おあとがよろしいようで 意味。 おあとがよろしいようで・・・じゃぁとりは?

【エンタメの雑学】「おあとがよろしいようで」の本当の意味

おあとがよろしいようで 意味

おあとがよろしいようで・・の正しい使い方 「おあとがよろしいようで」とは、 「この後の準備が整いましたよ」という意味で使います。 この言葉が生まれた寄席とは、次々に芸人が舞台に出てきます。 落語もあれば漫才もある、喜劇や奇術、物まねなども出てくるのが寄席です。 落語家しか出ない寄席もありますけど、本来の寄席とは色んな芸をする人が出てくるので、一斉に集まれば賑やかでしょうね。 例えば浅草演芸ホールという寄席では、昼の部と夜の部それぞれで20組ほどの芸人が舞台に上がります。 ですが、それだけの芸人が同じ時間に集合するわけではありません。 出番が近くなると楽屋に入り、出番が終われば他の仕事に向かうなり、帰宅するなり・・というわけです。 その日に出演する芸人が揃って楽屋に待機しているわけじゃないのですよ。 寄席に出演する芸人は、自分の出番の直前まで他の仕事をしていることもあるので、基本的には15分前に到着すれば問題ないそうです。 もっとギリギリになりそうな時は、その前の芸人たちが少し時間を伸ばしながら着替えなどの準備ができるまで時間を稼ぎます。 いよいよ準備が整い、舞台に上がれる状態になって舞台袖まで来ると、舞台上にいる芸人が「おあとがよろしいようで」と締めくくり、 次の出番の芸人にバトンタッチするというわけです。 「おあとがよろしいようで」と使いたいのなら、自分の後に話をする人の準備が整ったタイミングで話をまとめて使うのが本来の使い方なので、おぼえておきましょう。

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【エンタメの雑学】「おあとがよろしいようで」の本当の意味

おあとがよろしいようで 意味

おあとがよろしいようで。。 こんにちは。 さいたまで注文住宅を建てている、shoei彩工房の鈴木です。 本社に異動になり1ヶ月が過ぎました。 部長・筋野から「そろそろブログ書いてよ」と言われた。。。 新しい生活にも慣れ、何とかやっていますが馴染むまでに時間がかかる方なので気楽に取り組んでいきたいと思っています。 さて、皆さんは覚えているでしょうか。 2018年平昌オリンピックで金メダルを取った小平奈緒さん。 彼女は自分がオリンピックレコードを出して会場が拍手喝采で湧いた時、唇に人差し指を当て「しーっ」という仕草をしたこと。 次に滑る選手のレースのために皆さんお静かに、という合図だった。 よく落語家が用いる「おあとがよろしいようで」と同じ。 オチが上手くいったという意味でなく、次の高座に上がる人の準備が整ったので私はここで終わりにします。 どうぞお楽しみに!って言う意味。 次の人に花を待たせる。 なんて日本人らしい慎ましく奥ゆかしい心のありかただろう。 お先に。 おあとがよろしいようで。 皆さん、お静かに。 どれも忘れがち。 それどころか、扉を次の人のために開けておく所作さえ、したりしなかったりだ。 粋な気遣いは、一朝一夕では身につくまい。 でも心に留めておくか否かで、人としての佇まいは変わるような気がしている。 おあとがよろしいようで。。 新しい顔となった彩工房のスタッフブログも楽しみだ。

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落語「おあとがよろしいようで」本当の意味とは

おあとがよろしいようで 意味

nakakenさんが以前こんな記事を書いていらっしゃいました。 「おあと」はオチを言った後のことだと思っていて、オチを言ったので自分は引っ込みますねという意味だと勘違いしていた、というお話でした。 で、本当のところはどういう意味だったかというと、「おあと」というのは、「後の人」、つまり、次に出てくる落語家のことを指していたんですね。 「よろしい」というのは、「準備がいい」ということ。 あわせると、「次の人の準備が整ったから、私はもう帰りますね」ってことだったみたいです。 実際は上で引用させて頂いた通りで、後の人の準備ができましたので、私は帰りますという意味になります。 でも皆さん、じゃあこの言葉をどんな時に使うのか知りたくならないですか?知りたくなりますよね。 知らなきゃ損ですよね。 というわけで少しご説明を致しましょう。 (なんだこれ) まずあるのが、落語自体が催し物の前座として行われる場合に「おあとがよろしいようで」という言葉が使われることがあります。 どういうことかと言いますと、落語自体がオマケであり、後から控えている余興自体がメインということがあるわけですよ。 例えば地域のお祭りの前座として呼ばれたりとかね。 お祭りって、様々なハプニングがあるでしょ。 機材のトラブルだったり、祭り自体の進行が上手くいかなかったり。 そんな時に、例えば自分が与えられた時間が削られるということがあります。 例えば30分の枠をもらっていたから30分の落語を喋る準備をしてきたのに、進行の関係で半分の15分になってしまうことがある。 そんな時に、落語を最後まで演じずに、盛り上がった所で「おあとがよろしいようで」と一言述べて高座を降りるということがあるのです。 実は正式な落語会でも似たようなことが起きます。 例えば3人が1席ずつ(落語ではネタのことを一席と読んだりします)、計1時間の枠を持っていたとしましょう。 その時に、一番始めに出てきた下っ端(これを前座と呼びます)が持ち時間10分のところを20分やってしまった。 そんなことがあります。 お客さんの反応が悪く笑いが起きなさそうだということで、落語の前に喋る小咄(枕といいます)が長くなりすぎて、大幅に時間オーバー。 そんな時、どうすると思います? トリとして最後に出てくる師匠の大ネタの時間を削減させるわけにはいきませんから、2番目に出てくる落語家が自分のネタを短くするんですよ。 先ほど言った通り、ある程度盛り上がったところで「おあとがよろしいようで」と。 」と短く切ったことを暗に示したりする。 粋ですねえ。 落語を上手に短くして、不自然なところがないように話をうまくまとめてオチをつける落語家も中にはいらっしゃいますが、これはなかなか難しい。 そんなわけで、この「おあとがよろしいようで」という口上が役に立っていると言うわけです。 面白いねえ。

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