ディスコ 音楽。 ディスコ音楽のオーケストラサウンドは1970年代を定義しました

ディスコ

ディスコ 音楽

ディスコという言葉の響きは、それぞれの年代の方々にとって、様々な意味合いを帯びている魔法の言葉みたいなものかもしれない。 ディスコ・ミュージック黎明期から全盛時(大まかに1970年代)に青春時代を過ごした世代にとっては特別な何かを伴って響いてくるのはもちろん、ポスト・ディスコ期を経て、現在に至るその後のダンス・ミュージックの中でディスコが連綿と生き続ける各時代を過ごした方々にとっても、(良し悪しは別として)どことなく特殊な響きが伴っている…ディスコという言葉から受ける万国共通なおおまかなイメージみたいなものが確立されてきたというのは、今や明白な事実であろう。 恐るべし、ディスコ。 もともとディスコ(ディスコティーク)の発祥は1940 年代、フランスはパリに辿れるもので、持ち寄ったレコードに合わせて踊る一時的かつ享楽的な場所を指していた。 ロックンロールの誕生(1950 年代~/広い意味でのダンス・ミュージック)から派生した大衆音楽の成熟やレコード文化・メディアの普及による大衆音楽の爆発的な一般層への浸透という時代背景の下、ゲイ・カルチャーや公民権運動とも絡まりながら、ニューヨークのディスコはヒップでトレンディな場所になっていった。 70 年代以降ディスコはさらに隆盛へと向かっていく。 60 年代までのロックンロール~ソウルとは明らかに一線を画したダンス・ミュージックに特化したフィリー・ソウルが、その後のすべてのディスコ・ミュージックの源流となり、世界的なディスコ隆盛の兆候がますます膨らんでいく…それが70 年代前半のことだった。 (文:KARL 南澤)• 【DISC-1】• スリー・ディグリーズ MFSB feat. The Three Degrees - TSOP The Sound ofPhiladelphia Theme from the Television Show "Soul Train" [1973]• そのムーブメントはまさしくとどまるところを知らない勢いだった。 ディスコ・ブームがピークを迎えるのは1979 年となるわけだが、そのブームに一気呵成の拍車をかけたのが『サタデー・ナイト・フィーバー』(以下『SNF』)だ。 ビー・ジーズを中心に多くのダンスフロア・ヒットを誕生させたサントラはアメリカだけでも1000 万枚超のセールスを記録、日本でもオリコン・アルバム・ランキングで、世良公則&ツイストや矢沢永吉らを蹴落として通算8 週にわたってナンバーワンを獲得、約70 万枚を売り上げている。 一連のビー・ジーズによるキャッチーなヒット・ソングや、白スーツに身を包んで右手を挙げたトラボルタのビジュアル・イメージが実に印象的ではあったが、この『SNF』の影響で日本各地にディスコが乱立するという状況になったのは確かな事実だ。 どうしてもそれまでのディスコへのイメージがアンダーグラウンド感漂うものであったのが、わかりやすくて健康的なレジャーの場として、老若男女へのハードルが一気に低くなったのが『SNF』の功罪であった。 78~79 年、世界的にディスコがお茶の間への浸透がなされて(日本も例外ではない!)、結果ディスコ・ブームのピークがこの頃に迎えられたというわけだ。 あまりにもメイン・ストリームのヒット曲を侵食しすぎたからか、はたまた玉石混交が激しすぎたからか、80 年代の幕開けとともにディスコ・ブームは一気に潮が引くように終焉を迎えた。 欧州経由のニューウェーブ、いわゆる80 年代ファンク、そして現在のブギー・ムーブメントにも通じる(イーストコースト系)ファンク・ソウル等、新たなダンス・ミュージックの形態を内包したポスト・ディスコの時代へと突入する。 1980 年代に入ると日本のディスコの主流は、サーファー・ディスコへと移行していく。 (文:KARL 南澤)• 【DISC-2】• 『サタデー・ナイト・フィーバー』をきっかけに、日本全国に襲来したディスコ乱立フィーバーから派生したムーブメントとも捉えられるサーファー・ディスコだが、低年齢化していたオール・ジャンル系のディスコとは一線を画して、よりダンス・ミュージックに特化したファンク~ソウル・ミュージックが主にプレイされていた。 主に昭和30 年代生まれ(今やアラカン! だからこそダンクラ・ブームの火は今でも燃え続けているのかもしれない。 サーファー・ディスコは、70 年代終盤に東京・六本木の「XANADU(キサナドゥ)」、「スタジオワン」等が黎明期を飾り、80 年代に入ると「ナバーナ」、「ネペンタ」、「マジック」等といったハコが人気を博し、82~83 年の隆盛期には六本木だけでも数十軒のディスコが活況を呈し、新宿や渋谷にもサーファー・ディスコ形態の店が進出している。 (文:KARL 南澤)• 【DISC-3】• &レイディオ Ray Parker Jr. 海外作品の日本でのヒットは、特にアメリカのヒット・チャートの上位に進出した作品がそのまま日本のシングル・ヒットに結び付くという側面があったなか(もちろんどのジャンルにも例外はあるが)、ことディスコに関してはその方程式に当てはまらないフロア・ヒットが多く輩出されている。 顕著な例としては、シルヴァー・コンベンションや初期のドナ・サマーから端を発したミュンヘン・ディスコを中心とする欧州産ディスコ、さらにそこから派生しアイドル的な人気も高かった欧州産キャンディ・ポップだろう。 大衆音楽の歴史の中では、どうしてもB 級的な扱いをされがちな傾向にあるが、日本のダンスフロアにおいて彼 女 らが厚い支持を得ていたのは紛れもない事実だ。 ただ、これら欧州産アーティストのアメリカでのヒットはほぼ皆無で、ボニー・M が全米トップ40 ヒットを1 曲、DD サウンド、ドリー・ドッツがディスコ・チャートに1~2 曲エントリーしている程度だった。 80 年代突入後バブリーな時代に向かって、お洒落なカフェ・ミュージックの走りになったようなシャカタクやガゼボへと継承されていく欧州産ポップ(ディスコ)は、その後も連綿と続いていく。 ディスコ隆盛期の70 年代後半はビー・ジーズを筆頭に、他ジャンルからのディスコ参入も多く見受けられ、印象的ヒットを残している。 ローリング・ストーンズ「ミス・ユー」(78 年)、KISS「ラヴィン・ユー・ベイビー」(79 年)、ロッド・スチュワート「アイム・セクシー」(79 年)などはその代表的な例だ。 (文:KARL 南澤)• 【DISC-4】• Monkey [1977]• - Rasputin [1978]• 08:Y. [Single Ver. ] [1978]• In My Life [1985]• ニューウェーブ、産業ロック、AOR、ニュー・ロマンティック、ブラック・コンテンポラリー(通称ブラコン)、第2 次ブリティッシュ・インベイジョン、ハイエナジー、サントラ、L. メタル、ユーロビート、ネオアコ、ニュー・ジャック・スウィング、イタロ・ハウス…印象的かつ代表的なものを思い浮かべただけでも、これだけの事象が挙げられる。 80 年代に突入後、音楽専門チャンネルMTV の開局に伴い、プロモーション・ビデオ(PV)が軒並み作られるようになり、ビジュアル戦略がヒット・ソングの重要な要素を占める時代となる。 マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナといった80 年代を代表するポップ・アイコンたちは、ビジュアル戦略にも実に長けていたというわけだ。 ポスト・ディスコ期の80 年代、日本のディスコはサーファー・ディスコ~マハラジャ(84 年~)系~ユーロビートといった現象を経ながら独自の活況を呈していく。 PV を使ったビジュアル戦略が功を制しお茶の間への浸透が進み、誰でも知っている洋楽ヒットの絶対数が多くなったのが要因のひとつだろうが、アップテンポな楽曲なら、どこかのダンスフロアで必ず供給されていたと言っても過言ではない。 カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、ワム!を筆頭にABC、スパンダー・バレエなどに代表される第2 次ブリティッシュ・インベイジョン、ブラコン、産業ロック、AOR、サントラ…各ジャンルから満遍なくコンスタントにフロア・ヒットが誕生している。 J・ガイルズ・バンド「堕ちた天使」(81 年)、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライヴェート・アイズ」(81 年)、メン・アット・ワーク「ノックは夜中に」(82 年)、バリー・マニロウ「君は恋フレンド」(83 年)、ジャーニー「セパレイト・ウェイズ」(83 年)などは、ディスコでもヘヴィにプレイされた定番と呼べる作品たちだ。 (文:KARL 南澤)• 【DISC-5】• [1981]• Ray Parker Jr. — Ghostbusters [1984]• 80 年代後半から90 年代初頭にかけて、ユーロビート旋風は世界中のダンスフロアに吹き荒れたが、もちろん日本も例外ではなかった。 アイドル的スタンスのダンサブル女性グループ(シンガー)や、イギリスを中心とするダンサブルなボーイズ・グループのムーブメント、さらにはイタロ・ハウス、ヒップホップ、ニュー・ジャック・スウィングなど様々なダンス・ミュージックと相まみえながら、ユーロビートはバブリーな時代へと突き進む80 年代後半の日本のディスコの主役に躍り出ていた。 ヘイゼル・ディーンで名を成し、デッド・オア・アライヴの世界的出世作「ユー・スピン・ミー・ラウンド」(85 年・全米シングル11 位)で一躍ヒット・サウンド・メイカーとなった英国のプロデュース・チーム、ストック=エイトキン=ウォーターマン(通称PWL)が創り出したサウンドこそが典型的なユーロビート。 デッド・オア・アライヴを始め、バナナラマ「ヴィーナス」(86 年)、リック・アストリー「ギヴ・ユー・アップ」(87 年)、カイリー・ミノーグ「ラッキー・ラヴ」(88 年)らの大ヒット以降、PWL サウンドのフォロワーが雨後の筍のごとく出現し、およそ86 年~90 年代初頭にかけて、ユーロビート・ムーブメントは隆盛を極めた。 折しも日本はまさしくバブル時代に突入する頃、ディスコにはVIP ルームやお立ち台が導入され、90 年代以降のクラブ文化へと移行する直前のあだ花的ディスコ隆盛期の象徴的なサウンドがユーロビートだったわけだ。 ユーロビート・アーティストの中でも、日本のダンスフロア需要・チャート実績で最も人気があったのはデッド・オア・アライヴで、87 年に日本武道館で、89 年には東京ドームで来日公演を敢行。 最も売れたシングルはバブル絶頂期の「アンド・カウント・2・テン」(88 年)というのも、アメリカと人気のピーク期に差のある日本らしい。 日欧独自のユーロビート・ヒットも多数出現しており、マイケル・フォーチュナティ「ギヴ・ミー・アップ」、ポール・レカキス「ブーム・ブーム」、シニータ「トイ・ボーイ」などは象徴的かつ代表的な作品。 日本の歌謡曲シーンでは、特に女性アイドル歌手がカバーするなどしてその手法を巧みに採り入れており、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」、Wink「愛が止まらない」「涙をみせないで」「淋しい熱帯魚」、森高千里「17 歳」などがよく知られている。 (文:KARL 南澤)• 【DISC-6】• コールドカット Lisa Stansfield feat. Coldcut - People Hold On [1989]•

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80年代 ディスコ ヒット曲&カラオケ・タイムマシン広島

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意味 表記:Nu-Disco、Nu Disco(現在はハイフンなしで一般化) 類語:Disco House(ディスコ・ハウス)、Electro Disco(エレクトロ・ディスコ) Nu-Disco(ニュー・ディスコ)とは70年代~80年代のUSディスコ、80年代初期のイタロダンス、フレンチ・ハウスそしてその他のシンセを多用したヨーロピアン・ダンスミュージックへの再注目と関連した、21世紀のダンスミュージック・ジャンルを指します。 オンラインミュージック店との関わり このジャンルは特に2000年代中盤に人気となり、また2010年代中盤にも小規模な再復活のブームが起こりました。 元々、彼らはこのジャンルをクラシック・ディスコのレコードの曲や、このスタイルの楽曲を作った一握りのヨーロッパのエレクトロニック・プロデューサー達と関連付けていました。 ニュー・ディスコという名称は、新しいディスコソングを指すのとは別に、エレクトロクラッシュやフレンチ・ハウスと関連するアメリカのレーベルを解説するためにBeatport(ビートポート)で使われていた言葉でもありました。 2015年の時点でBeatport(ビートポート)や Traxsource(トラックスソース)のようなオンラインミュージック店では、旧譜のやが、オリジナルの楽曲と並んで販売されています。 音楽データベースDiscogs(ディスコグス)によれば、一部のNu-Discoは、元の時代のディスコトラックとブギートラックを(場合によってはエフェクトを追加して)単に再編集しただけのものです。 また高速でハードなものも含み、エレクトロ、エレクトロクラッシュ、ディスコ、ハウスとの類似性に応じて、「エレクトロディスコ」「エレクトロハウス」という風に、より正確に説明することもできます。 詳細 具体的には1997年~2002年の期間で完成していたフレンチ・ハウス/フィルター・ディスコ/とそれらを継承した楽曲、さらに70s後半~80sディスコをアレンジした楽曲を加えた ユーロディスコの集合体を指しています(ただし原曲の多くは米国製)。 Nu Discoと命名し直す事により特定のクラブカルチャーから離れ、一般的に理解されやすくなっただけであると解釈して差支えないでしょう。 画像はDaft Punk(ダフト・パンク)のThomas Bangalter(トーマ・バンガルテル)が1997年に手掛けた Stardust(スターダスト)の「Music Sounds Better With You」。 当時は フレンチハウス・アンセムの扱いでしたが、現在は ニューディスコ・アンセムとも呼ばれる曲です。 関連:Filter Disco(フィルター・ディスコ) 別名:Filter House(フィルター・ハウス)・French Touch(フレンチ・タッチ)・tekfunk(テックファンク) ディスコミュージックの断片にAudio Filter(オーデイオ・フィルター:帯域カット)とPhaser(フェイザー:位相シフト=ジェット)のサウンドエフェクトをかけてループさせ、それにリズムトラックを組み合わせて制作された楽曲。 普通のガラージよりもドカスカ聞こえるのはヴァン・ヘルデンがに採用する事となったダッチテクノ Plastic Dreams 1992 のリズムトラックを重ねているからです。 米国もフィルターディスコの手法を使い始めたという一例。

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休業のご案内 新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、広島県の要請に協力するために 2020年4月22日(水)~5月6日(水)までの期間で「カラオケ&DISCOタイムマシン」は 休業をいたします。 何卒、ご理解とご協力をお願いいたします。 カラオケ&DISCOタイムマシン 店主:松本 元順 カラオケ&DISCOタイムマシンとは? 店内は70年代80年代90年代ぐらいの音楽がかかり、目の前に広がる景色は、ディスコそのもの。 そして、カラオケを楽しむお客様が多いことも特徴です。 たくさんのアナログレコードが飾られ、無数のライトに照らされ、いい雰囲気です。 ぱっと見た感じから、すごく音楽が好きな店主さんなんだろうなと感じます。 元々ダンスイベントでDJをしてらしたので、ダンスには特に強い思い入れがある、 店主のアリーマツモトさんは、とても気さくで、熱い方でした。 とにかくイベントが好きなアリーマツモトさん。 お店でよくイベントをやったりしてみているそうです。 ぱーっと騒いで楽しんで欲しいという事が一番に感じられてきます。

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