きみ はだれ か の どう でも いい 人。 きみはだれかのどうでもいい人の通販/伊藤朱里

『きみはだれかのどうでもいい人』(伊藤朱里)の感想(52レビュー)

きみ はだれ か の どう でも いい 人

年齢も立場も異なる五人の主人公たち。 それぞれの視点で描かれるある日々の出来事は、その誰にも共感が持てそうで持てない? あぁ、いるなぁこういう人…なんてどこか遠くを見ているつもりで読んでいたら、そうはさせるか!こっちへ来い!とお腹の奥の方をギューッと掴まれて離してもらえない。 捲るページに漂う言葉たちがどれもこれも突き刺さる。 つらい。 苦しい。 それなのに目が離せない。 すごい。 こんな作品は初めてだ。 きみはだれかのどうでもいい人。 私もだれかのどうでもいい人。 私にもどうでもいい人がいるように。 でもきっと。 きっとだれもが、だれかの大切な人だ。 はじめは、単なる水面下で行われる悪口の言い合いとか、嫉妬とか、優越感とか、そんなふうな話なのかしら。 などと思って読み始めたが…もうひとつ奥に踏み込んだ、というか…表の皮が剥がれ、心の深く深くにある感情が隙間から顔を出した時の女たちの言葉に、 鳥肌がたつほどゾッとした…!自分がかつて働いていた時の黒い感情までがよみがえり、頭を抱えてしまった…。 働くということは楽なことばかりではないだろう、人そのものに苦労したり悩んだり(勿論、助けられるなど逆もあるが)…それをこの本で久しぶりに再確認してしまったなあ。 などとぼんやり考えた…。 主婦の自分は登場人物の田邊・堀と同世代。 私自身は今さら会社勤めすることもないが…私には娘がいるのだ…こんなところに放り出したら環のように、裕未のように、須藤さんのように、律子のように… しんどくなってしまうのか…?あんなに? 疑似体験出来るのが読書のいいところ、だと思うのだが、いやはや女として、母親として、もう少ししっかり立たないと負けてしまう…!と…思ってしまった…!何に対してだろう?世間の荒波?ニンゲンの恐さ?分からない。 すっかり感情を揺さぶられてしまった作品でした。 全四章あるストーリーは、一章ごとに主人公が変わるので、同じ出来事を別の主人公目線で読めるのが面白いです。 一章で知る出来事を、違う章では「あの時、この人はそんな思いだったんだ…」と知ると、もう一度さっき読んだ前章を読み返したくなりました。 そう言った点では 二度目に読むとまた違った感想を持てる作品です。 伊藤朱里さんの作品は初めて読みましたが 言い回し(表現)が素敵だなと思いました。 「まるで~のようだ」とか「~みたいに」とか、そんな表現の仕方があったのかと思う言い回しが魅力的だと思いました。 みさなんにもこの素敵な言い回しを見てほしいです。

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きみ はだれ か の どう でも いい 人

新聞書評で斎藤美奈子さんが紹介していたのを読んで手に取ってみた。 舞台は県税事務所。 本庁ではなくて県の北東部を管轄する合同庁舎の中にある。 滞納者に税金を納めてもらう 徴収する? 仕事をする納税部門を中心に描く。 主人公は4人が章ごとに変わる。 順番に紹介する。 納税部門の「初動担当」の中澤環。 成績トップで入庁した人事課から1年半で異動になって赴任してきた。 総務部門の染川裕未。 環の同期で半年前まで環の仕事をしていた。 病休を経て半年で総務担当に復帰。 納税部門の田邊陽子。 ベテランのパート職員で噂話好き。 総務部門の堀主任。 裕未の上司でルールに厳格な「お局様」 もう一人、大事な登場人物がいる。 須藤深雪というアルバイト。 環の仕事を手伝っている。 と言うより環が面倒をみている。 深雪は簡単な仕事も期待どおりにはできない。 物語は、主人公のそれぞれが他の職員や家族のことをどう思っているか、特に深雪と絡んだ時にどういう気持ちでいるかを、刻々と描いていく。 読んでいてつらい。 主人公たちの言葉の刃が深雪に向かう。 しかし「悪意」と言うのはためらわれる。 同情や共感を感じてしまう。 だから尚つらい。 「ブスが人の金使って化粧してんじゃねぇ!」と窓口で怒鳴られる。 「遺書にあなたの名前を書いて死にます」と電話口で言われる。 そんなストレスフルな職場で、それぞれが抱える事情もあって、あの人もこの人も余裕をなくしている。 著者はで「どれだけ頑張ってもあまり感謝されない」という公務員を掘り下げたと言い、「なぜ人は加害者になってしまうのか」を考えないと解決にはならない、と言う。 その点についてはとてもよく表現できている。 登場人物が「いじめの被害者にも落ち度はある」ということを口走るシーンがある。 これは厳重な禁句だと思うけれど「加害者にも事情はある」はどうだろう? 加害者も被害者と公平に描いたのは斬新な視点だったと思う。 秀作だ。 ただ、私はもう少し「救い」が欲しかった。 主人公以外でも登場人物のほとんどが女性で、表面上はともかく内心では互いを批判し合っている。 真情から互いを思いやる関係は、親子の間でさえない。 「どうでもいい人」と突き放してしまえば「救い」なんていらないのかもしれないけれど、それはそれで「救い」がない。 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。 バックナンバー• 9 カテゴリー• 221• 396• 243• 119• 128• 102• 134•

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『きみはだれかのどうでもいい人』感想

きみ はだれ か の どう でも いい 人

二編目を読み終えたあたりで予感がよぎり、三編目を読み始めた瞬間、確信した。 これって全編、登場人物のことが愛おしくってたまらなくなるやつじゃん! 『スナック墓場』(文藝春秋)は、収録作「姉といもうと」で第九十六回オール讀物新人賞を受賞した 嶋津輝のデビュー短編集だ。 全七編の主人公たちはみな、非正規雇用者または自営業者で、厳しい労働環境を生きている。 ふたりはなぜこの仕事をやっているのか。 連帯を築いたのはなぜか? しんどい現実もスケッチされるが、ふたりの軽口がカラッとたくましく、彼女達を「不幸」と捉えるような想像力をキャンセルさせる。 新たな連帯が芽生えるラストシーンは、快感の極み。 「女の敵は女」という粗雑なロジックを、やすやすと打破してくれる。 夫婦でほそぼそと営むクリーニング店、家政婦として働く姉とラブホテルのカウンターで働く指のない妹、野良猫をきっかけにお向かいのふぐ屋が気になり出した布団屋、安いが具が少なすぎる弁当屋の母娘、精神障害のあるアラオさんを見守る商店街のチームワーク、客が次々死んでいく場末のスナック……。 「不幸」の到来をくすぐりながらキャンセルさせる展開は、全ての短編において健在だ。 それこそが、本書において作家が選んだリアリティなのだ。 世界は確かに、「不幸」の予感や可能性で満ちている。 でも、現実はこんなふうに、意外と大丈夫だ。 伊藤朱里の 『きみはだれかのどうでもいい人』(小学館)は、太宰治賞受賞のデビュー作以来、女性であることと働くことの関係を描き続けてきた作家の第四作。 章ごとに視点人物が変わる、全四章の群像形式で紡がれていくのは、県税事務所の納税課および総務課の女性達の物語だ。 机を並べ同僚として働く二五歳から五二歳までの四人は、税金絡みのクレームを伴って現れる「お客さん」や、無理解な上司と対峙する時と同じように、連帯すべき同僚に対してもさまざまな負の言葉を飲み込んで生きている。 それらが積もりに積もり、ある事件が発生した先で連鎖する、会話バトルの数々は凄まじいの一言だ。 「信用って便利な言葉ですよね。 信じてるからって言えば放っておける。 信じてたのにって言えば相手のせいにできる」。 苦しい。 普段は言葉を飲み込むのに慣れすぎて、励ましやねぎらいすらも口に出せずにいるが、胸に手を当て耳をすましてみれば、声にならない小さな声であふれている。 それらの声をキャッチし、自らも発しようとする営みを描いて小説は終わる。 「きっと元気」。 このリアリティは、『スナック墓場』のそれと、実はそれほど遠くないところにあるのかもしれない。

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