正直に言ってワケがわかりませんよね。 だからこそ続きが知りたくなる。 この時点で、まんまとリスナーを「氷の世界」に迷い込ませています。 そしてのちほどこの曲の全貌が見えてきたとき、このフレーズが持つ意味に気付くはずです。 東京オリンピック以降、 各家庭のテレビのカラー化は進みましたが、実際に定着したのはこの楽曲が制作された1970年前後のこと。 「寒さで画期的な色になる」という言い回しに、井上陽水らしいセンスを感じますね。 指切りは、相手がいなければできないもの。 「今日は一日はりつめた気持ちでいたい」という主人公は、常日頃「はりつめた気持ち」とは縁のない、自堕落な生活を送っていることが想像できます。 指切り、約束、予定…そういったものがない生活というのは、自由なようであり、虚無感漂うとても孤独なもの。 「軽い嘘でもいいから」 「みんな笑ってくれるし」 自分を卑下するような表現をしてでも、誰かとつながっていたいという強い想いが読み取れます。 歌詞を読めば読むほど、そんな孤独な男の姿が浮かんできます。 井上陽水をそうさせた理由はなんなのか… 冒頭で「今年の寒さは記録的なもの」とありますが、では去年の冬は違ったのだろうかと、想像をかきたてられます。 こんなこと、言いたいけど言えない、言わない。 みんなそうして生きているのに、井上陽水はさらっと歌にしてしまう。 一見、なんの脈絡もないような難解な世界で。 語尾にクエスチョンをつけ、純粋な驚きとともに「エライヒト」に問いかけるような台詞。 敬意を込めているようで静かに皮肉っている。 「やさしさ」を「ガンバッている」と言ってしまうあたりに、悪いことを考えない人間や根っから優しい人間などそもそもいないだろうという、主人公の寂しい心が読み取れます。 ここまで解説してきたように、この曲の主人公は孤独であり「なぜそれほどまでに? 」というほど人間に対して疑心暗鬼になっています。 窓の外のリンゴ売り 果たしてリンゴ売りなど存在するのかも不明ですが を「リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう」と些細なことまで疑い、外の世界を確認しようとさえしない、いや、できない男。 井上陽水の感じている寒さの正体、その1つは「外の世界」という、恐ろしく冷たい と思い込んでいる もの。 人はみな誰かを傷つけたいと思い、そう思わないものはその心を隠しているだけ。 そんな世界。 そして、井上陽水が感じているもう1つの寒さは「孤独」。 彼には指切りをする相手も、まして傷つける相手さえもいない。 ただ流れていく時間と、流れていく涙。 それだけの毎日。 そこにぬくもりはありません。 寒く寒くこごえてしまう、そんな世界です。 しかし「寒さのせい」と言い聞かせなければならないほどには、彼は気づいている。 信じられないほどの寒さの正体に。 井上陽水は誰よりも「人」が怖く、誰よりも「人」を欲している。 「ぬくもり」「愛情」「居場所」そんな言葉にも置き換えられるかもしれません。 ひとりの男のアンビバレンツな感情が、歌詞を通して寂しさと狂気をもって語られるストーリー。 井上陽水と世界を隔てる幻。 それが「氷の世界」の正体です。 TEXT シンアキコ.

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井上陽水の少年時代に込められた歌詞の意味とは!?

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前回に引き続き、"夏の終わり" に関して、ネタを引っ張らせてもらう。 つい先日、ラジオ番組で、の『少年時代』が流れた。 「夏が過ぎ 風あざみ~」 夏の終わりに流れる、まさに定番曲である。 なんとなく聞いてる僕。 すると、が、「風あざみって、そんな日本語はないんですよね~。 造語なのを皆さんはご存じですか?」と。 えっ!そうなの?? 笑 本当に!? 一度、気になり出すと止まりません。 ボクちゃん。 電子辞書で調べてみると、確かに「風あざみ」では検索できない。 「風」と「あざみ」では検索できる。 ちなみに、「あざみ」は春から夏にかけての植物の名前らしい。 ではでは、今度はネットで調べてみると... やはり、の少年時代の歌詞、という類の項目ばかりの検索結果。 がインタビューで「響きのよさで作った言葉で、意味ないんだよ。 」と答えていることからも事実である。 とある。 そうだったんだぁ。。。 このホームページの中で、これら造語の解釈が載せてあり、言葉を噛み砕いて解説してくれている。 ここで、その一部を紹介してみることにしよう。 〇「風あざみ」 夏が過ぎ去った少年時代の虚無感。 子どもの頃の夏の想い出は、大人になっても楽しい想い出として記憶させる。 『青空に残された 私の心は夏模様』も、夏休みが終わったあとの、あの虚しい感情を表しており、青空という記憶装置に子どもの頃の楽しかった夏の想い出(=夏模様)を残している。 う~ん、分かったような分からないような・・・ 笑 僕の「風あざみ」という言葉からイメージするのは、 黄金色に変化した水田の稲穂が、青空の下、風でサラサラとなびいている風景そのものなんだけどなぁ。。。 でも、風あざみという言葉の解釈はさておき。 少年時代の夏の想い出の感情を、『夏模様』という言葉で表現しているとの解釈は、納得できるし分かりやすい。 他にも、 〇「夢花火」 夢のような八月の楽しかった想い出を、花火の儚さにかけている。 これは、なんとなく理解できる。 夢って、そもそもはかない一面があるし、それを実現するには相当の努力と労力を要するものだ。 夢って自分にとっては、煌びやかで憧れでもあり、、、 そんな「夢」のような楽しかった夏の時間・想い出は、あっという間に過ぎ去っていくもので、それを花火の美しさと儚さにかけている造語という解釈は、もはや "言葉の芸術" であると言えるだろう。 〇「夢はつまり 想い出のあとさき」 夢とは、想い出の延長線上にあるものと考えており、夢は想い出の一つ これはもう、令和最初の夏に僕が経験した出来事を考えてみても、非常に共感せざるを得ない 笑 「あの子とデートしてみたかったなぁ」 なんていう願望も、僕のように女性慣れしていない人間にとっては、『夢』の一種と言える。 そんな願望・夢というのは、実現できなくても "想い出" として記憶され、けっして苦い想い出ではなく青春の1ページのような甘酸っぱい記憶として残ることだろう。 夢は、煌びやかで憧れでもあり、それだけ実現も難しく、結局は儚いものである。 だからこそ、現実に実行がなされなかったとしても、想い出の一つとしては記憶されるのだ。。。 こんな風に、の造語の解釈をしていて気づくのは・・・ "日本人の想像力の果てしなさ・素晴らしさ" そんなことを、皆さんも感じませんか?? 最後に、この『日本人の想像力』について、僕からプレゼンさせてもらうことにする。 一人称。 自分自身を指す言葉。 英語では、アイ。 アルファベットの「アイ I」という一文字。 多分、口語でも文語でも、これ以外に自分自身を指す言葉ってないですよね!? 「セルフ self」だと、「自分自身で何かをやる」みたいな、動詞的な要素が加わる気がするので。。。 純粋に、自分自身を指す言葉で考えたとき、日本語って凄いよね? って話です。 私、僕、俺、あたし、わし... 上記それぞれの自分を指す言葉で、対象となる人物像がイメージできる。 「私」だったら、女性もしくは、オフィシャルな場面での男性。 「僕」だったら、男性もしくは、アイドルグループの若いお姉ちゃんが歌詞の中で自分を指すとき使ってる 笑 「俺」だったら、男性で、自分が相手より社会的立場が上だったり歳上だったりするとき。 「あたし」だったら、女性で、自己主張が若干強めの若いお姉ちゃんが使ってる 笑 「わし」だったら、日本昔話に出てくるような、長老的なイメージの人。 どうですか? 僕の解釈は、あながち間違ってないよね?? まだまだある。 「我輩」だったら... の『』の猫、もしくはの 笑 とかね。 上の話は口語だけど、文語ならではの一人称なんてのもある。 「小生」だったら、自分をへりくだって使う言葉でありながら、同等以下の相手に対して使う言葉。 よって、大学教授が学生に対し使っていたのを記憶している。 「本職」だったら、警察官が供述調書をとるとき、自分を指すときに使っている。 うーん。 日本人って、なんという想像力の深さ! そして、相手より上とか下とか... すげー気にする人種なのね 笑 武士道とか公家とかの世界は、現代でもこういうところで、知らずと受け継がれているんですねぇ。。。 bartender-yagi.

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