北原 謙二 ふるさと の はなし を しよう。 ふるさとのはなしをしよう 北原謙二 歌詞情報

ふるさとのはなしをしよう: 二木紘三のうた物語

北原 謙二 ふるさと の はなし を しよう

人物・来歴 [ ] 出身。 浪華商業高等学校(現・)出身。 ジャズ喫茶で歌っていた事が縁で、のメンバーとして上京。 その後のディレクターにスカウトされ、 昭和36年 歌手デビュー。 に2回出場している(詳細は下記参照)。 平成3年 3月に高血圧症で倒れたが、左半身麻痺と闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰。 その後は全国各地の福祉施設への慰問活動などを積極的に行っていたが、2005 平成17 年1月26日午後10時1分、のため都内の病院で死去。 作品 [ ] シングル [ ] 発売日 品番 面 タイトル 作詞 作曲 編曲 備考 1961年 DJ-25 A おてもやんロック B さのさロック 日本コロムビア 1961年 SA-656 A 日暮れの小径 B 朝刊来るまで起きてなよ 1961年9月 SA-700 A ずいずいずっころばし B 忘れないさ 1961年 SA-766 A ジングル・ベル B サンタ・クロースがやって来る 唄:飯田久彦。 1962年1月 SA-775 A 東京馬子唄 船村徹 B わかっちゃいないね 1962年 SA-795 A リンゴ並木に月が出た B 雨の万国波止場 唄:香川匂子。 1962年 SA-839 A 恋の町おやすみ B ねぇいいじゃんかそうじゃんか 1962年 SA-859 A 辛い別れさ B 好きだよ 1962年5月 SA-895 A 若いふたり 山路進一 NHK「きょうのうた」。 B 夕べの星が見ていたよ 三浦康照 山路進一 1962年 SA-926 A あぁ来年も来ておくれ B 東京なんて嫌だよ 1962年 SA-941 A あこがれのエコーライン B さよなら さよなら さようなら 1962年12月 SA-1020 A 遠い旅 遠藤実 山路進一 B わかれ道 三浦康照 1963年1月 SA-1065 A イヤサカ サッサ B 夜空を見てると 唄:高木たかし。 1963年 SA-1081 A 若さでドン 飯田久彦、高木たかしと。 B 青春ジャンスカ 鈴木やすし、森サカエ、藤てるみ。 1963年 SA-1094 A 巨人はでっかいよ(巨人軍音頭) 岡本又一郎 船村徹 五月みどりとデュエット。 B 巨人軍の歌 唄:守屋浩、三鷹淳、若山彰。 1963年 SAS-5 A 泣かないさ B 初恋は美しくまた悲し 三浦康照 1963年 SAS-28 A あの娘は春のこがらし B 別れたあの日は 1963年 SAS-59 A 星を探そう B 白い野菊の丘 1963年 SAS-100 A 若い明日 石本美由起 遠藤実 福田正 B 羊を数えて夜が明けた 三浦康照 小杉仁三 1963年 SAS-145 A 石狩列車 B さよなら札幌の街 1963年 SAS-166 A ひとりぼっちのガキ大将 B 俺はあの娘にタッチャレホ 1964年 SAS-199 A 北風(North Wind) Rod Morris 訳:服部レイモンド Rod Morris 保坂敏雄 B カウライジヤ KAW-LIGA 訳:服部レイモンド Williams 1964年 SAS-200 A ニッポン音頭 西條八十 島倉千代子、花村菊江、円山鈴子、大下八郎と。 B さあさ踊ろよ 市川昭介 1964年4月 SAS-221 A 広い世界の夢 北アヤメ 佐伯亮 B 初恋の日記帳 唄:ボニー井田。 1964年 SAS-232 A 虹のターミナル B 東京新宿恋の町 唄:舟木一夫 1964年 SAS-251 A ギターよ旅へ行かないか B 孤独の河 1964年 SAS-297 A 潮騒 三浦康照 古賀政男 B 胸のカレンダー 1964年 SAS-312 A 若い君若い僕 三浦康照 遠藤実 谷由美子とデュエット。 B 白いリンゴの花が散る 1964年 SAS-338 A 夕陽の港 B からまつ林つづく道 1964年9月20日 SAS-354 A 大阪スーベニア 西沢爽 遠藤実 唄:養田勝彦。 B 心ブラブラリはエゝヤナイカ 和田香苗 島倉千代子とデュエット。 1965年1月 SAS-404 A ふるさとのはなしをしよう 伊野上のぼる 山路進一 朝日放送「クレバ・ホーム・ソング」。 にによりカバーされた。 B 夢なのさ 三浦康照 山路進一 1965年 SAS-441 A 流れ雲 B 明日は今日より美しく 1965年5月 SAS-481 A 若い太陽 三浦康照 遠藤実 B 坂道 1965年 SAS-520 A 大きな涙 B 明日を呼ぶ旅 1965年 SAS-578 A 若い命をカッ飛ばせ B 海賊になりたいな 1965年 SAS-612 A 日暮れは辛いんだ B ギターひとり旅 1965年12月 SAS-620 A 緑の町に青い海 B 神戸音頭 唄:こまどり姉妹。 1966年1月 SAS-641 A 涙の舗道 B 東京砂漠 1966年 SAS-714 A あの夢 この歌 西條八十 古賀政男 B サーカスの唄 1966年12月 SAS-807 A 風に消えた女の子 B 君と二人なら 1967年 SAS-870 A 峠道 B 男にゃ男の夢がある 1967年 SAS-917 A 銀座パンチ 三浦康照 山路進一 早川直隆 B 哀愁のプロムナード 寺田ひさし 河村和夫 1967年 SAS-1003 A 男星 B 裏街のネオン鳥 1967年 SAS-1034 A ごめんよ B きっときっときっと 1967年 SAS-1085 A さすらいの口笛 三浦康照 山路進一 B 愛の浜辺 1967年 SAS-1170 A マリモ B 孤独のワルツ 1972年 SAS-1590 A いつかわかるさ B いつか大阪で逢える気がする 1984年6月 AH-471 A 忘れないさ大阪 三浦康照 山路進一 竜崎孝路 61年の「忘れないさ」の歌詞を変更したもの。 B 北風の町 1986年 AH-744 A あふれるものを B 便りをしているかい 夢で泣け 三浦康照 船村徹 1988年 A 大阪人形 水木れいじ 浜圭介 B 夕暮れ 浜圭介 1969年 UC-23 A ふるさとの話をしよう B 今夜は酔っちゃいな 日本コロムビア 1996年7月20日 COCA-7378 1 ながれ星 3 あふれるものを 2004年4月21日 COCA-15655 1 ふるさとのはなしをしよう 2 若いふたり NHK紅白歌合戦出場歴 [ ]• (1962年12月31日、) 『若いふたり』• (1963年12月31日、東京宝塚劇場) 『若い明日』• このうち、第14回は北原の歌唱シーンの映像が現存しており、『』()で、北原の歌唱シーンも含め全編がされている。 映画 [ ]• 1961年• 仲よし音頭 日本一だよ 1962年• 若いふたり 1962年• (1966年、東映) - 本人 テレビ番組出演 [ ]• (フジテレビ)• (1962年、日本テレビ) - 謙二 役.

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ふるさとのはなしをしよう: 二木紘三のうた物語

北原 謙二 ふるさと の はなし を しよう

作詞:伊野上のぼる、作曲:キダ・タロー、唄:北原謙二 1 砂山に さわぐ潮風 かつお舟 はいる浜辺の 夕焼けが 海をいろどる きみの知らない ぼくのふるさと ふるさとの はなしをしよう 2 鳴る花火 ならぶ夜店に 縁日の まちのともしび 下町の 夜が匂うよ きみが生まれた きみのふるさと ふるさとの はなしをしよう 3 今頃は 丘の畑に 桃の実が 赤くなるころ 遠い日の 夢の数々 ぼくは知りたい きみのふるさと ふるさとの はなしをしよう 《蛇足》 昭和40年(1965) のヒット曲。 平成16年(2004) に山本譲二がカバーしています。 北原謙二(本名:謙太郎) は、昭和14年(1939) 大阪生まれ。 ジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされ、昭和36年(1961) にレコード・デビューしました。 平成3年(1991) 3月、脳内出血で倒れましたが、左半身マヒと闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰しました。 平成17年(2005) 1月26日、虚血性心疾患により死去。 享年65歳。 代表曲は、この歌と昭和37年(1962) にヒットした『』。 キダ・タローは、独特の語り口と親しみやすい人柄で「浪花のモーツァルト」として関西圏にファンの多い作曲家です。 数多くの放送番組テーマ曲やCM曲、企業社歌を手がけています。 歌謡曲も作っていますが、本人によると「『ふるさとのはなしをしよう』が唯一の大ヒット」だそうです。 (二木紘三) 半世紀ほど前の懐かしい想い出。 古びた学生寮に文通をしていたペンフレンドが訪ねてきてくれた。 アジサイの花が、咲いていたのを今でも覚えている。 故郷を離れ就職で大阪に来ていた彼女。 その時、偶然、流れていた曲が「悲しみは星影と共に」あの人は、今でも、遠い日の事を覚えてくれているだろうか? 昭和の庶民史を語る会12・09・20 学生寮で、彼女と抱き合いながら聞いた曲。 映画の内容は忘れたが、流れていた「悲しみは星影と共に」だけは、今でもわすれていない。 嬉しいにつけ、悲しいにつけ想いだすのは「ふるさとのはなしをしよう」とこの曲。 苦労の多い人生を何とか、生きてこられたのも、青春時代の想い出のお陰かも、有難う! 昭和の庶民史を語る会12・09・20 投稿: 昭和の庶民史を語る会 2012年9月20日 木 13時05分 ふるさとへの思いは尽きません。 家の裏は砂浜で、すぐ海でしたから、朝に夕に潮風にあたり、波の音を聞いていました。 秋には、夜の静けさの中、イカ釣り船の漁火が海一面にきらきらと輝いて、童話の世界のようでした。 お祭りの日、先生からは、「50円以上お小遣いを使ってはいけません。 」、という注意がありました。 そんなルールは守らない生徒もいましたが、当時のことですから、お小遣いをもらえない貧しい家の級友もいました。 私は10円玉五つを握りしめて家を飛び出し、祭りのお店を巡りました。 金魚すくいも、綿あめも10円だったのでしょうね。 50円で十分でした。 丘の畑には桃の木が一本ありました。 母が私の背よりも低い、おそらく植えて間もない木を指差して、「これは桃の木だよ」と教えてくれました。 残念なことにその後、赤い実を付けたとか、それを食べたとかいう記憶はありません。 家の庭や丘の畑には実のなる木がありました。 あんず、ビワ、すもも、いちぢく、柿、栗、がありました。 スイカや瓜、イチゴの栽培もしました。 祖母はスイカの種を新聞紙にくるんで胸に抱いて眠りました。 翌朝、種から小さな白い芽がが覗いていました。 その種を畑に埋めるのを私も手伝いました。 私の妻は都会育ちで田舎が嫌いです。 かといって、自分が生まれ育った地域や学校への思い入れもありません。 ですから、私はこの歌のように彼女とお互いの故郷について語り合うようなことはありませんでした。 なんだか、満たされないですね。 東京に出ている故郷の同級生に電話してみようかなぁ、なんて思います。 彼女となら故郷の話がはずむかもなぁ、なんて思います。 投稿: yoko 2014年9月12日 金 20時08分 仕事が縁で出版社の編集部員と知り合いになりました。 もう30年以上前のことです。 彼は土佐高知の出身で奥さんが東京の下町だとかで、この「ふるさとのはなしをしょう」が彼ら夫婦にとって愛着の湧く歌だと言ってました。 カラオケに行ったら必ず熱唱するそうです。 カツオ船、干し網、汐風、夕焼けに染まる海、涙ハラハラになるそうです。 縁日の様子も夜店の形態も変わりつつありますね。 投稿: かせい 2014年9月12日 金 22時05分 『ふるさとのはなしをしよう』は私の愛唱歌のひとつです。 数少ない5・7調の歌でもあります。 なのに、確保をし忘れていました。 ご報告をいただいたhurry様に感謝です。 これで5・7調の歌、8曲見つけました。 面白いことに、8曲のうち3曲、タイトルに「ふるさとの・・」と入っています。 『ふるさとのはなしをしよう』は、大阪のラジオ局の音楽番組「ABCホームソング」の中で生まれました。 近畿出身の人たちにはより馴染み深い歌かもしれません。 伊野上のぼるの素朴で簡明な詞、キダ・タローの抑揚感にあふれた旋律に私は魅了されました。 そして、その詞・曲に北原謙二の歌唱が見事にマッチしました。 北原謙二の歌唱の特徴は、やや鼻にかかったハイトーンの声と、ノンビブラートの唱法です。 誇示するかのようにビブラートを多用するプロ歌手のなかで、北原謙二のノンビブラートはとても新鮮に私には聞こえたのです。 「飾り気のない純朴な田舎のお兄さんの歌声」という感じでした。 ほかにノンビブラートで唄う歌手は西田佐知子でしょうか。 彼女の場合は、それがアンニュイ感みたいなものを産み出しているように感じるのです。 農村・町なか・漁村、生まれ育った地は違っても、『ふるさと』は誰にとっても、夫々の心の中に在り続ける原点なのでしょうか…。 投稿: かせい 2018年10月14日 日 11時26分 ABCホームソングは、昭和39年8月放送で「ふるさとの話をしよう」 レコードは40年1月で「ふるさとのはなしをしよう」前奏が全然違います。 ユニオンレコードのを買ったら、編曲でしゃくった変な歌い方でした。 復帰されると家族の写真入りで新聞に載っていたこと等を思い出しながら、 買っていた北原治子さんの本を本棚から引っ張り出して読んでいました。 投稿: なち 2019年8月 7日 水 21時57分 この歌を聞くたび「私のふるさと」って、一体どこなんだろう?と、しみじみ思います。 幼くして家や町をこなごなに破壊され、生活の為とはいえ 兄や姉達とは引き離され、母と二人の妹達四人で流転の人生を歩んできた私にとってのふるさとは、頼りにしたい兄姉達とは遠く離れた寄る辺ない小さな田舎だったのかも知れない。 思い出すのは、標高300mにも満たないであろう蓮華山であり鞍掛山の麓に流れる水無川や国鉄岩徳線の小さな駅舎、一面に広がる田んぼや林の風景です。 投稿: あこがれ 2019年8月 8日 木 18時04分 「ふるさとのはなしをしよう」このメロディが流れてくると、不思議なことに私には一瞬で幼いころに過ごした故郷の景色が蘇ってきます! この歌が流行っていたころまでは、地方のあちこちに今では見れなくなった自然のままの日本の景色が数多く残っていたような気がします。 そして今でも時々アルバムで聴く、北原謙二の独特な歌声はまた格別なものを感じます。 私が北原謙二のヒット曲を初めて知ったのはラジオで聴いた「若い二人」でした。 その後ヒットした若い明日・若い君若い僕(谷由美子)・若い太陽・と、遠藤実が作曲したこのシリーズはすべて今でも憶えていますが、私の一番好きな歌というと「忘れないさ」という曲になります。 この歌はスナックのカラオケでも何度となく歌ってきました。 どれも幼いころから聴いてきた好きな曲の数々ですが、今でも何気なく口ずさんでいる好きな歌に、「石狩列車」「わかれみち」という曲もあります。 当時は夜店で何かを買うことは叶いませんでしたが、それでもチラチラする灯りの中、わた菓子・焼きとうきび・焼きイカ・たこ焼きなどの匂いのする中をゆっくりと歩きながら眺めていたヨーヨー風船釣り・金魚すくい・輪投げなど、祭り独特のその雰囲気が楽しくてしかたありませんでした。 「ふるさとのはなしをしよう」今でも故郷を偲びたい時にはYouTube動画等で時々この歌を聴くことがあります。 思い起こせば、橋・舟木・西郷・当時の歌手御三家のような華やかさこそありませんでしたが、幼いころから私は北原謙二の歌声が大好きでした。 投稿: 芳勝 2019年8月10日 土 15時23分.

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北原謙二

北原 謙二 ふるさと の はなし を しよう

作詞:伊野上のぼる、作曲:キダ・タロー、唄:北原謙二 1 砂山に さわぐ潮風 かつお舟 はいる浜辺の 夕焼けが 海をいろどる きみの知らない ぼくのふるさと ふるさとの はなしをしよう 2 鳴る花火 ならぶ夜店に 縁日の まちのともしび 下町の 夜が匂うよ きみが生まれた きみのふるさと ふるさとの はなしをしよう 3 今頃は 丘の畑に 桃の実が 赤くなるころ 遠い日の 夢の数々 ぼくは知りたい きみのふるさと ふるさとの はなしをしよう 《蛇足》 昭和40年(1965) のヒット曲。 平成16年(2004) に山本譲二がカバーしています。 北原謙二(本名:謙太郎) は、昭和14年(1939) 大阪生まれ。 ジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされ、昭和36年(1961) にレコード・デビューしました。 平成3年(1991) 3月、脳内出血で倒れましたが、左半身マヒと闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰しました。 平成17年(2005) 1月26日、虚血性心疾患により死去。 享年65歳。 代表曲は、この歌と昭和37年(1962) にヒットした『』。 キダ・タローは、独特の語り口と親しみやすい人柄で「浪花のモーツァルト」として関西圏にファンの多い作曲家です。 数多くの放送番組テーマ曲やCM曲、企業社歌を手がけています。 歌謡曲も作っていますが、本人によると「『ふるさとのはなしをしよう』が唯一の大ヒット」だそうです。 (二木紘三) 半世紀ほど前の懐かしい想い出。 古びた学生寮に文通をしていたペンフレンドが訪ねてきてくれた。 アジサイの花が、咲いていたのを今でも覚えている。 故郷を離れ就職で大阪に来ていた彼女。 その時、偶然、流れていた曲が「悲しみは星影と共に」あの人は、今でも、遠い日の事を覚えてくれているだろうか? 昭和の庶民史を語る会12・09・20 学生寮で、彼女と抱き合いながら聞いた曲。 映画の内容は忘れたが、流れていた「悲しみは星影と共に」だけは、今でもわすれていない。 嬉しいにつけ、悲しいにつけ想いだすのは「ふるさとのはなしをしよう」とこの曲。 苦労の多い人生を何とか、生きてこられたのも、青春時代の想い出のお陰かも、有難う! 昭和の庶民史を語る会12・09・20 投稿: 昭和の庶民史を語る会 2012年9月20日 木 13時05分 ふるさとへの思いは尽きません。 家の裏は砂浜で、すぐ海でしたから、朝に夕に潮風にあたり、波の音を聞いていました。 秋には、夜の静けさの中、イカ釣り船の漁火が海一面にきらきらと輝いて、童話の世界のようでした。 お祭りの日、先生からは、「50円以上お小遣いを使ってはいけません。 」、という注意がありました。 そんなルールは守らない生徒もいましたが、当時のことですから、お小遣いをもらえない貧しい家の級友もいました。 私は10円玉五つを握りしめて家を飛び出し、祭りのお店を巡りました。 金魚すくいも、綿あめも10円だったのでしょうね。 50円で十分でした。 丘の畑には桃の木が一本ありました。 母が私の背よりも低い、おそらく植えて間もない木を指差して、「これは桃の木だよ」と教えてくれました。 残念なことにその後、赤い実を付けたとか、それを食べたとかいう記憶はありません。 家の庭や丘の畑には実のなる木がありました。 あんず、ビワ、すもも、いちぢく、柿、栗、がありました。 スイカや瓜、イチゴの栽培もしました。 祖母はスイカの種を新聞紙にくるんで胸に抱いて眠りました。 翌朝、種から小さな白い芽がが覗いていました。 その種を畑に埋めるのを私も手伝いました。 私の妻は都会育ちで田舎が嫌いです。 かといって、自分が生まれ育った地域や学校への思い入れもありません。 ですから、私はこの歌のように彼女とお互いの故郷について語り合うようなことはありませんでした。 なんだか、満たされないですね。 東京に出ている故郷の同級生に電話してみようかなぁ、なんて思います。 彼女となら故郷の話がはずむかもなぁ、なんて思います。 投稿: yoko 2014年9月12日 金 20時08分 仕事が縁で出版社の編集部員と知り合いになりました。 もう30年以上前のことです。 彼は土佐高知の出身で奥さんが東京の下町だとかで、この「ふるさとのはなしをしょう」が彼ら夫婦にとって愛着の湧く歌だと言ってました。 カラオケに行ったら必ず熱唱するそうです。 カツオ船、干し網、汐風、夕焼けに染まる海、涙ハラハラになるそうです。 縁日の様子も夜店の形態も変わりつつありますね。 投稿: かせい 2014年9月12日 金 22時05分 『ふるさとのはなしをしよう』は私の愛唱歌のひとつです。 数少ない5・7調の歌でもあります。 なのに、確保をし忘れていました。 ご報告をいただいたhurry様に感謝です。 これで5・7調の歌、8曲見つけました。 面白いことに、8曲のうち3曲、タイトルに「ふるさとの・・」と入っています。 『ふるさとのはなしをしよう』は、大阪のラジオ局の音楽番組「ABCホームソング」の中で生まれました。 近畿出身の人たちにはより馴染み深い歌かもしれません。 伊野上のぼるの素朴で簡明な詞、キダ・タローの抑揚感にあふれた旋律に私は魅了されました。 そして、その詞・曲に北原謙二の歌唱が見事にマッチしました。 北原謙二の歌唱の特徴は、やや鼻にかかったハイトーンの声と、ノンビブラートの唱法です。 誇示するかのようにビブラートを多用するプロ歌手のなかで、北原謙二のノンビブラートはとても新鮮に私には聞こえたのです。 「飾り気のない純朴な田舎のお兄さんの歌声」という感じでした。 ほかにノンビブラートで唄う歌手は西田佐知子でしょうか。 彼女の場合は、それがアンニュイ感みたいなものを産み出しているように感じるのです。 農村・町なか・漁村、生まれ育った地は違っても、『ふるさと』は誰にとっても、夫々の心の中に在り続ける原点なのでしょうか…。 投稿: かせい 2018年10月14日 日 11時26分 ABCホームソングは、昭和39年8月放送で「ふるさとの話をしよう」 レコードは40年1月で「ふるさとのはなしをしよう」前奏が全然違います。 ユニオンレコードのを買ったら、編曲でしゃくった変な歌い方でした。 復帰されると家族の写真入りで新聞に載っていたこと等を思い出しながら、 買っていた北原治子さんの本を本棚から引っ張り出して読んでいました。 投稿: なち 2019年8月 7日 水 21時57分 この歌を聞くたび「私のふるさと」って、一体どこなんだろう?と、しみじみ思います。 幼くして家や町をこなごなに破壊され、生活の為とはいえ 兄や姉達とは引き離され、母と二人の妹達四人で流転の人生を歩んできた私にとってのふるさとは、頼りにしたい兄姉達とは遠く離れた寄る辺ない小さな田舎だったのかも知れない。 思い出すのは、標高300mにも満たないであろう蓮華山であり鞍掛山の麓に流れる水無川や国鉄岩徳線の小さな駅舎、一面に広がる田んぼや林の風景です。 投稿: あこがれ 2019年8月 8日 木 18時04分 「ふるさとのはなしをしよう」このメロディが流れてくると、不思議なことに私には一瞬で幼いころに過ごした故郷の景色が蘇ってきます! この歌が流行っていたころまでは、地方のあちこちに今では見れなくなった自然のままの日本の景色が数多く残っていたような気がします。 そして今でも時々アルバムで聴く、北原謙二の独特な歌声はまた格別なものを感じます。 私が北原謙二のヒット曲を初めて知ったのはラジオで聴いた「若い二人」でした。 その後ヒットした若い明日・若い君若い僕(谷由美子)・若い太陽・と、遠藤実が作曲したこのシリーズはすべて今でも憶えていますが、私の一番好きな歌というと「忘れないさ」という曲になります。 この歌はスナックのカラオケでも何度となく歌ってきました。 どれも幼いころから聴いてきた好きな曲の数々ですが、今でも何気なく口ずさんでいる好きな歌に、「石狩列車」「わかれみち」という曲もあります。 当時は夜店で何かを買うことは叶いませんでしたが、それでもチラチラする灯りの中、わた菓子・焼きとうきび・焼きイカ・たこ焼きなどの匂いのする中をゆっくりと歩きながら眺めていたヨーヨー風船釣り・金魚すくい・輪投げなど、祭り独特のその雰囲気が楽しくてしかたありませんでした。 「ふるさとのはなしをしよう」今でも故郷を偲びたい時にはYouTube動画等で時々この歌を聴くことがあります。 思い起こせば、橋・舟木・西郷・当時の歌手御三家のような華やかさこそありませんでしたが、幼いころから私は北原謙二の歌声が大好きでした。 投稿: 芳勝 2019年8月10日 土 15時23分.

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