渡瀬 恒彦 死因。 【スター死去】渡瀬恒彦の余命と激やせ写真が切ない「9係は降板したくなかった・・死因は胆のうがん」

おしんキャストこうた浩太役の渡瀬恒彦さん!肉体美や老けメイク貴重画像も

渡瀬 恒彦 死因

:顔写真のをお願いします。 来歴 [ ] 生誕からデビューまで(1944〜1969年) [ ] 幼少期はガキ大将 だった。 同じ小学校に通った同級生は「恒ちゃんは、ガキ大将で、けんかがものすごく強かった。 友だちをいじめた相手に『何やってるんや』と向かっていき、兄貴肌で慕われていた」と懐かしんだ。 生誕した島根県からに移り、卒業(6年間の寮生活)。 中学三年で。 高校時代は水泳部に所属。 当時から同世代の女子に人気があり運動会には渡瀬目当ての女子学生が押しかけてきて大変だったという。 同級生の兵庫県議・野間洋志によると「常になどを読んでいた。 難しい「乾坤一擲」などの言い回しやを使い、国語の成績は270人中常に5番以内 」。 また恩師によれば、当時から頭の回転が早くリーダーシップがあった。 また俳優かけだしの頃、三田学園の寮を何度か訪れ淡路の海を「昔はヤスで魚やサザエを取った」と懐かしんでいたという。 渡瀬曰く高校在学中はに憧れていた。 三田学園高等学校卒業後、1浪の末・・に合格。 「」にも影響され 、早稲田大学のに入学。 当時に通っていた兄・渡哲也との共同生活が始まる。 空手部に所属し、二段の腕前だった。 またボクシングもやっていた という説もある。 しかし、渡瀬曰く「いい加減な学生」 で、当時の大学は全盛期で講義もなければもない。 新聞記者になりたい夢はいつしか消え 、作詞家になりたいと詩をたくさん書いていた時期もあった が、大学在学中はやりたいことも見つからないまま、仲間たちと「いつも何かねぇのかな」と語り合っていたという。 だからこそ実社会に出たらな職種で、なおかつ時代の先端を行く仕事に着きたいと考えた結果、卒業見込み でPRセンターに就職した。 兄・渡哲也の「堅い道を進め」というハッパもあって電通に就職した。 しかし、研修期間1ヶ月で同社を辞め、先輩が作ったの広告代理店「ジャパーク」に移る。 仕事は営業、渡瀬自身も会社員時代当時もよく働いていたと自負している。 ジャパークで働いていた時、兄・渡哲也の知り合いが不動産屋を始めて急成長。 宣伝スタッフがいないというので休日になると手伝いに行っていた。 そこでたまたま東映の社員が居合わせ、「俳優にならないか?」と声をかけられる。 最初は躊躇するものの、ジャパークの社長に相談すると、「絶対マイナスにならないから」と当時東映企画製作本部長だったに会うことを薦められる。 ジャパークの給料もよく 、仕事も面白くなって来たところで、映画にまるで興味もなく 、兄から「芸能界は前近代的な職場だしラクじゃない。 30まで人生預けてみよう。 一発ためしにやってみるか」と即決で俳優転向を決めた。 岡田から「男が顔になってくるのは35歳だぞ。 それからだからな」と言われた。 渡が芸名で活動しているのに対し、本名で活動し始めたのは、を意識した東映に「大倉純」という芸名を付けられそうになったが気に入らず、それなら本名の方が良いと申し出たことに由来している。 デビュー(1969〜1977年) [ ] (昭和45年)、監督の映画『』の主役としてデビュー。 外部から迎えた若手タレントで東映で主役デビューは以来といわれた。 岡田から「やれ」の一言で、演技の勉強もなく京都に来て監督の石井と同じ部屋に泊まり、毎朝監督と一緒に起きて撮影所に行き、出番の有無に関わらず終わりまで撮影に付き合う毎日だった。 しかし、デビュー作の演技を渡瀬曰く「そりゃそうだ、昨日までは素人だったんだから」と開き直っても、根がマイナス思考のため、凄まじいまでの酷さとひどく落ち込み、間違った世界に来たのかと思ったが、悩む暇がないほど次から次へと仕事が舞い込んでいったという。 デビュー当時の渡瀬はやんちゃでとにかく熱く突っ走っていたと大勢の映画関係者が証言しているが、渡瀬と旧知の仲だった東映・奈村協もその1人。 奈村は1972年監督『かげろう忍法斬り』で体を壊した兄・渡哲也の代役を任された時が初対面。 で当時の愛車だったを使ってスピンの練習をしていたり、当時からまで新幹線で3時間15分でかかっていたが自分なら車で新幹線より早く東京に着けると豪語していた という。 「現場では10代の新人でも70、80歳代のベテランでもみんな同じライバル」 という渡瀬にとって、錚々たる俳優の中で唯一競争できる要素が「アクション」だった。 そんなやんちゃで熱い渡瀬を東映京都撮影所でも次第に認められ、、、、といった監督を始めあらゆる人から「恒さん」と呼ばれるようになった。 中島貞夫は渡瀬が演技に開眼したのは「現代やくざ 血桜三兄弟」(1971年)におけるとの出会いと話している。 ある三兄弟の末弟を演じた渡瀬が、もぐらと仇名される気弱な男を演じる荒木一郎と不思議な友情で結ばれるあるシーン。 2人には長回しするからと事前に伝えてあったが、どちらが言い出したのか2人だけでを行っていた。 妙にウマも合ったのか、演技にはうるさい荒木の影響を受けて、それまでのただ生身をぶつけるような演技から変貌を遂げた。 また常に新しいことに挑戦しようとする気構えもあった。 中島貞夫が東映での監督生活が10年近くが過ぎ、一部の映画作家には「低予算ながら企業の制約なしに好きな作品が撮影できる」理由で人気があった作品として『』(1973年)に挑戦してみることにした。 それでも1000万という予算は苦しかった。 撮影の費用は工夫を重ねて切り詰めたが、キャスト費をどう捻出したらよいか。 そんな折だった。 何処で聞きつけたのか渡瀬が中島に付きまとい始める。 「ねぇ、何かやるんだって」「俺やるよ」。 渡瀬は撮影所のスタッフルーム、中島の自宅にも押しかけて出演を直談判した。 作品の内容(従来の義理と人情ばかりの紋切り型ではない、いわゆる格好悪いを描こうとしていた )製作方式、そしてまともにが払えぬと監督の中島が渡瀬が作品への出演を断念するように説得した。 しかし渡瀬は諦めることなく「ギャラなんかどうでもいいから俺にやらせて」と猛烈に売り込み、中島が「じゃあついでにあんたの車をロケ地に持ってきて劇用車に使わせてくれるか」と渡瀬に伝えると渡瀬は「いいよ」と答えた。 撮影は。 宿はしたの旅館の大部屋でスタッフ・キャストの区別なく大部屋でゴロ寝。 そこで10日あまり撮影で過ごし、中島はヤンチャで喧嘩早い渡瀬が細やかな気配りができるか目の当たりにした。 1976年の「」では中島が当初「まがりなりにもなんだから顔に怪我させられない」と横転するシーンのみを使うことを主張するが、渡瀬はを運転教習所が驚くほどの早さで取得し、中島に「どうしても俺がやる、そのために免許を取ったんだ」と訴え、自らを運転し引っ繰り返す命がけの撮影に挑んだ (渡瀬の盟友ピラニア軍団もバスに同乗したが、本音は「横転するバスになんか乗りたくなかった。 でも、世話になっている渡瀬の手前断れなかった 」という)。 中島は当時の渡瀬を「飛び立つにぶら下がったり、運動神経がとにかく抜群だった 」と絶賛する。 だが、次第に中島は渡瀬が運転に関して自信過剰になっていると危惧する が、渡瀬のアクションはどんどん過激になっていく。 「暴走パニック大激突」(1976年)では200台もの車やバイクが衝突するクライマックスシーンの撮影時に出演者の中でたった1人ノースタントを志願。 自らハンドルを握り、対向車に飛び込んだ。 「現代やくざ 血桜三兄弟」(1971年)、に「あんなハチャメチャな中毒の殺人鬼は彼しかできない」と言わしめた 「実録・私設銀座警察」(1973年) 、と壮絶で悲劇的な兄弟の殺し合いを繰り広げた『唐獅子警察』(1974年)、と日本版ボニー&クライドを演じた「ジーンズ・ブルース 明日なき無頼派」(1974年)などデビュー以来渡瀬は底辺でもがくを演じ続けてきた。 しかし、「」の撮影中渡瀬が運転ミスでオープンから投げ出されて、ジープに足を潰され生死の淵をさまよう大怪我を負い降板 (代役は )。 監督・と脚本家・高田宏治は責任を感じ、渡瀬の病室を見舞った。 麻酔が効いて眠り目が覚めるとその度に枕元に深作がいた。 「こうなっちゃ仕方ないよ」と逆に深作と高田を慰めた という。 自分の人生を考えるというよりも、振り返る感覚もなく、ただ「久しぶりに何もない時間があった」 この時の大怪我が元でアクション俳優から性格俳優へと転向する。 渡瀬自身も後年「結果的には役の幅が広かった」と述懐した。 私生活では三本目の映画『』で共演したと結婚したが、離婚している。 成熟期(1978〜1991年) [ ] 渡瀬は2009年当時のインタビューで、東映以外の映画会社()初出演作になった1978年『』で、・・キネマ旬報等助演男優賞を受賞したことが自分にとっての大きな転機になったと話している。 しかし、その当時は実感も感慨もなかった。 同年、松竹映画『』でも、狂気を湛えた元の反乱分子を演じた。 (昭和54年)には松竹映画『』『』で主演男優賞を受賞した。 が「」の映画化に渡瀬が乗り気で、小林が渡瀬の自宅まで出かけたことがあった。 だが、松竹ではやくざ映画は不可能で後年小林は大変惜しいことをしたと述懐している。 NHKのテレビドラマ『』では、並木浩太役として出演し、おしんの1918年当時、山形県時代の初恋の相手でありながら、おしんの仕えた「おかよ様」との間で三角関係に置かれ、「おかよ様」が亡くなった後も、ひとりおしんを陰から見守り続け、おしんのスーパー店主としての1956年の再起を支援し、最後にはそれが息子の独善的な経営指針によって破綻していくまで、老女となったおしんを見守る男性役を務めた。 「」では、現場入り朝9時から撮影開始深夜0時までへひたすら集中力を磨くためにと共に繰り返し稽古をつけていた (2016年7月22日放映「」ゲスト薬師丸ひろ子より)という。 また薬師丸が機関銃を撃つシーンでガラスが飛び散り、薬師丸の顔が負傷した際、周囲は「すぐ治るよ」と楽観する中渡瀬だけが「自分の娘だったらどうする」と薬師丸の怪我を心配した(参照)。 「南極物語」の大ヒット以降からテレビドラマに軸足を移すようになる。 本人曰く「昔は2クールが多かった。 そうすると、最後まで脚本ができてないでしょう?当時はそれが嫌だったのを覚えている。 後から思ったほど面白くならなかったなということもあった」 という。 1990年代のに出た事が自身の幅を広げてくれたと2014年当時のインタビューで語っている。 コミカルなCMと共にお風呂から勢いよく出てくる演出は、それまでの大スターでシリアスな役どころが多かった渡瀬が、子供から大人まで認知度をあげるきっかけになり、お客さんとの距離が近くなった という。 円熟期(1992〜2014年) [ ] 存命中本人の口から語られることはなかったが、ごく一部の人間のみが知る事実として1994年を起こした際、左手に軽い障害が残ったといわれ、それが従来の屈強な渡瀬のイメージと併せ人間味が溢れる類まれな存在感が出てきたきっかけと見られる向きもある。 脳梗塞をきっかけで「最高の仕事をするために」煙草をスッパリやめ、酒は適量なら血流にいいと言われる赤だけにした。 連日のように1時間歩き、趣味のカメラで道端の花を撮影していた姿が目撃されている。 『』(1994年)など話題作の映画にも出演していたが、1992年から主演を続けてきた『』や『』など次第にテレビドラマへの出演本数が多くなる。 2015年まで計54作放映された『十津川警部』シリーズについて、当時のプロデューサー森下和清が渡瀬を「役者でありながらスタッフでもあった」と話す。 現場では演出を仕切ることもあり、台本にもどんどん口を出した。 スタッフをかわいがる一方、手を抜く人に対しては監督であっても言うことを聞かなかった。 森下は「十津川を『自分の根幹』と言って大切にしていた。 役というより、恒さんそのものだった」とコメントしている。 からは渡瀬がデビューした東映京都撮影所で制作された「」がスタート。 同作品スタート10年目でインタビューに応えている。 その際、長く渡瀬の持ち役のひとつになった「十津川警部」と比較して『十津川は相手の反応は関係なく、直球を投げる。 おみやさんは相手とのやりとりの中でを投げられるんですね、優しいんだと思います』と人気の秘密を語った。 スタート当初から撮影場所も舞台も京都だったが、2011年の第8シリーズからはゲストの職業も和傘職人や桜守などより京都にこだわるようになり、京都をよく知る渡瀬が脚本中にあった「ベージュ色」という台詞を「色」という言い回しに変えるということもあった。 2007年度下期の『』では、かつて「界の四天王」と呼ばれた徒然亭草若を演じた。 当時日課の散歩でも役作りのため落語を聞いていたが、1時間くらいで拒否反応が出る苦労を明かし「自分は落語とは程遠いところにおりました。 しゃれとか、粋などとは無縁の生き方しかできませんので。 からは『』シリーズがスタート。 松本基弘プロデューサーによれば「『』みたいな群像劇をやってみたかった。 『土曜ワイド劇場』の枠で『警視庁捜査一課強行七係』(05年)を作ったが2時間ドラマでは群像劇にはならないことがわかった。 その時上層部から『』をやらない時期にやる新たな刑事ドラマを考えろと言われたので、七係の反省から『警視庁捜査一課9係』の企画を出しました。 事件を解決するだけではなく、レギュラー刑事たちのも描く群像劇で、主人公が必ず中心になるわけではない、ある意味チャレンジの企画なんですがいいですか?と尋ねたら、「おもしろそうだからいいよ」と。 昼行灯みたいな係長・加納倫太郎の立ち位置をよく理解して、企画に乗ってくださいました 」• 9係まではリーダーシップあふれる刑事役が多かったが、「部下と距離を置き自分から捜査しないと思われ、人を使う」役柄は9係が初。 2006年スタート当初は「実はこんなに出番の少ないドラマは、今までないんですよ。 戦場に出ないでもいい勝ち方ってないのかな(笑)。 やる限りは勝たないとね。 どうやってみんなに働いてもらうかな 」と語っていたが、最終的に晩年では「代表作にしたい 」と公言するほど、愛着の深い作品になった。 2009年当時のインタビューでは「スタート当初からこれは映画にできる」と思うほど刑事たちのが生き生きと描かれ、刑事たちの個性だけでドラマができると9係を絶賛。 その中で主演である自分は、「思い切ってキャラクターをぶつけあっている刑事たちを見守る」役割といい、「自分が演技しないで人がやるのを見ているのは、俳優としてはエネルギーがいる」というやりがいを明かした。 からまでの新・9係シリーズは夏の放映で、収録時期が渡瀬の誕生日と被っており、9係の順調な視聴率とあわせて出演者・スタッフから毎年盛大にお祝いしてもらっていた。 渡瀬は「来るな、と思っていても嬉しいものですね」と喜んでいた。 9係と同じ水曜21時刑事ドラマ枠で放映されている人気作『』を「見なきゃいけないと思って見たことある。 すごいなと思います」と意識していた。 スタート9年目当時、印象深い出来事として羽田美智子が「以前みんなで飲んだ時、渡瀬さんが『1人でも欠けたら、この作品は終わりにする』とおっしゃったんです」と語っていた。 2012年には『おみやさん』などの主演が認められて、受賞。 「褒められるとすごく元気が良くなります。 僕は人が褒めるのが下手で、家でも仕事場でも人を褒めない。 たまに褒めるのは犬だけ。 これからは褒めるようにしたい」とコメントを残している。 晩年・闘病・死去(2015〜2017年) [ ] (平成27年)8月末、体調不良を訴え受けた検査でに癌が見つかった(当時も調子が良くなかったと思われるが、に大原麗子の七回忌法要に参列 していたことが確認されている)。 余命1年の告知を受け、都内の大学病院で5ヶ月間、手術ではなく抗癌剤の投与とを受けた。 その後も入退院を繰り返しながら、少しずつ仕事をこなしてきた。 その間も高額な抗癌剤を試そうとしたり、がん専門病院で特別な放射線治療を受けようとしたが、転移のため叶わなかった。 自身が癌に侵されていることは、「あえて自分から話すことではないと思った」という理由 で、2016年5月26日発売の「」が報じるまでは公にされなかった。 「9係」プロデューサーの松本基弘には2016年の11シーズン終了後に渡瀬自身から癌であることを伝えられた。 しかし松本は治療すれば必ず良くなると信じていた という。 どんな体調が優れない時でも「俺はやる、とにかく現場に戻るんだ」という意欲を燃やし 、2016年に入ってからは血流を良くする術を導入した。 病魔が渡瀬の体を蝕み、2016年6月から8月に撮影された「おみやさんスペシャル2」では、6月親友のが陣中見舞いに訪れても調子が悪いながら一緒に食事へ行くなどの気遣いを見せる余裕があったが 、7月には隠し切れないほどの体調悪化で撮影が続行できるか一時検討された。 しかし撮影途中から妻が京都に駆けつけ献身的に支えたことで撮影を乗り切った。 松本基弘によれば『おみやさんスペシャル』の後に『タクシードライバーの推理日誌』新作撮影予定だったが、体調を崩したことを考慮し延期して静養に努めた。 遺作となったテレビ朝日系列のスペシャルドラマ『』(2017年3月25日・26日放送)への出演を藤本一彦プロデューサーが渡瀬にオファーしたのは11月。 藤本によれば、最初は別の役を依頼するつもりだったが、準備稿を読んだ渡瀬が犯人の磐村兵庫役をやりたいと話した という。 渡瀬の直筆で毎年宛名から文面まで律儀に書かれていた年賀状が、2017年には「賀春 おめでとうと、ありがとうを申し上げます」と健筆で書かれていた。 2016年までの年賀状とはちょっと違うことに気づき、文面に込められた渡瀬の思いには心がざわめいたという。 『そして誰もいなくなった』の撮影は、2016年から2017年まで続いた。 クランクインで渡瀬は「皆さんご存知だと思いますが、私は癌です。 それでもこの役を全うしたい」と挨拶した という。 撮影の際には風邪が蔓延しないように全員がを着用、のセッティング待ちがないように照明なしのカメラを用意し、出来るだけロケの回数を抑えるために、藤本プロデューサーは監督の和泉聖治へ工夫するよう指示した。 最後に磐村が犯行を告白する13分間の独白シーンは、渡瀬の負担にならないよう通常は現場で行うカット割りを和泉は事前に作業した。 移動は車椅子、撮影の合間には酸素吸入器の管を鼻から挿入して、命を削って容態が急変する前まで撮影を終わらせた。 の制作会見では、渡瀬は「スケジュールの都合」で欠席だったが、共演者の によれば共演者は癌に侵された渡瀬を気遣い労わったという。 そんな渡瀬は誰よりも早く現場に入るので、つられて共演者も現場に入るのが早くなったという現場の様子を明かした。 には警視庁捜査一課9係の取材で、テレビ朝日で(最後のマスコミ個別対応になった)の取材に応じた。 その時も鼻には酸素吸入器をつけてはいたが口調や足取りはしっかりしていたという。 その際、記者へ「『9係』は僕にとって『やらせてください!』と言いたい作品なんです」と力を込め、同作品への並々ならぬ思い入れと役者魂をぶつけた。 だが記者からの「ライフワークにしたいか?」という質問にひと呼吸して「生きていれば…」と声を落としたという。 、『警視庁捜査一課9係 season12』の取材会に力強い足取りで現れ、12作目になる本作の見所を話した。 その際、「体調は良くない。 現状維持という感じ、食欲はないけど一生懸命食べている」と自身の体調を包み隠さず話し、会見に同席したが涙ながらに感謝を伝えると、渡瀬も背中を叩いて羽田へ感謝を伝えた。 しかし、渡瀬が生前公式の場に登場したのは、この日が最後になった。 2月中旬に左肺のを発症し入院治療を行うも、3月に入ってを発症。 しかし現場に戻る執念は衰えず、一般病棟にいる時から『警視庁捜査一課9係 season12』の台本を持ち込んで台詞を全て覚えていた。 死去の前日にはマネージャーと『警視庁捜査一課9係 season12』の打ち合わせをこなし、「今月から撮影だ頑張ろう」と自らを鼓舞していた という。 しかし、細菌が血液を通じて全身を巡り容態が急変。 病院にかけつけた妻と長男と長女の家族3人に看取られ、同日23時18分、によるのために東京都内の病院で永眠。 72歳だった。 没後 [ ]• 2017年(平成29年)• 所属事務所からFAXで死去を発表し、「最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とのコメントを発表した。 兄の渡哲也は弟の訃報に当たり、所属事務所を通じて「余命1年の告知を受けておりましたので、この日が来るのを覚悟はしていましたが、弟を失いました喪失感は何とも言葉になりません」と直筆のコメントを発表した。 40年来の親友だったはがん闘病以降は「絶対人には弱みを見せない」渡瀬の美学を配慮し、お見舞いには一切行かなかった。 江藤は弔問時に対面した渡瀬は、苦しみを見せずいつもの柔和な表情を浮かべていたという。 生前派手なことを嫌った本人と家族との希望によりが営まれた。 遺影は昨年1月、妻の誕生日に撮影された写真。 渡瀬が好きなをメインとした花で棺を取り囲み、棺の中には家族からの手紙や家族写真が納められた。 葬儀には家族の他に渡夫妻、親しい俳優仲間である、、、、成瀬正孝ら約30人が参列(は葬儀の前に線香をあげに訪れた)。 葬儀終了後、自宅に戻った渡哲也が取材に応じ、亡くなる間際まで出演へ執念を見せた「警視庁捜査一課9係 Season12」に出演できない無念を代弁した。 追悼特別番組として、テレビ朝日関東枠で「おみやさんスペシャル」(2016年10月15日放映)が再放送。 同日夜、「」生放送最後で渡瀬の話題になりゲスト出演したが、共演歴があった渡瀬の死を偲び涙で声を詰まらせた。 そんな貫地谷にのが「これから素敵なお芝居で返していかないとね」と声をかけた。 なお、貫地谷は翌19日に放送される予定だった「」に主演する予定だったが、当面の間放送が延期された。 同日、「警視庁捜査一課9係」公式が渡瀬へ感謝と哀悼のツィートを投稿 、• 追悼特別番組として、テレビ朝日枠で「タクシードライバーの推理日誌32」(2013年)が再放送。 冒頭でアナウンサーが渡瀬の俳優人生を紹介、「数多くの忘れられない作品を残したくさんの人々に愛された渡瀬恒彦さんは、病と闘いながら最後まで俳優として命を燃やし続けました」と称えた。 テレビ朝日系のワイドショーで「そして誰もいなくなった」のクランクアップのシーンが紹介。 渡瀬が最後のシーンを撮り終え、オールアップの声と同時に主演のは渡瀬へ花束を贈ると、渡瀬が椅子から立ち上がり仲間を抱きしめ、謝辞の言葉を送り、セットを去った。 同日、に撮影された「」が枠で放映。 同日、東映東京撮影所マネージメント部が改めてコメントを発表。 「治療と仕事の両立は大変だったが、皆様の暖かいご声援が渡瀬の力になっていました。 最期まで幸せな俳優人生を全う出来ましたことを、スタッフ一同、心より感謝申し上げます」と全ての仕事を通じて出会ったキャスト、スタッフ、そしてファンに深い感謝を伝えた。 ・ 遺作『そして誰もいなくなった』放映。 渡瀬演じた元東京地裁裁判長・磐村兵庫が「末期の肺がんだ。 余命いくばくもない」と告白するなど、虚構と現実がひとつになった役柄に上でも大反響が起きた。 視聴率は前編15. 後編の瞬間最高視聴率は11時03分、渡瀬演じる磐村が遺された映像で自身が犯人であることを告白する、俳優人生「最後の見せ場」で14. 渡瀬が演じた十津川警部ファンの間では一番評価が高いと言われるシリーズ42作目『 九州ひなの国殺人ルート』(2009年9月本放送)がTBSが追悼特別番組として枠で再放送。 冒頭には追悼テロップと2017年から十津川警部を演じるがお悔やみの言葉を述べた。 視聴率は再放送にも関わらず12. テレビ朝日の定例会見に出席した早川洋会長兼CEOは、4月から放映される『警視庁捜査一課9係 Season12』について亡くなる寸前まで台本を手放さなかった渡瀬の気持ちを汲み主役不在で、5人のレギュラーに頑張ってもらい1クール放送する予定です」と明言。 同時に「テレビ朝日のドラマ全体に貢献していただいた」と渡瀬の偉業を称えた。 渡瀬が生前出演に執念を燃やした『警視庁捜査一課9係Season12』は、シーンによって渡瀬演じる加納倫太郎の過去映像を使用することで出演することが明らかになった。 同時に加納倫太郎の設定が「内閣テロ対策室改造のためのアドバイザーを兼務しているため、9係を離れた」ことになっており、公式サイトには渡瀬の名前と役名は残したままになっている。 『警視庁捜査一課9係Season12』初回放映日。 冒頭から渡瀬演じる加納倫太郎が、演じる警視総監の神田川宗次朗に呼び出される場面が放送された。 加納は神田川から書類を受け取ると「失礼します」と頭を下げ、警視総監室から退室するシーンが流された。 そして最後にこれまでの回想シーンが放送された。 SNS上では大きな反響があり、一番最後の回想で渡瀬のアクションシーンが流れると、個性的なメンバーをまとめてきた渡瀬の役の偉大さを称える声が上がった (なお、渡瀬の親友である成瀬正孝がゲスト出演をしている )。 羽田美智子が渡瀬の没後初めてインタビューに応え、「『9係』はみんな続けたいと言っているが(視聴率的に)どうなるかわからない。 特に今年は悔いがないようにやっている」と継続の意思を示唆。 現場では渡瀬がいないにも関わらず、渡瀬がいた時同様撮影開始の30分前に現場入りをする習慣が続いていたり、スタジオのどこかに渡瀬がいるように羽田だけではなくみんなで感じながら撮影しているという。 人物 [ ] 人柄 [ ]• 遠縁にプロテニスプレイヤーのがおり、渡・渡瀬兄弟の祖母と錦織のが兄弟だった。 2008年、錦織の親戚筋から「石原プロモーション」渡宛てに簡単な家系図を添えて手紙が届いた。 当時全く知らず驚いた渡は渡瀬にも連絡を取ったが、渡瀬も全く知らなかった という• 渡瀬の人物像を語る上でしばしば登場するのが「 芸能界一喧嘩が強い」という逸話である。 早稲田大学はドイツ語文法1単位取れず扱いになった(2002年『徹子の部屋』では自身の早稲田大学抹籍証明書をテレビで披露した)。 息子が早稲田大学在籍時に大学側から「卒業生の先輩」として講演を依頼された。 しかし、渡瀬はドイツ語の文法の単位が取れず卒業見込みのまま就職した自覚があったため、大学側に確認の問い合わせたところ「抹籍証明書」が戻ってきた。 就職してからも3年間、あわせて7年間は大学に授業料を払っている。 しかし、もう1年間は払わなかった。 大学側からは創立100周年記念時計を送られきて「大学卒業したのかな」という認識があった。 当時渡瀬は見込みが甘かったことを認めている。 動物好きで有名。 特に犬が好き、理由は「朝起こされて、散歩に行って…と生活が律せられるのがいい 」『南極物語』で共演した犬のタロとジロを撮影休止のため帰国している間、監督に世話したいと自ら志願。 撮影が終わってからも「厳しい環境には戻せない」と自宅に引き取った。 自宅近くの公園によく犬を連れて散歩しに来ている姿が目撃されていた。 25年以上に渡り、東映のカレンダーには自分の飼っている犬と2ショットで登場していた。 「キネマ旬報」1982年10月下旬号で、「南極物語」の撮影を終えた当時の渡瀬をインタビューした映画評論家・野村正昭によれば映画の話になると「ええ」「そうですね」の連続で、全く話が弾まないがタロとジロを含めた犬の話になると「こんなつまらない話してもいいのかなぁ」といいながら、時間を遥かにオーバーしても話が止まらないくらいの「犬好き」だった• 井ノ原快彦に1度家族写真を見せ、その際「良い写真は1時間ほどレンズ越しで家族を見つめていたら良い写真がとれる」と話していた。 2度目の結婚相手となった妻との間に長男と長女をもうけている。 自分の子供は芸能人にさせたくなかったという。 渡瀬曰く「何しろ、この仕事は努力の方向性がわからない。 野球なら素振りを100回より1000回やれば上達するかもしれないけど、セリフの練習がそうなるとは限りません」• 大変煩悩だった。 「デパートに滑り台を買いに行ったところ見本品ひとつしかなかったために自作した 」、「子供たちとで海に潜っていた 」、「厳しく躾したつもりはないが、必ず週に1度は家族揃って食事を取るようにした 」、「休みの日はよくに行っていたよ。 父親の威厳を示せる絶好のチャンスでした(笑) 」等良き父親であろうとしたことが伺える発言が残っている。 長男・暁彦はTBS社員で、のディレクターを務めている。 渡瀬は生前いつか息子の担当する作品に出演したいと語っていた (ただ息子が当時助監督だった『』には出演できた )。 暁彦は第3・6話で監督に携わる 2007年4月期『』の宣伝インタビューに登場し父親に対する質問にも堂々と答えた。 (父親からの影響は?)「実はの話って、僕がこの仕事を始めて、おやじとご飯を食べたり酒を飲んだりして、よく言われたことなんです。 おやじは『自分で出したいというのは個性ではなくて、組織のためや、誰かのためにという思いでやって、自分を殺して殺してやって、それでもにじみ出るものが個性だ』と。 最近、ようやく分かってきたかも」。 (父親との思い出は?)「おやじは僕の関わった作品のすべてにリポート用紙3枚くらいで、細かく感想を書いてくるんですよ。 おやじもこの世界、長いですし『あのシーンはお前のこだわりだろ』って、分かってもらえるんです。 そういうところはうれしかったです。 うまくいかなかったところも部分も見透かしてくるし…。 正直、『何言ってんだよ』って思うことも6割くらいありましたけど(笑)、すごく勉強になりました。 おやじにほめられたのは『』第8話と『』初回ですね」• 読書好き、本をゆっくり読む時間が好きだった。 「映画化、ドラマ化できるかな?」と思いながら頭の中でキャスティングして楽しんでいた という。 仕事に対する姿勢 [ ]• デビュー直後に語った「スターに学問はいらない。 映画は肉体労働だ」という哲学を貫き、俳優としての地位を築いた。 劇団で修行したわけでないからと演技論を展開させることもなかった。 事あるごとに「僕は脱サラ俳優だから」と口にしていた という。 渡瀬と共演経験がある荒木一郎によれば「渡瀬は本気でやるだけだからね。 芝居っていうことより。 土の中に埋まるなら、ほんとに土の中に埋まるし、酒飲んで吐くシーンなら自分でほんとに一所懸命飲んでゲーゲー吐く。 芝居っていうことよりもそれをいかにほんとにやるか、みたいな奴 」と証言している。 『タクシードライバーの推理日誌』、『警視庁捜査一課9係』等でプロデューサーとして渡瀬と仕事をしたテレビ朝日松本基弘は「最初の印象は怖かった。 でも、それは仕事に対して真摯な姿勢で挑む理不尽な指示に対してとかスタッフに緊張感が無くなっているときに怒るというものだった。 とにかく仕事が好きな方でした。 僕も様々な企画を持ち込んで、たくさんご一緒させて頂いた。 もちろん何でもいいわけではなくて、ご自身がしっかり内容を吟味して決められるので、こちらもしっかりとした企画を持っていきます。 脚本に対するアイディアも的確ですし、そういった意味ではプロデューサー的な視点を持っている人でした。 本当にテレビ朝日にとっても、自分にとっても宝物のような存在だったんです 」• 2015年出版された「東映スピード・アクション浪漫アルバム」 で、1970年代の自分についてと対談という形式でインタビューに応えている。 杉作は2002年と2004年、十津川警部シリーズで渡瀬と共演している(シーンは一緒ではなかった)。 その際、数々の噂を知っていた杉作は気後れして当時話しかけられなかったが、実際インタビューで会うと「迫力のある方だったがやる気のない兄貴」という感じで例えるとのみたいに抜けた感じの渡瀬も随分見たとのこと。 スター然した扱いを苦手とした。 が煙草に火をつけようとすると、自分でつけるからいいと断った場面を元付き人が目撃している。 また現場にたまにしか顔を出さないプロデューサーを非常に嫌ったという。 渡瀬自身は「こういうイメージで俳優をやっていこう」という固定観念はなかった• 2014年当時のインタビューでは「この人をこういう役で使ったら面白い」と考える専門家(プロデューサー)がいるから自分ではあまり考えません。 でも、昔似たような役柄をやっていたから安全パイでキャスティングされることが昨今は多いため、自分の中で固まりかけているイメージを、別の角度から突っついて乗らせてくれるプロデューサーはいいですね と話していた。 ベテランのスタッフや共演者には「恒さん」と親しまれ、何度も出演したテレビ朝日系『徹子の部屋』のように慣れた相手には「意外なエピソード」も明かしたが、通常の取材では「小難しい質問」になると顔をこわばらせてしまうところがあった。 非常に勉強熱心として知られていた。 現場にを持ち込み、わからないことがあるとその場で調べていた。 作品毎、最初の仕事は現場のスタッフの名前を覚えることだった。 「さん! 」と呼ばれた方が気持ち良いだろうし、良い仕事してくれるだろうという信念を貫いた。 渡瀬は東映の現場に50年弱いたが、昔は下積みやっている人間がどんどん偉くなっていくのを目の当たりにしたことが起因している という。 台詞の覚え方について「30歳ぐらいまではをとして覚えていた。 しかし、2009年現在ではドラマのストーリーを読んで、2回目は演じる役になりきって読んで、3回目は衣装さんやメイクさんなどスタッフがどう動くか想像しながら読んでます。 そうして何回か読むと、いつの間にか台詞を覚えてしまうんですよ」 とのこと。 「(デビューして)何年経っても、撮影の前夜というのは心地良いものではないですよ.. 」ドラマでも映画でも撮影初日の前夜は期待や不安で眠れない日があった という。 「演じたい役は?」と問われると渡瀬は必ず「老人と海」の漁師役と答えていた という。 兄・渡哲也 [ ] 初めて渡哲也が東映京都撮影所に訪れた1972年、弟の思い出として「幼少時代、みんなが止めるのも聞かずに1度に犬4匹を連れて散歩しに行って案の定傷だらけになって帰ってきたこと」を東映・奈村協に話している。 やんちゃで責任感があり根性がある弟を一番理解していた。 渡瀬曰く子供の頃はケンカはもちろん、勉強もスポーツも渡瀬の方が上回っており、渡は「恒彦の兄」と言われていた。 しかし、兄が俳優になると形容詞が逆転し「渡哲也の弟」と言われるようになる。 だが、そんな兄の芸能界デビューを後押ししたのは弟だった。 予備校時代、主演『執炎』の相手役募集を新聞で読み、青山学院大学の空手部の仲間と共謀して内緒で写真と書類を送った。 何も知らない兄はカンカンだったという。 また兄のアパートに来る悪友たちとに通った。 やがて渡瀬も渡を追って俳優になり、1971〜1972年NHKドラマ『あまくちからくち』 で双子の兄弟役共演、以降は「松竹梅」CMで兄弟共演はあったが、映像作品では2011年TBS『』まで40年間、2度の別作品オファーを渡が断っている。 渡によれば「兄弟でやるのが照れくさかったんです 」とのこと。 担当プロデューサーによれば、渡瀬に企画を持ちかけ10年前から水面下で進行していたが渡瀬が渡に「我々に残されている時間は少ない。 オファーがあるうちにやろう」と電話をかけた事が決め手となった。 当時渡はの社長を退き、演じたい作品に出られる環境になったことも理由のひとつという。 2011年当時渡・渡瀬共に「兄弟共演はこれが最後」と公言していた。 12月5日制作会見で、渡は「40年前は私もうまくなかったが、私以上に(渡瀬が)うまくなかったので、心配してた思いがある」と40年前を回顧し茶化しながらも「自分を遥かに超えるいい俳優になった」と渡瀬を称えた。 2009年当時のインタビューで、渡瀬は「兄はという範疇を超えている。 さんもそうだけど、努力なんかで追いつけない他の人にはない何かを持っている」と渡を称えており 、2011年にはお互いを尊敬する兄弟になっていた。 しかし、最後の兄弟共演発言から「またチャンスがあったら共演したい」と翻意するほど渡瀬は前向きだったが渡は「遠慮させて頂きます」とやんわりと断っている。 そんな渡瀬に『』第1作目から全作品に携わった森下和清プロデューサーから10作目付近から構想し続けた兄弟共演を50作目記念で実現させたい旨を明かされる。 「難しいよ、2度とないって言っていたし兄貴は頑固だから」と言いながら渡に電話。 渡は「世間的に(共演は2011年が)最後って言っちゃっているからまずいよ」と固辞。 それでも渡瀬は諦めず渡の自宅に1ヶ月以上足を運び、渡の首を縦に振らせた。 渡は「50作目に力を貸してほしいと恒彦に言われ、引き受けました。 20年以上続くのは素晴らしいこと。 伊東四朗さんと恒彦と他の出演者の方々、のたゆまぬ努力があったことと思います」とコメントした。 2作品の共演を経て、2014年渡瀬は渡と距離が密に戻ってきた と話している。 また『警視庁捜査一課9係』に「兄貴(渡)をゲストで呼びますか」とも発言していた。 渡瀬と親友の間柄だった江藤潤も「若い頃は渡瀬の口から渡の話を聞くことはなかったが、ここ数年渡のことを話すようになった 」と証言している。 2015年以降渡は急性心筋梗塞で入院のちリハビリを続け、渡瀬が2015年夏から胆のう癌で闘病生活に入ってからも渡瀬はたまに渡の自宅を訪れお互いの体調を気遣い励ましあっていた。 しかし、渡瀬の死で兄弟は永遠の別れを迎える。 渡は悲しみをこらえ、生前渡瀬が出演へ執念を燃やした『警視庁捜査一課9係 season12』に出演できない無念を代弁した。 なお渡瀬は渡が率いたと一緒に当時の炊き出しにも参加している。 渡瀬は兄率いる石原プロモーションと合流し、故郷の淡路島やに駆けつけて炊き出しを実施。 カレーや焼きそばを振る舞って被災者を元気づけた。 96年、神戸にも兄弟で参加。 また、渡が直腸がん手術後渡瀬は200人以上を前に記者会見を行い、あらゆる質問に毅然と答えた。 渡と親交があるが渡瀬の死を悼んで、渡のがん出術当時のことを回想し「渡さんが大腸がんになったときに、渡さんが『人工肛門になるんだったら、おれは手術しないで死ぬ』と言ったら、それを渡瀬さんが『手術しろ。 恥ずかしくない。 生きるべきだ!』って説得したんだ。 それを渡瀬さんが先に死んじゃうなんてね。 ヤクザとけんかするほど暴れん坊だったのにな。 」 結婚 [ ] 渡瀬は生前2回結婚している。 1度目は大原麗子(1973〜1978年)。 そのため『鉄砲玉の美学』や『狂った野獣』でタッグを組んだ中島貞夫が住んでいる京都の家へ大原麗子を伴って現れ、「結婚するのでに家を探している」と相談されて中島は大変驚いた。 当時、渡瀬は軍団の親分的立場とはいえ、トップスターの大原麗子とは明らかに「格差婚」だった という。 また大原が姉と慕っていた浅丘ルリ子の元にも2人は挨拶へ出向いている。 大原麗子の実弟によれば「お互い一目惚れだが、特に大原麗子が渡瀬を好きになった」という。 結婚当時姉の運転手をしていたが、完全に2人の世界に入り込み、車の中で渡瀬は膝の上に大原を乗せて甘えていた という。 また子宮外妊娠で手術を受け、大原は渡瀬から輸血されたこともあった。 渡瀬の実父が死去し、渡瀬が母を引き取ったことでいわゆる嫁姑問題が生まれ、渡瀬が売れっ子になり自宅にあまり帰らなくなったことで夫婦に溝が生まれ口喧嘩が増えていった。 離婚の1年前、夫婦関係の亀裂は深まり、大原は渡瀬の浮気を疑ったとされている。 実際、渡瀬は浮気してなかったが大原はセックスを拒否するまで疑心暗鬼は深まった。 欲求不満になった渡瀬はにも言い寄った という。 1978年離婚、渡瀬の親友だった江藤潤は傷心の渡瀬を支え「直後はショックが手に取るように分かった。 当時、一緒に飲みに行くと、いつもどっぷりと落ち込みながら痛飲していた」といい、めったにやらないカラオケにも付き合った。 離婚後、仕事では円熟期を迎えていた渡瀬だが、大原は少しずつ時代に必要とされなくなり仕事の本数が減っていく。 そんな折、(当時)十津川シリーズ・プロデューサー森下和清が「(2004年シリーズ33本目で)大原に出てもらいたい」旨を渡瀬へ伝えた。 すると渡瀬は「俺はいいけど、奥さんに聞いてみるわ」と答え、妻は「そんな小さいこと忘れているからいいわよ」と答えてくれたのが後押しになった。 また渡瀬は仕事が減少していく大原を気遣ってオファーしたともいわれている。 常々、大原は「(渡瀬とは)嫌いになって別れたわけではない」と話していたのでオファーを喜んで受けた という。 撮影中、渡瀬は自分の出番がなくてもマネージャーのように大原へずっとついて 、撮影も順調に終わった。 だが、オンエアを見て大原の表情が変わった。 「(2つ年上の渡瀬と並んで)私のほうが老けて見える。 悔しい!」大原は十津川が映像作品の最後の仕事になった。 大原は、2000年過ぎから心身のバランスを崩し、色んな人へ時かまわず一方的な迷惑電話をするようになり、浅丘ルリ子など仲の良い人は大原と絶交してしまう が、渡瀬は大原から電話がかかってきても拒絶せず話を聞いたという。 2度目は結婚当時元OLの一般人女性(1979〜2017年)。 渡瀬が公に語ることは少なかったが、渡瀬逝去後2017年『徹子の部屋』に出演した井ノ原快彦によれば子供2人が独立して巣立った後、妻と2人きりになり「二度目の恋だな」と井ノ原に妻への愛情の一端を語っていたことを紹介していた 1994年脳梗塞を煩ったことをきっかけに健康維持のため始めた散歩に付き添っていた ことなど生前渡瀬が明かしている。 特に晩年がんになってからは治療法について周囲と相談したり、がんで体力が落ちる渡瀬を気遣い、食欲が減退する渡瀬のために食べやすく栄養が取れる食事を作るなどして、渡瀬を支え続けた。 そんな献身ぶりに渡瀬は「なぜコイツと一緒になったかわかった」と愛情と感謝を口にしていた とされる。 交友 [ ]• 実社会に出てから一番の出会いと映画の世界の恩師はという。 「作さんみたいに人間としても奥行きがあり包容力がある人は一生に1人か2人しか出会えない」と絶賛、生きていたら「(インタビューを受けていた2009年当時の)自分のやり方が合っているかチェックしてほしい」といい、そして深作に生きていてほしかったと話している• 「無類の酒好きなのに、忘年会などどこからも声がかからないから自分たちで飲み会をやろう」というのが結成のきっかけだった という。 映画にクレジットされることもない大部屋役者たちと、東映のやくざ映画やアクション映画などに出演した際に親交を深めた、、、、、、らが17名で結成した「」の発起人となったことでも知られている。 破天荒な役者たちをおもしろがり、村長役を買って出たのが深作欣二、中島貞夫、。 そのピラニア軍団のはプライベートでも親友の間柄で、普段から「俺、お前」と言い合うほどの付き合いであった。 成瀬は(一番最後に渡瀬と会った)2016年初夏、成瀬から見ても渡瀬は具合が悪そうだったがホテルに戻らず「せっかくだからご飯を食べに行こう」と時間を作ってくれたことを明かし、昔から現場のスタッフにも「腹減ってないか」「疲れてないか」と気を配る渡瀬の人柄を偲んだ。 独身時代、渡瀬の運転で・の海で素潜りしながらタコや魚を取り、若い時は2人でよく遊んでいたことばかりを思い出しますと述懐した。 1975年に放映された『』の共演では渡瀬と出会った。 初対面の挨拶時、当時で人気を博していた兄の名前を出し「の弟の井上茂です」と名乗った。 すると「それは違う、あなたは井上茂でしょ」と一蹴。 渡瀬は井上に対し「誰かの弟ではなく、あなたはあなた自身」と諭した という。 井上曰くピラニア軍団をこう振り返った。 「とにかく酒豪揃いなので、酒を飲むにしても豪快で、氷を入れるになみなみと酒を注ぎ、それを回し飲みするのです。 渡瀬さんはお酒を飲まれない方なのですが、自分にまわって来たら、生来の負けず嫌いが顔を出し、飲み干します。 それでいて酒に飲まれない。 翌朝どんなに早く撮影があっても、普段通り整然とスタンバイされていました。 よく焼酎の牛乳割を飲まれていたのを思い出します」。 当時のピラニア軍団は血気盛んで喧嘩が絶えなかった。 ある日、井上が大喧嘩をしていると渡瀬がすごい剣幕で割って入り「どっちが悪いんだ」と問いただしたという。 渡瀬の筋を通す「男気」はピラニア軍団の強者たちも一目置いていた。 また渡瀬は井上が俳優で活躍できるよう深作欣二と引き合わせ『』(1976年)に出演、石原プロにも井上を紹介『』「17番ホールの標的」(1977年)にメインゲスト扱いで出演できた。 遺稿句集「鯨の目」 に成田を紹介する文章を寄せている。 共有できた時間は短かったのに、どうして気になる存在だったのかを考えて、渡瀬は自らこう答える。 「私は成田三樹夫さんのファンだったのです。 古武士を思わせる風貌と失われつつある日本人の原点を持っていた成田三樹夫さんに魅了されてしまった一ファンだったのです。 先輩として見たこともなく、同業者として見たこともなく、いつもファンという立場で、成田三樹夫さんのことを見ていたのです」• 『南極物語』や『戦国自衛隊』で共演した俳優のは40年来の親友であり、家族ぐるみで交流を続けていた。 そんな江藤にとって渡瀬は「酒と煙草と仲間を愛した人」だったという。 は兄貴分として渡瀬と40年来の親交があった。 映画『極悪拳法』(1974年)で初共演。 2004年には『』でも共演。 ガッツ石松曰く渡瀬は「大先輩なのに、ウマが合って仲良くさせてもらった。 聞き上手な方でいつもニコニコしていた」という。 ガッツ石松自ら企画・製作総指揮を執り、監督・脚本・主演した自費映画「カンバック」(1990年)に友情出演したのが渡瀬だった。 ガッツ曰く「構想を伝えたら『協力するよ』と。 約束を守ってくれた」という。 1996年、ガッツ石松がに出た時も渡瀬は応援した。 渡瀬が46歳当時から2年ほど、渡瀬の付き人をしていた俳優・永井なおきは付き人を辞めてからも年に2回渡瀬の自宅へ出向き、近況報告を続けていた。 偶然胆のう癌告知翌日に近況報告が重なった時も、笑顔で永井の話を聞いていたという。 永井が付き人になった当時、周囲の人たちは渡瀬を「丸くなった」と評していたが安岡力也から『お前、恒さんを怒らせちゃダメだぞ。 俺がどれだけ怖い思いをしたか知ってるか?』と脅された。 渡瀬の付き人になるにあたり、先輩の付き人から申し送られたことは「渡瀬がプロデューサーにキレそうになったら、先に殴られて阻止しろ」• 1977年『』での共演から親交があり、俳優の傍らにおける社会貢献活動をしているへ東日本大震災の被災者に心を寄せた内容の直筆メッセージを託しており、渡瀬の死をきっかけに上で公開した。 1970年代アウトロー映画で渡瀬の飛躍を支えた盟友の中島貞夫は、2011年渋谷シネマヴェーラで行われた東映60周年記念のトークショーで渡瀬と共演した。 企画の段階から「監督、なんかやるんだって?」と何度も聞いてきた という。 『警視庁捜査一課9係』で10年間共演したは「結婚しますとか、子供が生まれますとか、個人的にいいことがあったら、まず渡瀬さんにお伝えしています」と渡瀬を家族のように慕い、渡瀬も愛称の「イノッチ」と呼び可愛がっていた。 没後、共演者・スタッフの追悼 [ ] 『十津川警部シリーズ』(1992-2015年)• が3月16日所属事務所を通じてコメントを発表• 「私よりずっと若い渡瀬さんが亡くなったことにショックを受けてます。 来月ドラマでご一緒するはずでした。 『おはようございます』ではなく『お帰りなさい』と言うつもりでしたのに『さようなら』になるとは…。 十津川シリーズの五十四本は忘れられない財産です。 お世話になりました 」• が3月16日所属事務所を通じてコメント発表、3月18日ブログ を更新• 「『十津川警部シリーズ』などで、25年間、あちこちの断崖絶壁で、その土地の美味しいお料理をご馳走になり、いろんなお話を伺わせていただき、心から尊敬申し上げておりました。 突然のことに、悲しみが深すぎて、気の利いたお別れの言葉も見つからず申し訳ございません… 」 『タクシードライバーの推理日誌』(1992-2016年・2017年初夏にパート40の撮影予定があったが叶わずに終わった )• が3月16日フジテレビ『』を通じてコメントを発表• 「まだ信じていません。 僕にとっても大きな大きな方。 『くじけるなよ』って何度も肩をぐっと握ってくださった。 暖かくなったらまたご一緒させていただいて撮影に入りたい」 (風見は2007年当時娘を交通事故で失い、翌年長男死産という憂き目にあう。 そんな風見を渡瀬は励まし支え続けた。 当時のエピソードが風見の著書『さくらのとんねる』に記されている )• が3月16日自身のTwitterでコメントを発表• 「TVで見た日本アカデミー賞の中継と記憶している。 候補者一人一人のインタビューで今の気分を聞かれ「 賞を 取りたいに決まってるでしょ」と答えたその人を凄く格好いいと小学生の僕は思った。 何度もご一緒したのにそれを言えなかったのが悔やまれる。 渡瀬さんの背中は永遠に遠い 」 『ちりとてちん』(2007年)• が3月16日所属事務所を通じてコメント発表、17日独演会取材会の席上で思い出を振り返った。 桂吉弥の師匠は『ちりとてちん』の2年前に50歳で急逝している。 『ちりとてちん』を通じて、吉弥は渡瀬を師匠の吉朝と重ねていたといい、(ドラマの中で)師匠と別れる病室のシーンでは、吉朝へ伝えられなかったことを言えたような気がしたものです と振り返った。 渡瀬のクランクアップで桂吉弥と貫地谷しほりが名残惜しんでいると「はよ(次の準備)せえ」と叱った。 後に理由を聞くと、渡瀬さんは「スタッフさんはこの後、セット替えもある、今(吉弥らが)着ている衣装のアイロンがけとかたくさん、やることはあるんだ」と話したという。 スタッフを思い、共演者を叱る「優しさ」と「厳しさ」を吉弥は渡瀬から教わった。 ある日、桂吉弥は渡瀬が収録後のカメラテストを確認してないことに気づき、渡瀬へ質問すると「(東映時代の若き日)いきがっていたのか、今のは気に食わないと10回撮り直していた」と振り返り、話し始めた。 「その後、監督に呼ばれて、試写室で自分がNGを告げた場面だけを流された。 自分が何でNG出したのか、分からん場面ばかりで恥ずかしく、それから監督が『OK』と言えば信じることにした」と教えてくれた。 貫地谷しほりが3月18日「SmaSTATION!! 」出演(3月18日参照)、3月19日渡瀬への気持ちをブログ に記した。 『劇場版釣りキチ三平』(2009年)• が3月16日ブログ で思い出を語った• 当時渡瀬から「お前は演技はヘタだけど、飯の食い方はいい!きれいに食う!」と大きな笑顔で褒められた という。 当時、土屋が芸能界入りを志すきっかけになった『セーラー服と機関銃』に出演していた渡瀬へ憧れの作品だった気持ちをぶつけた。 すると、渡瀬は当時の貴重なエピソードや薬師丸ひろ子の様子などを詳しく土屋に話して聞かせ、感激した土屋は台本の隅にたくさんメモをした。 『北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼』(2001-09年)• が16日所属事務所を通じてコメントを発表した。 渡瀬は現場でどうあるべきか全てを教えてくださった巨星。 「お前、スタッフは名前で覚えろよ」とか、あるシーンの芝居で悩んでいると「お前そんなに考えて疲れない?」と優しく言ってくれたり、「お前どっちでやるんだ?!早く決めろ!」と叱咤してくれたりした。 数年経った頃「あいつも色々、考えてるからよ。 俺が考えたラストシーン、高嶋に、まず読ませてやってくれよ」とプロデューサーに言ってくれた時は嬉しかった。 とにかく厳しく優しく、現場で台本を持たない、常にそのシーンをどうやったら面白くなるかを考え続けた方でした。 当時のプロデューサー・森田昇が2017年にBSジャパンで同作品が追悼一挙再放送されることに伴い4月28日コメント発表• 「渡瀬さんが撮影現場に入ると、そのプロ意識の高さによって良い意味でスタッフ・キャストに緊張感がみなぎり、段取りや演技などがより良くなりました。 常に仕事に厳しく、芝居はピカイチでした」。 「山岳救助隊シリーズ」の醍醐味は、ラストの山頂でのシーン。 森田によれば「渡瀬さんのせりふが少なくても、そのシーンを渡瀬さんが全て持って行ってしまうのが印象的でした。 それほどの存在感と説得力がありました」• 思い出深いエピソードとして「映画でスタントマンなしでアクションシーンを撮るという渡瀬さんの噂通り、かなり標高の高い山の上にもざくざくと進み撮影に臨んでいました。 天気の変わりやすい山頂の撮影で、撮影シーンの順番が目まぐるしく変更になっても、素早い対応でこなされていました。 撮影の合間には、映画時代の驚くようなお話や、南極など世界中の極地での撮影エピソードなど興味深いお話をたくさん聞かせていただきました」 『おみやさん』(2002-16年)• 2006年と2012年にゲスト出演したが3月16日ブログを通じてコメントを発表した。 「京都の撮影所ではよくお会いし、ダンディーと鋭さが同居している魅力的な大先輩として拝見していました。 共演した際も、暖かく厳しい目で僕の芝居を受け止めてくださり、嬉しかったことを思い出します。 」(原田の他に、含め スタッフ・レギュラー・ゲスト出演総勢20名以上がSNS上で渡瀬の思い出に触れながら追悼した〔参照:〕。 「おみやさん」のみならずあらゆる作品で渡瀬を支えてきた。 は自身のレギュラーラジオ番組「」2017年放送分で、渡瀬の死を悼み、共演経験が多かった名取の心中を思いやるリスナーメールを紹介。 名取は涙声に詰まりながらも渡瀬の人柄と思い出を偲び「一人ひとりの心の中で、ずっと思っている限り、渡瀬さんはいてくれる。 」と語り、曲「」をかけた。 名取と渡瀬は映画やテレビでたくさん共演作があるが、枠を長く主演作で支え、2012年『おみやさん第9シリーズ』第1話で名取演じる鶴丸あやが、『第8シリーズ』第1話で渡瀬演じる鳥居勘三郎がそれぞれ特別出演したのが最後の共演になった。 その他• は『奇跡の山 さよなら名犬平治』(1992年)で渡瀬と共演した。 中江はTwitterで「ご一緒した際、ご自身を鍋将軍と称してすき焼きをふるまってくださったことが思い出深いです。 優しくてかっこいい『お父さん』でした 」と偲んだ。 のデビュー作『REX 恐竜物語』(1993年)では父親役の渡瀬と共演。 安達は出演ドラマ会見場で「子供の頃でしたけれど、あいさつの仕方や食事の仕方など人としての基本的なことを教えていただきました。 大人になってからも、食事をする機会などで渡瀬さんに言っていただいたことを思い出します。 いつも強い、お父さんのような存在でした」と唇をかみしめた。 は『真田太平記』(1985年)で共演。 渡瀬がを演じ草刈が弟のを演じた。 草刈は所属事務所を通じてコメントを発表。 「役者として、男として、人として、格好良かった。 僕の目標でした。 残念です」。 『警視庁捜査一課9係』(渡瀬の出演は2006-16年まで、以降はVTR出演)• 羽田美智子が3月16日所属事務所を通じてコメントを発表、あわせて3月21日ブログを更新。 渡瀬の訃報が報道された3月16日撮影が中止され、吹越満の発案で小さなお店にキャストが集まって肩を寄せ合いたくさん話をした様子が紹介。 なお、3月31日のブログには羽田含めた9係の全キャストが渡瀬の自宅に弔問へ行った様子が書かれた。 「長年ともに過ごさせていただいた『9係』の現場で、渡瀬さんのいすを見詰めながら戻っていらっしゃることを信じて、待ちわびていました。 『渡瀬さんの不在はやっぱり寂しいです』と手紙を書こうとしていた矢先の突然の訃報。 信じがたいです。 たくさんお話したいことがあったのに、、、」。 受賞 [ ]• 1978年度: 助演男優賞 『』、『』• 1978年度:第3回 助演男優賞 『事件』、『』、『赤穂城断絶』• 1978年度: 助演男優賞 『事件』、『赤穂城断絶』• 1978年度: 『事件』• 1980年度: 主演男優賞 『神様のくれた赤ん坊』、『』 出演 [ ] 映画 [ ] (太字は主演)• (1970年、東映) - 橘真一 役• (1970年、東映) - 三郎 役• (1970年、東映) - 尾高弥一郎 噂のジョー 役• 経験(1970年、東映) - 的場勇 役• (1970年、東映) - 秋山二飛曹• ㊙️女子大寮(1970年、東映京都)• ずべ公番長 東京流れ者 (1970年、東映) - 常次郎 役• (1971年、東映) - 関進 役• 博奕打ち いのち札 (1971年、東映) - フーテンの猛 役• (1971年、東映) - 巽鋭次 役• ずべ公番長 ざんげの値打もない (1971年、東映)- 荒井竜二 役• (1971年、東映) - 宮地三郎 役• (1971年、東映) - 勝 役• (1971年、東映) - 死神の竜次 役• 悪の親衛隊(1971年、東映) - 江頭豊 役• (1971年、東映) - 谷村宏 役• (1971年、東映) - 柏木勝 役• (1972年、東映) - 東隆次 役• ゾロ目の三兄弟 (1972年、東映) - 大西永三 役• ギャング対ギャング 赤と黒のブルース(1972年、東映) - 溝口 役• (1972年、東映) - 源太 役• (1972年、東映) - リキ 役• (1972年、東映) - 新郎 役• (1972年、東映) - オートンの勝 役• 昭和極道史 (1972年、東映) - 神谷政男 役• (1972年、東映) - 靴磨き役でカメオ出演• 狼やくざ 葬いは俺が出す(1972年、東映) - 氷川鉄 役• 麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄 (1972年、東映) - 新城正幸 役• (東映)• (1973年、東映) - 有田俊雄 役• (1973年、東映) - 倉元猛 役• (1973年、) - 小池清 役• (1973年、東映) - 倉石真吉 役• (1973年、東映) - 若林哲也 役• (1973年、東映) - 本郷晃 役• (1973年、東映) - 菊村洋一 役• (1973年、東映) - 渡会菊夫 役• ボディガード牙 必殺三角飛び(1973年、東映) - 南条武 役• (1973年、東映) - 黒木達也 役• (1974年、東映) - 島崎角太郎 役• 女囚やくざ (1974年、東映) - 立花弘志 役• (1974年、東映) - 片桐次郎 役• (1974年、東映) - 古田憲一 役• (1974年、東映) - 松井拓 役• 極悪拳法(1974年、東映) - 桜木鉄拳 役• (1974年、東映) - 地道行雄 役• (1974年、東映) - 貝田義則 役• (1974年、東映) - 赤坂トッピン 役• (1974年、東映) - 津吹哲也 役• (1974年、東映) - 神坂謙次 役• (1974年、東映) - 田上喜代松 役• 新仁義なき戦いシリーズ(東映)• (1974年、東映) - 北見登 役• (1975年、東映) - 須川国光 役• (1975年、東映) - 音無し三五郎 役• (1975年、東映) - 松阪健吉 役• (1976年、東映) - 高山敬 役• (1976年、東映) - 山中高志 役• (1976年、東映) - 速水伸役• (1976年、東映) - 高木修二 役• (1976年、東映) - 嘉手刈宏 役• (1977年、東映) - 野溝武司 役• (1977年、東映) - 芦沢節 役• (1978年、) - 宮内辰造 役• (1978年、松竹) - 藤崎顕正 役• (1978年、東映) - 役• (1979年、松竹) - 峰岸検事 役• (1979年12月5日、) - 矢野隼人 役• (1979年、松竹) - 三浦晋作 役• (1980年、東映) - (下の半蔵) 役• (1980年、松竹) - 榊弁護士 役• (1980年、東宝) - 辰野隊員 役• (1980年、松竹) - 三好昭 役• (1981年、東映) - 金朱烈(金山) 役• (1981年、東宝) - 伊平次 役• (1981年、スーパーハリウッド) - 草壁 役• 真夜中の招待状 (1981年、松竹) - 原田和生 役• (1981年、東映) - 佐久間真 役• (1982年、東映) - 石井忠雄 役• (1982年、東映) - 仁科草介 役• (1982年、松竹) - 渡辺 役• (1983年、松竹) - 田島松之丞 役• (1983年、松竹)- 主演・安 役• (1983年、東映) - 白井健一 役• (1983年、東宝) - 越智健二郎 役• (1983年、松竹) - 外浦卓郎 役• (1984年、松竹) - 山越貞一 役• (1984年、東映) - 篠崎拓次 役• (1984年、松竹) - トニー 役• ねずみ小僧怪盗伝 (1984年、松竹) - 浪人 役• 波光きらめく果て (1986年、松竹) - 谷井敦巳 役• (1986年、松竹) - 内海孫兵衛 役• (1987年、東宝) - 朝倉達也 役• (1987年、東宝) - 役• (1988年、東映) - 伊吹新太郎 役• (1988年、東宝) - 役• (1989年) - 大天使 役 特別出演• せんせい (1989年、松竹) - 中島明 役• (1989年、) - 役• (1990年、東映) - 役• カンバック (1990年、松竹) - 評論家 役• (1991年、東映) - 風岡翔 役• (1991年、松プロダクション) - 瀧 役• (1992年、東映) - 北海亭主人 役• (1992、東宝) - 牧村弘 役• (1992年、松竹) - 植村直行 役• (1993年、東映) - 水島歩一 役• (1993年、東映) - 別役直人 役• (1993年、松竹) - 立野昭良 役• (1994年、東宝) - 第2話やさしい嵐、現在の安達浩二 役• (1994年、松竹) - 役• (1997年、) - 骨董屋の主人 役• (1997年、東映) - 探偵 役• (1998年、松竹) - 人見俊彦 役• (1998年、)- 山室正弥 役• 学び座 (1998年、JTAキネマ東京) - 教師 神崎 役• (1999年、東映) - 見城治彦 役• (2001年、グルーヴコーポレーション) - 木原勇次 役• (2005年、ハルウララ製作委員会) - 役• (2009年、東映) - 三平一平 役• (2010年、育子からの手紙製作委員会) - 小野寺医師 役 ワンシーンのみ、特別出演 テレビドラマ [ ]• (1971年4月〜1972年3月、)- 伏見荷名夫 役• 第24話「雲隠れの忍者」 (1973年3月22日、フジテレビ) - 井上九郎太 役• 殺人大百科 手作りの棺 (1973年8月3日~1973年8月24日、MBS)• (NHK)• (1974年) - 役• (1993年〜1994年) - 役• (2003年) - 沢庵() 役• 第2シリーズ 第16話(1977年2月4日、日本テレビ)- 宮川力 役• ラスト・ダンス (1977年4月17日、CBC、東芝日曜劇場)• (1977年4月26日~1977年9月27日、TBS) - 南 京太郎 役• あしたの海 (1977年9月11日、TBS、)主演・俊介 役• 天の花と実 (1977年9月12日~1977年12月26日、ANN、ポーラ名作劇場)• まひる野 (1977年9月24日~1978年1月28日、フジテレビ、土曜劇場)• 時計 (1977年11月13日、TBS、東芝日曜劇場) - 文吉 役• 遠ざかる足音(1978年1月6日〜4月14日、、金曜ドラマ)• 哀愁 はてしなき愛 (1978年4月6日~1978年9月28日、)• 殺人の棋譜 (1978年4月22日~1978年5月20日、フジテレビ、ゴールデンドラマシリーズ)• (1978年6月、TBS、) - 速水 役• 露草のように (1978年9月3日、TBS、東芝日曜劇場)• 南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政 (1978年12月1日、朝日放送、スペシャルドラマ)• 悪の紋章 (1979年1月20日~1979年2月24日、フジテレビ、ゴールデンドラマシリーズ)• 結婚のとき (1979年1月24日~1979年4月4日、フジテレビ、平岩弓枝ドラマシリーズ)• (1979年4月12日〜1979年7月5日、TBS、木曜座)- 北川薫 役• シリーズ (1979年8月〜9月、)- 主演・鶴岡七郎 役• (1980年4月〜7月、日本テレビ)- 主演・氷室健一 役• (1980年7月〜9月、日本テレビ)- 主演・氷室健一 役• 誘拐 (1980年9月11日、YTV、木曜ゴールデンドラマ)- 主演• (1981年4月2日~1981年7月16日、TBS、木曜座)- 雨宮慎吾 役 役• 傘次郎・新子捕物日記 夫婦河童(1981年6月26日、フジテレビ、時代劇スペシャル) - 主演・坂根傘次郎 役• 少年はどこに消えた (1981年9月10日、YTV、木曜ゴールデンドラマ) -主演• (NHK)• (1983年4月〜1984年3月) - 並木浩太 役• (2007年10月1日〜2008年3月29日) - 徒然亭草若 役• (1984年1月28日、TBS、)• 松本清張の葦の浮船 (1984年2月4日、ANB、)- 主演・小関 役• (1985年4月〜9月、日本テレビ) - 主演・本庄日出夫 役• (1985年4月〜1986年3月、NHK、) - 主演・ 役• 私が死んだ夜(1985年12月10日、日本テレビ、火曜サスペンス劇場) - 主演• 主夫物語 (1986年6月23日~1986年7月18日、NHK、銀河テレビ小説) - 主演• (1987年7月2日、テレビ朝日、) - 主演・双子六兵衛 役• (1987年〜1990年 2時間ドラマ6作品 TBS) - 主演・安部直也 役• 夏が来れば思い出す ダウンタウン・ヒーローズ (1988年8月9日、ANN、火曜スーパーワイド)• (1989年1月〜3月、TBS) - 主演・金森壮太郎 役• (1989年5月13日、TBS、土曜ドラマスペシャル)• 五島・福江行(1989年8月12日、TBS) - 主演・刑事 津田 役• 〜黎明編(1990年4月20日、日本テレビ) - 宇佐美定行 役• (1990年9月5日~1990年12月5日、NHK、水曜ドラマ)主演・和之 役• (1991年11月11日、TBS、)- 主演・鳥海圭介 役• (1992年〜2015年、TBS) - 主演・ 役• シリーズ(1992年 - 2016年)- 主演・夜明日出夫 役• (2002年9月28日) - 主演・矢口孝 役• 警視庁捜査一課強行犯七係(2005年2月12日)- 主演・九重鉄三郎 役• (2007年12月8日)- 主演・梶総一郎 役• (1992年10月19日、TBS、月曜ドラマスペシャル) - 主演・石野貞一郎 役• 流れてやまず 長流不息(1992年11月、NHK、)• (1994年1月1日、TBS) - 役• (1994年4月10日〜6月26日、TBS、東芝日曜劇場)- 西条浩一郎 役• (1994年10月20日〜12月15日、YTV) - 藪沢洋一 役• (1994年10月31日、TBS) - 神父 役• 侠客 幡随院長兵衛 (1995年10月6日、TXN、時代劇スペシャル)• 出世と左遷(1996年5月13日、TBS、月曜ドラマスペシャル)• (1996年6月10日〜7月4日、NHK) - 柳本治 役• (1996年10月7日〜12月16日、テレビ東京) - 主演・佐田章 役• 卒業写真 (1997年8月30日、日本テレビ、山口放送45周年記念ドラマ) - 志村峰和 役• (1997年8月31日〜9月21日、) - 主演・盛本芳春 役• (1998年3月24日、、よみうりテレビ開局40周年記念ドラマ) - 長谷部忠雄 役• 猟犬探偵・竜門卓 セント・メリーのリボン (1999年2月26日、フジテレビ、金曜エンタテイメント 春のドラマスペシャル) - 主演・竜門卓 役• 山村美紗サスペンス 第7作「エジプト女王の棺」(1999年3月22日、TBS、) - 山中英明 役 特別出演• 苦い夜 (1999年6月29日、日本テレビ、火曜サスペンス劇場) - -主演・相沢達夫 役• 旅立つ人と (1999年10月29日、フジテレビ、山田太一脚本、金曜エンタテイメント ドラマスペシャル) - 沢木良成 役• (1月5日〜3月23日、NHK、) - 興津俊信 役• (・)• (2001年2月11日) - 石崎博久 役• (2002年4月) - 主演・二本松秋彦 役• 湯けむり殺人案内 なんにも専務の名推理(2003年1月) - 主演・野苔由美夫 役• 捜査一課長・神崎省吾(2004年8月8日) - 主演・神崎省吾 役• (2005年3月13日) - 主演・鳴沢了 役• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼1 北アルプス穂高連峰殺人事件(2001年3月7日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼2 北アルプス白馬連峰殺人山行(2001年8月29日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼3 北アルプス雪山殺人迷路(2002年2月6日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼4 北アルプス殺人ケルン(2002年11月6日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼5 殺人山行不帰ノ嶮(2003年8月27日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼6 白馬乗鞍岳の殺意(2004年11月24日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼7 白馬大雪渓殺意の罠(2005年9月7日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼8 白馬八方尾根雪どけの叫び(2006年11月1日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼9 白馬山岳ツアー天空の密室殺人(2007年7月18日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼10 白馬・唐松岳殺人ルート(2008年3月12日)• 北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼11 谷川岳〜白馬岳〜常念岳 謎の殺人メッセージ(2009年1月14日)• (2001年4月19日~2001年6月28日、テレビ朝日、連続時代劇) - 同心佐々木 役• 第3シリーズ 最終話(2001年6月21日)- 俳優 渡瀬恒彦 本人 役• 世直し公務員 ザ・公証人 (2002年5月13日)• 世直し公務員 ザ・公証人2 (2003年3月10日)• 世直し公務員 ザ・公証人3 (2003年7月7日)• 世直し公務員 ザ・公証人4 (2004年2月16日)• 世直し公務員 ザ・公証人5 (2005年4月18日)• 世直し公務員 ザ・公証人6 (2006年2月6日)• 世直し公務員 ザ・公証人7 (2008年4月28日)• 世直し公務員 ザ・公証人8 (2009年6月29日)• 世直し公務員 ザ・公証人9 (2011年6月13日)• 世直し公務員 ザ・公証人10 (2012年2月27日)• 世直し公務員 ザ・公証人11 (2014年4月14日)• 新・世直し公務員 ザ・公証人 (2015年3月23日、本作からタイトルリニューアル)• シリーズ(2002年 - 2016年、テレビ朝日) - 主演・(警部) 役• 京都鴨川東署迷宮課おみやさん 第1シリーズ(2002年5月9日〜7月18日)• おみやさん 第2シリーズ(2003年4月17日〜6月26日)• おみやさん 第3シリーズ(2004年6月17日〜9月16日)• おみやさん 第4シリーズ(2005年4月21日〜6月23日)• おみやさん 第5シリーズ(2006年10月19日〜12月14日)• おみやさん 第6シリーズ(2008年10月16日〜2009年3月19日)• おみやさん 第7シリーズ(2010年4月15日〜6月10日)• おみやさん スペシャル(2010年12月16日)• おみやさん 第8シリーズ(2011年4月28日〜6月23日)• 新・おみやさん 第9シリーズ(2012年4月12日〜6月14日)• おみやさん 新春スペシャル(2014年1月3日)• おみやさん スペシャル(2016年2月13日)• おみやさん スペシャル2(2016年10月15日)• (2004年6月30日、TBS、) - 主演・高津明彦 役• 獄窓記 (2005年4月20日、TBS、水曜プレミア 実録ドラマ特別企画) - 佐藤 役• 虚貌 強盗放火殺人犯の消された15年 (2005年7月7日、テレビ朝日、サスペンス特別企画)- 主演・滝中守年 役• (2006年2月8日、テレビ東京)- 主演・亀崎源一 役• (2006年2月14日、日本テレビ)- 主演・安 役• シリーズ(2006年 - 2017年、テレビ朝日) - 主演・ 役• 警視庁捜査一課9係(2006年4月19日〜6月21日)• 警視庁捜査一課9係 年末スペシャル(2006年12月27日)• 2(2007年4月25日〜6月20日)• 3(2008年4月16日〜6月18日)• (2009年7月1日〜9月16日)• (2010年6月30日〜9月15日)• (2011年7月6日〜9月14日)• (2012年7月4日〜9月5日)• (2013年7月10日〜9月11日)• (2014年7月9日〜9月10日)• 警視庁捜査一課9係 2時間スペシャル(2014年10月5日)• (2015年4月22日〜7月1日)• (2016年4月6日〜6月15日)• (2008年1月6日、テレビ朝日)- 宇佐美定行 役• (2010年3月6日、テレビ朝日、ドラマスペシャル)- 主演・ 役• 内田康夫ミステリー 湯布院殺人事件(2010年11月19日、フジテレビ、) - 主演・和泉直人 役• シリーズ(2011年 - 2014年、テレビ朝日、ドラマスペシャル) - 主演・竹内孝治 役• SP〜警視庁警護課(2011年10月8日)• SP〜警視庁警護課2(2012年3月3日)• SP〜警視庁警護課3(2013年4月27日)• SP〜警視庁警護課4(2014年5月4日)• (2011年10月16日〜12月、TBS、日曜劇場)- 倉持岳志の父 役• (2011年 - TBS、月曜ゴールデン)- 主演・円城寺修 役• 医師・円城寺修 杜の都の死刑囚(2011年12月5日)• 医師・円城寺修II 恨みの報酬(2012年6月4日)• (2011年12月23日、TBS、年末ドラマスペシャル)- 神尾真次郎 役• 第1話(2012年7月5日、テレビ朝日)- 鳥居勘三郎 役• (2013年7月19日、フジテレビ、ドラマスペシャル) - 主演・春川高史 役• (2014年2月21日、フジテレビ、金曜プレステージ) - 主演・土門恭介 役• 第4話(2014年8月3日、TBS、日曜劇場) - 主演・麻倉賢三 役• (2017年3月24日、フジテレビ、金曜プレミアム) - 主演・夏目連太郎 役• トーク番組• BS-TBS開局10周年記念番組「プレミアム6 西村京太郎ミステリー紀行〜十津川警部が見た風景〜」(2010年2月28日、) - ・との初三者対談• 劇場アニメ• (役で、兄渡哲也の病気により交代出演、)• 吹き替え• チョコレートケーキ• アルギンZ 「」とのタイアップ• (裸の王様篇)• 六甲のおいしい水• セキスイハイム• ジャン• ヨード卵 光 歌 [ ] シングル [ ]• さすらい人別帳(1970年、、CW-1038)• 東映映画「人別帳」シリーズ主題歌• ごっかんブルース(1970年、クラウン、CW-1068)• 東映映画「監獄人別帳」主題歌• 三千世界のブルース(1971年4月、クラウン、CW-1129)• 東映映画「博奕打ち いのち札」挿入歌• 人間稼業(1971年10月、クラウン、CW-1196)• 東映映画「悪の親衛隊」主題歌• とんずらトンボ(1979年、、GK-285)• 静かにマイ ウェイ(1985年、)• だいこんおろしの歌(1985年12月21日、東芝)• 裸の王様(1991年9月21日、、VIDL-10153)• おとこ雲 オリジナル・アルバム [ ]• 傷だらけの獣たち 渡瀬恒彦真夜中に唄う(1970年、クラウン、GW-6019)• 渡瀬恒彦〜手さぐりの日々(1978年、キング、SKS-54)• だいこんおろしの歌(1986年、東芝、TP-90377) 「渡瀬恒彦」を演じた俳優 [ ]• (、2013年3月6日) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 高田は当時喫茶店で仲間たちとヒロポンを吸っている渡瀬を目撃している• 「」2017年4月2日放送分でも触れられたエピソード• 津川は渡瀬を「ちゃん」付けで、かつ自分が亡くなった時に葬儀を仕切ってもらいたくブログで「渡瀬ちゃんは僕の裏方の葬儀取り締まり」と公言する程信頼していた。 あわせて渡瀬が2009年公開『』を映画館で見て感動、津川に連絡してきた様子を2009年2月13日更新津川のブログに残している。 津川雅彦 2009年2月13日. 津川雅彦オフィシャルブログ「サンタの隠れ家より」. 2017年4月19日閲覧。 「当時の家政婦が渡瀬に言い寄られたと言った。 」と証言したのは大原麗子の実弟• 「徹子の部屋」2011年4月28日出演分でも同じ話をしている• 直接渡瀬の名前は出してないが、佐藤は4月10日渡瀬の自宅へ弔問に行ったと思われるツィートを残している-。 「劇場版釣りキチ三平」に出演した須賀健太も渡瀬へ感謝のTwitterを残している-。 出典 [ ]• 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年1月2日閲覧。 2017年3月17日. の2018年5月31日時点におけるアーカイブ。 2018年5月31日閲覧。 読売新聞 読売新聞社. 2017年5月26日. 2017年6月2日閲覧。 スポーツニッポン新聞社 : p. 1969年12月12日• 毎日新聞(兵庫版) 毎日新聞. 2017年3月17日. 2017年3月31日閲覧。 週刊新潮 新潮社. 2017年3月31日. 2017年3月17日閲覧。 神戸新聞 神戸新聞社. 2017年3月16日. の2017年4月1日時点におけるアーカイブ。 2017年4月1日閲覧。 ディリースポーツ 神戸新聞社. 2017年3月17日. 2017年3月31日閲覧。 2017年4月7日閲覧。 : p. 1969年12月12日• 内外タイムス社 : p. 1969年12月18日• 2015年5月18日. の2016年3月28日時点におけるアーカイブ。 2018年12月25日閲覧。 東映株式会社 2010-. 2017年4月1日閲覧。 東映株式会社 2010-. 2017年3月31日閲覧。 ディリースポーツ 神戸新聞社. 2017年3月17日. 2017年4月1日閲覧。 東京スポーツ新聞 東京スポーツ新聞社. 2017年3月17日. 2017年4月1日閲覧。 週刊新潮 新潮社. 2017年4月1日. 2017年4月1日閲覧。 週刊アサヒ芸能 徳間書店. 2016年11月2日. 2017年4月1日閲覧。 ディリースポーツ 神戸新聞社. 2017年3月17日. 2017年4月1日閲覧。 2017年3月16日. の2017年3月16日時点におけるアーカイブ。 2017年3月19日閲覧。 ライブ・オン・ティービー 2016年7月22日. 2017年4月6日閲覧。 「広告の中の人(1)お客さんとの距離が近くなる 渡瀬恒彦氏」『宣伝会議』2014年08月号、株式会社宣伝会議、 70頁、 雑誌15611-8。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2017年3月19日. 2017年3月29日閲覧。 日本経済新聞(夕刊) 日本経済新聞社. 2017年4月19日. 2017年5月4日閲覧。 日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社. 2011年4月28日. 2017年4月6日閲覧。 オリコン オリコン株式会社. 2007年9月4日. 2017年4月2日閲覧。 オリコン オリコン株式会社. 2008年2月11日. 2017年4月4日閲覧。 オリコン オリコン株式会社. 2006年4月6日. 2017年4月4日閲覧。 「変幻自在役者インタビュー渡瀬恒彦」『Big tomorrow』2009年10月号、青春出版社、 50頁、 雑誌17621-10。 日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社. 2011年8月3日. 2017年4月4日閲覧。 日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社. 2015年2月7日. 2017年4月5日閲覧。 日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社. 2014年6月27日. 2017年4月6日閲覧。 スポーツニッポン スポーツニッポン新聞社. 2016年7月12日. 2017年4月2日閲覧。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2015年8月3日. 2017年3月31日閲覧。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2017年3月17日. 2017年3月27日閲覧。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2017年3月17日. 2017年3月27日閲覧。 女性セブン 小学館. 2017年2月2日. 2017年3月27日閲覧。 アサ芸プラス 徳間書店. 2016年10月31日. 2017年3月29日閲覧。 女性セブン 小学館. 2016年9月8日. 2017年3月29日閲覧。 WEB RONZA. 朝日新聞. 2017年4月24日閲覧。 ORICON NEWS オリコン株式会社. 2017年3月27日. 2017年3月27日閲覧。 スポニチアネックス スポーツニッポン. 2017年3月2日. 2017年3月27日閲覧。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2017年2月19日. 2017年3月27日閲覧。 ディリースポーツ 神戸新聞社. 2017年3月18日. 2017年3月28日閲覧。 毎日新聞 毎日新聞社. 2017年3月16日. 2017年3月28日閲覧。 スポーツ報知 報知新聞社. 2017年3月16日. 2017年3月28日閲覧。 スポーツ報知 報知新聞社. 2017年3月16日. 2017年3月28日閲覧。 週刊ポスト 小学館. 2017年3月24日. 2017年3月29日閲覧。 東京中日スポーツ 東京新聞社. 2017年3月18日. 2017年3月29日閲覧。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2017年3月18日. 2017年3月27日閲覧。 日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社. 2017年3月19日. 2017年3月29日閲覧。 スポーツニッポン スポーツニッポン新聞社. 2017年3月19日. 2017年3月30日閲覧。 スポーツ報知 報知新聞社. 2017年3月24日. 2017年3月27日閲覧。 スポーツ報知 報知新聞社. 2017年3月17日. 2017年3月28日閲覧。 東映マネージメント 2017年3月24日. 2017年3月30日閲覧。 スポーツ報知 報知新聞社. 2017年3月27日. 2017年3月29日閲覧。 スポーツニッポン スポーツニッポン社. 2017年3月27日• 日刊スポーツ 日刊スポーツ社. 2017年3月28日. 2017年3月29日閲覧。 スポーツニッポン スポーツニッポン社. 2017年3月28日. 2017年3月28日閲覧。 サンケイスポーツ 産経新聞社. 2017年4月2日. 2017年4月3日閲覧。 スポーツ報知 報知新聞社. 2017年4月12日. 2017年4月12日閲覧。 オリコン オリコン株式会社. 2017年4月12日. 2017年4月12日閲覧。 東映テレビ株式会社 2017年4月12日. 2017年4月12日閲覧。 まんたんウェブ MANTAN. 2017年5月3日. 2017年5月9日閲覧。 日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社. 2008年8月10日. 2017年4月8日閲覧。 月刊大衆 双葉社. 2017年4月4日. 2017年4月8日閲覧。 週刊女性 2017年3月23日. 2017年3月24日閲覧。 スポーツニッポン スポーツニッポン社.

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大原麗子の死因は?どんな病気だった?渡瀬恒彦との離婚原因は家族が問題?

渡瀬 恒彦 死因

渡瀬恒彦について プロフィール 名前:渡瀬恒彦(わたせ・つねひこ) 出身地:島根県能義郡安来町 生年月日:1944年7月28日 身長:174cm 血液型:AB型 出身高校:三田学園高等学校 学歴:早稲田大学法学部除籍 デビュー:1969年 所属事務所:東映マネージメント 兄が俳優の渡哲也さん。 結婚については、1973年に女優の大原麗子さんと結婚するも1978年に離婚、そして1979年に一般女性と再婚しています。 これまでに数々の作品に出演してきた渡瀬恒彦さん。 渡瀬恒彦の激やせ画像と胆のうがん闘病について 渡瀬恒彦の激やせ写真・・・余命が危ぶまれていたが・・・。 首が細い・・・ — トレンド情報局 sougosien13 胆のうがん発覚や激やせ画像などから余命が心配されていた渡瀬恒彦さん。 胆のうに腫瘍があることがわかったのは2015年の秋頃で体調不良のため検査の結果、胆のうがんであることが発覚。 休養をとり都内の大学病院で、抗がん剤や放射線による治療を受けています。 その後、仕事には治療を続けながら復帰するも病気のことは共演者などには胆のうがんのことは一切伝えず、撮影の合間を縫っての通院と投薬による治療を続けていたそうで、 胆のうがんであることを発表したのは2016年5月、今後も治療を受けながら仕事を続けるとしていました。 2016年7月上旬の『西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ』では撮影中に渡瀬恒彦さんの体調が悪化が理由で十津川警部役を降板、胆のうがんの症状が悪化した言われており心配の声が。 その後2017年2月には『警視庁捜査一課9係』の今年4月から放送される12シーズンを発表し出演するため体調を整えているとしてしていましたが、胆のうがんの容態については現状維持で体調は良くないとのことでした。 胆のうがんはステージIVで余命宣告を受けていた 渡瀬恒彦さんの死去については兄である渡哲也もコメントを発表しており 「当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません」とつらい胸中を明かし「幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです」 胆のうがんが発覚した時点でステージIVで既に末期だったため、渡瀬恒彦さんは1年という余命宣告を受けていたとのことです。 ステージIVという末期がんで余命宣告を受けていたにもかかわらず、俳優として最後まで生きる道を選んだ渡瀬恒彦さん。 ご冥福をお祈りいたします。

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【訃報】渡瀬恒彦さん と 大原麗子さんのエピソードに涙が止まらない

渡瀬 恒彦 死因

Sponsored Link 「警視庁捜査一課9係」の取材会には現れるも・・・ 渡瀬さんは、2017年2月19日、4月からの放送が発表された主演ドラマ 「警視庁捜査一課9係」season12の取材会に力強い足取りで現れると、 テレ朝さんや東映さんが許可してくれなければできない。 と、ガンと闘いながらも、演じることの喜びをかみしめ、 体調? 良くはないですね。 現状維持という感じ。 食欲は減りますね。 一生懸命食べますけど。 と、苦笑いしながらも、一切、不安を感じさせない、口調で話されていたのですが・・・ 「警視庁捜査一課9係」の取材会でのさんと渡瀬さん。 病院に駆けつけた妻、長男、長女の家族3人に看取られ、同日23時18分、 「胆のうガン」による 「多臓器不全」のため、東京都内の病院で他界されたのでした。 兄・渡哲也のコメント そして、この訃報に対し、渡瀬さんの兄・さんは、 当初より、ステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません。 幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです。 2017. 16 渡哲也 と、直筆のコメントを発表し、最愛の弟を偲ばれたのでした。 密葬 また、渡瀬さんは、生前、派手なことを嫌っていたため、ご本人とご家族の希望により、家族葬が営まれたそうで、 ご家族と渡さんご夫婦のほかは、親しい俳優仲間であった、片桐竜次さん、さん、中西良太さん、木村栄さん、成瀬正孝さんら約30人のみが参列。 (さんは、葬儀の前にお線香を上げにこられたそうです) 渡瀬さんの密葬に参列後、報道陣に対応した兄・渡哲也さん 遺影には、2016年1月の奥さんの誕生日に撮影された写真が使われ、渡瀬さんが好きだったオンシジュームの花をメインとした花で囲まれた棺の中には、家族からの手紙や家族写真が収められたそうです。 都内の自宅から霊柩車に運ばれる渡瀬恒彦さんの棺 Sponsored Link 遺作「そして誰もいなくなった」では自身を重ねていた ちなみに、2017年3月25日、26日には、渡瀬さんの遺作となった、テレビドラマ 「そして誰もいなくなった」が放送され、 ドラマの最後には、 このドラマは2016年12月20日から2017年2月13日に掛けて撮影されました。 渡瀬恒彦さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 とのテロップが流されたのですが(平均視聴率は、25日は15. 7%、26日は13. 1%)、 渡瀬さんたっての希望で演じることとなった役柄は、末期の余命宣告を受けた元東京地裁裁判長で犯人役の磐村兵庫。 磐村兵庫は、なぜこのような殺人を犯すに至ったかを、ラストで告白するのですが、 私は末期の肺がんだ。 余命いくばくもない。 ありがとう。 そして、さよなら。 と、実際の渡瀬さんの境遇と重なる別れの言葉が多くの視聴者の涙を誘い、 どんな気持ちでこの役演じたんだろうか 痩せ細って体調悪そうなのに、それでも演じてるなんてすごい 現実とダブって涙が止まらない こんな形の遺作は見たことない。 渡瀬さんの俳優魂に拍手 などのコメントが、ネット上に投稿されたのでした。 また、制作関係者も、 今作への出演は、どのような役どころかすべて承知の上でした。 渡瀬さんの役者魂とファンへのメッセージのようなラストシーンでした。 と、語ったのでした。 に続く.

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