めん つう。 金星の太陽面通過

麺通 (めんつう)

めん つう

の金星の太陽面通過。 のにて。 における 金星の太陽面通過(きんせいのたいようめんつうか)は、が面を黒い円形のとして通過していくように見えるである。 金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。 日面通過や 日面経過、 太陽面経過とも呼ばれる。 記録に残る初の観測は、にによってなされた。 金星の太陽面通過は非常に稀な現象で、近年では、8年、105. 5年、8年、121. 5年の間隔で発生する。 直近ではからにかけて起こった。 次回はからにかけて起こる。 金星の太陽面通過を観察することで、地球と太陽の間の距離(1)が算出可能となる。 1天文単位の距離を得るために、との太陽面通過では欧州を中心として国を超えた国際的な観測事業が行われ、世界各地に天文学者が派遣された。 この観測プロジェクトは科学における初の国際共同プロジェクトとも評される。 金星の太陽面通過の概略図(2012年の通過をモデルにしたもの) 太陽面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。 しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。 続いて金星が太陽面に接触する。 この瞬間を 第1接触という。 さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を 第2接触という。 第1接触から第2接触までは約20分かかる。 その後金星は太陽面上を西へ移動していく。 金星が太陽面の中心に最も近づいたときを 食の最大という。 さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。 この瞬間を 第3接触という。 第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、との金星の太陽面通過では約6時間である。 さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を 第4接触という。 第3接触から第4接触までは約20分である。 このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに太陽面通過が始まっていたり、日没時にまだ太陽面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。 2004年の太陽面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった。 2012年の太陽面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能であった。 第2接触の直後と第3接触の直前に金星の形が円形からずれて太陽の縁から滴り落ちる水滴のような形となり、しばらく太陽の縁にくっついた状態が数十秒間続く現象が知られている。 これは と呼ばれる。 この現象のため、第2接触と第3接触の正確な時刻を測定するのは困難であると考えられていた。 しかし時代が新しくになるにつれてブラック・ドロップ現象の報告は減っており 、これは望遠鏡のピントが合っていないなどの理由による見かけの現象だとされている。 発生の仕組み [ ] 金星の内合 [ ] 金星の太陽面通過と、地球と金星の軌道平面の傾きの説明図 太陽面通過が起こるには、金星が地球と太陽の間に入る必要がある。 このような状態を と呼ぶ。 しかし、金星が内合になっても、地球-金星-太陽は一直線上に通常は並ばない。 金星の軌道は地球の軌道に対して3. 4傾いており、上では金星は内合時に太陽の北か南を通過していくように見える。 4度というとそう大きい角度ではないように思うかもしれないが、地球から見ると内合時に金星が最大で9. 6度も太陽から離れて見えることもある。 これに対して太陽の視直径は約0. 5度であるから、金星は太陽面を通過しない内合の際に太陽の北または南を太陽の直径の18倍以上離れて通過することもある。 したがって、太陽面通過が起こるのは、地球のと金星の軌道平面が交わるところで(または極めて近くで)、金星が内合になるときである。 地球の公転軌道(1年)の中で、この軌道平面の交線を通過するのは太陽を挟んで対称となる2点だけである。 これらの2点を と呼ぶ。 交点を通過する時期は、現在では頃と頃であり、太陽面通過が起こりうるのはこの前後数日に限られる。 起こる間隔 [ ] 太陽面通過時における、金星公転軌道と地球公転軌道の重なりの様子を描いた動画 金星の太陽面通過は非常に稀な現象である。 近年では、8年、105. 5年、8年、121. 5年の間隔で発生する。 ある時点に太陽面通過が起きたとする。 地球の1は365. 256日で、金星の1恒星年は224. 701日なので、金星の方が太陽の周りを早く回る。 太陽面通過から過ぎ去った金星が再び地球と太陽の間に達して次の内合が起こるには、前回の内合から583. 924日が必要となる。 この583. 924日という期間を と呼び、583. 924日おきに内合が発生する。 しかし前述のとおり、再び内合になっただけでは、太陽面通過は起きない。 軌道平面の交点上で内合が起きる必要がある。 地球が軌道平面の交点を通過するのは、半年(0. 5年)おきである。 よって、ある時点に太陽面通過が起きたとすると、次に太陽面通過が起きる可能性がある時期は、0. 5年の整数倍経過後に限られる。 前回の太陽面通過から8年経過したとき、これは0. 5年の整数倍であり、なおかつ会合周期のちょうど5回分である。 よって、内合になる・交点上にあるという2つの条件を満たすことができる。 近年、2回の太陽面通過が8年の間隔で起きているのはこの理由による。 しかし、8年経過後に全く同じ位置に金星が戻るわけでなく、前回の位置からわずかなズレが起きる。 正確には8年よりも2. 45日早く、内合が訪れる。 8年間隔の太陽面通過が2回しか起きないのは、このズレが蓄積することによる。 16年後にはズレは大きくなり、内合する金星は太陽面を通らず、太陽面通過は発生しなくなる。 一方で、会合周期を66回繰り返すとほぼ105. 5年経過となる。 これも0. 5年の整数倍となっている。 近年の発生間隔に105. 5年があるのは、この周期によるものである。 また、会合周期を76回繰り返すとほぼ121. 5年となる。 近年の発生間隔121. 5年はこの周期によるものである。 発生の日付は現在では頃と頃だが、この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。 年代を遡るともっと早い時期に起きており、1631年以前は、この日付は5月か11月であった。 これは、の1年()は地球が太陽を正確に1周するのにかかる期間()よりも少し短いためである。 8年、105. 5年、121. 5年以外の間隔でも、太陽面通過は発生する。 例えば、113. 5年、129. 5年、137. 5年といった間隔でも起きる。 これらの年数は、会合周期71回、81回、86回に相当する。 現在の「8年、105. 5年、8年、121. からまでは太陽面通過は8年、113. 5年、121. 5年という間隔をおいて起こっており、から546年までは太陽面通過は常に121. 5年おきに起きていた。 現在の「8年、105. 5年、8年、121. 5年」間隔は、1396年から始まり、3089年まで続く。 3089年の後は、129. 5年後という周期で次の太陽面通過が訪れる。 1396年の1つ前は、113. 5年前に発生している。 一方、もう一つのであるは金星よりも太陽に近いところをより速く公転している。 そのためはあまり珍しい現象ではなく、とにはそれぞれ14回ずつ起こる。 一般的な観察方法 [ ] 太陽との視差を決定するために、金星の太陽面通過の継続時間が測定された。 金星の太陽面通過の観測に対して(非常に珍しい現象であることとは別に)科学的な興味が持たれていた元々の理由は、の大きさを測定することができる可能性があるからであった。 までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1)として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離(や単位)はあまり正確に分かっていなかった。 太陽面通過の精密な観測は、この1天文単位、すなわち太陽と地球の間の絶対的な距離を測定する方法となる。 その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で太陽面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。 すると地球のある2点間の距離が、の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える。 また、太陽との距離は角度であるから間接的に定めることもできる。 地心視差とは地球の中心(地心)から天体を見るときと地表上から天体をみるときの方向差のことで、特に天体が地平線上に存在するときの地心視差を地平視差と呼ぶ。 さらに、観測者が赤道上にいるときに観測される太陽の地平視差を 太陽視差と呼ぶ。 太陽視差の値から天文単位を間接的に求めることができるため、天文単位距離の値そのものよりも、金星の太陽面通過を利用して太陽視差の値を求めることが行われてきた。 現在の1天文単位の距離は、149 597 870. 700 で定義されており 、また、広く受け入れられている太陽視差の値の一つは、8. 794 143である。 17世紀 [ ] 1631年 [ ] ドイツの天文学者は金星の太陽面通過の詳細に予測した最初の人物と考えられている。 1629年、ケプラーは、彼のをもとにして、金星の太陽面通過が1631年12月6日に起こると予測した。 ケプラーは1630年に死去し、自身の予測を確かめることはなかった。 ケプラーの予測にもとづいて、フランスのはから観測を行おうとした。 しかしケプラーの予測は十分に正確ではなく、ガッサンディは結局観測することはできなかった。 現在の計算によれば、パリではの日の出の約50分前、太陽が観測できる前に太陽面通過は終了していた。 1639年 [ ]。 同じく観測の様子を描いたもの 金星の太陽面通過の最初の観測は、イギリスのによって(当時イギリスで使われていたでは)に行われた。 ホロックスは、当時のの金星の軌道表に誤りがあることを発見し、1639年に金星の太陽面通過が起こることを独自に見出した。 ケプラーも次の太陽面通過は1761年に起こると考えており、1639年の太陽面通過は予測できていなかった。 ホロックスの観測は、彼の居住地であったマッチフール Much Hoole というのの近くにある村で行われた。 彼の友人であったも、の近くのから観測を行った。 15時までは太陽面通過は起きないとホロックスは予測していたが、万全を期すためにその日は夜明けから一日中、断続的に観測を続けた。 13時から15時までのどうしても外せない用事を済ませて観測に戻ると、太陽面通過が始まっていた。 日の入り前、ホロックスは15時15分、15時35分、15時45分の太陽面上の金星位置を記録することに成功した。 クラブトリーも同じく日の入りの直前に観測に成功する。 観測記録をもとにしてホロックスは、地球・太陽間距離を地球の半径の約15,000倍、太陽視差で14と算出した。 ホロックスは1641年に、クラブトリーは1644年に死去する。 ホロックスは自身とクラブトリーの観測記録を論文にまとめたが存命中に出版されることはなかった。 この原稿はにによって出版され、彼の業績が日の目を見ることになる。 18世紀 [ ] 1761年 [ ] が1678年に発表した論文。 図は金星の太陽面通過を利用して太陽と地球の間の距離を計算する方法を示している。 1716年、イギリスの天文学者が1761年に起こる金星の太陽面通過を世界各地から観測して1の正確な値を得るための、国際的な共同研究プロジェクトを提案した。 この提言を受けて、1761年と続いて太陽面通過が起きる1769年に、各国の科学アカデミーや学会から多数の探検隊が世界の様々な場所へ太陽面通過を観測するため派遣された。 国を超えて行われたこれらの観測を、 ()は「史上初の世界的な科学プロジェクト」と評している。 ハレーは1742年に死去し、自身がこの研究プロジェクトを直接指揮することはできなかった。 ハレー自身も自分の高齢のために1761年の太陽面通過に間に合わないことを理解していたため、どこでどんな観測をすべきかという詳しい説明を残し、好機を逃さないことを多くの天文学者たちに伝えた。 1761年の太陽面通過は、フランスのが中心となって、ヨーロッパ各地の天文学者に観測を呼びかけられた。 ハレーの方法は太陽面通過の始まりから終わりまでの経過時間の記録を必要とするものだったが、ドリルはこれを改良して、2つの観測地点から通過開始(第2接触)、または通過終了(第3接触)の時刻を記録するだけで事足りる方法を提案した。 太陽面通過の全過程を観測できる地域は限られているため、ドリルの方法であれば、さらに多くの地点を観測地にすることができる。 一方で、ドリルの方法は観測地点の正確なを把握する必要がある。 しかし、経度の情報は当時はまだ不十分だった。 フランス、イギリス、ロシア、スウェーデン、建国前のアメリカの天文学者たちがの太陽面通過観測に乗り出した。 特にフランスとイギリスは、最も理想的な観測地点となると、その対となるまで観測隊を派遣し 、最も多くの派遣を行った。 当時の航海の手段は木製のであり、難破や病気などの危険と隣り合わせの長く険しい旅が余儀なくされた。 天文学者たちの冒険の様子を「望遠鏡付きの象牙の塔の住人というより、聖杯を探し求める冒険家」と ()は記している。 基本的には、植民地などで自国の支配地としていた地域をそれぞれの観測地とした。 フランスはをインドのへ、をインド洋のへ派遣し、イギリスはを南大西洋のへ、と ()をのへ派遣した。 当時はの最中でもあり、政治情勢としても航海には危険な状態であった。 ベンクーレンを目指していたイギリスのディクソンとメイソンは、出帆から2日後にフランス軍艦に遭遇し、死者も出た激しい戦闘に巻き込まれた。 南アフリカのまでディクソンとメイソンは辿りついたものの、太陽面通過までの時間が残っておらず、なおかつベンクーレンがフランスに奪われた報せを聞いたディクソンとメイソンは、ベンクーレンでの観測を諦めて喜望峰で観測を行った。 ポンディシェリを目指したフランスのル・ジャンティも航海中に敵艦に遭遇することがあったが、霧に助けられるなどして上手く逃走することができた。 しかし、目的地のポンディシェリ付近に着いたところで、イギリス軍によってポンディシェリは包囲されてしまったという知らせをル・ジャンティは受け取る。 上陸できなかったル・ジャンティは、インド洋上に浮かぶ不安定で地理的位置も不明瞭な船上から観測を行うこととなった。 ロシアのアカデミーは、天文学の素養を持つ人材の不足から、当初は自国から派遣は出さずにフランスに派遣を打診した。 フランスはこの打診を受けてをシベリアのに派遣することを決めたが、この連絡はロシアに届いておらず、ロシアは自国の観測者を訓練してとへ派遣を行った。 行き違いがあったが、シャップはトボリスクでの観測をロシアに認めてもらい、旅を継続した。 結氷したを超え、太陽面通過の6日前にシャップはなんとかトボリスクに到着し、良好な観測を成し遂げている。 シャップは、この旅の記録を後に『』として出版した。 建国前のアメリカでは、北アメリカ大陸で数少ない観測可能な地域であるのにてが観測を行った。 スウェーデンでは ()を中心に観測計画が進められ、当時はスウェーデンの支配下にあったフィンランド東部のへアンダーシュ・プランマンを派遣した。 本国でも多くの天文学者が観測を行い、ドリルはパリで、ワルゲンティンはストックホルムで観測を行った。 ロシア首都で観測を行ったは、金星が太陽面から出ていくときの様子から金星にがあることを予測した。 スウェーデンのにより描かれた1761年のの様子。 1761年の太陽面通過では、最終的には、60以上の場所で120以上の観測が行われた。 しかし、後にと呼ばれる太陽面の縁に金星がくっついた状態が続く現象が観測時に起こり、接触の正確な時間を特定できなかった。 さらには観測地点の経度が正確に把握できていなかったことなども悪影響した。 観測結果にもとづき各国の天文学者たちは太陽視差の計算を行ったが、報告された値は8. 28秒から10. 6秒まで様々で、当初に期待していたほどの正確な測定はできなかった。 しかし、前の太陽面通過からホロックスによって測定された値よりも、現在の値である8. 79秒に大きく近づいた。 1769年 [ ] 次の太陽面通過はに発生した。 それまでの間に七年戦争は終結して、航海時の安全は向上した。 また、がヨーロッパ各国の権力層にも広がったおかげで科学事業への協力を得やすくなり、各国の国王も観測事業の全面的な支援を行う者が増え、観測に向けた状況は改善していた。 これを逃すと次の太陽面通過は1874年まで起こらないため、今回の観測成功は必須となっていた。 ブラック・ドロップ現象克服のために、より性能の高い ()も普及した。 が観測基地としたの廃墟。 旗の右側にある中央の建物。 フランスでは、ドリルに代わりが計画の指揮を執っていた。 1761年に遠征したパングレとシャップとル・ジャンティは、1769年の太陽面通過でも再び遠征地にて観測を行った。 パングレは中央アメリカのへ派遣され、観測を行った。 シャップはメキシコのへ遠征し、良好な観測を達成した。 しかし、当時のメキシコではが流行しており、観測隊も次々に感染して亡くなっていった。 観測後に看病しながら仕事を続けていたシャップも感染し、観測地にて没した。 シャップの観測記録は、観測隊の生存者によって1年後にパリへ届けられた。 1761年にはインド洋上で観測を強いられたル・ジャンティは、観測後はフランス本国には戻らずにインド洋周辺に滞在し、次の太陽面通過に向けて準備を行った。 ル・ジャンティはフィリピンので観測を行うことにしたが、フランス本国からはインドので観測がより良いと連絡が届けられた。 1769年、ル・ジャンティは予定を変更してポンディシェリで観測を行ったが、当日の天候は曇りで、太陽面通過を観測することはできなかった。 さらには、観測の帰途で船が難破し、11年を経てパリへ帰還した際にはル・ジャンティは死んだことになっており、財産とアカデミーでの地位を失っていた。 とが記録したの様子。 イギリスでは、マスケリンが1765年にの天文台長となり、1769年の観測を統率した。 前回遠征したディクソンとメイソンは再度観測のために遠征し、ディクソンはノルウェーへ、メイソンはアイルランドへ派遣された。 さらに、 ()を北アメリカのへ、を南太平洋のへ派遣した。 ハドソン湾への航路は初夏まで凍り付くため、ウェールズは1768年の春の暮れに出航し、観測地で冬を越し、太陽面通過が起こる1769年6月まで待つ必要があった。 は、天文学者の ()と共にで出航し、未開だったタヒチへの航海を成し遂げ、観測に成功した。 この航海は、後にキャプテン・クックと呼ばれるクックの第1回航海に当たる。 天候に恵まれて太陽面通過の様子を十分観測することはできたが、ブラック・ドロップ現象が現れ、接触の時刻を精密に記録することはできなかった。 最終的には、1769年の太陽面通過では、77つの場所で150以上の観測が行われた。 観測結果にもとづく太陽視差の計算結果は、8. 43秒から8. 80秒までの値が報告された。 しかし、もっと良い精度の結果が期待されてはいたものの、1761年に得られた値からさらに現代の値に近いより正確な値を得ることができた。 後の1824年にが経度の最新値とを使い、1761年と1769年の観測記録から太陽視差8. 5776秒という値を算出した。 この値は、その後四半世紀ほど太陽視差の代表的値として扱われた。 19世紀 [ ] 1874年 [ ] イギリスからの観測隊長タップマンと設置された望遠鏡、での様子 次の金星の太陽面通過は105年後のに起こった。 このときも欧米各国が世界中に観測隊を派遣した。 アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、メキシコ、ロシアが派遣隊を出している。 観測地は• 北半球:、、、、全域、、• 南半球:、、 ()、、、、、、 の地域に及んだ。 1862年にが火星を利用して太陽視差を測定したものの、結果は8. 841秒とエンケの値とも離れた値が得られたことから、1874年の金星の太陽面通過は依然として天文単位を決定する貴重な機会だった。 は、1857年に天文単位の決定を "the noblest problem in astronomy"(天文学上の最も崇高な問題)と述べている。 前の観測以降にが発明され、この新たな技術が観測に使われた。 フランスでは、太陽面通過観測のためにが連続撮影可能な回転式の写真機 "revolver photographique"(写真のリボルバー)を発明した。 ()と協力者のシャルル・アンドレは太陽面通過を再現する機械を製作し、ブラック・ドロップ現象の解明を行った。 金星太陽面経過観測地点記念碑。 メキシコが観測を行った横浜市中区山手町にて観測から100年を記念して建てられた。 1874年の太陽面通過では、日本も太陽面通過の全過程が観測可能な地域だったため、、がそれぞれ観測隊を派遣した。 フランス隊には "revolver photographique" を発明したジャンサンも参加していた。 フランス隊は長崎と神戸に隊を分け、それぞれで観測を行った。 フランスへ留学していたも神戸のフランス隊に同行し、金星の太陽面通過の写真を15枚撮影することに成功した。 アメリカ隊は長崎で 、メキシコ隊は横浜で観測を行った。 長崎ではがアメリカ隊に協力している。 また、アメリカ隊のジョージ・ダビットソンは金星観測後に日本側からの要望を受け、長崎・東京間の経度差を測量した。 東京には隊員のチットマンとエドワーズを派遣し、現在では「チットマン点」と呼ばれる日本最初の経度原点が決定された。 諸外国の観測隊の受け入れによって、日本は観測点の経度決定法などの近代天文学上の重要な基礎技術を学んだ。 このような諸外国による金星太陽面通過の観測によってもたらされた日本への影響を、斉藤国治は「科学における黒船」と評している。 今回の太陽面通過では写真などによって接触の観測の精度が向上することが期待されたが、結果は18世紀の観測よりも少し向上した程度に留まった。 イギリスは写真による方法が上手く行かなかったことを認めた。 アメリカは太陽面上を金星が通過している様子については多くの良い写真が撮れたが、肝心の第1接触・第2接触間と第3接触・第4接触間についての写真はブラック・ドロップ効果によって無価値だったことを報告した。 このときの太陽面通過から、アメリカでの観測結果から8. 034秒、フランスでの観測結果から8. 06秒という太陽視差の値が報告された。 1882年 [ ] による1882年の金星太陽面通過の記録写真 次の金星の太陽面通過はに発生した。 1874年の太陽面通過で期待の結果を得ることができなかったことは、次の太陽面通過の観測への意気を下げることとなった。 1875年にはが小惑星を利用して、太陽視差8. 873秒という値を高い精度で得ていた。 では、1874年の観測を率いたは金星太陽面通過の観測を天文単位を決める最適な方法と考えることを止め、が1882年の観測を率いることとなった。 このような観測の科学的価値への疑義は生じたが、結果的には欧米各国はからに至る世界各地に観測隊を派遣した。 各国の観測計画を調整するための国際会議が1881年10月にパリで開かれ、14の国が参加した。 アメリカもパリの会議には出席しなかったが、観測隊の派遣は継続して行うこととした。 ニューカムも観測隊の1つを率いて南アフリカので観測を行っている。 スモークガラスの破片で太陽面通過を見ようとする子供たち(の絵画) 1874年と異なり、この年の太陽面通過はヨーロッパとアメリカでも観察可能で、町の広場に望遠鏡が置かれ、多くの人たちが観察する盛り上がりを見せた。 は、1881年から83年にかけて継続的に金星太陽面通過の記事を出し続けた。 記事では、太陽面通過の観測の歴史や観測方法の解説、1882年の各国の観測計画や結果が伝えられ、当時の太陽面通過への興味の高まりを示している。 アメリカの作曲家は、このときの太陽面通過に触発されて を作曲した。 アメリカ海軍天文台による1882年の観測結果は、1874年と比較すると良い観測結果であった。 集められた観測写真の数も1380枚に上った。 アメリカでの観測結果から、ハークネスが1889年に8. 0118秒という太陽視差の値を報告した。 また、1895年にはニューカムが、18世紀と19世紀の4回の太陽面通過の記録から8. 0018秒という値を報告した。 ただし、金星太陽面通過以外の方法も含めた様々な太陽視差決定結果の中では、によるを利用して得られた値を最も重要性が高いとし、金星太陽面通過によって得られた値の重要性は低いとニューカムはまとめている。 21世紀 [ ] 2004年 [ ] NASAの太陽観測衛星が記録した2004年の太陽面通過の様子 次の金星の太陽面通過は、前回から1世紀の間を空け、に発生した。 前回から科学技術が発展し、金星・地球間の距離がによって直接測定可能となり、太陽面通過によって天文単位を求める必要は無くなった。 1961年と62年の金星に対するレーダー観測から、天文単位の値が 149 596 000 km から 149 601 000 kmの範囲と求められた。 2016年現在では、天文単位の値は実測値ではなく一定に固定された定義値となっており、その値は前述のとおり 149 597 870. 700 km となっている。 太陽面通過の科学的重要性は小さくなったが、非常に稀な天文イベントは世界中の多くの人の興味を引き付けた。 とが中心となって、金星の太陽面通過を題材として "VT-2004" というインターネットを通じた国際的な教育プログラムが行われた。 太陽面通過観測に関連する企画を通じて科学への興味や知識の向上に役立てることを目的としたもので 、 参加者から太陽面通過における4つの接触の観測結果を集め、天文単位を古典的な方法で再計算することも1つの目標とした。 接触の様子を記録した2つの連続写真。 左の"質の悪い"写真ではブラックドロップ現象がよく見て取れる。 ブラック・ドロップ効果が見られるかどうかも関心の的となった。 18世紀・19世紀に報告されたブラック・ドロップ効果の主原因は、望遠鏡の性能によるものという見方が現在では主流となっている。 VT-2004 へ参加した多くの観察者たちは接触の時刻を特定するのに支障は無かったと報告しており、提出された多くの写真でもブラック・ドロップ効果のような現象は起きていなかった。 学術的な研究も行われ、 ()らは、NASAの太陽観測衛星「」による2004年の金星太陽面通過の観測結果を、1999年のの観測結果と合わせて分析し、望遠鏡の性能だけでなく太陽のもブラック・ドロップ効果の原因の一つと結論付けた。 また、2004年の太陽面通過の際には、金星が太陽の光の一部を遮る時の光のパターンを測定することでの捜索に使う技術を洗練させようという試みに多くの科学者たちが挑戦した。 他のの周囲を廻っている惑星を探すための現在の方法は、我々がの変化やの変化によるを発見できるほどそのが十分に恒星を揺さぶるほどの非常に大きな惑星(サイズであり、地球サイズではない)にのみ有効である。 惑星が一部の光を遮ることから、太陽面通過の進行中に光の強度を測定することで潜在的には遥かに高感度に小さな惑星を探索できる。 しかし、極端に厳密な測定が必要である。 例えば、金星の太陽面通過によって太陽の光度は0. 001だけ暗くなる。 小さな太陽系外惑星による減光の度合いは同じぐらい小さなものと考えられている。 2012年 [ ] 次の金星の太陽面通過はからにかけて発生した。 前回に引き続いて世界中の人たちが、この天文イベントを観察した。 JAXAらの太陽観測衛星「」は太陽面通過の様子を超高解像度で撮影を行った。 得られた画像は、オレオール現象と呼ばれる黒い金星を包む細い光の環を捉えている。 この現象は、金星が太陽面上を通過するときに太陽光が中で屈折することで発生する。 1761年に太陽面通過を観測して金星の大気を予測したは、この現象を観測して大気の存在を予測したと考えられている。 また、フランスの天文学者が中心となって "Venus Twilight Experiment" と呼ばれる研究プロジェクトが立ち上げられ、オレオール現象を利用して金星の大気への理解を深めることなどを目標とした観測・研究が行われた。 オレオール現象は2004年にも現れたが、現象を捉えて分析するための観測の最適化が整っていなかった。 世界の観測可能地域へメンバーが「現代的な」遠征をして観測を行った。 成果としては、金星を周回する探査機による大気の鉛直温度分布の観測を補完するなどの結果が得られている。 次の金星の太陽面通過は、のからにかけて起こる。 宇宙空間上から観測された2012年の金星太陽面通過• 太陽観測衛星が撮影した接触の様子(黒い金星を包む細い光の環がオレオール現象 ) 過去と未来の太陽面通過 [ ] 以下の表では例として、ケプラーが予測した1631年から25世紀最後までについて、金星の太陽面通過の発生日・時刻・主な観測可能地域を示している。 発生の一覧(1631年から2498年まで) 発生日 時刻() 主な観測可能地域 出典 開始 中央 終了 03:51 05:19 06:47 途中から:アフリカ中央部 全過程:アジアの大部分、オセアニアの大部分 途中まで:オセアニア西部 14:57 18:25 21:54 途中から:オセアニア、北アメリカ北西部 全過程:北アメリカ中央部、南アメリカ東部 途中まで:南アメリカ西部、アフリカ、ヨーロッパ西部 02:02 05:19 08:37 途中から:アフリカ、ヨーロッパの大部分 全過程:アジア、オセアニア西部 途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部 - 19:15 22:25 01:35 途中から:アジアの大部分、オセアニア東部 全過程:オセアニア西部、北アメリカ西部 途中まで:北アメリカ東部、南アメリカ 01:49 04:07 06:26 途中から:アフリカの大部分、アジア西部 全過程:アジア東部、オセアニア西部 途中まで:オセアニア東部 13:57 17:06 20:15 途中から:オセアニア西部、北アメリカ西部 全過程:北アメリカ東部、南アメリカ 途中まで:アフリカ、ヨーロッパ 05:13 08:20 11:26 途中から:北アメリカ東部、南アメリカの大部分、アフリカ東部 全過程:アフリカの大部分、ヨーロッパ、アジアの大部分 途中まで:アジア東南部、オセアニア - 22:09 01:29 04:49 途中から:アフリカ東部、ヨーロッパ、アジア西部 全過程:アジア東部、オセアニアの大部分 途中まで:北アメリカの大部分、南アメリカ東部 - 23:58 02:48 05:38 途中から:アフリカ東部、アジア西部 全過程:アジア東部、オセアニアの大部分 途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端 13:15 16:01 18:48 途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部 全過程:北アメリカ東部、南アメリカ 途中まで:アフリカ、ヨーロッパ 08:42 11:33 14:25 途中から:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分 全過程:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部 途中まで:アジア東部、オセアニア西部 01:08 04:38 08:08 途中から:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部 全過程:アジアの大部分、オセアニア西部 途中まで:オセアニア東部、北アメリカの大部分 - 22:32 01:44 04:56 途中から:アフリカ東部、アジアの大部分 全過程:アジア東南部、オセアニアの大部分 途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部、南アメリカ南西部 12:29 14:45 17:01 途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部 全過程:北アメリカ東部、南アメリカ、アフリカ西部 途中まで:ヨーロッパ西部、アフリカ東部、アジア西部 11:39 14:17 16:55 途中から:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端 全過程:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分、アフリカ西部、ヨーロッパ 途中まで:アフリカ東部、アジア 03:48 07:25 11:02 途中から:北アメリカ東部、南アメリカ東部、アフリカ西部 全過程:ヨーロッパの大部分、アジアの大部分、アフリカ東部 途中まで:アジア東南部、オセアニア• 出典:日付と時刻はNASA による。 観測可能地域はHMNAO(表内の各出典)による。 注1:「開始」は第1接触を、「中央」は食の最大を、「終了」は第4接触を意味する。 注2:「途中から」は太陽面通過の途中から観測可能になることを、「途中まで」は太陽面通過の途中まで観測可能であることを意味する。 特殊な太陽面通過 [ ] かすめる太陽面通過 [ ] 時々、天体が太陽をかすめていくだけの太陽面通過がある。 この通過では、地球上のある地域では完全な太陽面通過を見ることができる一方、他の地域では第2接触や第3接触が無い部分的な太陽面通過を見ることになる。 1999年のは、このような太陽面をかすめる太陽面通過(英語ではgrazing transit)であった。 金星の太陽面通過では、2854年12月14日の通過がこの種類のものになると予測される。 同時太陽面通過 [ ] 21世紀現在、金星の太陽面通過が起こる時期は6月上旬と12月上旬、が起こる時期は5月上旬と11月中旬であり、それらが同時に起こることは無い。 しかし、地球と水星の位置と地球と金星の交点位置は変化しており、ごく僅かずつであるが互いに近づいている。 そのため、非常に遠い未来であれば、金星と水星の同時太陽面通過が起こることが予測される。 とアルド・ビタグリアーノの計算によれば、で69163年7月26日および224508年3月27日に、このような極めて稀な同時太陽面通過が発生する。 この頃には力学時との差は大きくなっており、協定世界時で表せば69163年3月頃と224504年4月頃にそれらが発生することになる。 と金星の太陽面通過が同時に起こることも、非常に稀であるが存在する。 同じくメーウスとビタグリアーノによれば、これも非常に遠い未来に発生する見込みで、力学時で15232年4月5日に皆既日食と金星の太陽面通過の同時発生が起きる。 同時発生ではないが、過去にはの金星太陽面通過で、太陽面通過に引き続いて皆既日食が起きたことが報告されている。 このときの日食は、金星太陽面通過の終了から約7時間後に発生していた。 その他 [ ] 紀元前90353年4時34分から始まる金星の太陽面通過は、前後1週間の間に8回も天体の太陽面通過がある特殊な1週間である。 1日に月と地球で 、3日にで 、7日に地球と月と土星で金星の太陽面通過 、8日にでが発生していたと計算されている。 題材とする文化芸術 [ ] の行進曲 Transit of Venus March 『塔上の二人』(原題: ) 1882年のによる小説。 金星の太陽面通過観測に関わるアマチュアの天文学者を主役の一人とした恋愛小説で、当時の金星太陽面通過への関心の高まりの例として挙げられる。 1882年から1883年に発表されたの行進曲。 スーザが1882年の太陽面通過に興味を持ったことから作曲されたものだが、太陽面通過自体を祝うものではなく、スーザは1878年に死去した物理学者のを称えるために作曲した。 1992年のモーリン・ハンター による演劇。 1761年と1769年の太陽面通過観測に派遣されたの地球上の様々な場所での努力を脚色したものである。 2007年には同名でオペラ化された。 2009年に発売されたイギリスのTVドラマ『』の。 太陽面通過観測のためにが航海していた1770年を舞台にする。 2012年に発売されたカナダのロックバンドの音楽アルバム。 太陽面通過が起きた当日の2012年6月5日にタイトルと発売日が発表された。 2014年ので Rock Album of the Year にノミネートされた。 脚注 [ ] []• 2012年6月6日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 相馬 充「金星の日面経過」『』天文年鑑編集委員会、誠文堂新光社、2011年、初版、54頁。 HM Nautical Almanac Office. 2016年3月19日閲覧。 HM Nautical Almanac Office. 2016年3月19日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 2012年6月6日. 2016年2月11日閲覧。 2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜. 2016年4月2日閲覧。 European Space Agency 2000年. 2006年9月25日閲覧。 Juergen Giesen 2003年. 2006年9月26日閲覧。 、星の子館。 HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。 2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台). 2012年6月6日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 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毛穴の奥にある、毛根が入っている袋状の上皮組織を「毛包(もうほう)」といいます。 この毛包に「黄色ブドウ球菌」や「コアグラーゼ陰性ブドウ球菌」などの細菌が侵入し、炎症を起こすと「毛嚢炎(もうのうえん)」、または「毛包炎」といった状態になります。 これが進行し、中央に膿の栓をもち硬くなり、炎症が強くなったものを癤(せつ)といいます。 癤のうち、顔のとくに中央部にできたものが「面疔」と呼ばれています。 にきびは思春期の男女が多く経験する吹き出物で、医学的には「尋常性ざ瘡(そう)」という病気です。 これも、前述した毛嚢炎の一種です。 思春期になると、毛穴から皮脂の分泌が盛んになり毛穴が詰まりやすくなります。 そこに、にきびの原因となる「アクネ菌」が増殖したり、不潔な状態や化粧品の刺激など、外的な要素が加わることで発生します。 食事やストレス、睡眠不足なども原因のひとつです。 また、特殊なもので、生まれたばかりの赤ちゃんにできる「新生児ざ瘡」、ステロイドの使用に伴い生じる「ステロイドざ瘡」、ニキビダニが原因の「毛包虫性ざ瘡」などもあります。 黄色ブドウ球菌もアクネ菌も「常在菌」といって、人間の肌に普通に存在している細菌です。 存在しているだけでは問題ありませんが、それぞれ存在する菌のバランスが壊れると、皮膚のトラブルに発展します。 面疔は、前述のとおり「顔にできるもの」です。 顔は体の中でも皮膚が薄いため、繁殖した細菌が皮膚の下に侵入しやすくなっています。 面疔が悪化し、増殖した細菌が顔の血管を介して全身にまわると「菌血症 きんけつしょう 」という状態となり、発熱や頭痛といった全身症状を伴うようになります。 頭蓋骨や脳にまで達してしまうと、「骨髄炎」や「脳膿瘍」など極めて危険な合併症を起こし、最悪の場合には死に至る可能性もあります。 現代では、抗生物質の普及や医学の進歩により、面疔から死に至ることはほとんどありませんが、免疫力が低下している方や高齢者などは悪化しやすいため、治りにくい場合は皮膚科の受診をおすすめします。 一般的な洗顔フォーム、冷たい水などは刺激が強いため、ぬるま湯で洗うのがポイントです。 しかし、人間の手は日常的にいろいろな物を触っているため、清潔とはいえません。 上記の説明どおり、患部以外の場所を清潔に保つためにも、手で直接触らないように気を付けましょう。 表面に傷がついたり膿が出ている場合は、ばんそうこうで患部を覆ってしまうのもいいでしょう。 なお、面疔をにきびのようにつぶしてしまうのは論外です。 絶対にやめましょう。 面疔の原因となるブドウ球菌には、抗生物質が効果的です。 しかし、多発している場合や治りにくい場合は、一般的に塗り薬よりも内服薬が有効です。 内服薬は、病院を受診して処方してもらいましょう。 放置していて悪化すると、抗生物質の点滴や膿を出すために患部の切開が必要になることもあります。 痛みや腫れが強い場合は早めに皮膚科を受診するようにしましょう。

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の金星の太陽面通過。 のにて。 における 金星の太陽面通過(きんせいのたいようめんつうか)は、が面を黒い円形のとして通過していくように見えるである。 金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。 日面通過や 日面経過、 太陽面経過とも呼ばれる。 記録に残る初の観測は、にによってなされた。 金星の太陽面通過は非常に稀な現象で、近年では、8年、105. 5年、8年、121. 5年の間隔で発生する。 直近ではからにかけて起こった。 次回はからにかけて起こる。 金星の太陽面通過を観察することで、地球と太陽の間の距離(1)が算出可能となる。 1天文単位の距離を得るために、との太陽面通過では欧州を中心として国を超えた国際的な観測事業が行われ、世界各地に天文学者が派遣された。 この観測プロジェクトは科学における初の国際共同プロジェクトとも評される。 金星の太陽面通過の概略図(2012年の通過をモデルにしたもの) 太陽面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。 しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。 続いて金星が太陽面に接触する。 この瞬間を 第1接触という。 さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を 第2接触という。 第1接触から第2接触までは約20分かかる。 その後金星は太陽面上を西へ移動していく。 金星が太陽面の中心に最も近づいたときを 食の最大という。 さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。 この瞬間を 第3接触という。 第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、との金星の太陽面通過では約6時間である。 さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を 第4接触という。 第3接触から第4接触までは約20分である。 このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに太陽面通過が始まっていたり、日没時にまだ太陽面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。 2004年の太陽面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった。 2012年の太陽面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能であった。 第2接触の直後と第3接触の直前に金星の形が円形からずれて太陽の縁から滴り落ちる水滴のような形となり、しばらく太陽の縁にくっついた状態が数十秒間続く現象が知られている。 これは と呼ばれる。 この現象のため、第2接触と第3接触の正確な時刻を測定するのは困難であると考えられていた。 しかし時代が新しくになるにつれてブラック・ドロップ現象の報告は減っており 、これは望遠鏡のピントが合っていないなどの理由による見かけの現象だとされている。 発生の仕組み [ ] 金星の内合 [ ] 金星の太陽面通過と、地球と金星の軌道平面の傾きの説明図 太陽面通過が起こるには、金星が地球と太陽の間に入る必要がある。 このような状態を と呼ぶ。 しかし、金星が内合になっても、地球-金星-太陽は一直線上に通常は並ばない。 金星の軌道は地球の軌道に対して3. 4傾いており、上では金星は内合時に太陽の北か南を通過していくように見える。 4度というとそう大きい角度ではないように思うかもしれないが、地球から見ると内合時に金星が最大で9. 6度も太陽から離れて見えることもある。 これに対して太陽の視直径は約0. 5度であるから、金星は太陽面を通過しない内合の際に太陽の北または南を太陽の直径の18倍以上離れて通過することもある。 したがって、太陽面通過が起こるのは、地球のと金星の軌道平面が交わるところで(または極めて近くで)、金星が内合になるときである。 地球の公転軌道(1年)の中で、この軌道平面の交線を通過するのは太陽を挟んで対称となる2点だけである。 これらの2点を と呼ぶ。 交点を通過する時期は、現在では頃と頃であり、太陽面通過が起こりうるのはこの前後数日に限られる。 起こる間隔 [ ] 太陽面通過時における、金星公転軌道と地球公転軌道の重なりの様子を描いた動画 金星の太陽面通過は非常に稀な現象である。 近年では、8年、105. 5年、8年、121. 5年の間隔で発生する。 ある時点に太陽面通過が起きたとする。 地球の1は365. 256日で、金星の1恒星年は224. 701日なので、金星の方が太陽の周りを早く回る。 太陽面通過から過ぎ去った金星が再び地球と太陽の間に達して次の内合が起こるには、前回の内合から583. 924日が必要となる。 この583. 924日という期間を と呼び、583. 924日おきに内合が発生する。 しかし前述のとおり、再び内合になっただけでは、太陽面通過は起きない。 軌道平面の交点上で内合が起きる必要がある。 地球が軌道平面の交点を通過するのは、半年(0. 5年)おきである。 よって、ある時点に太陽面通過が起きたとすると、次に太陽面通過が起きる可能性がある時期は、0. 5年の整数倍経過後に限られる。 前回の太陽面通過から8年経過したとき、これは0. 5年の整数倍であり、なおかつ会合周期のちょうど5回分である。 よって、内合になる・交点上にあるという2つの条件を満たすことができる。 近年、2回の太陽面通過が8年の間隔で起きているのはこの理由による。 しかし、8年経過後に全く同じ位置に金星が戻るわけでなく、前回の位置からわずかなズレが起きる。 正確には8年よりも2. 45日早く、内合が訪れる。 8年間隔の太陽面通過が2回しか起きないのは、このズレが蓄積することによる。 16年後にはズレは大きくなり、内合する金星は太陽面を通らず、太陽面通過は発生しなくなる。 一方で、会合周期を66回繰り返すとほぼ105. 5年経過となる。 これも0. 5年の整数倍となっている。 近年の発生間隔に105. 5年があるのは、この周期によるものである。 また、会合周期を76回繰り返すとほぼ121. 5年となる。 近年の発生間隔121. 5年はこの周期によるものである。 発生の日付は現在では頃と頃だが、この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。 年代を遡るともっと早い時期に起きており、1631年以前は、この日付は5月か11月であった。 これは、の1年()は地球が太陽を正確に1周するのにかかる期間()よりも少し短いためである。 8年、105. 5年、121. 5年以外の間隔でも、太陽面通過は発生する。 例えば、113. 5年、129. 5年、137. 5年といった間隔でも起きる。 これらの年数は、会合周期71回、81回、86回に相当する。 現在の「8年、105. 5年、8年、121. からまでは太陽面通過は8年、113. 5年、121. 5年という間隔をおいて起こっており、から546年までは太陽面通過は常に121. 5年おきに起きていた。 現在の「8年、105. 5年、8年、121. 5年」間隔は、1396年から始まり、3089年まで続く。 3089年の後は、129. 5年後という周期で次の太陽面通過が訪れる。 1396年の1つ前は、113. 5年前に発生している。 一方、もう一つのであるは金星よりも太陽に近いところをより速く公転している。 そのためはあまり珍しい現象ではなく、とにはそれぞれ14回ずつ起こる。 一般的な観察方法 [ ] 太陽との視差を決定するために、金星の太陽面通過の継続時間が測定された。 金星の太陽面通過の観測に対して(非常に珍しい現象であることとは別に)科学的な興味が持たれていた元々の理由は、の大きさを測定することができる可能性があるからであった。 までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1)として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離(や単位)はあまり正確に分かっていなかった。 太陽面通過の精密な観測は、この1天文単位、すなわち太陽と地球の間の絶対的な距離を測定する方法となる。 その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で太陽面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。 すると地球のある2点間の距離が、の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える。 また、太陽との距離は角度であるから間接的に定めることもできる。 地心視差とは地球の中心(地心)から天体を見るときと地表上から天体をみるときの方向差のことで、特に天体が地平線上に存在するときの地心視差を地平視差と呼ぶ。 さらに、観測者が赤道上にいるときに観測される太陽の地平視差を 太陽視差と呼ぶ。 太陽視差の値から天文単位を間接的に求めることができるため、天文単位距離の値そのものよりも、金星の太陽面通過を利用して太陽視差の値を求めることが行われてきた。 現在の1天文単位の距離は、149 597 870. 700 で定義されており 、また、広く受け入れられている太陽視差の値の一つは、8. 794 143である。 17世紀 [ ] 1631年 [ ] ドイツの天文学者は金星の太陽面通過の詳細に予測した最初の人物と考えられている。 1629年、ケプラーは、彼のをもとにして、金星の太陽面通過が1631年12月6日に起こると予測した。 ケプラーは1630年に死去し、自身の予測を確かめることはなかった。 ケプラーの予測にもとづいて、フランスのはから観測を行おうとした。 しかしケプラーの予測は十分に正確ではなく、ガッサンディは結局観測することはできなかった。 現在の計算によれば、パリではの日の出の約50分前、太陽が観測できる前に太陽面通過は終了していた。 1639年 [ ]。 同じく観測の様子を描いたもの 金星の太陽面通過の最初の観測は、イギリスのによって(当時イギリスで使われていたでは)に行われた。 ホロックスは、当時のの金星の軌道表に誤りがあることを発見し、1639年に金星の太陽面通過が起こることを独自に見出した。 ケプラーも次の太陽面通過は1761年に起こると考えており、1639年の太陽面通過は予測できていなかった。 ホロックスの観測は、彼の居住地であったマッチフール Much Hoole というのの近くにある村で行われた。 彼の友人であったも、の近くのから観測を行った。 15時までは太陽面通過は起きないとホロックスは予測していたが、万全を期すためにその日は夜明けから一日中、断続的に観測を続けた。 13時から15時までのどうしても外せない用事を済ませて観測に戻ると、太陽面通過が始まっていた。 日の入り前、ホロックスは15時15分、15時35分、15時45分の太陽面上の金星位置を記録することに成功した。 クラブトリーも同じく日の入りの直前に観測に成功する。 観測記録をもとにしてホロックスは、地球・太陽間距離を地球の半径の約15,000倍、太陽視差で14と算出した。 ホロックスは1641年に、クラブトリーは1644年に死去する。 ホロックスは自身とクラブトリーの観測記録を論文にまとめたが存命中に出版されることはなかった。 この原稿はにによって出版され、彼の業績が日の目を見ることになる。 18世紀 [ ] 1761年 [ ] が1678年に発表した論文。 図は金星の太陽面通過を利用して太陽と地球の間の距離を計算する方法を示している。 1716年、イギリスの天文学者が1761年に起こる金星の太陽面通過を世界各地から観測して1の正確な値を得るための、国際的な共同研究プロジェクトを提案した。 この提言を受けて、1761年と続いて太陽面通過が起きる1769年に、各国の科学アカデミーや学会から多数の探検隊が世界の様々な場所へ太陽面通過を観測するため派遣された。 国を超えて行われたこれらの観測を、 ()は「史上初の世界的な科学プロジェクト」と評している。 ハレーは1742年に死去し、自身がこの研究プロジェクトを直接指揮することはできなかった。 ハレー自身も自分の高齢のために1761年の太陽面通過に間に合わないことを理解していたため、どこでどんな観測をすべきかという詳しい説明を残し、好機を逃さないことを多くの天文学者たちに伝えた。 1761年の太陽面通過は、フランスのが中心となって、ヨーロッパ各地の天文学者に観測を呼びかけられた。 ハレーの方法は太陽面通過の始まりから終わりまでの経過時間の記録を必要とするものだったが、ドリルはこれを改良して、2つの観測地点から通過開始(第2接触)、または通過終了(第3接触)の時刻を記録するだけで事足りる方法を提案した。 太陽面通過の全過程を観測できる地域は限られているため、ドリルの方法であれば、さらに多くの地点を観測地にすることができる。 一方で、ドリルの方法は観測地点の正確なを把握する必要がある。 しかし、経度の情報は当時はまだ不十分だった。 フランス、イギリス、ロシア、スウェーデン、建国前のアメリカの天文学者たちがの太陽面通過観測に乗り出した。 特にフランスとイギリスは、最も理想的な観測地点となると、その対となるまで観測隊を派遣し 、最も多くの派遣を行った。 当時の航海の手段は木製のであり、難破や病気などの危険と隣り合わせの長く険しい旅が余儀なくされた。 天文学者たちの冒険の様子を「望遠鏡付きの象牙の塔の住人というより、聖杯を探し求める冒険家」と ()は記している。 基本的には、植民地などで自国の支配地としていた地域をそれぞれの観測地とした。 フランスはをインドのへ、をインド洋のへ派遣し、イギリスはを南大西洋のへ、と ()をのへ派遣した。 当時はの最中でもあり、政治情勢としても航海には危険な状態であった。 ベンクーレンを目指していたイギリスのディクソンとメイソンは、出帆から2日後にフランス軍艦に遭遇し、死者も出た激しい戦闘に巻き込まれた。 南アフリカのまでディクソンとメイソンは辿りついたものの、太陽面通過までの時間が残っておらず、なおかつベンクーレンがフランスに奪われた報せを聞いたディクソンとメイソンは、ベンクーレンでの観測を諦めて喜望峰で観測を行った。 ポンディシェリを目指したフランスのル・ジャンティも航海中に敵艦に遭遇することがあったが、霧に助けられるなどして上手く逃走することができた。 しかし、目的地のポンディシェリ付近に着いたところで、イギリス軍によってポンディシェリは包囲されてしまったという知らせをル・ジャンティは受け取る。 上陸できなかったル・ジャンティは、インド洋上に浮かぶ不安定で地理的位置も不明瞭な船上から観測を行うこととなった。 ロシアのアカデミーは、天文学の素養を持つ人材の不足から、当初は自国から派遣は出さずにフランスに派遣を打診した。 フランスはこの打診を受けてをシベリアのに派遣することを決めたが、この連絡はロシアに届いておらず、ロシアは自国の観測者を訓練してとへ派遣を行った。 行き違いがあったが、シャップはトボリスクでの観測をロシアに認めてもらい、旅を継続した。 結氷したを超え、太陽面通過の6日前にシャップはなんとかトボリスクに到着し、良好な観測を成し遂げている。 シャップは、この旅の記録を後に『』として出版した。 建国前のアメリカでは、北アメリカ大陸で数少ない観測可能な地域であるのにてが観測を行った。 スウェーデンでは ()を中心に観測計画が進められ、当時はスウェーデンの支配下にあったフィンランド東部のへアンダーシュ・プランマンを派遣した。 本国でも多くの天文学者が観測を行い、ドリルはパリで、ワルゲンティンはストックホルムで観測を行った。 ロシア首都で観測を行ったは、金星が太陽面から出ていくときの様子から金星にがあることを予測した。 スウェーデンのにより描かれた1761年のの様子。 1761年の太陽面通過では、最終的には、60以上の場所で120以上の観測が行われた。 しかし、後にと呼ばれる太陽面の縁に金星がくっついた状態が続く現象が観測時に起こり、接触の正確な時間を特定できなかった。 さらには観測地点の経度が正確に把握できていなかったことなども悪影響した。 観測結果にもとづき各国の天文学者たちは太陽視差の計算を行ったが、報告された値は8. 28秒から10. 6秒まで様々で、当初に期待していたほどの正確な測定はできなかった。 しかし、前の太陽面通過からホロックスによって測定された値よりも、現在の値である8. 79秒に大きく近づいた。 1769年 [ ] 次の太陽面通過はに発生した。 それまでの間に七年戦争は終結して、航海時の安全は向上した。 また、がヨーロッパ各国の権力層にも広がったおかげで科学事業への協力を得やすくなり、各国の国王も観測事業の全面的な支援を行う者が増え、観測に向けた状況は改善していた。 これを逃すと次の太陽面通過は1874年まで起こらないため、今回の観測成功は必須となっていた。 ブラック・ドロップ現象克服のために、より性能の高い ()も普及した。 が観測基地としたの廃墟。 旗の右側にある中央の建物。 フランスでは、ドリルに代わりが計画の指揮を執っていた。 1761年に遠征したパングレとシャップとル・ジャンティは、1769年の太陽面通過でも再び遠征地にて観測を行った。 パングレは中央アメリカのへ派遣され、観測を行った。 シャップはメキシコのへ遠征し、良好な観測を達成した。 しかし、当時のメキシコではが流行しており、観測隊も次々に感染して亡くなっていった。 観測後に看病しながら仕事を続けていたシャップも感染し、観測地にて没した。 シャップの観測記録は、観測隊の生存者によって1年後にパリへ届けられた。 1761年にはインド洋上で観測を強いられたル・ジャンティは、観測後はフランス本国には戻らずにインド洋周辺に滞在し、次の太陽面通過に向けて準備を行った。 ル・ジャンティはフィリピンので観測を行うことにしたが、フランス本国からはインドので観測がより良いと連絡が届けられた。 1769年、ル・ジャンティは予定を変更してポンディシェリで観測を行ったが、当日の天候は曇りで、太陽面通過を観測することはできなかった。 さらには、観測の帰途で船が難破し、11年を経てパリへ帰還した際にはル・ジャンティは死んだことになっており、財産とアカデミーでの地位を失っていた。 とが記録したの様子。 イギリスでは、マスケリンが1765年にの天文台長となり、1769年の観測を統率した。 前回遠征したディクソンとメイソンは再度観測のために遠征し、ディクソンはノルウェーへ、メイソンはアイルランドへ派遣された。 さらに、 ()を北アメリカのへ、を南太平洋のへ派遣した。 ハドソン湾への航路は初夏まで凍り付くため、ウェールズは1768年の春の暮れに出航し、観測地で冬を越し、太陽面通過が起こる1769年6月まで待つ必要があった。 は、天文学者の ()と共にで出航し、未開だったタヒチへの航海を成し遂げ、観測に成功した。 この航海は、後にキャプテン・クックと呼ばれるクックの第1回航海に当たる。 天候に恵まれて太陽面通過の様子を十分観測することはできたが、ブラック・ドロップ現象が現れ、接触の時刻を精密に記録することはできなかった。 最終的には、1769年の太陽面通過では、77つの場所で150以上の観測が行われた。 観測結果にもとづく太陽視差の計算結果は、8. 43秒から8. 80秒までの値が報告された。 しかし、もっと良い精度の結果が期待されてはいたものの、1761年に得られた値からさらに現代の値に近いより正確な値を得ることができた。 後の1824年にが経度の最新値とを使い、1761年と1769年の観測記録から太陽視差8. 5776秒という値を算出した。 この値は、その後四半世紀ほど太陽視差の代表的値として扱われた。 19世紀 [ ] 1874年 [ ] イギリスからの観測隊長タップマンと設置された望遠鏡、での様子 次の金星の太陽面通過は105年後のに起こった。 このときも欧米各国が世界中に観測隊を派遣した。 アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、メキシコ、ロシアが派遣隊を出している。 観測地は• 北半球:、、、、全域、、• 南半球:、、 ()、、、、、、 の地域に及んだ。 1862年にが火星を利用して太陽視差を測定したものの、結果は8. 841秒とエンケの値とも離れた値が得られたことから、1874年の金星の太陽面通過は依然として天文単位を決定する貴重な機会だった。 は、1857年に天文単位の決定を "the noblest problem in astronomy"(天文学上の最も崇高な問題)と述べている。 前の観測以降にが発明され、この新たな技術が観測に使われた。 フランスでは、太陽面通過観測のためにが連続撮影可能な回転式の写真機 "revolver photographique"(写真のリボルバー)を発明した。 ()と協力者のシャルル・アンドレは太陽面通過を再現する機械を製作し、ブラック・ドロップ現象の解明を行った。 金星太陽面経過観測地点記念碑。 メキシコが観測を行った横浜市中区山手町にて観測から100年を記念して建てられた。 1874年の太陽面通過では、日本も太陽面通過の全過程が観測可能な地域だったため、、がそれぞれ観測隊を派遣した。 フランス隊には "revolver photographique" を発明したジャンサンも参加していた。 フランス隊は長崎と神戸に隊を分け、それぞれで観測を行った。 フランスへ留学していたも神戸のフランス隊に同行し、金星の太陽面通過の写真を15枚撮影することに成功した。 アメリカ隊は長崎で 、メキシコ隊は横浜で観測を行った。 長崎ではがアメリカ隊に協力している。 また、アメリカ隊のジョージ・ダビットソンは金星観測後に日本側からの要望を受け、長崎・東京間の経度差を測量した。 東京には隊員のチットマンとエドワーズを派遣し、現在では「チットマン点」と呼ばれる日本最初の経度原点が決定された。 諸外国の観測隊の受け入れによって、日本は観測点の経度決定法などの近代天文学上の重要な基礎技術を学んだ。 このような諸外国による金星太陽面通過の観測によってもたらされた日本への影響を、斉藤国治は「科学における黒船」と評している。 今回の太陽面通過では写真などによって接触の観測の精度が向上することが期待されたが、結果は18世紀の観測よりも少し向上した程度に留まった。 イギリスは写真による方法が上手く行かなかったことを認めた。 アメリカは太陽面上を金星が通過している様子については多くの良い写真が撮れたが、肝心の第1接触・第2接触間と第3接触・第4接触間についての写真はブラック・ドロップ効果によって無価値だったことを報告した。 このときの太陽面通過から、アメリカでの観測結果から8. 034秒、フランスでの観測結果から8. 06秒という太陽視差の値が報告された。 1882年 [ ] による1882年の金星太陽面通過の記録写真 次の金星の太陽面通過はに発生した。 1874年の太陽面通過で期待の結果を得ることができなかったことは、次の太陽面通過の観測への意気を下げることとなった。 1875年にはが小惑星を利用して、太陽視差8. 873秒という値を高い精度で得ていた。 では、1874年の観測を率いたは金星太陽面通過の観測を天文単位を決める最適な方法と考えることを止め、が1882年の観測を率いることとなった。 このような観測の科学的価値への疑義は生じたが、結果的には欧米各国はからに至る世界各地に観測隊を派遣した。 各国の観測計画を調整するための国際会議が1881年10月にパリで開かれ、14の国が参加した。 アメリカもパリの会議には出席しなかったが、観測隊の派遣は継続して行うこととした。 ニューカムも観測隊の1つを率いて南アフリカので観測を行っている。 スモークガラスの破片で太陽面通過を見ようとする子供たち(の絵画) 1874年と異なり、この年の太陽面通過はヨーロッパとアメリカでも観察可能で、町の広場に望遠鏡が置かれ、多くの人たちが観察する盛り上がりを見せた。 は、1881年から83年にかけて継続的に金星太陽面通過の記事を出し続けた。 記事では、太陽面通過の観測の歴史や観測方法の解説、1882年の各国の観測計画や結果が伝えられ、当時の太陽面通過への興味の高まりを示している。 アメリカの作曲家は、このときの太陽面通過に触発されて を作曲した。 アメリカ海軍天文台による1882年の観測結果は、1874年と比較すると良い観測結果であった。 集められた観測写真の数も1380枚に上った。 アメリカでの観測結果から、ハークネスが1889年に8. 0118秒という太陽視差の値を報告した。 また、1895年にはニューカムが、18世紀と19世紀の4回の太陽面通過の記録から8. 0018秒という値を報告した。 ただし、金星太陽面通過以外の方法も含めた様々な太陽視差決定結果の中では、によるを利用して得られた値を最も重要性が高いとし、金星太陽面通過によって得られた値の重要性は低いとニューカムはまとめている。 21世紀 [ ] 2004年 [ ] NASAの太陽観測衛星が記録した2004年の太陽面通過の様子 次の金星の太陽面通過は、前回から1世紀の間を空け、に発生した。 前回から科学技術が発展し、金星・地球間の距離がによって直接測定可能となり、太陽面通過によって天文単位を求める必要は無くなった。 1961年と62年の金星に対するレーダー観測から、天文単位の値が 149 596 000 km から 149 601 000 kmの範囲と求められた。 2016年現在では、天文単位の値は実測値ではなく一定に固定された定義値となっており、その値は前述のとおり 149 597 870. 700 km となっている。 太陽面通過の科学的重要性は小さくなったが、非常に稀な天文イベントは世界中の多くの人の興味を引き付けた。 とが中心となって、金星の太陽面通過を題材として "VT-2004" というインターネットを通じた国際的な教育プログラムが行われた。 太陽面通過観測に関連する企画を通じて科学への興味や知識の向上に役立てることを目的としたもので 、 参加者から太陽面通過における4つの接触の観測結果を集め、天文単位を古典的な方法で再計算することも1つの目標とした。 接触の様子を記録した2つの連続写真。 左の"質の悪い"写真ではブラックドロップ現象がよく見て取れる。 ブラック・ドロップ効果が見られるかどうかも関心の的となった。 18世紀・19世紀に報告されたブラック・ドロップ効果の主原因は、望遠鏡の性能によるものという見方が現在では主流となっている。 VT-2004 へ参加した多くの観察者たちは接触の時刻を特定するのに支障は無かったと報告しており、提出された多くの写真でもブラック・ドロップ効果のような現象は起きていなかった。 学術的な研究も行われ、 ()らは、NASAの太陽観測衛星「」による2004年の金星太陽面通過の観測結果を、1999年のの観測結果と合わせて分析し、望遠鏡の性能だけでなく太陽のもブラック・ドロップ効果の原因の一つと結論付けた。 また、2004年の太陽面通過の際には、金星が太陽の光の一部を遮る時の光のパターンを測定することでの捜索に使う技術を洗練させようという試みに多くの科学者たちが挑戦した。 他のの周囲を廻っている惑星を探すための現在の方法は、我々がの変化やの変化によるを発見できるほどそのが十分に恒星を揺さぶるほどの非常に大きな惑星(サイズであり、地球サイズではない)にのみ有効である。 惑星が一部の光を遮ることから、太陽面通過の進行中に光の強度を測定することで潜在的には遥かに高感度に小さな惑星を探索できる。 しかし、極端に厳密な測定が必要である。 例えば、金星の太陽面通過によって太陽の光度は0. 001だけ暗くなる。 小さな太陽系外惑星による減光の度合いは同じぐらい小さなものと考えられている。 2012年 [ ] 次の金星の太陽面通過はからにかけて発生した。 前回に引き続いて世界中の人たちが、この天文イベントを観察した。 JAXAらの太陽観測衛星「」は太陽面通過の様子を超高解像度で撮影を行った。 得られた画像は、オレオール現象と呼ばれる黒い金星を包む細い光の環を捉えている。 この現象は、金星が太陽面上を通過するときに太陽光が中で屈折することで発生する。 1761年に太陽面通過を観測して金星の大気を予測したは、この現象を観測して大気の存在を予測したと考えられている。 また、フランスの天文学者が中心となって "Venus Twilight Experiment" と呼ばれる研究プロジェクトが立ち上げられ、オレオール現象を利用して金星の大気への理解を深めることなどを目標とした観測・研究が行われた。 オレオール現象は2004年にも現れたが、現象を捉えて分析するための観測の最適化が整っていなかった。 世界の観測可能地域へメンバーが「現代的な」遠征をして観測を行った。 成果としては、金星を周回する探査機による大気の鉛直温度分布の観測を補完するなどの結果が得られている。 次の金星の太陽面通過は、のからにかけて起こる。 宇宙空間上から観測された2012年の金星太陽面通過• 太陽観測衛星が撮影した接触の様子(黒い金星を包む細い光の環がオレオール現象 ) 過去と未来の太陽面通過 [ ] 以下の表では例として、ケプラーが予測した1631年から25世紀最後までについて、金星の太陽面通過の発生日・時刻・主な観測可能地域を示している。 発生の一覧(1631年から2498年まで) 発生日 時刻() 主な観測可能地域 出典 開始 中央 終了 03:51 05:19 06:47 途中から:アフリカ中央部 全過程:アジアの大部分、オセアニアの大部分 途中まで:オセアニア西部 14:57 18:25 21:54 途中から:オセアニア、北アメリカ北西部 全過程:北アメリカ中央部、南アメリカ東部 途中まで:南アメリカ西部、アフリカ、ヨーロッパ西部 02:02 05:19 08:37 途中から:アフリカ、ヨーロッパの大部分 全過程:アジア、オセアニア西部 途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部 - 19:15 22:25 01:35 途中から:アジアの大部分、オセアニア東部 全過程:オセアニア西部、北アメリカ西部 途中まで:北アメリカ東部、南アメリカ 01:49 04:07 06:26 途中から:アフリカの大部分、アジア西部 全過程:アジア東部、オセアニア西部 途中まで:オセアニア東部 13:57 17:06 20:15 途中から:オセアニア西部、北アメリカ西部 全過程:北アメリカ東部、南アメリカ 途中まで:アフリカ、ヨーロッパ 05:13 08:20 11:26 途中から:北アメリカ東部、南アメリカの大部分、アフリカ東部 全過程:アフリカの大部分、ヨーロッパ、アジアの大部分 途中まで:アジア東南部、オセアニア - 22:09 01:29 04:49 途中から:アフリカ東部、ヨーロッパ、アジア西部 全過程:アジア東部、オセアニアの大部分 途中まで:北アメリカの大部分、南アメリカ東部 - 23:58 02:48 05:38 途中から:アフリカ東部、アジア西部 全過程:アジア東部、オセアニアの大部分 途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端 13:15 16:01 18:48 途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部 全過程:北アメリカ東部、南アメリカ 途中まで:アフリカ、ヨーロッパ 08:42 11:33 14:25 途中から:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分 全過程:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部 途中まで:アジア東部、オセアニア西部 01:08 04:38 08:08 途中から:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部 全過程:アジアの大部分、オセアニア西部 途中まで:オセアニア東部、北アメリカの大部分 - 22:32 01:44 04:56 途中から:アフリカ東部、アジアの大部分 全過程:アジア東南部、オセアニアの大部分 途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部、南アメリカ南西部 12:29 14:45 17:01 途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部 全過程:北アメリカ東部、南アメリカ、アフリカ西部 途中まで:ヨーロッパ西部、アフリカ東部、アジア西部 11:39 14:17 16:55 途中から:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端 全過程:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分、アフリカ西部、ヨーロッパ 途中まで:アフリカ東部、アジア 03:48 07:25 11:02 途中から:北アメリカ東部、南アメリカ東部、アフリカ西部 全過程:ヨーロッパの大部分、アジアの大部分、アフリカ東部 途中まで:アジア東南部、オセアニア• 出典:日付と時刻はNASA による。 観測可能地域はHMNAO(表内の各出典)による。 注1:「開始」は第1接触を、「中央」は食の最大を、「終了」は第4接触を意味する。 注2:「途中から」は太陽面通過の途中から観測可能になることを、「途中まで」は太陽面通過の途中まで観測可能であることを意味する。 特殊な太陽面通過 [ ] かすめる太陽面通過 [ ] 時々、天体が太陽をかすめていくだけの太陽面通過がある。 この通過では、地球上のある地域では完全な太陽面通過を見ることができる一方、他の地域では第2接触や第3接触が無い部分的な太陽面通過を見ることになる。 1999年のは、このような太陽面をかすめる太陽面通過(英語ではgrazing transit)であった。 金星の太陽面通過では、2854年12月14日の通過がこの種類のものになると予測される。 同時太陽面通過 [ ] 21世紀現在、金星の太陽面通過が起こる時期は6月上旬と12月上旬、が起こる時期は5月上旬と11月中旬であり、それらが同時に起こることは無い。 しかし、地球と水星の位置と地球と金星の交点位置は変化しており、ごく僅かずつであるが互いに近づいている。 そのため、非常に遠い未来であれば、金星と水星の同時太陽面通過が起こることが予測される。 とアルド・ビタグリアーノの計算によれば、で69163年7月26日および224508年3月27日に、このような極めて稀な同時太陽面通過が発生する。 この頃には力学時との差は大きくなっており、協定世界時で表せば69163年3月頃と224504年4月頃にそれらが発生することになる。 と金星の太陽面通過が同時に起こることも、非常に稀であるが存在する。 同じくメーウスとビタグリアーノによれば、これも非常に遠い未来に発生する見込みで、力学時で15232年4月5日に皆既日食と金星の太陽面通過の同時発生が起きる。 同時発生ではないが、過去にはの金星太陽面通過で、太陽面通過に引き続いて皆既日食が起きたことが報告されている。 このときの日食は、金星太陽面通過の終了から約7時間後に発生していた。 その他 [ ] 紀元前90353年4時34分から始まる金星の太陽面通過は、前後1週間の間に8回も天体の太陽面通過がある特殊な1週間である。 1日に月と地球で 、3日にで 、7日に地球と月と土星で金星の太陽面通過 、8日にでが発生していたと計算されている。 題材とする文化芸術 [ ] の行進曲 Transit of Venus March 『塔上の二人』(原題: ) 1882年のによる小説。 金星の太陽面通過観測に関わるアマチュアの天文学者を主役の一人とした恋愛小説で、当時の金星太陽面通過への関心の高まりの例として挙げられる。 1882年から1883年に発表されたの行進曲。 スーザが1882年の太陽面通過に興味を持ったことから作曲されたものだが、太陽面通過自体を祝うものではなく、スーザは1878年に死去した物理学者のを称えるために作曲した。 1992年のモーリン・ハンター による演劇。 1761年と1769年の太陽面通過観測に派遣されたの地球上の様々な場所での努力を脚色したものである。 2007年には同名でオペラ化された。 2009年に発売されたイギリスのTVドラマ『』の。 太陽面通過観測のためにが航海していた1770年を舞台にする。 2012年に発売されたカナダのロックバンドの音楽アルバム。 太陽面通過が起きた当日の2012年6月5日にタイトルと発売日が発表された。 2014年ので Rock Album of the Year にノミネートされた。 脚注 [ ] []• 2012年6月6日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 相馬 充「金星の日面経過」『』天文年鑑編集委員会、誠文堂新光社、2011年、初版、54頁。 HM Nautical Almanac Office. 2016年3月19日閲覧。 HM Nautical Almanac Office. 2016年3月19日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 2012年6月6日. 2016年2月11日閲覧。 2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜. 2016年4月2日閲覧。 European Space Agency 2000年. 2006年9月25日閲覧。 Juergen Giesen 2003年. 2006年9月26日閲覧。 、星の子館。 HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。 2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台). 2012年6月6日閲覧。 2016年2月11日閲覧。 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