吉田晴乃 死去。 あの財界幹部が「11センチヒール」を履くワケ

吉田晴乃

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女性は地球の大きなインテリア 司会:次なんですけれども。 『ELLE』ということなので、気になるリーダーとしてのファッションについてお伺いしたいと思うんですけど。 いかがですか。 今日も、バッチリお二方決めてると思うんですけど。 吉田晴乃氏(以下、吉田):この質問が出てくるってわかってたら、着るもの考えちゃったよね(笑)。 上から下まで見られるんだろうな、って。 女性って、地球の大きなインテリアだと思うの。 (会場笑) 本当にそう思うのよ! 私ね、大好きなレストランがあって、マンハッタンのダニエルていうんですけど、是非行ってみてください。 日本にだって素敵なレストランはいっぱいあるんだけど、何が違うって、中にいる女性たちの着飾り方。 これ、すごく大事だと思うんですよ。 是非、日本の女性に特に申し上げたいのは「誰も見てないや……」なんて、こういうアンダーエスティメイト(過小評価)って、絶対良くない! 「いっつも、私を見ているんだ!」って。 トップに行く、リーダーになるグローバルの女性たちって、ものすごく自意識過剰なわけ。 でね、これはファッションだけじゃなくて、仕事にも間違いなくそうなんですよ。 「誰も見てない、私のやること……」なんて、手抜くでしょ? そういうことじゃないの、絶対。 自分の影響力ってものを、もっと信じなきゃ。 雰囲気を変えられる女性がもっと必要 吉田:女性のパワーってすごいんですよ。 私も「なんとか団連」ってものをやってますから(笑)。 男性だけのミーティングルームって、いっぱいあるわけですよね。 女性のパワーって、今一度感じたほうがいい。 私もオフィスでできるだけ着飾ろうとしてるの。 オフィスのインテリアにあまりお金使わないんですよ、お金がかかるから(笑)。 だけど、やっぱり社長がきちっとして出社してくると、クッと緊張感が。 「空気が変わる」ってのが、自分でわかるわけ。 私たちがこれから考えなきゃいけないのは「私たちがミーティングへ行って、パッと入った時に、空気変えられる女性ですか?」ってこと。 そういうエンパワーメントっていうのかな。 これはグローバル・スタンダードです。 言葉は通じなくても、あの人が入ってきただけで雰囲気が変わる、って人たちをたくさん見てきました。 そういう女性たちになりたいよね、っていう風に思いますよね。 その一部にファッションっていうのが大きくあるんじゃないかと思います。 女性リーダー2人のファッションに対する想い 司会:ファッションを選ぶ時って、自分で好きなものを選ぶんですか。 吉田:驚くかもしれないけど、たくさんの母のお古っていうのがあるんですよ。 今日はさすがに違うんですけど、アクセサリーとか。 うちの母っていうのは、一昨年亡くなったんですけど。 78歳で。 最後まで絶対に気を抜く人じゃなかったの。 家の中にいても。 着崩してるっていうのを見たことがないですよ。 それを、今でも神々しく思うわけ。 78歳でもできる。 死ぬ直前まで。 私たちだってやらなきゃいけないわよね。 そういうのはあります。 石谷桂子氏(以下、石谷):改めて、その通りだなっていうふうに感じました。 私も、この立場になった時に、広報部の人間から「持ち物とか着るものとかには、気をつけてください」っていうふうには言われたんですよ(笑)。 アメリカの田舎に7年間いたので、もうちょっとラフな格好でよかったんですけれども。 やっぱり、「違います!」と。 「そうは言っても、日本のマーケティングのトップで外に出て行かれることもあるんだから、そこはきちんとしてくださいね」というようなこと言われて、「えぇ……」って思ったんですけど。 やはり、おっしゃる通りで、出ていくこともあるし、そこで「素敵ですね」って言われるとうれしいし。 吉田さんほどゴージャスじゃないんですけど、気をつかうようにはしていますね。 外の方に会う時も多いので、ジャケットは割と着るようにはしているんですけど。 そういう意味では、大事かなと思ってます。 結構、真っ黒集団に入ることは多いですよね? おじさまたちがいっぱいいるような。 その中に黒いスーツっていうのも、華やかじゃないので。 ファッションに気をつかうって、大事なことじゃないかな、っていうふうに思います。 改めて思いました。 司会:そうですね。 是非『ELLE』誌で、ファッションを皆さんチェックしながら。 あと、こちらのリーダーをお手本にして。 吉田:ウーマノミクスでお金かけてますからね(笑)。 司会:洋服を買って経済にも貢献する、ということですね! ウーマノミクスで。 平和な時代に生まれた私たちの責任 司会:残り5分ということなので、皆さんにメッセージをお願いしたいんですけど。 吉田:これは、いろんなところでお話しているんですけど、いろんな時代に、いろんな日本人たちがいます。 そこに生きるいろんな女性たちっていうのがいましたと。 例えば、戦国時代があって、幕末があって、明治維新があって、戦争があって、戦後があって。 今、私たちは昭和、平成。 あなたたちは平成だわね。 生きてる女性がいます。 先人たちっていうのが、その時代に命を懸けて日本をつないできたんですよ。 命懸けだったんだよね。 この時代っていうのは。 江戸、明治からって。 私たち、その時代を経て、いろんなものを整えていただいて、この時代に生まれた女性としてね。 ひとつだけ絶対になかっただろうな、でも、その時代に生まれてきちゃったものは、女性が日本の輝く未来の突破口になります。 「あなたたち、立ち上がって下さい!」なんて言われたことは、この歴史上あっただろうかと。 恐らくなかったと思うのね。 私たち、平和な時代に生まれてきて、だけどそれって、先人たちのすごい苦労の挙句に、たまたまこの時代に生まれてきて。 だけど、その次の時代の橋渡しのために「やってください」っていうことがあるとしたら、ここは絶対に買ってでなきゃいけないんじゃないのかな、って私は今思っています。 今、少子高齢化とか、いろいろなことがある中で、日本の人口減とかっていうのは「社会危機」として言われてきているわけですよね。 私がやった、最大の功績があるとしたら、やっぱり自分で次世代につなぐ娘を持ったってことなんですよ。 これがどれだけ私を今まで支えてきたか。 これから私の人生を豊かにしていくか。 それはやっぱり動物のDNAだと思う。 私は、命をつないだって。 そこも、是非考えていただきたいと思います。 幸せな時代に生まれて、我々のミッションって改めてみんなと考えていきたいなと思います。 長谷川:ありがとうございます。 ロールモデルという言葉は好きじゃない 石谷:私、個人的に、ロールモデルっていう言葉が好きじゃなくて。 私自身がロールモデルだと全然思ってないですし、私自身のロールモデルもいなかったし。 私たちも1つのタイプでしかないので、女性を見ていただいて、自分がどうなっていったら幸せになっていくのかっていうことを考えてもらうのが一番いいんじゃないのかなと思います。 吉田さんにも本当にパワーをいただいたんですけど、私と吉田さんが共通しているのは、非常にポジティブで前向きだっていうことなんですよね。 過去と他人ってのは、変えられないんですよね。 未来と自分が変えられるので、常に前向きに一歩一歩進んでいっていただきたいな、というふうに思います。 みなさん100人100様のキャリアがあると思うので、おっしゃっていただいたように、幸せな時代に生まれましたし、いろんな形がこれから皆さんで作っていけると思うので、一緒に頑張っていきたいなっていうふうに思います。 司会:ありがとうございます。 お話を伺っていて、最後に私の印象として思ったのがお二方とも、すごく自然体でいらっしゃるということですね。 自分を大きく見せようとか、かっこつけるというよりも、自分らしさを持っているというのが、今日の印象として残りました。 それから、優しい。 語りかけるところが優しかったり、女性らしさを持っていて、リーダーのスタイルとして、男性と違うリーダーシップのスタイルってあると思うんですけど、それを今生きているような感じがして、たくさんのインスピレーションをいただきました。 今日はこれで終了ということで、もっともっと聞きたい、何時間も聞きたいですけれども、残念ながら時間となりましたので、お二方に大きな拍手をお願いいたします。 ありがとうございました。

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経団連初の女性役員 ド派手メイク美魔女社長の破天荒な経歴

吉田晴乃 死去

これからの日本や世界にとって、ジェンダーギャップの解消は大きなテーマのひとつ。 その流れをリードする「」でJapan 2019運営委員会の共同代表を務めるのが、 吉田晴乃さんだ。 W20とは、G7各国をはじめとする20か国が参加するG20のエンゲージメント・グループとして、G20に対して女性に関する政策を提言する組織。 吉田さんは、海外でシングルマザーとして働きながら、 「女性」「東洋人」という逆境に立ち向かってきた。 インタビューでは気さくに冗談を言いながらその場を和ませる。 それでいて、優美でピリッとした緊張感も併せ持つ。 これまでのキャリアや生きる上の軸とともに、次世代を担う女性たちへのメッセージを語ってもらった。 吉田晴乃(よしだ・はるの)さん 慶應義塾大学卒業後、カナダに移住し、その後アメリカ、日本、イギリスと4か国5社の情報通信技術系企業に従事。 2012年、BT社の日本法人初の女性CEOに就任(2018年まで)。 2015年に日本経済団体連合会(経団連)の審議員会副議長に就任。 同時に初の女性役員、女性活躍推進委員会委員長を務めた。 2016年、総理大臣の諮問機関、内閣府の規制改革推進会議委員。 2017年米国のフォーチュン誌のWorld's Greatest Leader50 の一人に選出される。 現在、W20の共同代表として活動するかたわら、英国オックスフォード大学院にて経営学を研究。 慶応義塾大学評議委員。 シングルワーキングマザーでもあり、国境を越え、幅広い人脈をもつ。 海外でシングルマザーに。 「生きるため」に働いた ——わたくしは男女雇用機会均等法の1年生だったの。 女性の募集要項には 「容姿端麗」「頭脳明晰」くらいしか書かれていない時代。 大学在籍中に就職は決まったけれど、大病をして卒業が遅れ、内定もお断りすることになったんです。 バイリンガルではあったから、病気を治してから外資系の通信会社で仕事が見つかったのね。 当時では珍しく、ひとり1台のアップルコンピューターが支給される最先端の仕事。 アメリカ人の幹部はわたくしを活用してくれた。 そこで見るアメリカのトップエグゼクティブの女性たちは、当時日本では見当たらなかったパイオニアだと感じた。 そこで、 わたくしの生きる道は海外にありそうだと直感しました。 結婚と共にカナダに移住して、ローカルの通信会社で働いた。 そこのマーケットで業績を上げて、社長賞などもいただいて。 経済界が素晴らしいのは、 「女性」「東洋人」というバイアスがかかっても、数字には勝てないところ。 営業成績という数値で自分の価値を示せること。 のちに離婚してシングルマザーになったから、娘と生きるために必死だった。 知恵を絞り、激しい競争の中で勝ち抜いていかなくてはならない。 逆に道はまっすぐに見えた。 まっしぐらに突き進むしかなかったから。 当時のことを思い返すと、 「あそこに地雷があるよ」「大丈夫、正しい選択よ」と教えてくれるような、女性の先輩がいたらどんなに楽だったかと思う。 自ら道を切り拓くしかなかったんです。 だから今こうしていろいろなところで話すようにしているんです。 ライフラインを提供するミッションと、日本への想い その後、娘とアメリカに渡り、それまでと同じ通信事業の会社に勤めたの。 生きるのに必死だったわたくしが、生きるミッションを感じたのは、 9. 11の事件。 NYPD(ニューヨーク市警察)が、「携帯電話を使わないで」「通信の帯域を空けて」と絶叫している。 わたくしたちが扱っているのは、ライフラインなんだと実感した。 そこで大きな使命感にかられたの。 同じ時期、グローバルに身を置きながら故郷の日本を見るに、 「日本にはいいものがあるのになぜ世界に出ないのか」「国際社会のエコシステム(業界の枠および国境を超えて、国や企業同士が共存していく仕組み)に日本が入らないのか」という気持ちも持っていた。 わたくしなりに日本に向けていろいろなメッセージを送っているつもりでいたけれど、なかなか届かない。 テクノロジーの世界にいて、日本のモノが世界に刺さっていない現状を見て、 日本が離れ小島になってはいけないと感じていたんです。 日本に戻ってきたのはやはりDNAに刻まれているものがあるのね。 わたくしがこれまでしてきた経験はとても過酷ではあったけれど、それを伝えたい。 新しい生き方を提示していきたいのね。 怖くてたまらないのは、勇気を振り絞って挑んでいる証拠 日本で働きながら、女性では初めて経団連(日本経済団体連合会)の役員に選ばれたの。 メンバーはもう、そうそうたる面々よ。 日経新聞に出ている人、テレビのニュースに出ている人、そんな人ばかりが目の前にいる。 この人たちが世の中を変えていく。 その一人として座っているんだと思うと、とても怖かったわ。 初めて手をあげたとき、きっとその場にいる方たちは 「女性が何を発言するのか」と耳をそばだてていたと思う。 素知らぬ顔をしているけれど、その気配を強く感じた。 怖気づきそうになったけれど、わたくしは世界の何十億人の女性を代表しているんだと感じたの。 「がんばれ」という声が聞こえるようだった。 ジェット機も、抵抗する空気圧がないと飛べないでしょう。 わたくしたちも同じ。 抵抗がない時、怖れがない時は、前に進んでいないのよ。 怖い時こそ、正しいことをしている。 つまり、 勇気と無鉄砲は紙一重だということ。 無鉄砲なときは怖くないけど、勇気っていうのはリスクを覚悟で、それでも前に進む決意。 だからとても怖いものなのよ。 人生の美意識はひとことでは語れない。 自分に問うことで答えがわかる 仕事で大切にしていることは、人生における美意識みたいなもの。 どんなに得をすることでも、醜いことはしないわ。 だけど、迷うことはあります。 経営者として、消えてしまいたくなるような決断をすることも……。 日々、矛盾することに立ち向かわなくてはならないの。 そんなときには、 「これは吉田かな?」と自分に聞く。 「吉田らしくない」と思ったら、それは私の美意識にそぐわないってことよ。 そうしたら考えなおさなくてはならない。 そうやって、自分の美意識にそぐった生をデザインすることが大切だと思っています。 これからの時代を担う女性には、自分の価値に気づいてほしいと思う。 「あなたがそのままでそこにいるだけで、実はどれだけ人のためになっているか」と伝えたい。 自分の価値に気が付いた時に初めて、隣の人が輝いていると気が付くの。 だから、誰かの価値を見つけるために、まずは自分の価値を見出さなくてはなりません。 まず、自分が幸せになってから、人を幸せにしてあげられるということね。 人は誰しも、思い込みやバイアスの呪縛に生きている。 脳の活動を知るとね、まずは 「Belief(信念)」が自分の根幹としてある。 その周囲に 「Perception(認知)」があり、さらに外側に 「Behavior(行動)」があるの。 ボールが飛んできたら避ける、という動物的反応は、Beliefがそうさせている。 でも、もし自分をキャッチャーだというInputがあれば、野球のボールが飛んできてもキャッチするでしょう。 そうして Beliefを変えれば、Behaviorが変わるの。 これからもっと女性が自分自身の価値に気が付き、社会で輝いていくためには、Beliefを変えていく必要があるはず。 「Reshape the Belief」という言葉を、これを読んでいる方々に贈りたいと思います。 撮影/柳原久子 2019年9月22日(日)青山ファーマーズマーケットにて、ワークショップ開催!.

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吉田晴乃

吉田晴乃 死去

人物 [ ] BTグループの日本法人であるBTジャパンの代表取締役社長。 卒業後は日本の大手企業への就職が内定していたが、卒業直前に病で倒れ、生死の境を彷徨う。 この病により内定先への就職は断念せざるを得なくなったが、これがきっかけとなり「世間体はばからず」な人生が展開したとインタビューで語っている。 病の克服後にアメリカの電子・通信機器メーカーの日本法人に就職。 1990年代に人男性と結婚し、カナダに移住。 カナダの通信会社に入社し、日本人向け市場の営業を担当する。 その後、離婚しシングルマザーとして1999年に渡米、 America Inc. (ニューヨーク)に転職。 2004年に帰国し、で営業課長としてビジネスのグローバル化に関する業務を担当する。 2008年にの大手日本法人に入社して営業本部長を務め、にBTジャパンの代表取締役社長に就任。 2015年6月2日に初の女性役員(副議長)に就任。 2016年9月より内閣府委員。 2017年、フォーチュン誌によるWorld's Greatest Leaders 50の一人に日本人としてただ一人選出された。 働く女性の地位向上の活動に従事し、米通信会社時代に、アジア太平洋地域の女性従業員委員会の副会長を務めていた。 を積極的に活用することで、ワーキングマザーや家庭に要介護者のいる人でも仕事を続けられるだけではなく、地方創生にも効果があると主張している。 2018年8月31日、経団連の副議長を退任。 2019年3月23日、第5回国際女性会議WAW! 2019年6月28日、29日に大阪で開かれたG20サミットで運営委員会共同代表を務める。 29日にはマキシマ・オランダ王妃やイバンカ・トランプ米国大統領補佐官らが出席した「G20大阪サミット 女性のエンパワーメントに関する首脳特別イベント」にて世界経済の成長における女性のエンパワーメントの必要性を演説した。 2019年6月30日、のため、死去。 55歳没。 関連項目 [ ]• 脚注 [ ].

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