坂本 九 見上げ て ごらん 夜 の 星 を。 見上げてごらん夜の星を 歌詞の意味 坂本九

坂本九

坂本 九 見上げ て ごらん 夜 の 星 を

テレビアニメ『波よ聞いてくれ』の最終話(12話)が20日(19日深夜)に放送された。 ラジオ局を舞台にしたアニメで、北海道に大地震が発生し人々が混乱しているシーンでは、歌手・坂本九さんの名曲「見上げてごらん夜の星を」が挿入歌として突然流れると、ネット上では「このタイミングで、この曲は反則でしょ。 泣ける」「坂本九を挿入歌に使うなんて豪華だぜ」「坂本九を流すアニメなんて、そうそうない」「コロナで混乱する中、この曲は心に刺さるな」などと驚きと感動の声があがっている。 漫画誌『アフタヌーン』(講談社)で連載中の同名漫画が原作の同作は、札幌市のスープカレー屋で働く主人公・鼓田ミナレが、ひょんなことからギョーカイ人の中年男性にダマされ、ワケも分からずラジオDJデビューするというストーリー。 最終回は、ミナレがDJを務める生番組中に大地震が発生。 混乱するが、スタッフ一丸となってリスナーに地震の災害情報や地震に対して悩むリスナーからのメールを読み上げる様子が描かれた。 そして、自身の番組終了とともにDJを別キャラクター・茅代まどかにバトンタッチすると、そこで彼女は「こんな時に不謹慎かも知れませんが、札幌が真っ暗になった時の私の感想は、『星がきれい』でした。 そして今も星を見上げている人たちがたくさんいると思います。 そのうち何人かは、この歌を口ずさんだんじゃないかな? では、聞いてください」と言うと、坂本九さんの歌声で名曲「見上げてごらん夜の星を」が流れた。 その後、人々が真っ暗の街中で坂本さんの歌声を聞いて夜空を見上げるシーンが描かれ、同曲が約2分間流れた。 この演出にネット上では「坂本九氏の音源そのまま流すのか…」「アニメの挿入歌で坂本九を聴くとは思わなかった!」「流れた時、『おー、マジか』となった」「いきなり流れてグッときました」「泣けるぞ…」「鳥肌もん」「坂本九が挿入歌になるアニメなんてこれ以降もうないでしょ」「坂本さん、アニソンシンガーデビューしちゃった」「来年のアニサマで歌われる可能性あるぞ!」などと驚きと感動の声があがった。 また、災害時においてラジオが持つ役割は大きいことから、そのリアリティーを描いた最終回に「結構感動しちゃったなあ。 ラジオの力を改めて考えさせられた作品でした」「軽快なノリの作風だったからまさか最後に地震の話を持ってくるとは思わなかったな。 ハッとさせられた。 非常事態だからこそいつものパーソナリティいつもの声で安心を届ける。 そうだよな、災害時にこそラジオは必要だよなぁ。 いやーラジオってイイなと」「ソープが銭湯を開く話とか、星がきれいだって話とかリアルを急に拾うからびっくりした」などと作品を高評価する声も出た。 第1話では、麻藤がミナレに言うセリフで「ラジオには『3秒ルール』ってのがある。 無音が3秒続くと放送事故、8秒も続けば俺のクビが飛ぶ。 止めるからにゃアンタが間を持たせるんだぜ?」がある。 セリフや劇伴が入らないシーンでも、人の話し声や車の往来の音、虫の声などの「環境音」を入れていますので、注意深く聞いていただければと思います」と話してくれた。 また、同作では、『007』シリーズでジェームズ・ボンド役(ダニエル・クレイグ)の藤真秀、アル・パチーノ、ヒュー・ジャックマンなどの山路和弘、イライジャ・ウッド、レオナルド・ディカプリオの浪川大輔など、吹替えで実績がある人物が顔をそろえる。 キャスティングの意図について大塚プロデューサーは「『波よ聞いてくれ』という作品が、アニメよりも実写寄りの作品と考えていましたので、劇伴の使い方、効果音のつけ方、キャスティング諸々が実写寄りの演出が合うだろうと考えていました」と説明。 「そこから監督がお仕事をご一緒させていただいて、さらに吹替えを多くやられている音響監督の高橋剛さんにお声がけをさせていただきました。 キャスティングについては、高橋さんを中心に行いましたので、自然と実写吹替え中心のキャストさんになりました」と経緯を明かした。 『ランボー/最後の戦場』(2013年)『バイオハザード』(04年)などで演出を担当した高橋音響監督が、今まで一緒に仕事をした中で信頼できる人を起用したのだと明かしてくれた。 ラジオ局で働く人たちの人間ドラマを描いたストーリーは、生身の人間を演じる機会が多い吹替え声優たちによって魅力が増したと言える。 非日常ではなく現実的な題材を扱うアニメおいて、吹替え声優の起用が思わぬ面白さを生み出すと感じた。

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歴代最高視聴率81.4%を記録した紅白歌合戦で歌われた「見上げてごらん夜の星を」と、坂本九が非難された「君が代」事件|Extra便|TAP the POP

坂本 九 見上げ て ごらん 夜 の 星 を

アニメ『波よ聞いてくれ』キービジュアル (C)沙村広明・講談社/藻岩山ラジオ編成局 テレビアニメ『波よ聞いてくれ』の最終話(12話)が20日(19日深夜)に放送された。 ラジオ局を舞台にしたアニメで、北海道に大地震が発生し人々が混乱しているシーンでは、歌手・さんの名曲「見上げてごらん夜の星を」が挿入歌として突然流れると、ネット上では「このタイミングで、この曲は反則でしょ。 泣ける」「坂本九を挿入歌に使うなんて豪華だぜ」「坂本九を流すアニメなんて、そうそうない」「コロナで混乱する中、この曲は心に刺さるな」などと驚きと感動の声があがっている。 漫画誌『アフタヌーン』(講談社)で連載中の同名漫画が原作の同作は、札幌市のスープカレー屋で働く主人公・鼓田ミナレが、ひょんなことからギョーカイ人の中年男性にダマされ、ワケも分からずラジオDJデビューするというストーリー。 最終回は、ミナレがDJを務める生番組中に大地震が発生。 混乱するが、スタッフ一丸となってリスナーに地震の災害情報や地震に対して悩むリスナーからのメールを読み上げる様子が描かれた。 そして、自身の番組終了とともにDJを別キャラクター・茅代まどかにバトンタッチすると、そこで彼女は「こんな時に不謹慎かも知れませんが、札幌が真っ暗になった時の私の感想は、『星がきれい』でした。 そして今も星を見上げている人たちがたくさんいると思います。 そのうち何人かは、この歌を口ずさんだんじゃないかな? では、聞いてください」と言うと、坂本九さんの歌声で名曲「見上げてごらん夜の星を」が流れた。 その後、人々が真っ暗の街中で坂本さんの歌声を聞いて夜空を見上げるシーンが描かれ、同曲が約2分間流れた。 この演出にネット上では「坂本九氏の音源そのまま流すのか…」「アニメの挿入歌で坂本九を聴くとは思わなかった!」「流れた時、『おー、マジか』となった」「いきなり流れてグッときました」「泣けるぞ…」「鳥肌もん」「坂本九が挿入歌になるアニメなんてこれ以降もうないでしょ」「坂本さん、アニソンシンガーデビューしちゃった」「来年のアニサマで歌われる可能性あるぞ!」などと驚きと感動の声があがった。 また、災害時においてラジオが持つ役割は大きいことから、そのリアリティーを描いた最終回に「結構感動しちゃったなあ。 ラジオの力を改めて考えさせられた作品でした」「軽快なノリの作風だったからまさか最後に地震の話を持ってくるとは思わなかったな。 ハッとさせられた。 非常事態だからこそいつものパーソナリティいつもの声で安心を届ける。 そうだよな、災害時にこそラジオは必要だよなぁ。 いやーラジオってイイなと」「ソープが銭湯を開く話とか、星がきれいだって話とかリアルを急に拾うからびっくりした」などと作品を高評価する声も出た。 第1話では、麻藤がミナレに言うセリフで「ラジオには『3秒ルール』ってのがある。 無音が3秒続くと放送事故、8秒も続けば俺のクビが飛ぶ。 止めるからにゃアンタが間を持たせるんだぜ?」がある。 セリフや劇伴が入らないシーンでも、人の話し声や車の往来の音、虫の声などの「環境音」を入れていますので、注意深く聞いていただければと思います」と話してくれた。 また、同作では、『007』シリーズでジェームズ・ボンド役(ダニエル・クレイグ)の藤真秀、、などの山路和弘、、の浪川大輔など、吹替えで実績がある人物が顔をそろえる。 キャスティングの意図について大塚プロデューサーは「『波よ聞いてくれ』という作品が、アニメよりも実写寄りの作品と考えていましたので、劇伴の使い方、効果音のつけ方、キャスティング諸々が実写寄りの演出が合うだろうと考えていました」と説明。 「そこから監督がお仕事をご一緒させていただいて、さらに吹替えを多くやられている音響監督の高橋剛さんにお声がけをさせていただきました。 キャスティングについては、高橋さんを中心に行いましたので、自然と実写吹替え中心のキャストさんになりました」と経緯を明かした。 『ランボー/最後の戦場』(2013年)『バイオハザード』(04年)などで演出を担当した高橋音響監督が、今まで一緒に仕事をした中で信頼できる人を起用したのだと明かしてくれた。 ラジオ局で働く人たちの人間ドラマを描いたストーリーは、生身の人間を演じる機会が多い吹替え声優たちによって魅力が増したと言える。 非日常ではなく現実的な題材を扱うアニメおいて、吹替え声優の起用が思わぬ面白さを生み出すと感じた。

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見上げてごらん夜の星を

坂本 九 見上げ て ごらん 夜 の 星 を

1961年の写真 基本情報 出生名 坂本 九(さかもと ひさし) 生誕 出身地 死没 1985-08-12 (43歳没) ジャンル ライト 職業 、、 担当楽器 活動期間 - レーベル (1959年) (1960年 - 1984年) (1985年) 共同作業者 公式サイト 坂本 九(さかもと きゅう、本名: 大島 九(おおしま ひさし)、(昭和16年) - (昭和60年) )は、日本の・・・。 愛称は 九ちゃん。 妻はの。 柏木との間に娘が2人おり、長女は、次女は。 実祖父は田伏村(現:)出身の坂本金吉。 またサックス奏者のは甥(姉の息子)。 「」や「」、「」など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。 また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など多岐に渡り活動していたが、1985年(60年)8月12日に発生したにより帰らぬ人となった。 少年時代の坂本(左)と母・いく(1956年) 誕生日であるは、のが起こった日である。 第二次世界大戦中に幼少期を送り、戦争中は母の実家のあるにした。 また川崎在住時代、一時一家が坂本家の近所に転居・在住してきた時期があり、坂本は松とよく遊んであげたりしていたとのこと。 戦争中のに発生したで川に転落し、多数の犠牲者を出した車両に、疎開のために笠間に向かっていた坂本は母と乗り合わせていた。 ただ、事故の直前に他の車両に移っていたために遭難死を逃れる。 成長して周囲の人々にこの一件を聞かされて知り、「の神様が自分を救ってくれた」として、終生信仰していたという。 後には、この笠間稲荷神社で結婚式を挙げる。 そして、日航機事故で命を落とした時にも、笠間稲荷のが遺体の身元を特定する決め手となった。 高校生の時に両親が離婚。 といっても家は近所で家族の交流は変わらなかった。 九など下の兄弟は母親に引き取られ、姓は 坂本から 大島に。 この前後からに憧れるようになり 、右に出る物が他にいなかったと言われるほど、プレスリーの物まねで仲間内の人気者となった。 バンド時代 高校に上がると、当時不良の音楽で、一部の最も流行に敏感な若者たちに流行り始めていた(当時は総じてロカビリーと言われていた)にさらに熱を上げ、の将校クラブでアメリカ人を相手に初めて人前で歌う。 その時に歌ったのがの「Hound dog」の「Send me Some Lovin'」だった。 思春期の坂本(右)と姉・八千代(1956年) 5月、 在学中にバンド・ボーイを経て、当時ロカビリーバンドとして活動していた井上ひろしとザ・ドリフターズ(後の桜井輝夫とザ・ドリフターズ、現在の)に加入し、兼を担当。 8月26日にはロカビリー歌手として第3回に初出演し、新人賞を受賞する。 半年後(11月)芸能界の苦しさも経験し、母親の反対を押し切って入った芸能界が、どうも間違いだったと思い始めていた坂本は、学校を休学して芸能活動をしていたので「芸能界を一旦休業して学業に専念する」と引退してしまった。 しかしの妹は、坂本家まで通い、坂本と、母親を強く説得。 そして初代ドリフターズのリーダーも説得し、事実上の引き抜きという形でドリフターズを脱退。 12月にの抜けたの一員 としてと契約。 6月に「題名のない唄だけど」でデビューしたが 、ヒットしなかった。 無名時代、、、などが出演した、に事務所の意向を無視して無理やり出演。 バックでギターを弾いていたが、当初は知られることがなかったがのちに上記の新人賞を受賞している。 加入でヒットしてテレビに出る以前のライブ時代の九は、新品のを叩き壊すなどのパフォーマンスもする、パワフルでワイルドなスタイルだった。 ソロに転向、そして世界的スターに 7月に、東芝音楽出版()に移籍。 同年8月に、移籍後第1弾シングルとして発売した「悲しき六十才」 が10万枚 を売り上げ、初ヒットとなった。 1961年の「」 は日本国外でも大ヒットし、作詞の、作曲のと合わせてと呼ばれた。 中でも1963年には、 SUKIYAKIと題してでもっとも権威のあるヒットチャート誌『』の "" で、3週連続1位を獲得、誌でも4週連続1位を獲得。 "" で1位を獲得した日本人アーティストは坂本だけである。 この曲は後に英語歌詞が付いたが、1位を獲得したのは坂本の歌う日本語版であり、その点でもこれまで唯一の例である。 ヒットに伴い、1963年、坂本はに招かれ渡米する。 にも招かれたが、自身が主役の映画の撮影スケジュールと合わず、エドのほうは出演は叶わなかった。 渡米の際、キャピトル社長一家、当時のニューヨーク市長、クインシー・ジョーンズ、ディズニーランド副社長や多くのアーティストや著名人と対面しており、空港には1万人のファンが集まるなど、非常に歓迎された日本人だった。 妻の柏木によると、結婚後、柏木と坂本がプライベートでに行ってアーティストのショーを観客席で見ていたとき、「SUKIYAKIのキュー・サカモトが来ている」と司会者に紹介されたという。 また、この「上を向いて歩こう」は1964年に米国内でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたため坂本は日本人初の「」を受賞した。 スウェーデンのトーク番組でインタビューをする坂本(1964年10月) 「上を向いて歩こう」の世界でのヒットにより世界的に名前が知られたことで、国際的な活動も多かった。 ののウェルカムパーティーにゲスト出演し、「」「君が好き」を歌った。 資金難だったをで寄付金支援した。 ので若手芸能人の万国博委員に起用される。 さらに、『』の司会にも起用された。 タレントとして、テレビの司会や映画、舞台でも活躍した。 また、「あゆみの箱」運動 、を広げる運動、障碍者福祉関係のに積極的に参加していた。 に女優のと結婚。 「上を向いて歩こう」がヒットする最中、を中心に当時流行していたの為の「チャリティーショー」がから主催の下、で開かれ、坂本は無報酬で出演した。 以来、毎年10年間でチャリティーショーを続け、それをきっかけに制作の福祉番組「」に取り組む。 月に2回北海道の施設を取材し番組は作られた。 この番組は急逝まで9年間、日曜朝9時から30分間放送された。 番組の中、コンサートでも披露されたが、日本初の手話の歌「そして想い出」を発表。 全国ろうあ者大会で披露した。 当時、坂本はヒットについてに声をかけられると、周囲からの重圧についての葛藤を泣きながら語っていたという。 独特の歌唱法 坂本は、幼少時から兄弟や花街という土地柄や稼業などの影響で、邦楽はもとより、洋楽の影響も多分に受けて育っていた。 小学生の頃から「のは色っぽい」「歌舞伎の所作がいいね」などというほど、自然に芸事や洋楽に触れていて当時としてもとてもハイカラな環境で育った。 家族兄弟でいうと、ジャズ、シャンソン、芝居、日舞、三味線、邦楽など、一通りの影響を強く受けた。 また、兄弟の影響でにも手を出して、のちにそれを生かしたボイスを「恋のホームタウン」や「」などで生かしている。 三味線片手にも歌えば、小学生の頃からも歌い、中学生になると三味線をギターに持ち替えて当時最も新しい音楽のに感化されていく。 「う〜えをむ〜いて」を「ウフエヘヲホムフイテ」というように言葉の裏の音「ウフ」「エヘ」「オホ」と、邦楽の素養も、洋楽の要素も持ちながら表現した独特の歌い方は、だれもやっていない当時最も斬新な歌い方であったとがのちに回想している。 また、斬新で新しい歌唱法と同時に、当時はまだまだ()は音楽的な市民権を得てなかったこともあり、坂本の歌はとても個性的で注目されたが、保守的な大人からはそれほど評価は高くなかった。 デビュー当時は、本人も大好きなアメリカンポップス、ロックをカバーして歌っていたこともあり、カバー歌手はほかにもいたが、体の芯から理解して日本語を英語のようなで歌うのも初めての歌手だった。 また、キーが高めで軽いハスキーな声質も個性的であった。 航空機事故死 にレコードレーベルをに移籍。 8月9日には、のコンサートにて「もう一度、としてやり直したい、歌手としてやり直したい」という意志を伝え、中村と再度の意気投合を誓っていたという。 坂本は夜に『』()の収録のため入りし、翌に同番組の収録(同年放送分)を行った。 当初の予定では、『クイズクロス5』の収録後に岡山から車で直接大阪入りする予定だったが 、夏休み休暇中のの代役として急遽『歌謡スペシャル』()の司会を務めることになったため、一旦帰京した。 そのため、この『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』 の収録が坂本の生前最後の仕事となった。 この番組の中で坂本は、「ステキなタイミング」・「上を向いて歩こう(欧陽菲菲とデュエット)」・「For The Good Times」 ・「」・「心の瞳」・「親父」・「見上げてごらん夜の星を」・「懐しきlove-song」を披露 したほか、同年に「記念音楽大賞」で入賞 したことに触れ、「とても嬉しかった。 これからも皆さんと一緒に、いつまでも歌い続けていきたい」と、将来への抱負を語っていた。 その後、にある友人(坂本の元マネージャー)の応援として翌13日に行われる事務所開きに駆けつける途中 、に巻き込まれ死亡した。 43歳没。 坂本は本来、国内移動には JAL ではなく必ず ANA を使っており、所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。 しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であった。 坂本と親交があったは事故の1週間前に坂本の家でこの件を知らされ、全日空に変える事を勧めたが、坂本は「でも、せっかく送ってもらったから」と述べ、変えなかったという。 事故の数日前、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話が入っているが、当時電話をうけとった由紀子は忙しく、また勘違いをしていたこともあり、事故が起こるまで特に気に留めていなかった [ ]。 そのため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていた。 しかし、乗客名簿の中に「オオシマ・ヒサシ」と「コミヤ・カツヒロ」(小宮勝廣、坂本が所属するのマネージャー)の名が出て、事故に遭遇したことは否定できない事実となった。 この事故で運命を共にした小宮は早めにへ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。 坂本、そして小宮の両名は、政治家や著名人が利用することの多いSR-100の2階席、右列の前方から4番目(64列)に搭乗していた。 坂本は、のボストンバッグを機内に持ち込んでおり、墜落現場で発見・回収された。 その中に録音機能付きの(製WM-F85)が入っていたため、家族は遺言が残っていないかと期待したが、当時頻繁に聞いていた楽曲「We are the world」が入っていただけで、遺言らしきものは何も録音されていなかった [ ]。 事故翌日の8月13日には、事前収録の坂本本人が出演する、『』200回記念が放送された。 この時点では安否不明の状態であったため敢えて放送され、番組の最後ではブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントが寄せられた。 墜落から99時間後の16日 、家族らによって遺体が確認された (遺体が発見されたのは14日頃)。 遺体は損傷が激しかったが、普段から身に着けていた笠間稲荷のペンダントが胸に突き刺さっていた事と首の太さが確認の決め手となった [ ]。 また、墜落現場では両手で足首を掴み頭を膝の中に入れる「」をとった状態で発見されており、即死状態であったという [ ]。 1985年8月17日放送の『』では、遺体が確認された翌日であったため、番組冒頭に坂本の死去を伝え哀悼の意を示すテロップ、収録日を示すテロップが番組の前半と後半に表示されつつ、元気な姿が放送された。 また、同じく遺体が確認されてから最初の放送となった8月21日放送の系「」では、が当初予定していたオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めて坂本へ哀悼の意をこめて坂本の持ち歌である「」を涙ながらに熱唱し、スタジオにいた出演者・スタッフのみならず多くの視聴者の涙を誘った。 は東京都の自宅で行われ、本葬は9月9日にので執り行われた。 そして、で福祉番組『』を担当していたこともあり、坂本の遺族と一緒に亡くなった小宮の遺族を内のに招き、障害者とその家族だけを対象にした「偲ぶ会」として一般葬儀も執り行われた。 は「天真院九心玄聲居士(てんしんいんきゅうしんげんせいこじ)」。 墓所は東京都港区西麻布二丁目の。 墓には「」の歌詞の一部が刻まれている。 また、親交があった夫妻の媒酌人を由紀子と務めることになっていたが、結婚式直前に坂本が亡くなったため実現しなかった。 没後 坂本の不慮の死は、日本音楽界・歌手界、そして芸能界にとって大きな損失と言われたほか、福祉界においても大きな損失と言われた。 例えば、彼の死によってが市民権を得るのが5年は遅れたと言われている [ ]。 坂本は前述の「サンデー九」の一環で北海道と交流があったことから、逝去後栗山町に「坂本九思い出記念館」が設立され、関連の展示がなされている。 坂本を記念して命名された、 6980 というがある(発見は1993年、命名は1998年)。 の6980を「」にかけたものである。 坂本が最後に歌った「」は、結果的に遺作となってしまったが、などによって編曲され、現在では混声3部合唱として主に中学生に歌われている。 また、「」は8月より約1年半間にわたりのに起用され、CMソングを歌ったによる『』はオリコン4位を獲得し、出演する所属達によるが結成されるといった現象が起き、坂本の楽曲が再び注目されるようになった。 より、ゆかりの地の中心駅である(JR東日本)常磐線で「」・「」・「幸せなら手をたたこう」のアレンジがとして使用されている。 これは、笠間市(旧:友部町)が、坂本が戦時中ので滞在し育った街であるということと、をに改築したことの記念という意味を込めたものである。 さらにには、常磐線の橋上駅舎完成に合わせ、「幸せなら手をたたこう」・「」の発車メロディを導入している。 には、水戸線でも岩間駅と同じ発車メロディが導入された。 また、からは、坂本の出生地であるのにて、「上を向いて歩こう」がとして使用されている ほか、からは、JR東日本1・2番線(ホーム)にて、同曲が発車メロディとして使用されている メロディの制作はいずれの駅もで、編曲は前者が、後者は福嶋尚哉 が担当した。 2012年現在、茨城県笠間市の一部 おもに笠間地区 では正午に「上を向いて歩こう」、午後5時に「見上げてごらん夜の星を」のメロディが流れている。 坂本九を演じた俳優• - 『』(系列、放送) 劇中に使われる主演映画のポスターは、オリジナルの坂本の顔を同じ髪型にした山口に差し替えたものである。 なお、本作には坂本の次女であるが父の姉(舞坂にとっては父方の伯母)にあたる遠藤八千代役で出演している。 - 『』(2016年、NHK)• - 『』(2017年、系列) ディスコグラフィ 情報は「」などを参照した。 ダニー飯田とパラダイスキングで発売された楽曲は、を参照。 シングルレコード 発売日 レーベル 品番 A面 (表題曲) B面 (カップリング曲) 備考 1961. 15 JP-5083 あの娘の名前はなんてんかな• NHK「夢であいましょう」昭和36年10月と11月の歌• A面は日本国内外で爆発的ヒットを記録した代表曲の一つ。 1961. 01 JP-5090 いつもアイラヴユー シンデレラ• A面はとのデュエット。 B面は森山加代子のソロ。 1962. 01 JP-5102 戦場に陽は落ちて 花咲く街角• A面は、B面はの曲をカバー。 1962. 01 JP-5114 もう一人のボク 初めてのラブレター• 1962. 01 JP-5141 ボクの星 ヒゲの唄• A面は、松竹映画「九ちゃん音頭」主題歌。 1962. 01 JP-5153 レッツ・ゴー物語 カマ・カマ・ベイビー• 1962. 01 JP-5170 一人ぼっちの二人 君なんか君なんか• A面は日活映画「一人ぼっちの二人だが」主題歌。 1963. 28 JP-1523 九ちゃんのツンツン節 グッドバイ・ジョー• A面は作曲者不詳の伝承歌のメロディに坂本が作詞。 B面はの楽曲をカバー。 1963. 01 JP-5217 勉強のチャチャチャ• A面は創作ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」主題歌• B面は創作ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」挿入歌 1963. 再プレス盤。 1963. A面はNHK「夢であいましょう」昭和38年4月の歌。 発表当時の曲名は、「ぼく帰りたい」。 B面は、東映映画「九ちゃん刀を抜いて」主題歌。 1963. 01 JP-5263 夢を育てよう• 2曲とも青島幸男が作詞、中村八大が作曲した。 A面は 、らが出演した「」()のCMソング(によるカバー)で脚光を浴びる。 1963. 01 TR-1039 勝利の旗 ブブンブンブンジャイアンツ• A面は東京映画「ミスタージャイアンツ勝利の旗」主題歌。 B面はによる歌唱。 1963. 15 TR-1051 困っちゃうよ かもめのように• 1964. 15 TR-1079 手のひらの唄• 原曲はだが、発売当時では作詞・作曲者不詳(編曲者は)となっていた。 原曲とはメロディが一部異なっている。 1964. 15 TR-1099 君が好き• ので坂本が、各国選手団・外交使節団の前で2曲を歌唱した。 B面は、NHK「夢であいましょう」昭和39年4月の歌。 1964. 05 TP-1005 もし好きになったら• 規格品番のTPナンバーはステレオ盤。 A面は、NTV連続ドラマ「ぼうや」挿入歌。 1964. 05 TP-1053 行ってみよう• 宮城県立西多賀養護学校の応援歌として制作された曲。 また、『あゆみの箱』のテーマソングとなった。 1965. 15 TR-1149 九ちゃん音頭 九ちゃんのツンツン節• カップリング替えで2曲とも再発。 1965. 15 TR-1150 上を向いて歩こう あの娘の名前はなんてんかな• 再発盤。 ジャケット写真は一新している。 1965. 15 TP-1080 真ん中とはじっこ• A面は・・ジョニー・ティロットソンとの競作。 1965. 05 TP-1120 ミーケとマライケ ガラスの涙• B面は海汀による歌唱。 1965. 05 TP-1168 幸せのうた 今日も元気で• 2曲ともとのデュエット。 1965. 05 TP-1183 僕が君なら 僕と今夜• B面はNHK「夢であいましょう」昭和40年5月の歌。 1966. 05 TP-1183 あした天気になーれ おーい雲• A面はNHK「今日のうた」より、B面はテレビ映画「おーい雲」主題歌。 1966. 05 TP-1230 口笛だけが 涙• 1966. 05 TP-1302 結構だね音頭 下町の青春• A面はNTV「九ちゃん」より、B面はNET今井正アワー「下町の青春」主題歌。 1966. 05 TP-1317 哀しみのバイパス あの人と?• 1966. 15 TP-1351 皆んなで笑いましょ• 作詞は。 の Rauno Lehtinen 作曲だが、発売当時は作曲者不詳となっている。 9月15日発売時のA面の曲名は「ジェンカ」だったが、11月に曲名を改めて発売。 東芝レコード月報(MONTHLY SUPPLEMENT)1966年11月号では、タイトルは「ジェンカ」となっている。 1966. 05 TP-1355 まあるくなった しあわせの色• 1967. 15 TP-1395 夢はどこにある 街角の歌• 2曲とも松竹映画「九ちゃんのでっかい夢」主題歌。 1967. 01 TP-1410 これが音楽• A面は日本万国博のテーマソングで各社競作。 坂本のバージョンは、作曲者の中村八大が編曲も手がけ、では坂本による歌唱で披露した。 B面はNHKテレビ「音楽の花ひらく」テーマ・ソング。 1967. 15 TP-1466 さよなら さよなら セッセで踊ろう• 1967. 15 TP-1482 エンピツが一本 うちの大物• B面はフジテレビ「うちの大物」主題歌。 1967. 05 TP-1537 少女 夕陽のなかを• 1967. 25 TP-1574 ラヴ・ラヴ・ラヴ 久し振りのあなた• 1968. 01 TP-2001 窓を開けはなしてみよう 今日かぎりの恋• 1968. 01 TP-2009 太陽はさんさん 恋のラベンダー• 1968. 21 TP-2020 若者たち 想い出の砂浜• A面はテレビ映画「若者たち」主題歌。 B面は坂本九自身の作詩・作曲による。 1968. 10 TP-2053 コングラチュレーションズ 恋の終り• A面はクリフ・リチャードの楽曲をカバー。 B面は坂本九自身の作詩・作曲による。 1969. 01 TP-2143 おねがいです 大人だからサヨナラ• 1969. 01 TP-2166 蝶々 自動車コブーブーブー• 1969. 07 TP-2180 ともだち 涙くんさよなら• 2曲とも再発。 1969. 10 TP-2193 遠い昔の母の胸に 見上げてごらん夜の星を• 前々作「蝶々」(1969年6月。 なるせ・みよことの競作)が理不尽な放送禁止(それ以前に、他の人が歌った卑猥な替え歌が広まっていたという理由であった)を受けたために、急遽、坂本がかねてから作っていた曲に歌詞をつけて発売された。 坂本が歌いたいと願っていた「母の歌」でもある。 1969. 01 TS-1073 自動車コブーブーブー レットキス(ジェンカ)• 2曲とも再発。 1969. 01 TP-2233 誰かと誰かが 白いラブレター• 1970. 05 TP-2298 みんなでつくろう マイ・マイ・マイ• 1970. 21 TP-2364 わかるだろう だれも知らない• B面はNHK総合TV「歌はともだち」より。 1971. 05 TP-2425 この世のある限り マドンナ• 1971. 25 TP-2538 銀座の夜 フライパンの歌• 1972. 05 TP-2614 太陽と土と水を ねんりん• 1972. 05 TP-2598 ぼくにまかせておくれ 雨あがり• 1972. 01 TP-2778 クラップ・ユア・ハンド 追憶• A面は世界歌謡祭・日本歌謡祭・ポピュラーソングコンテストテーマ曲。 1973. 05 TP-2810 夜も昼も 季節の谷間で• 1973. 01 TP-2810 夕やけの空 めぐる糸車&仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌• NHK総合TV連続人形劇「新八犬伝」のエンディングテーマ。 「新八犬伝」で使われる夕やけの空は、レコード音源とは別の音源である。 「夕焼けの空」とも表記されていることがある。 1975. 20 TP-20109 泣きたくなったら空を見よう 若者は• 1975. 01 TP-20208 WHY(若者たち) ELIMO(襟裳岬)• 1976. 20 TP-20218 うちのお父さん 東京• 1976. 10 TP-20218 その方がいい• 北海道限定で発売されたシングル。 A面は『』主題歌。 1976. 05 TP-10085 レットキス(ジェンカ) 皆んなで笑いましょ• 再発盤。 ジャケット写真も新発売時のものと同一。 1976. 05 TP-10118 上を向いて歩こう 幸せなら手をたたこう• ベスト・カップル・シリーズでの再発盤。 このレコードよりB面の作詞者と原曲がクレジットされた。 1978. 05 TP-10466 自由への旅立ち 夜のしずく• 1979. 20 TP-10599 あの時の約束 そして想い出• B面曲の「そして思い出」は、当時まだが聾学校でも使用が認められておらず、聴覚障害者の間で独自に発展していたことや、そのために健常者との本音でのコミュニケーションが取れないことに悩む子供が多かったことを憂いた坂本が「手話の歌を作りたい」と永六輔に持ちかけて、手話通訳者の丸山浩路が協力、中村八大が作曲した、世界で初めての「 手話で歌うことを前提とした歌」である。 1980. 05 TP-10698 結婚通知 夜明け夕焼け• 1980. 21 ETP-17074 マイタウン・マイハート トライ・トライ・トライ• 1982. 21 ETP-17288 親父 独身 ひとり ぐらし• A面は亡き父に捧げた曲で、坂本自ら作詞・作曲を担当した。 1983. 21 TC-19013• A面はデューク・エイセスによる歌唱。 2曲ともNHK「こどものうた」作詞作曲コンクール優秀曲。 1983. 21 ETP-17549 ぶっちぎりNO文句 おとなの童話〜今だからいうけれど〜• 覆面歌手「XQS(エクスキューズ)」として発売。 目と口だけ穴を空けた紙袋を被りスーツに黒タイツに革靴という出で立ちで踊りながら歌うプロモーション映像が「」や「」などのテレビ番組に登場し、視聴者に強烈なインパクトを与えた。 1985. 22 ファンハウス 07FA-1038• (現在の)移籍後第1弾シングルとして発売されたが、3ヶ月後に逝去したため遺作となった。 B面は、後に合唱曲として知られるようになる。 1985. 28 東芝EMI TP-2193 見上げてごらん夜の星を 明日があるさ• から発売。 シングルCD 発売年月日 タイトル 規格品番 収録曲 備考 1988. 06 幸せなら手をたたこう レット・キス(ジェンカ) XT10-2269• 心の瞳(コーラス入り)• 心の瞳(合唱ヴァージョン)• ベスト・アルバム「坂本九 ベスト~心の瞳」と同時発売された。 1961(1961. 坂本がメインボーカルの楽曲は、「九ちゃんのズンタタッタ」「月夜に歩けば」「カレンダー・ガール」「おんぼろ汽車ポッポ」の4曲。 不詳(1962. 坂本がメインボーカルの楽曲は、「九ちゃん音頭」「モデル・ガール」「」「何処かでだれかが」「あの娘の名前はなんてんかな」の5曲。 不詳(1962. 20 臨発) ボクの星 坂本九ヒットソング JPO-1233• 30cm・33cm LPレコード 発売 年月日 アルバムタイトル 規格品番 備考 1963 九ちゃんの歌 TLP-3001 TR-7006• 1964. 08 九ちゃんの唄 第2集 ゴールデンレコード受賞記念盤 TR-7003• 1964. 25 ミュージカル TP-7050• 第19回文部省(当時)芸術祭参加作品。 作・構成:永六輔、音楽:• 出演者:坂本九、九重佑三子、越路吹雪、ダニー飯田とパラダイスキング、大貫ゆみ子• 1992年7月29日にCD化された。 1966. 05 坂本九リサイタル TP-7131• 1966年4月3日、東京厚生年金会館大ホールにて収録。 演奏:小俣尚也とドライビングメン 構成:永六輔 1967. 15 九ちゃん明治を歌う TP-7156• 1967. 05 九ちゃんのベスト・ヒット・パレード TP-71947• 1968 ピーターと狼 PETER AND THE WOLF AA-7355• カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団• 坂本は、ナレーターとして参加。 1968. 01 坂本九オン・ステージ TP-9002• 1967年、11月5日渋谷公会堂にて収録。 1968. 10 九ちゃんと歌おう TP-7331• 演奏に東芝レコーディング・オーケストラが参加。 1970. 05 坂本九ひっと・ぱれーど TR-6127~6128• 演奏に東芝レコーディング・オーケストラが参加。 2枚組。 1972. 05 坂本九 プレスリーを唄う TP-8176• 1974. 01 坂本九全曲集 TP-60009• 1975. 01 ターニング・ポイント TURNING POINT TP-72119• 1985. 19 九・メモリアル JP-80184• 東芝EMIとファンハウスから、追悼盤として急遽発売された。 1979. 20 689 TP-80078• による楽曲で構成。 坂本九唯一のコンテンポラリー・オリジナルアルバムでもある。 不詳 ジャパニーズ・グラフティ20 スター・ヒット・キット ETP-60185• 坂本、九重佑三子がメインボーカルを担当する楽曲も収録されている。 アルバムCD 発売 年月日 アルバムタイトル 規格品番 備考 1985. 21 BEST NOW 坂本九 上を向いて歩こう CA32-1204• 1989. 12 BIG ARTIST best COLLECTION 坂本九 CT25-9042• 1960年代の楽曲を中心に収録。 1989. 07 坂本九 メモリアル・ボックス 1941-1985 TOCT-8551• 全てのシングルス(カップリング含む)作品と、1960年代後半以降のアルバム楽曲の大半と、未発売楽曲を収録。 近年まではEMI直営通販の「EMIミュージック・ジャパンショップ」にて販売していたが現在は廃盤。 なお、アルバム楽曲についてはを発掘できず、レコード盤の再生から収録したと断り書きがある。 [ ] 1989. 07 VERY BEST OF KYU SAKAMOTO TOCT-8560• 「坂本九 メモリアル・ボックス 1941-1985」と同時発売された。 「悲しき60歳」から「懐しきLove-Song」までを選り抜いた25曲を収録。 1970年代以降の収録楽曲は初CD化となる。 1993. 1998. 28 坂本九・シングルズ KYU SAKAMOTO Singles TOCT-10259〜60• 「悲しき60歳」から「そして思い出」まで選り抜いたシングルス作品を収録。 の代わりとして、オリジナルのレコードジャケット(裏面の歌詞などを含む)を1枚ずつCDライナーサイズに縮小したものを封入。 後年のシングル全集ではカットされた「のテーマ」もシングルレコード盤のままで収録されている。 1998. 22 プロコフィエフ ピーターと狼 TOCE-3482• レコードで発売されたものをCD化。 ナレーションに坂本が担当。 2002. 『』シリーズ。 1960年代の楽曲を収録。 2002. 19 音得シリーズ 坂本九 ベスト30 TOCT-0251• 『音得-OTOKU-』シリーズ。 「悲しき六十才」から1966年までの楽曲を選り抜いた30曲を収録。 2004. 22 坂本九シングル全集 TO-10376• シングルス全てをリマスタリングの上収録。 6枚組で9999円と、九にちなんだ価格となっている。 2004. 04 坂本九メモリアルベスト TOCT-25439• シングル全集との連続企画で同作から選り抜いた19曲を収録。 ボーナストラックとして、1963年にで録音されて全米向けに発売された「」を日本向けとして初収録。 2005. 30 九ちゃんとパラキン 第3集 TOCT-16001• レコードで発売されたものをCD化。 2005. 26 CD&DVD THE BEST 〜上を向いて歩こう TOCT-25827• 1960年代から1970年代までの楽曲を選り抜いたベスト盤でDVDを同封。 ボーナストラックとして、1984年頃に録音された坂本のボーカルをミキシングして編曲された、柏木由紀子とのデュエット「あの日の約束(坂本九作詞曲・編曲)」が収録されている。 なおこの楽曲は2004年9月に開催された「坂本九音楽祭」で初披露された。 DVDには、いわゆる蔵出しとして、1983年頃に撮影され事務所で保管されていた歌謡ショーの秘蔵映像から4曲分が収録されている。 2007. 10 ベスト坂本九99 TOCT-26329-32• ロカビリー系の作品(メモリアルボックスと大半が重複)や、未商品・未CD化のテレビ番組やコンサートにまつわる音源を中心にリマスタリング処理のうえ収録。 CD4枚組。 へと社名が変わってから坂本九としての初作品である。 によればまだ商品化されていない楽曲が存在しているとのこと。 2008. 17 「映画監督舛田利雄の音楽」日活編 上を向いて歩こう〜舛田利雄 meets 中村八大 CDSOL-1228• 日本映画の挿入歌と劇中音楽を新たに編集してCD化するシリーズ「Hotwax trax」の作品。 の監督作品「」と「ひとりぼっちの二人だが」からの音源を収録。 「上を向いて歩こう」のレコード未発売ヴァージョンを収録。 2008. 26 九ちゃんの歌 第2集 TOCT-26675• レコードで発売されたものをCD化。 紙ジャケット仕様で、使用上の注意の内容がレコードのままになっている。 2011. 12 689 コンプリート TOCT-90034-35• アニバーサリー・ベスト。 オリジナルアルバム「689」(メモリアルボックスにてCD化)と、「上を向いて歩こう」「久しぶりのあなた」など六八九トリオによる楽曲全29曲を新たにリマスタリングのうえ収録。 2枚組。 2011. 坂本がメインボーカルを担当した楽曲も収録。 2013. 1 ~上を向いて歩こう~ TOCT-29165• 「上を向いて歩こう」ビルボード・チャート1位50周年記念CD。 国内外の著名アーティストに日本語詞・英語詞・インストゥルメンタルでカヴァーされたものを収録。 坂本による歌唱音源は、「上を向いて歩こう ~beyond the time~」と題したステレオ・ヴァージョン。 2017. 06 坂本九 ベスト~心の瞳 UPCY-7456• シングル「心の瞳」と同時発売。 「上を向いて歩こう」 ベスト盤初収録となるステレオ・ヴァージョン 、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」などの代表曲に加え、現在は教科書にも掲載され合唱曲としても浸透している重要曲「心の瞳」を、新たにダビング・リミックスを施したニュー・ヴァージョンで収録。 企画盤 発売 年月日 アルバムタイトル 規格品番 備考 1997. 10 坂本九/トリビュートアルバム TOCT-10013• 「悲しき六十才」から制作担当していた東芝レコードのプロデューサーが担当。 それぞれのアーティストが坂本の代表曲を個性的に歌唱あるいは演奏している。 2001. 04 明日があるさ SRCL-5130• から発売。 リバイバルヒットを受けて柏木由紀子と2人の娘、更に坂本の歌唱も加えられた家族4人の仮装ユニット「虹の合唱団」によるシングル。 が6番まで新しい歌詞を書き、7番に坂本が歌うオリジナルの6番を加えたもので、ラストは4人全員で歌っている。 らがコーラスで参加している。 (旧)で中。 2004. 08 心の瞳 OMCA-3006• から発売。 柏木由紀子と2人の娘で結成されたユニット「maman et ses filles(ママン・エ・セフィーユ)」によるミニアルバム。 自宅内で8トラックテープに録音された坂本の楽曲を所々織りこみ、している。 表題曲を生徒の女声合唱によるアレンジで収録している。 海外盤 発売 年月日 アルバムタイトル 備考 1963 により発売された、ベストアルバム。 出演作 映画• - ()• - 第1部リンゴの頬 (東宝)• 1960年 - 山のかなたに 第2部魚の接吻 (東宝)• - (大映東京)• 1961年 - (東宝)• 1961年 - ()• 1961年 - (東宝)• 1961年 - (東京映画)• 1961年 - ()• - ()• 1962年 - ()• 1962年 - (東宝)• 1962年 - (日活)• 1962年 - (松竹大船)• - ()• 1963年 - (東宝)• 1963年 - (東映京都)• 1963年 - (東映京都)• 1963年 - (松竹大船)• - (東宝)• 1964年 - (東京映画)• 1964年 - (東宝)• 1964年 - (大映東京)• また劇中での歌唱。 1965年 - (マナセ・プロ)• 1965年 - (マナセ・プロ)• - (松竹大船)• - (松竹大船)• 1967年 - (日活)• - (喜八プロ=ATG)• 1975年 - (芸苑社)• - 舞台• (、) - 主演:フィンチ 役• () - 主演: 役 CM• マイジュース• (CMソングのみ)、ハンバーグヘルパー(妻・柏木と共演)• ククレット(電子レンジ)• (現・) ほか、多数 テレビ• (NHK、1961年 - 1964年)• (、1961年)• 「すりかえ」(、1961年)• (1963年)• (日本テレビ、1963年) - 坂口一 役• (、1963年6月8日放送分がビデオおよびDVD化されている。 明日があるさ(日本テレビ、1964年)• 「」(TBS、1964年 - 1965年)• (TBS、1968年)• 「わが歌声の高ければ」 (NHK、1969年) - 役• マイホーム'70! (1970年、TBS)• (、1971年 - 1972年まで出演) - 役• (TBS)• 第183話「九ちゃんのスパイ大作戦」(1971年)• 第262話「また逢う日までキイハンター」(1973年)• (TBS、1973年)• (NHK、1973年 - 1975年、のナレーターで出演)• (関西テレビ、1973年)• 第7話「血が足りない」• (東京12チャンネル(現・))• (NHK、1976年 - 1977年、司会)• (NHK、1977年)• (日本テレビ、1980年)• (NHK、1983年)- 役• (、 - まで司会) この番組の関係で、日本テレビ系列『』の地区メインパーソナリティーとして出演した(1984年まで)。 (、司会) 番組はまで続いた(8月に死去してから半年ほど、テレビ新広島アナウンサーが務めた後、1986年1月から最終回までは由紀子が司会を務めた)。 (TBS、 - 1985年まで司会)• (、1979年 - 1981年まで司会)• 「」(日本テレビ、1980年)• (日本テレビ、1981年 - まで3代目司会)• (フジテレビ) 1981年 - 1985年まで、由紀子とともに準レギュラー解答者で出演。 1985年8月13日放送の200回記念が最後の出演。 (、1969年10月 - 1970年3月、司会)• (読売テレビ、1973年、司会)• (フジテレビ、1974年、司会)• (、1984年、テーマ曲を担当)• 「早すぎた結婚 遅すぎた恋」(TBS、1985年) ラジオ• 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。 備考のトリ等の次にある はトリ等を務めた回数を表す 坂本九の楽曲が紅白歌合戦で他の歌手によって歌唱された例• 坂本の死後も、多くの歌手によって坂本の楽曲が歌い継がれている。 金吉は芦崎(現)に止宿したとき、で・・等が乱獲のため水揚げが減少しているのにでは豊富であることから打瀬船(うたせぶね)の漁法を地域に伝授し、また、家族を呼び寄せて原料に加工して東京に送って利益を得た。 子供たちは芦崎の小学校を出たが、坂本家は大正年代に川崎に移り住んだ。 、父・寛の母校で九は歌い、その後、豪華な舞台用の一式を寄贈している。 『秋田県の不思議事典』(2002)pp. 164-165• 事故機は反転しての斜面に墜落したため、坂本が搭乗していた2階席部分は最も強い圧力がかかった。 このため、坂本の遺体は胴体部分しか発見されず、が確立されていなかった当時は遺留品などで遺体の識別をするしかなかった。 同年に放送され、冒頭で坂本の死去を伝えるアナウンスが流れた。 ゲストは、生ピアノ伴奏は。 坂本が尊敬していたのヒット曲。 オンエアされなかったが、アンコールでは「明日があるさ」を披露している。 柏木由紀子は著書の中で、「夫は日本航空の体質を常日頃から非難しており、それだからいつも全日空を利用していた」と記述している。 また、ドラマ『』で坂本の父・寛を演じたによると、生前の坂本本人から「飛行機で怖い思いをした」という話を聞かされたことがあったという。 事故当日のダイヤでは、日本航空123便と同時刻・同区間で全日空35便も飛んでいた。 坂本の遺体が発見された時間が墜落から99時間後、棺番号が333、司会を務めていた『クイズクロス5』は99回放送、北海道で放送されていた福祉番組『ふれあい広場・サンデー九』は9年間務めあげ、偶然にも9という数字が重なっていた。 また、後に、は滞在していた北海道から坂本の法事に向かおうとしたところ、偶然となりに座った女性に「夫が医師で坂本の検死をした」と打ち明けられ、坂本の法事に出席するまで鳥肌が止まらなかったと語っている。 2009年7月20日閲覧。 『坂本九 トリビュートアルバム』より。 同期に、がいる。 『文藝春秋 レクイエム昭和 輝ける53人最期の時』、2017年、30頁。。 1964年(昭和39年)5月13日記事• 2013年8月26日. の2014年8月26日時点におけるアーカイブ。 2017年8月21日閲覧。 2015年2月23日閲覧。 「 PLUS 編集長就任!ボウリング場でカッコつけて」 文藝春秋、p38より。 『』(2014年8月12日放送)より。 川崎市、JR東日本 横浜支社 2016年12月6日. 2017年4月11日閲覧。 株式会社スイッチ. 株式会社スイッチオフィシャルサイト. 2019年9月23日閲覧。 ジャケット写真は1968年4月1日に発売された、規格品番「TP-1625」のものと同一。 東芝レコード月報1968年4月発売号 3ページ• 曲の流れはオリジナルを忠実に再現しているため、編曲は「中村八大・上柴はじめ」とクレジットされている。 同時発売されたシングル「心の瞳」と同じバージョン。 参考文献• (著)『上を向いて歩こう』(フジテレビ出版)、1986年4月。。 坂本九(著)『人間の記録 141巻 坂本九 上を向いて歩こう』(編)、、2001年9月、33-35頁。。 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 Kyu Sakamoto , (英語) -• kyusakamoto9 -•

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