アインシュタイン 映画。 アルバート・アインシュタインの生涯と人生15の興味深い話

映画に登場する動物たち(主に犬、猫):ミックス犬の構成を探る…「アインシュタイン(Einstein)」、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)

アインシュタイン 映画

アルバート・アインシュタインとは? アルバート・アインシュタイン(1879〜1955年)は、ドイツ出身の理論物理学者で、それまで当たり前だとされていたニュートン力学やマクスウェルの方程式を基礎とした物理学を見直し、根本的に再構成した偉大な物理学者。 アインシュタインが生涯の中で発表した理論はいくつもありますが、最も有名なものとして 特殊相対性理論や 一般相対性理論を提唱し、質量や重力の概念を再定義しました。 そして、このアインシュタインの相対性理論によってその後、宇宙空間や時間についての様々な謎が解き明かされ、ブラックホールの存在や宇宙の膨張説などはその一例です。 その実績から1921年にはノーベル物理学賞を受賞し、「 現代物理学の父」や「 20世紀最高の物理学者」と呼ばれることもあります。 また、アインシュタインはユダヤ系であったため、ナチスドイツのユダヤ人迫害が激しさを増していく中、人生の後半ではアメリカへ移住。 アメリカへ移ると同時に、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトに対し、 原子力とその軍事利用に関する手紙を送り、これが、第二次世界大戦末期に日本の広島と長崎に落とされた原子爆弾の開発プロジェクト「」へと繋がってしまいました。 ただし、アインシュタイン自身は原子爆弾投下を提言したことはなく、1955年に亡くなるまで、むしろ平和主義者としての立場を崩しませんでした。 アルバート・アインシュタインの生涯と人生15の話 アルバート・アインシュタインのプロフィールを簡単に確認したところで、ここからはアインシュタインの生涯と人生にまつわる15の興味深い話を紹介していきます。 アインシュタインの生涯と人生1:子供の頃に数学で落第していなかった 世紀の大物理学者であるアルバート・アインシュタインに関して一部では、「 アインシュタインも子供の頃は数学で落第した」という話がなされますが、これについては正しくありません。 アインシュタインは数学が苦手どころか、むしろ 例外的に優秀な生徒だったのです。 ミュンヘンでの学校時代には優秀な成績を収めており、9歳の時にはピタゴラスの定理を知り、12歳の時にはユークリッド幾何学や微分積分も独学で習得したと言われ、 当時は周りから天才扱いされていたと言われます。 ただし、物事を疑って探求するアルバート・アインシュタインは、唯一、先生から要求される「機械的な秩序立った学習」に対しては苛立っていたようです。 後にアインシュタインが成人して様々な理論を発表していく一方で、小学校の数学で落第したという話が広まると、それに対してアインシュタイン本人は「それは神話だ」と吐き捨てたという話もあります。 アインシュタインの生涯と人生2:子供の頃は癇癪持ちだった 若き天才は ヘソを曲げると手当たり次第に物を投げ、ある時は先生に椅子を投げたこともあったと言われます。 5歳の頃、アインシュタインは家庭教師や家族に日常的に当たっていました。 妹の マリア(通称マーヤ)はよく頭を叩かれていたようで、のちに「 頭のいい兄を持つと、固い頭を持っていないとやっていられない」と回顧しているほどです。 ちなみに、アインシュタインについて残る噂の中には、「 アインシュタインが怒ると鼻の先だけ白くなり、残りの顔全体は黄色くなった」と言ったものまであります。 アインシュタインの生涯と人生3:学術界で仕事を得るのに約10年かかった アインシュタインの業績を見ると、さも学術界でのキャリアも順調なスタートを切ったように思いますが、実際には 学術界で仕事を得るのに約10年かかっています。 というのも、チューリッヒ工科大学在学中、知性の輝きを見せる一方で、反抗的な性格と頻繁に授業を欠席したことから、アインシュタインは1900年に大学を卒業した際、教授たちから素晴らしい評価を得ることが出来なかったからです。 アインシュタインは学術的な知識を活かせる仕事を探し続け、2年後にようやくベルンにあるスイス特許局に就職 (特許局の仕事では申請されたアイデアを審査するために物理学の知識が役立った)。 仕事は退屈でしたが日々の業務を数時間で済ませると、残りの時間で論文を書いたり研究を進めたりすることができました。 これらの発見でアインシュタインは物理学の世界的な舞台に立ちましたが、教授の職を得ることができたのはそれから4年後の1909年で、彼が大学を卒業してから10年近くも経ってからのことでした。 アインシュタインの生涯と人生4:トレードマークの髪型は父となって誕生 青年時代のアインシュタインはいつも綺麗に黒髪を整えていました。 しかし、1904年に息子のハンスが生まれると一変。 当時、 特許庁の事務所で働いていたアインシュタインは、家族を養うのに必死すぎて、髪をとかすのも床屋に行くのも忘れていました。 そしてこの結果、 トレードマークのボサボサな髪型が出来上がっていったようなのです。 また、この髪型に慣れてしまったアインシュタインはその後、生涯床屋に行くことを避け、あまりにも髪型が酷くなった時には、2番目の妻エルザが整えたと言います。 アインシュタインの生涯と人生5:食べ物を無意識に詰め込む癖があった アインシュタインは特許庁の事務所で働いていた頃、2人の友人と読書クラブ「 オリンピア・アカデミー」を作りました。 3人はことあるごとに集まり、ソーセージ、グリュイエールチーズ、フルーツ、紅茶を楽しんだようです。 あるアインシュタインの誕生日、2人の友人は、 高価なキャビアをサプライズで持ってきてくれました。 しかし、このプレゼントはアインシュタインにはまさに「 豚に真珠」だったのかもしれません。 アインシュタインは夢中になって話す時、無意識に食べ物を口に入れてしまう癖があったからです。 そして、アインシュタインはガリレオの惰性の法則について熱心に話している時、 キャビアを食べていることを意識せずに平らげてしまったらしいのです。 実際、アインシュタインは人生の中で「 僕のような貧しい出の人間にグルメなものを与えても、味なんてわからないのさ」という言葉を発した話が残っています。 アインシュタインの生涯と人生6:日食によって世界的に有名になった アインシュタインは1915年に発表した一般相対性理論の論文で、重力場が空間と時間の構造に歪みを生じさせると主張。 それが物理学の法則を大きく書き直すものだったため、この理論は論争の的になりました。 この理論によると、超大質量を有する天体の周囲では、その大質量のために「 近くを通る星の光が測定可能なほどの歪みを生じる」ことになります。 1919年5月に皆既日食が起きることが予想され、この皆既日食はアインシュタインの理論を証明するための適切な条件となりました。 アインシュタインの理論を証明しようとした英国の天文学者アーサー・エディントンは、西アフリカの海岸に行って皆既日食を撮影。 その写真を解析した結果、エディントンは「 太陽の重力によって、光がおよそ1. 7秒角歪められていた」ことを確認したのです。 そして、 この数字は一般相対性理論で予測されたものと全く同じで、この発見によってアインシュタインは一夜にして世界的な有名人となり、世界を旅して天体に関する自説の講演を数多くこなしていくことになりました。 アインシュタインの生涯と人生7:気分転換にバイオリンを弾いた アルバート・アインシュタインは人生の中で、気分転換のためによくバイオリンを弾いたと言われます。 5歳でバイオリンのレッスンを始め、17歳頃になると州立学校の先生たちを感心させるほどの腕前になりました。 また、1914年頃、ベルリンに住むアインシュタインは、友人で同じく理論物理学を研究していたマックス・プランクと一緒にソナタを演奏していたと言います。 そして、有名になってからアインシュタインは、フリッツ・クライスラーなどの偉大な音楽家たちと一緒にチャリティーコンサートを開きました。 「 音楽は理論について考える助けになっていたようです」と、アインシュタインの2人目の妻であるエルザは語っています。 アインシュタインの生涯と人生8:愛に関しては天性の才能は皆無だった 2回結婚をしたアインシュタインは、その生涯の中で数々の不倫もしており、中にはロシアのスパイ女性とも関係があったと噂さえるほど。 物理学には天才的な才能を発揮したものの、 愛に関しては真逆だったと言われます。 1回目の結婚はチューリッヒ工科大学で出会った物理学者の ミレーバ・マリッチとで、二人の間には3人の子供が生まれましたが、3人目の子供が生まれてから2人の関係は悪化します。 そして、結婚生活が破綻してから、なんとアインシュタインは、数々のひどい要求をミレーバに突きつけたのです。 その内容には、• 私との関係において次の点を守ること• 私からの愛情は求めないこと• 私が求めたら話しかけるのをやめること などの項目が含まれていました。 結果、2人は離婚することとなり、後にアインシュタインは、自分の従妹である エルザ・レーベンタールと結婚しました。 アインシュタインの生涯と人生9:FBIから数十年にわたってスパイされた 1933年にアドルフ・ヒトラーが権力の座について間もなく、アインシュタインはドイツのベルリンを離れてアメリカに渡り、ニュージャージー州のプリンストン高等学術研究所の教授に就任しました。 しかし、ナチス政権下のドイツ出身であったことに加えて、平和主義や左翼へ積極的な支援を行っていたことで、FBIの初代長官ジョン・エドガー・フーバーから疑念を持たれ、 アインシュタインはアメリカ到着後からおよそ22年間に渡って、FBIの監視下に置かれることとなります。 当初はナチスドイツのスパイとして、後はソ連のスパイとしての可能性を捨て切れなかったFBIは、アインシュタインの電話を盗聴する、書簡を開封する、ゴミを漁るなど、様々な諜報活動を続けていったのです。 その活動の中では、アインシュタインが殺人光線を作っているという噂に対する調査さえあったと言われます。 1955年にアインシュタインが死去した時、彼についてのFBIファイルは1800ページにも上っていたようです。 アインシュタインの生涯と人生10:原爆製造を訴えた後に核軍縮を支持した 1930年代の終わりにアインシュタインは、新しい研究によってドイツの科学者、がいずれ原爆を製造するかもしれないことを知りました。 大量殺人兵器がナチスの手に握られるという見通しから、彼は平和主義者であることは一旦引っ込め、ハンガリーの物理学者レオ・シラードと協力して、アメリカ合衆国大統領「フランクリン・ルーズベルト」に原子力の研究開発の必要性を訴えました。 これによってアメリカは、核爆弾開発を急務とする「マンハッタン計画」を立ち上げたのです。 アインシュタインはマンハッタン計画に直接関わることはありませんでしたが、後に広島と長崎への原爆投下に、自分が小さいながらも加担したことを知ると深い後悔の念を表しました。 「 ドイツが原爆開発に成功しないことを知っていたら、指一本動かさなかっただろう」とアルバート・アインシュタインはその生涯の中で語っています。 そして核軍縮、核爆弾実験の規制、世界の統一政府の設立を熱心に支援するようになりました。 そして人生最期の年である1955年には、哲学者バートランド・ラッセルとともに「 ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名して核戦争の危険を強調。 各国政府に対して「 国家間の紛争をまとめるための平和的な手段を見つけるべき」だと訴えました。 アインシュタインの生涯と人生11:イスラエル大統領就任を求められた アルバート・アインシュタインは宗教に熱心ではなく、ユダヤ民族主義者「シオニスト」とも一線を画していましたが、 ユダヤ人としての強いアイデンティティを持ち、その生涯の中で反ユダヤ主義を頻繁に批判しました。 そのため、世界的に有名人だったこともあり、1952年にイスラエルのハイム・ヴァイツマン大統領が死去すると、アインシュタインはイスラエル政府によって 第二代イスラエル大統領への就任を要請されたのです。 しかし当時すでに73歳であり、客観的な研究者としての生涯を全うすると決めていたアインシュタインは、この要請を辞退。 代わりに、著作権をイスラエルのヘブライ大学へ贈るという方法でイスラエルを支援しました。 アインシュタインの生涯と人生12:子供からのファンレターが大好きだった アインシュタインはたくさんの手紙をもらいましたが、 子供からの手紙には必ず返事を書くことを心がけていたようです。 また、アインシュタインが子供とやり取りした書簡はチャーミングで、励ましの言葉に溢れているものが多かったと言います。 ちなみに、アインシュタインが子供に対して送った返事に関しては、「 おしえて、アインシュタイン博士」という本にまとめられています。 アインシュタインの生涯と人生13:人種差別反対活動を行なっていた ナチス政権による迫害を逃れるために、1933年にドイツを逃れたアインシュタインは、アメリカで目にした人種差別に非常に敏感でした。 そのため、アインシュタインは 全米黒人地位向上協会(NAACP)のメンバーとなってアフリカ系アメリカ人の人権を擁護し、有名な黒人歌手「 マリアン・アンダーソン」が1937年にプリンストンへ歌を歌いに来た際は、ホテルに宿泊を拒否された彼女を自宅に招待しています。 また、アインシュタインは、黒人系アメリカ人の社会学者でNAACPの創立者「 W. デュボイス」とも手紙のやり取りをしており、デュボイスが狙われた際にはアインシュタインが性格証人となり、デュボイスを救いました。 さらに、1946年にペンシルバニア州のリンカーン大学で行なったスピーチでは、人種による社会の分断は「 白人社会の病気」であるとし、自分は黙認するつもりはないことを表明しています。 アインシュタインの生涯と人生14:死後に脳が盗まれた アルバート・アインシュタインは、1955年4月に腹部の大動脈瘤でこの世を去ります。 アインシュタインは火葬されることを希望していましたが、酷いことにプリンストン大学の病理学者トマス・ハーヴェイが検死中、 天才の秘密を探るために彼の有名な脳を取り出したのです。 アインシュタインの息子からしぶしぶの了解を取り付けたハーヴェイは、 後に脳を切り刻んで研究のために様々な学者へ送りました。 1980年代からいくつかの研究がなされましたが、結局、その成果のほとんどは退けられるか、信ぴょう性が薄いと見なされる結果となった中で、おそらく最も有名な研究は、カナダの大学の研究チームが発表した1999年のものでしょう。 アインシュタインの脳には、 数学や空間的な思考を司る部位である頭頂葉に、普通ではない「しわ」があったという内容です。 アインシュタインの生涯と人生15:本当のIQは誰も知らない。 アインシュタインはIQテストを受けたことがありませんが、IQは 160だったと主張する話が多く存在します。 しかし、この話を証明することは出来ません。 また、アインシュタインは言語に関しては決して得意でなかったことから、実は現代のIQテストで測った場合、 そのIQは至って平均的な結果に終わり、物理学関連の能力だけが秀でていた可能性があるという説もあります。 つまり、アインシュタインの偉業は特定の領域に限定されたもので、これが全般的な知的能力を指すIQと混同されがちだという主張です。 合わせて読みたい世界雑学記事• アインシュタインは確かに偉大な業績を残しましたが、一方で、平和主義を唱えたり、人間らしい側面を持っていたりと、とても親近感の湧く人物であったのだと思います。

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原爆投下から74年…… アインシュタインが80年前に署名した、米政府に原爆の開発を求める書簡の中身とは?

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解説 ホラー映画のクラシックキャラクターとして有名なフランケンシュタインの怪物が、もし現代に生き延びていたらという設定のもと、孤高のヒーローとして世界の滅亡をかけた戦いに身を投じるアダム・フランケンシュタインの姿を描いたアクション大作。 「ダークナイト」のアーロン・エッカートが主演、「コラテラル」「30デイズ・ナイト」などの脚本家としても知られるスチュアート・ビーティーが監督を務めた。 かつてヴィクター・フランケンシュタイン博士が創造した人造人間アダム・フランケンシュタインは、誕生から200年を経た現代もなお、ひそかに生き続けていた。 やがて世界支配を目論む悪魔と、それを阻止せんとする天使との全面戦争が巻き起こり、フランケンシュタインは自身のもつ特殊な「再生細胞」が戦いの鍵を握っていることを知り、戦いに身を投じていく。 2014年製作/92分/G/アメリカ 原題:I, Frankenstein 配給:ポニーキャニオン スタッフ・キャスト フランケンシュタインの怪物が現代まで生き延び、天使と悪魔の戦いに身を投じる、ダークファンタジー・アクション。 う~ん、THE B級! こういう作品に予算を投じ、見事に大コケする辺り、いかにもハリウッドらしい。 グラフィック・ノベルが原作とは言え、設定が活かし切れてないし、話にも面白味が無いんだよなぁ…。 まず、主人公がフランケンシュタインの怪物である必要性がまるで感じられなかった。 不死身だから? 怪物だから? でも例えば、 現代まで生き延びていたドラキュラが天使と悪魔の戦いに身を投じる。 『アイ・ドラキュラ』。 狼男が…以下、同文。 『アイ・ウルフマン』。 現代に蘇ったミイラ男が…。 『アイ・マミー ミイラ 』。 ね? ほら、どれでも大丈夫。 フランケンシュタインの怪物の不死身の能力を用いて…ってのも、それぞれのキャラに合わせてどうにも出来る。 後ね、フランケンシュタインの怪物がメイクちょこっとだけで、全然フランケンシュタインの怪物に見えないんだよね…。 まんまアーロン・エッカート。 逞しい上半身を披露したり、人間の女性と関係を漂わせたり、こりゃただのダークヒーロー物。 やっぱフランケンシュタインの怪物と言うと、恐ろしくも哀しみ秘めた存在である方が…。 ゴシックな雰囲気を漂わせつつも、面白味も中身もスカスカ。 これ、何かに似てるなと思ったら、あのシリーズとクロスオーバーの企画があったのね。 消滅したらしいけど、もし実現しても、色んな意味でセーリーンには勝てないね。

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アインシュタインからの警告

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物理学の革命とされる相対性理論を提唱し、光電効果の理論的解明によってノーベル物理学賞を授与された歴史上の偉人。 もしくは、核兵器の使用や戦争に反対した平和主義者、ボサボサの白髪に口ひげを生やしたエキセントリックな老人。 これらが一般的に知られるアインシュタイン像だが、しかしそれはあくまでも表層的な一面にしか過ぎない。 果たしてアインシュタインとはどのような人物だったのか。 その大きな疑問に答えるのが、ナショナル ジオグラフィックが初めて制作する本格ドラマシリーズ『ジーニアス:世紀の天才 アインシュタイン』だ。 物語はアインシュタインが学生だった1894年、既に世界的な名声を確立した1922年、この2つの地点から同時に始まる。 飽くなき好奇心と自由な想像力に恵まれながらも、周囲の無理解に苦しんだ繊細な青年期。 ナチスの台頭に危機感を募らせ、社会に蔓延するファシズムに強く抵抗した中年期。 さらには幾人もの女性を愛し、美しい音楽を愛し、数々の失敗も重ねた人間アインシュタインの波乱に満ちた人生に迫ることで、ジーニアス=天才とは何かを解き明かしていく。 製作総指揮・演出 第1話 にオスカー監督ロン・ハワード、主演にオスカー俳優ジェフリー・ラッシュと名女優エミリー・ワトソン。 世界171の国と地域で放送される全10話の超大作ドラマ。 ココが見どころ 見どころ1 オスカー級のスタッフ・キャストが結集! 中年期のアインシュタイン役には映画『シャイン』でアカデミー主演男優賞に輝く名優ジェフリー・ラッシュ、その2番目の妻エルサ役には2度のアカデミー主演女優賞候補を経験した演技派エミリー・ワトソン。 製作総指揮には『ビューティフル・マインド』でアカデミー作品賞・監督賞を獲得したロン・ハワード監督と盟友ブライアン・グレイザー(ドラマ『24』ではエミー賞ドラマ部門作品賞を受賞)。 まさにオスカー級の顔ぶれが一堂に会している。 その後も『ダ・ヴィンチ・コード』とその続編『天使と悪魔』、『インフェルノ』などを興行的に大成功させ、ハリウッドの第一線で活躍を続けている。 そんな大御所監督が今回は第1話の演出を手掛けており、テレビドラマ監督としてのデビューを飾っているのも話題だ。 見どころ3 知られざるアインシュタインの素顔 原作は世界的ベストセラーとなった伝記本『スティーヴ・ジョブズ』の著者ウィルター・アイザックソンが書いた『アインシュタイン その生涯と宇宙』。 誰もが知っているようで知らなかった天才アインシュタインの人間臭い素顔が赤裸々に描かれていく。 数々の女性との自由奔放な恋愛遍歴、既成概念に縛られないがゆえに傷つくことも多かった青年時代、ファシズムや戦争など激動の時代に翻弄された苦悩の日々など、これまであまり語られることのなかった人物像に誰もが共感するはずだ。 見どころ4 日本語吹替に実力派ベテラン声優から若手人気声優が集結! ナショナル ジオグラフィック初の本格ドラマシリーズに豪華声優陣が集結。 名声優の声で楽しむ!特別版シリーズや『マーズ 火星移住計画』などで声優陣のキャスティングにこだわり続けてきたナショナル ジオグラフィックが今回も本領発揮。 海外ドラマには欠かせない実力派ベテラン声優から、アニメや音楽活動でも活躍中の若手人気声優を集め、海外ドラマファン、声優ファンも必見・必聴の日本語吹替 二ヶ国語放送 をお届け!声優陣の迫真の芝居が皆さんをアインシュタインの生きた時代へとお連れします。 アインシュタイン トリビア 21世紀の今だからこそ知りたいアインシュタインの生きた時代 本作の背景となるのは、ファシズムや軍国主義が台頭し、人種差別やテロ事件などの社会的混乱が広まった時代。 もともと政治に無関心だったアインシュタインだが、そうした状況下で反戦や反ファシズムを強く主張するようになる。 制作陣はそこにナショナリズムや移民差別などの蔓延する21世紀社会を重ね合わせ、今を生きる我々に歴史から学ぶよう警鐘を鳴らすのだ。 日本と日本人を愛したアインシュタイン 実は日本との縁も深いアインシュタイン。 1922年には日本の出版社の招きで妻エルサと共に来日し、合計43日間に渡って滞在している。 当時の日本人からも熱狂的に大歓迎され、東京や仙台、名古屋、大阪など全国8都市で行われた講演会には合計1万4000人もの聴衆が詰めかけた。 彼自身も日本や日本人を心から愛し、第二次世界大戦で広島と長崎が原爆被害に遭ったことについて深く胸を痛めていたという。 数多くの女性を愛した天才アインシュタイン 大学時代の学友だったミレヴァ、従姉妹のエルザと生涯で2度の結婚をしているアインシュタイン。 実はそれ以外にも数々の愛人の存在が確認されており、実はかなりの恋愛体質だった。 本作では、そうした彼の自由奔放な恋愛遍歴や妻たちとの確執が赤裸々に描かれており、波乱万丈なラブストーリーとしても楽しめる。 しかも、いずれの作品でも夫婦役。 気心の知れた2人だからこその、白熱する演技合戦は見ものだ。 ジェフリー・ラッシュは実在の人物を演じる天才! 中年期以降のアインシュタインに扮する名優ジェフリー・ラッシュは、実在の人物を巧みに演じることでも定評がある俳優だ。 他にも往年の喜劇王ピーター・セラーズ、英国王ジョージ6世の吃音を治療した言語療法士ライオネル・ローグ、ロシアの革命家レオ・トロツキーなどを演じている。 若きアインシュタイン役の本職はロックスター 大の音楽愛好家でヴァイオリン演奏を嗜んだことでも知られるアインシュタインだが、その青年期を演じている俳優ジョニー・フリンは本職がロック・ミュージシャン。 しかも、音楽学校ではヴァイオリンとトランペットを学んでおり、その腕前は本作でも披露されている。 本人によると、アインシュタインの反逆精神は現代のロックスターにも通じるとのことで、共感する点は多かったようだ。 撮影トリビア 伝記ドラマとしての正確性とエンタメ性のバランス 歴史や科学の描写が正確で忠実なのはナショジオ制作ドラマとして当然だが、しかしそればかりでは視聴者を惹きつけることなど出来ない。 製作総指揮者の一人ケネス・ビラー曰く、本作では「科学は魅力的で楽しい」をテーマに正確性とエンタメ性の両立を重視。 そしてアインシュタインの人生を通し、既成概念や権威を鵜呑みにせず好奇心と疑問を持つことの大切さを訴える。 古都プラハでロケされた壮麗な映像美 本作のロケ地に選ばれたのはチェコのプラハ。 市内には中世以降の美しい街並みがそのまま残されており、舞台となる19世紀末から20世紀にかけてのヨーロッパを鮮やかに甦らせる。 また、アインシュタイン自身も一時期プラハに住んでいたことがあり、当時彼が暮らしたアパートも現存する。 そういう意味でも最適のロケ地だった。 映画からテレビドラマへ~作品成立の舞台裏 もともと劇場用映画として企画された本作。 しかし、膨大な内容を限られた映画の枠に収めるのは勿体ないという脚本家ノア・ピンクの意見でテレビシリーズへと変更され、ロン・ハワードとブライアン・グレイザーの製作会社イマジン・エンターテインメントへ持ち込まれた。 そのロン・ハワードがナショナル ジオグラフィックに声をかけ、具体的に実現することとなったのだ。 忠実に再現された衣装の数々にも要注目 映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』などに参加したスヌー・ミシュラが衣装デザインを担当。 アインシュタインの服装は当時の写真が数多く残されているため、それらを基にして忠実なレプリカを制作している。 それ以外の衣装についても、当時存在しなかった化学繊維などの生地は一切使用せず、必要に応じて同時代のヴィンテージ衣装も寸法を調節して使っている。 「ジーニアス:世紀の天才 アインシュタイン」はアカデミー賞受賞製作陣によって制作された。 映画好き、ドラマ好き、ドキュメンタリー好き、誰が見ても面白く見応えがある作品に仕上がっている理由をロン・ハワードとブライアン・グレイザーの2人が語った。 ロン「この番組はアインシュタインの秀才さよりも、彼の人間臭さを暴いているんだ。 彼が天才と言われるまでに至ったのか。 気にならないか?何か少しでもタイミングが違ったら、天才と称されず異常者としてレッテルを貼られていた可能性もあったんだからね。 」 ブライアン「アインシュタインといえば天才のアイコンと化しているから、彼が失敗したなんてイメージを持っている人はほぼいないんじゃないかな。 でも何かを変えようとリスクを取る人達の大半は失敗という過程を経る。 つまり彼も普通の人間で、僕たちと同じようにたくさんの失敗を重ねてきているんだ。 」 ロン「堅苦しいこと無しに、彼の物語はミステリーで満ちている。 視聴者には人生という謎を解く鍵を見つけて視野を広げて欲しい。 視聴者は制作側が意図するよりもスマートな目で作品を見ていてくれて、きちんと伝えられるべきストーリーには反応してくれる。 だからこそ、『アポロ13』や『ビューティフル・マインド』で僕たちが学んだ、ある意味難解で、理解しがたい癖を持った人物を語る術の全てをアインシュタインに注いでいるんだ。 」 ジェフリー「役者はオーディエンスを騙さなければならない。 アインシュタイン役を演じる上で避ける事の出来ない学術的な長い台詞だって、まずは私がきちんと理解してからでないと見ている方には伝わらない。 アインシュタインの脳みそと私の脳みそを同期しなければならないんだよ。 アインシュタインについてリサーチしているときに出会ったエピソードがデリシャスそのものだったんだ。 まとめていえばアインシュタインは地に足の着いた、かなりエキセントリックな男だっていうことだよ。 例えば、インターネットで見つけた話によるとね、アインシュタインは出かける時に自分の靴が見つからないと、妻のサンダル靴を履いていたらしいんだ。 パンプスだぜ? あと大学でアインシュタインの研究をしてる友人によると、会議に遅刻しそうだったアインシュタインは、上半身はスーツでビシッと決めたのに下半身はパジャマのまま出席したことがあるらしいんだ。 僕たち普通の人間と、天才アインシュタインを隔てるものがあるとすれば、彼は自分の才能と自分の才能が社会に貢献出来る可能性を持っていたことを熟知していたところにあると思う。 だけど、悲しみや死別、生きていく上では避けて通れない負の感情に対し傷ついていたところを知れば、彼も自分と同じひとりの人間だったということが分かるはずなんだ。 」 製作陣も語っていたように、アインシュタインを天才でくくってしまって彼の人間としての人生を知ろうとしないのは損なのだ。 この作品はアインシュタインの今までのイメージを打ち砕く新鮮な驚きに満ちている。 想像してみて欲しい。 天才物理学者の頭の中にはどんな宇宙が広がっていたのだろうか? 答えは1929年にアインシュタインが語ったこんな言葉の中にあるかもしれない。 「もしも私が物理学者でなかったら、私は音楽家としての人生を歩んでいただろう。 音符でものを考え、音楽と共に空想にふける。 バイオリンこそ、私の人生の甘みそのものなのだ。 」 "If I were not a physicist, I would probably be a musician. I often think in music. I live my daydreams in music[... ] I get most joy in life out of my violin" Einstein 1929. 特にモーツァルトの綴った曲線に想いを重ねていたアインシュタインだが、一般人には理解しがたい彼の数式も、音符たちが踊る楽譜に照らし合せて考えてみたら美しく見えてくる気がしてこないだろうか? 「モーツァルトの奏でたピュアで美しい音楽と、美しき宇宙の内側は共鳴しているように思えるんだ。 」 "Mozart's music is so pure and beautiful that I see it as a reflection of the inner beauty of the Universe" Einstein. 第一志望の就職先に就けない天才とは、なんだか切ない話である。 だが教授になれなかった理由が、彼があまりにも舐めきった態度で授業を受けていた どうせテストで合格点を取れると知っていたからサボりまくっていたらしいし から推薦状を貰えなかったところにあると知ると同情の余地はあまりなさそうだ。 2 学生時代の思い出は飲み会 どこにでもいる大学生のように、友人たちとだらだらした時間を過ごすのが大好きだったアインシュタイン。 近くのビアホールにたむろしては、哲学や科学について論議していたそうだ。 後にアインシュタインは若かりし頃のこの時間が自身のキャリアに大きな影響を及ぼしたと残している。 学生時代の何気ない時間が、人格形成や社会に出た後の人生に繋がる。 これに共感できる人はきっと多いはずだ。 3 修羅場体験 恋をして誰かを愛すると、自身も傷つき、周りも傷つけていたようだ。 1人目の妻との離婚は、ノーベル賞を受賞した時の賞金と引き換えに成立したようだ。 本能に忠実で、突っ走る性格は恋愛においても肉食であったということだろう。 本作品にも描かれているが、女性関係では修羅場を体験したようだ。 でもこれ、多くの人が経験する恋愛では無かろうか? 4 子を想う親の気持ち アインシュタインは目にいれても痛くないほどに可愛がっていた息子2人がいたようだが、愛情の裏返しか、心配で仕方がなかったようだ。 日本からスペインに戻る際も、2人の動向が気になるのだろう。 お願いだから手紙を書いてくれと綴った手紙を送っていたようだ。 5 趣味は旅行 アインシュタインも旅行が好きだったようだ。 元々はナチスから逃れる為にアメリカへと移り住んだ彼であったが、ノーベル賞授賞式よりも旅を選ぶくらいであったようだ。 後に日本に来た際、息子に書いた手紙に「もう世界を飛び回るのは止めようと思うんだ…でもそんなこと本当に出来るのかな?」と裏返せばどれだけ旅に時間を費やしているのかが滲み出ている言葉を残している。

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