東宝 採用。 東宝

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東宝 採用

本社所在地 〒100-8415 一丁目2番2号 10階から12階 : 設立 (7年) () 事業内容 映画事業 映像事業 演劇事業 不動産事業 代表者 代表取締役社長 資本金 103億5,584万7,788円 (2016年5月26日現在) 発行済株式総数 1億8,899万693株 売上高 連結:2,627億6,600万円 単体:1,221億1,900万円 (2020年2月期) 営業利益 連結:528億5,700万円 単体:308億円 (2020年2月期) 純利益 連結:366億9,700万円 単体:251億4,900万円 (2020年2月期) 純資産 連結:3,882億1,200万円 単体:2,240億8,100万円 (2020年2月期) 総資産 連結:4,902億8,300万円 単体:4,131億4,300万円 (2020年2月期) 従業員数 連結:3,253人 単体:372人 (2020年2月末日現在) 決算期 2月末日 主要株主 12. 東宝株式会社(とうほう)は、・の製作配給・興行やを行うの。 ので、2019年現在、2つの直営演劇劇場(、新館)を保有する。 阪急阪神ホールディングス(、)、(、)とともに、の中核企業となっている。 本社は有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様のメンバーであるが、と異なりには参加せず、のみに参加している。 歴史 [ ] 発足と急成長 [ ] 8月に阪神急行電鉄(現在の)のによって、演劇、映画の興行を主たる目的として を設立。 にを開場の後、有楽座、、を所有し、一帯を傘下に納め、を手中に収めるとともに、東京の興行界を二分するに至る。 一方、会社設立前年に創設された、トーキーシステムの開発を行う(Photo Chemical Laboratory、通称 PCL)は、関連会社と合併し、株式会社となる。 8月30日、東宝映画を合併し、映画の製作・配給・興行および演劇興行の一貫経営に乗り出し、同年12月10日に社名を 東宝株式会社と改めた(本社は旧東宝映画があった銀座7丁目大日本麦酒本社内)。 PCLにはなども出資しており 、東宝は発足当初から、従来の市井の興行師からスタートした映画会社とは一線を画する、財界肝いりの近代企業として期待と注目、そして反発を集めた。 なお、その名前の由来は「 東京 宝塚」の略である。 戦中、東京宝塚劇場と日本劇場は工場となり、戦後は東京宝塚劇場が専用の劇場と改名され、10年間観客としての日本人が立入禁止となるなど、歴史の証人を演ずることになる。 林長二郎事件 [ ] 東宝は設立時、天下の二枚目ことのをはじめ、多くのスターを驚くほどの高給で他社から引き抜いた。 11月12日、長二郎が、左顔面を耳下から鼻の下にかけて斜めに切りつけられ、骨膜に達する重傷を負う。 犯人のヤクザ松本常保 は、同年秋、長二郎がから東宝に移籍したことから、松竹系の京都撮影所長のらに教唆され、犯行におよんだものと判明した。 松本はこの事件で実刑を受けたが、後に刊行した自伝「みなさんありがとう」において「犯行に荷担していない」と表明している。 事件後、長二郎はこの名を松竹に返し、本名のを名乗るようになった。 プロデューサーシステム [ ] 東宝の資本とPCLの技術の上に映画の興行面で変化をもたらしたのは、製作における予算と人的資源の管理を行うプロデューサー・システムの本格的導入であり、これをもたらしたのがアメリカ帰りのとされる。 松竹の、日活のと並び称される森だが、この分野における足跡は大きい。 東宝は、PCL時代より民主的な社風で知られ、監督や大スターでも個室がなく、大物に対しても「さん」付けや「ちゃん」付けであった。 監督も部下の助監督や名もない俳優を「さん」付けや「ちゃん」付けで呼んだ。 また東宝はの因習やっぽい親方子方気質を引きずった、他の映画会社の封建的な体質を公然と批判し、他社のようにスタッフや俳優をに頼るのではなく、公募を戦前より行い、優秀な人材を得た。 しかし、獲得した優秀な人材は戦後のの中心メンバーとなったため、後に縁故採用を強化し、権力に逆らわない人材を入れる傾向に変わっていった。 東宝争議とその後の混乱 [ ] からにかけて経営者との対立が激化し、そんな最中、3月4日に本社を東宝文芸ビルに移転。 だが同年6月1日には撮影所を占拠した組合員を排除するため、、果てはのやまで出動する騒ぎになる。 これが「来なかったのはだけ」と言われたである。 この間、、長谷川一夫、、、、、、、、の十大スターが結成した十人の旗の会と、反左翼のをはじめとする有名監督の大半は、1948年4月26日に第三組合によって設立された(4月26日には系列会社・も設立)で活動することになる。 そのため東宝は再建不能と言われ、1949年3月15日に映画制作は新東宝に任せ、東宝は配給部門のみ受け持つ方針が真剣に協議されたこともあった。 大スターや大監督がごっそり辞めたことで、入社したてのらがすぐに主役として抜擢され、若い監督も活躍の場を得やすい状況になった。 残留組イコール左翼的という単純な色分けはできないが、共産党員の多くは放逐され、新東宝はまもなく東宝と絶縁して独立会社となったため、比較的リベラルだが政治には深入りしなかった人材が多く残ることになる。 新東宝は経営がすぐに悪化し1961年倒産、市川崑ら一部のスターや監督は東宝に復帰する。 日本映画黄金時代 [ ] に迎えた日本映画の黄金時代に際し、1957年からは「」を採用し、『』や『』などの作品や『』や『』などのによる作品を始めとする諸作品によって隆盛を極め、映画の斜陽化が始まったにもやでヒットを飛ばす。 また、や(これらは東宝四大喜劇シリーズとも呼ばれている)など安定したの路線を持っていたことも強みであった。 財界優良企業らしく健全な市民色、モダニズムを鮮明な作品カラーとし、日本映画が暴力、猟奇、エロティシズムに傾斜していく中でも東宝はそれらの路線とは一線を画し、距離を置いた。 上記のシリーズ物が定着する前は現代アクション物も得意とし、後年も『』、『』などの異色作に名残を残す。 これらは興行的には伸びなかったが、その後の再上映でカルト的な人気を誇った。 には、、松竹、と共にを開局。 テレビにも本格的に進出する。 映画製作部門の大幅縮小 [ ] から映画は斜陽産業と言われるようになり、東宝も顕著な観客減少に悩んでいたが、大規模な量産体制を他社と共に保っていた。 しかしカラーテレビの普及が本格化したになると観客減少は更に深刻な状況となり、大映は倒産、は会社に転向。 東宝もこの危機を脱するため、前述の東宝四大喜劇シリーズを全て終了するなどに本社での映画製作を停止、製作部門を分離独立させて発足した「」(現在の、設立1970年、社長)と傍系会社の「」(のちの、設立1983年、社長川上流一)、「」(設立1971年、社長)、新たに設立した製作会社「」(設立1972年、社長)、「」(社長)を5つの核とした製作体制に切り替えた。 ただし、専務取締役の藤本をトップに据えた まもなく田中友幸に交替 東宝映画ですら年に数本、他は芸苑社と東宝映像が年1、2本しか稼働せず、事実上この分社化をもって東宝の自社製作体制は幕をおろすことになる。 不採算作品が多くリスクの高い製作部門の停止に伴い、外部からの買取作品・委託引受け作品の配給に力を入れ、自社の興行網を維持する形に転換。 事実上、映画製作会社の看板を降ろし、配給や不動産部門、芸能事務所であるへ軸足を移しながら経営の合理化を進めた。 ただしグループとしてのイメージや、駅から近い一等地に座席数の多い一流映画館を多く持つため、同業他社のようなやの製作は行わず、そのような外部製作品を配給することも少なかった。 この時期、「東宝の映画館なら家族連れやアベックでも安心」といったイメージを死守したこと自体は、現在の東宝の繁栄の伏線となっている。 しかし予算的には非常にタイトとなり、今日でも評価の高い山本迪夫監督の怪奇映画の多くは二本同撮で作られ、ゴジラ映画は音楽や着ぐるみの使い回しが目立つようになった。 映画製作本数が急激に減った分、テレビ部の奮闘が目立つようになり、『』、『』などがヒット。 ただし、70年代までは砧撮影所は使用せずにやを制作協力のクレジットで孫受け発注したり、スタジオを持たない円谷プロの場合などはなどの傍系スタジオを使用するケースが多かった。 東宝配給の劇場映画も実際は(作品など)や(作品など)で製作するものが増えた(これらの映画は監督やメインスタッフも大映系、日活系が殆どである)ため、砧撮影所は急速に稼働率が低下、人員も離散した。 大ベテランの、両監督を解雇した1977年を一時代の終焉と見ることもできる。 それでも1980年代半ばまでは、東宝シンデレラコンテスト出身の所属タレントで人気アイドルだったや主演のアイドル映画を東宝映画が製作するなど、独立プロダクション程度の活動は継続していた。 そしてこの時期からアニメーションの製作にも関与するようになる。 一方で、 - にとして子供向け映画を上映した。 また、この時期はバブル期であり、そのためか、、、、などが建て替えられ映画興業以外もおこなう複合施設となり、資産価値を増加させている。 現在 [ ] に入ると、自社での邦画製作は「 シリーズ」を除き行われなくなり、主にテレビ局や外部プロダクションが製作した映画を配給し、成功を収めた。 以降は、が優位に立っていたシネコン市場に本格的に参入し、2003年の ヴァージン・シネマズ・ジャパン株式会社(現・株式会社)の買収で、グループ企業のスクリーン数では第1位を誇っていた(2019年現在ではワーナー・マイカルの後身であるが第1位)。 その後も日本映画界や興行界に不動の地歩を占め続け、現在に至っている。 製作会社(テレビ局が多い)も大予算をかけた自信作は興行に強い東宝へ配給委託し、それがまた数字を積み上げるという好循環が重なった結果、ここ数年は一人勝ち状態が定着した。 1980年代前半までライバルとして競り合ってきたや松竹は、今では二社の興行収入を合わせても東宝の数分の一である。 また、かつて映画館用地として購入した全国の一等地の物件の賃貸を中心とする事業も、のうち約4割を占め、地味ではあるが、業績を下支えする安定した重要な事業になっている。 なお同社は大手映画会社としては唯一撮影所出身の社長が存在しなかったが(経営陣待遇の大物プロデューサーと言われたうち、森岩雄と藤本真澄は副社長、田中友幸は東宝映画会長どまり)、2002年に初のプロデューサー経験者(キャリアパスとしての短期間ではあるが)として高井英幸が社長に就任した。 近年は、東宝本体でに参加するなど、映画製作において積極的な姿勢をとっている。 また砧撮影所の空洞化や技術伝承の中断に危機感を持ってレンタル展開を積極化。 単独出資での「東宝映画」はほぼ絶えたものの、製作参加・配給・撮影所供給といった形で東宝カラーを打ち出し、守る方向が試されつつある。 には『』を新設、同時に自社音楽レーベルも立ち上げ、自社企画での事業の強化に乗り出している。 主要映画作品 [ ] 「」を参照 主要テレビ作品 [ ] 1960年代 [ ]• 1970年代 [ ]• ボクは女学生• ボクは恋人• (東宝映像)• 1980年代 [ ]• (東宝企画)• 1990年代 [ ]• 2000年代 [ ]• 2010年代 [ ]• 関連人物 [ ] 歴代会長 [ ]• 1943年12月10日 - 1947年3月9日:• 1947年12月26日 - 1949年4月12日:• 1949年9月26日 - 1950年1月16日:• 1950年9月28日 - 1955年9月20日:• 1957年3月25日 - 1962年9月24日:佐藤博夫• 1962年9月25日 - 1966年9月23日:• 1966年9月24日 - 1974年8月21日:• 1974年8月22日 - 1981年5月24日: 歴代社長 [ ]• 初代:1943年12月10日 - 1947年3月9日:• 2代目:1947年3月10日 - 1947年12月22日:• 3代目:1947年12月26日 - 1949年9月25日:• 4代目:1949年9月26日 - 1950年9月27日:• 5代目:1950年9月28日 - 1951年9月27日:• 6代目:1951年9月28日 - 1955年9月19日:• 7代目:1955年9月20日 - 1957年10月1日:• 8代目:1957年10月5日 - 1966年9月23日:• 9代目:1966年9月24日 - 1974年8月12日:• 10代目:1974年8月22日 - 1977年5月24日:• 11代目:1977年5月25日 - 1994年:• 12代目:1995年 - 2002年5月22日:• 13代目:2002年5月23日 - 2011年5月25日:• 14代目:2011年5月26日: 主なプロデューサー [ ]• (現在はとして活動中)• テレビ部• テレビ部 主な監督 [ ]• 主な脚本家 [ ]• 主な音楽家 [ ]• 主なカメラマン [ ]• (としても活躍)• 山田康介 主な俳優(男性) [ ]• (竜崎一郎)• 主な俳優(女性) [ ]• 横山道代(現・)• 菱見百合子(現・)• 関根恵子(現・)• 大塚ちひろ(現・)• オープニングロゴ [ ] 中央に放たれる光の中心にロゴマークが配され、下部に黄文字で「東宝株式会社」と横書きされる(初期のカラー作品は「東宝株式会社製作」になっている)。 作品では東宝マークの左右に黄色いの立体処理で「TOHO」「SCOPE」と配されていた。 北米公開時には東宝マークの中に「TOHO」のアルファベットが入り、下部の社名表記が「TOHO COMPANY, LTD. 」に変わる。 円谷英二によってデザイン・制作されたものであり、1992年の創立60周年以降はそれまでの実写・光学合成による映像に代わり、CGで制作されたものが使用されている。 映画館 [ ] 東京、名古屋、大阪、京都の主要館をかつては直営として経営していた。 1990年代末期以降、本社地区は東宝サービスセンターに、関西地区は東宝ビル管理に、中部地区は中部東宝に運営を委託。 2006年以降、東宝グループの映画興行をTOHOシネマズに集約することになったため、現在は東宝の直営館は存在しない。 以下、東宝直営館として閉館した映画館を示す。 傍系の映画興行会社が経営していた映画館はを、TOHOシネマズに移管した映画館はを参照のこと。 本社地区 [ ]• (1-12)• 東京宝塚劇場(宝塚会館 1階)• スカラ座(宝塚会館 4階)• 東宝演芸場(宝塚会館 5階)• スカラ座の当初の名称は東宝四階劇場。 東宝演芸場の当初の名称は東宝小劇場。 それぞれ改装時に改称している。 東京宝塚劇場は戦時中はの工場として使われた。 戦後はGHQに接収(1945年12月24日 - 1955年1月26日)され、アーニー・パイル・シアター(1946年2月24日 - 1955年1月26日)と改称された。 (2-5-1)• 日本劇場(日劇会館 1階)• 日劇ミュージックホール(日劇会館 5階)• 丸の内東宝劇場(日劇会館 地下1階)• 日劇文化劇場(日劇会館 地下1階)• 当初日本映画劇場株式会社の所有だったが、1934年3月14日より直営興行を開始し、その後同社を吸収合併し所有権を得た。 戦時中は風船爆弾の工場として使われた。 丸の内東宝劇場は戦後、地下増床工事により開館した。 日劇文化劇場は当初、専門館の第一地下劇場で戦後の改装時に日劇ニュース劇場となり、さらに改称され日劇文化劇場となった。 1984年10月6日、日劇と跡地に(通称・有楽町マリオン)がオープンした。 旧日劇(現在の有楽町)側にTOHOシネマズ日劇がある。 日比谷映画劇場(東京都千代田区有楽町1-2-2)• 閉館に先駆けて、東宝邦画系封切館「 千代田劇場」は洋画ロードショー館「 日比谷映画」としてリニューアルオープン(ただし「劇場」は外している)。 (東京都千代田区有楽町1-2-2)• 当初演劇用劇場であったが、1951年1月1日に映画館に改装した。 2005年4月9日、「 ニュー東宝シネマ」が有楽座の名称を復活させリニューアルオープン。 現在の館名は「 TOHOシネマズ有楽座」。 1987年10月3日、日比谷映画劇場と有楽座の跡地に東宝日比谷ビル(通称・)がオープンした。 東宝会館(東京都千代田区有楽町1-2-1)• (東宝会館 4階)• (東宝会館 1階)• みゆき座(初代)(東宝会館 地下)• 日比谷映画は当初、東宝邦画系封切館「 千代田劇場」として開館。 1984年10月31日に閉館する日比谷映画劇場の名称を引き継ぎ同年10月27日に日比谷映画に改称した。 みゆき座は1971年2月1日に日本初となるノンリワインド映写機を導入している。 閉館の翌4月1日、スカラ座2がみゆき座の名称を引き継いだ。 現在は館名が「 TOHOシネマズみゆき座」に変更されている。 2007年10月、跡地に東宝ビルがオープンした。 (東京都2-6-17)• 渋谷東宝劇場(渋谷東宝会館 1階)• 渋谷スカラ座(渋谷東宝会館 4階)• 渋谷文化劇場(渋谷東宝会館 地下)• 当初は東横映画劇場であったが、1944年9月1日に渋谷東宝劇場に改称している。 渋谷文化劇場のみ1952年6月9日に設立された株式会社渋谷文化劇場が経営・運営していた。 1991年7月6日、跡地に渋東シネタワーが開館した。 2011年7月15日、 TOHOシネマズ渋谷としてリニューアルオープンした。 (東京都1-19-2)• 新宿プラザ劇場(新宿東宝会館 1階)• ニュー東宝シネマ2(東京都千代田区有楽町2-2-3、ビル地下1階)• 封切館「 スキヤバシ映画」として開館。 大映系のチェーンマスターとして機能したが、同社の・制作配給からの撤退に伴い、東宝洋画系に転換の上1972年5月に上記の館名に変更。 シネマ2の閉館の際、「 ニュー東宝シネマ1(オープン当時の館名は『 ニュー東宝』)」は「 ニュー東宝シネマ(現在のTOHOシネマズ有楽座)」に館名を変更した。 現在、跡地には「」数寄屋橋本店地下1階店と「」が入店している。 渋谷宝塚劇場(東京都渋谷区21-6)• 1999年12月18日、跡地に複合商業ビル「」がオープンし、同ビルの7階に渋谷シネフロントが開館した。 (東京都1-51)• 上野宝塚劇場(東京都台東区上野公園1-52)• 2005年4月、上野東宝劇場・上野宝塚劇場跡地に飲食店舗ビル「上野バンブーガーデン(正式名称:東宝上野ビル)」がオープンした。 関西地区 [ ]• 梅田会館(梅田劇場・梅田スカラ座・北野劇場・北野シネマ・梅田地下劇場)(大阪市北区角田町7-10)• 戦後間もなくはGHQに接収されていた。 (南街シネプレックス - 南街劇場・南街東宝・南街シネマ・南街スカラ座・南街文化劇場)(3-8-11)• 前身は1938年に開館した南街映画劇場。 戦後に改築した。 2006年9月22日、跡地に東宝南街ビルがオープンし、地下1階から7階は、8階から11階はTOHOシネマズなんばが入店している。 (京都宝塚劇場・京都スカラ座)(下ル大黒町58)• 2008年4月25日、跡地に複合商業ビル「」がオープンした。 1・2・3(京都府京都市中京区四条上ル仲之町534-1)• 2008年12月11日、跡地にビジネスホテル「スーパーホテル京都・四条河原町」がオープンした。 (名宝劇場・名宝スカラ座・名宝シネマ)(1-2-6)• 2004年11月1日、跡地に名古屋東宝ビルがオープン、併設してビジネスホテル「リッチモンドホテル(オープン当時はロイネットホテル)名古屋」がオープンした。 (愛知県名古屋市中区栄3-15-20、本店北館地下1階)• 2006年6月、跡地に大人向け「」がオープンした。 1・2(愛知県名古屋市1-2-4、名鉄バスターミナルビル内)• 2006年10月25日、跡地も含めて本店メンズ館としてリニューアルオープンした。 東宝年間配給収入 年度 年間 前年対比 配給収入トップ番組 出典 映画タイトル 配給収入 056億5544万円 093. 3億円 081億2496万円 143. 1億円 083億9736万円 103. 1億円 063億0227万円 075. 9億円 078億7992万円 125. 0億円 132億3531万円 168. 0億円 116億4570万円 088. 0億円 100億3563万円 086. 0億円 083億4119万円 083. 0億円 081億0065万円 097. 5億円 138億4163万円 170. 5億円 163億9281万円 118. 0億円 115億4610万円 070. 0億円 158億8200万円 137. 0億円 105億7727万円 066. 2億円 106億5715万円 100. 2億円 109億4924万円 102. 7億円 128億5199万円 117. 0億円 108億0360万円 084. 2億円 118億6376万円 0109. 3億円 113億8156万円 095. 5億円 106億7251万円 093. 0億円 193億7016万円 181. 0億円 187億4106万円 096. 0億円 167億6040万円 089. 0億円 2000年以降 [ ] 邦画配給会社別の年間興行収入(2000年以降) 2000年からは、映画の興行成績はで発表されている。 5億円 548億5756万円 214. 0億円 312億3703万円 056. 6億円 421億7402万円 135. 5億円 542億5622万円 128. 0億円 525億0934万円 096. 0億円 587億7720万円 111. 9億円 595億1067万円 101. 5億円 739億1459万円 112. 0億円 654億9331万円 088. 5億円 748億6912万円 114. 6億円 591億1110万円 079. 6億円 741億3577万円 125. 3億円 673億2289万円 090. 2億円 729億6541万円 108. 6億円 731億5117万円 100. 0億円 854億2671万円 116. 3億円 620億2311万円 072. 9億円 605億3664万円 097. 0億円 演劇 [ ] かつては長谷川一夫をメインとした「東宝歌舞伎」などが行われたほか、日劇・北野劇場での実演(歌謡ショー等)、、演芸のや日劇ミュージックホールや南街ミュージックホールでのヌードショー等多彩であった。 現在はミュージカルや商業演劇を主に制作、興行している。 主な劇場 [ ] 東宝直営• 建物(東京宝塚ビル)自体は東宝所有。 その他• (経営)• かつて存在した劇場 [ ]• (日劇)• 舞台制作や興行も同社の手により行われていたが、新聞案内広告では「東宝の演劇」として扱われることが多く、長年金曜日の夕刊(東京本社版)に掲載された東宝提供の「東宝の映画演劇」の広告にも併記されていた。 ゲームソフト [ ] 1987年から1998年まではゲームソフトの販売も行っていた。 ゴジラ()• (ファミリーコンピュータ)• 芹沢信雄のバーディトライ• ポコニャン! へんぽこりんアドベンチャー• 関連会社 [ ] 現在で連結子会社52社、持分法適用関連会社4社である。 ここでは、に上場していた連結子会社3社、持分法適用関連会社2社のみを挙げる。 これ以外については「」の項目を参照。 連結子会社 [ ]• (元市場第一部。 2013年完全子会社化により上場廃止。 2017年3月1日付で解散)• (東京証券取引所市場第一部)• 2011年完全子会社化により上場廃止) 持分法適用関連会社 [ ]• (東京証券取引所市場第一部)• (市場第二部) 所有ビル [ ] 有楽町・日比谷地区 [ ]• - 阪急MEN'S TOKYO・スクリーン2(旧:日劇)部分など区分所有。 (19階建) - 中高層階は賃貸オフィス、1階 - 6階は、地下1階・2階は映画館(、)• - 本社など各種オフィス、低層階に日比谷シャンテ• 新宿地区 [ ]• - 元および新宿東宝会館の跡地に2015年4月17日オープン。 TOHOシネマズ新宿(3階 - 6階)、系の「ホテルグレイスリー新宿」(8階 - 30階)などが入居。 大阪地区 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 後の映画プロデューサー。 、の社長として長年京都を中心に活躍した。 2015年04月27日• スタイル 2013年3月3日、同7月2日閲覧。 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、332頁。 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、342頁。 「1977年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(53年)下旬号、、1978年、 118 - 125頁。 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』、2003年、223頁。 「1978年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(54年)下旬号、、1979年、 118 - 125頁。 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』キネマ旬報社、2003年、230-231頁。 「1979年度日本映画・外国映画業界総決算」『』(55年)下旬号、、1980年、 122 - 124頁。 「1980年度日本映画・外国映画業界総決算」『』(56年)下旬号、、1981年、 116 - 119頁。 「1981年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(57年)下旬号、、1982年、 118 - 125頁。 「1982年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(58年)下旬号、、1983年、 112 - 118頁。 「1983年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(59年)下旬号、、1984年、 110 - 116頁。 「1984年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(60年)下旬号、、1985年、 114 - 120頁。 「1984年邦画4社<封切配収ベスト作品>」『』(60年)下旬号、、1985年、 120頁。 「1985年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(61年)下旬号、、1986年、 122 - 128頁。 「1986年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(62年)下旬号、、1987年、 124 - 131頁。 「1987年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(63年)下旬号、、1988年、 191 - 192頁。 「1988年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(元年)下旬号、、1989年、 167 - 172頁。 「1989年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(2年)下旬号、、1990年、 175 - 176頁。 「1990年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(3年)下旬号、、1991年、 143 - 144頁。 「1991年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(4年)下旬号、、1992年、 143頁。 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(5年)下旬号、、1993年、 147 - 148頁。 「1993年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(6年)下旬号、、1994年、 155 - 156頁。 「1995年日本映画・外国映画業界総決算」『』(8年)下旬号、、1996年、 160頁。 「1996年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(9年)下旬号、、1997年、 156頁。 「1997年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(10年)下旬号、、1998年、 168 - 169頁。 「1998年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(11年)下旬号、、1999年、 175 - 176頁。 「1999年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『』(12年)下旬号、、2000年、 154頁。 「2011年 日本映画・外国映画 業界総決算」『』(24年)下旬号、、2012年、 201 - 202頁。 「2012年 日本映画・外国映画 業界総決算」『』(25年)下旬号、、2013年、 205頁。 「2013年 日本映画・外国映画 業界総決算」『』(26年)下旬号、、2014年、 198 - 199頁。 「各社2014年の動向を見る」『』(27年)下旬号、、2015年、 88 - 92頁。 「各社2015年の動向を見る」『』(28年)下旬号、、2016年、 72 - 73頁。 「各社2016年の動向を見る」『』(29年)下旬号、、2017年、 68 - 69頁。 2017年11月2日閲覧。 「各社2017年の動向を見る」『』(30年)下旬号、、2018年、 48 - 49頁。 「2018年映画業界総決算」『』(31年)下旬特別号、、2019年、 38 - 52頁。 - 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - チャンネル.

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【18卒採用選考】東宝株式会社のES・面接の選考体験記 総合職

東宝 採用

オリエンタルランドは遊園地・レジャー事業を展開しており、有名なディズニーランド・シーを運営している会社です。 その他にも株式会社任天堂はゲーム事業を展開しており、DSやswitchなど有名なゲーム機を製造しています。 このようにエンタメ業界と言っても、とても広く括られていることが分かります。 今回紹介する東宝は映画事業で有名な会社になります。 東宝とは 東宝はもともと「株式会社東京宝塚劇場」であり、その後東宝映画と合併したことにより東宝という社名に変更されました。 「映画」「演劇」「不動産」の3つを柱とし、それらが互いに支え合うことで経営基盤の強化を図っています。 映画業界で売上1位を誇っており、ヒット作品の数も他社と比べると遥かに多いことが特徴と言えます。 実際の映画業界の売上ランキングと売上高は以下の通りになっています。 ・未来のミライ(2018年) ・君の膵臓が食べたい(2017年) ・君の名は(2016年) 続いては東宝が具体的にどのような事業を行っているのか、下記で紹介します。 映画 ・映画の企画、製作及び製作請負 ・映画の配給及び売買 ・映画その他の興行 ・テレビ及びインターネット等で放送又は配信される番組の企画、制作、制作請負、販売及び賃貸 ・出版物、オーディオソフト、ビデオソフト及びキャラクター商品等の企画、制作、販売及び賃貸 ・著作権、商品化権、商標権その他の知的財産権の取得、使用、利用許諾その他の管理 演劇 ・演劇の企画、製作及び製作請負 ・演劇の興行 不動産 ・土地及び建物の賃貸、管理、売買及びこれらの仲介並びに駐車場の経営 ・プロフェッショナル志向 ・引き出しとアンテナ ・プロデュース能力 ・自分を磨く力 【引用】 上記の4つのポイントについてわかりやすく説明します。 プロフェッショナル志向 現実的な視点で物事を捉え、裏方として支える強い気持ちを持ち、 「映画・演劇業界でビジネスパーソンとして活躍したい」という思いの出発点に、「たくさんのお客様に楽しんでいただきたい」という顧客を第一に考えられる人のことを指します。 引き出しとアンテナ お客様の心を動かし、新たな作品やサービスを創造するために、「好奇心」はなくてはならないものです。 好奇心旺盛な人とはすなわち、情報の「引き出し」を多く持ち、興味の「アンテナ」を広く張っている人のことです。 プロデュース能力 新たな作品やサービスを創造するためには、社内外のリソース(人・モノ・お金)をあらゆる場面で結集させなくてはなりません。 このようなリソースの力を最大化させるために必要となってくるのは、総合的に調整・交渉・説得・問題解決できる能力です。 この能力をプロデュース能力と呼んでいます。 自分を磨く力 自分を磨く力とは、新たな作品やサービスを創造し続けるために、現状に満足することなく、自分を磨き続ける力が不可欠です。 そのため「よりよい自分を目指したい、よりよいものを創り出したい。 」そうした気持ちが重要になります。 上記の求める人材像からで挙げられている内容を踏まえると、求められる素養として特に以下3つが当てはまると推測します。 自分を磨くということは、現状に満足せず、より良い自分を目指すということです。 そのため、「個人として努力し、成果をあげることができる」という素養は必要になります。 また、不確実性の高い映画・演劇ビジネスにおいて世の中のあらゆる物事に興味・関心を持ち時代の半歩先にあるニーズを掴むことはとても重要になります。 そのため、先程述べた「課題やニーズを引き出し、解決のための提案から実行まで行うことが出来る」という素養は必要であると言えます。 映画・演劇業界は目まぐるしく変化する業界です。 そのため、今までにない仕組みや企画を考えるという素養は必要であると考えます。 東宝のインターン選考フロー 21卒対象の選考フローがまだ開示されていなかったため、以下のフローは20卒対象になります。 東宝インターン選考ESの対策 20卒対象の情報が分からなかったため、以下の設問は19卒対象のものを参考にしています。 これまでの学生生活で頑張ったこと(300文字以内) ガクチカを聞かれる意図としては「経験自体のレベル・スペックの把握」「自社に合う・マッチする人材か知るため」の2つがあります。 ガクチカを書く際は、「実績自体のインパクトがどれだけあるか」「書いてある内容から思考力・考えの深さ・人柄を示すことができているか」に注意して書くようにしましょう。 また、その際は東宝の求める人材像を意識して書くと良いと思います。 詳しい書き方は以下のフレームワークを参考にしてください。 また、東宝のガクチカは300文字以内と字数が限られているため、フレームワークの内容に沿って簡潔に伝えるようにしましょう。 【参考】 当社のインターンシップ参加希望理由(300文字以内) この設問は志望動機について聞かれています。 企業が志望動機を聞く理由としては、「自社への志望度を知りたい」「入社の際のモチベーションを知りたい」の2つがあります。 ですので、上記2つの理由を網羅する論理的な志望動機を伝え、選考官に「だからこの人は弊社の選考を希望しているのか」と思ってもらう必要があります。 また、志望動機に関しては、ただ単純に「参加したい理由」を述べるだけではなく、「そのインターンで何を学びたいのか?何を経験したいのか?」という内容を述べ、その上で「参加したい理由」を伝えるようにしましょう。 以下のフレームワークに沿って考えてみてください。 回答例が見たい方はを参考にしてみてください。 これだけは誰にも負けない!ということ(300文字以内) この設問は自己PRについて聞かれています。 正しい自己PRをするためには、その企業のビジネスモデルを理解した上で、その企業がどんな「強み」を求めているかを明らかにする必要があります。 例えば東宝であったら先程求める人材像でも述べましたが、好奇心を持ち、世の中のあらゆる物事に興味・関心を持てる人や、「たくさんのお客様に楽しんでいただきたい」という顧客を第一に考えるプロフェッショナル志向がある人材を求めています。 自己PRの構成については以下のフレームワークを参考にしてみてください。 また、文字数が300文字と限られているため、特に下記のフレームワークの「強み」「強みの原点」「具体的エピソード」「強みの活かし方」について書くようにしましょう。 【参考】 好きな映像作品または演劇3つ この設問はESでは作品名を記入するだけで良いですが、面接ではその作品について深掘りされることが予想されるので、好きな理由をうまく話せるように準備しておくと良いでしょう。 東宝のインターン選考面接対策 選考フローにある企画書提出の課題については、詳細がわかりませんでした。 そのため企画書提出の次のフローである面接対策の解説に移ります。 1次面接 ・どうして映画業界という特殊なインターンシップに参加したいのか ・学生時代頑張ったことは 上記の2つの質問は先程も紹介した「志望動機」と「ガクチカ」の考え方と同様で構いませんが、面接ではESと異なり、面接官とのコミュニケーションが重要になるため、面接官の質問の意図に沿って回答することを意識してください。 【参考】 人生で1番心に残った映画 この質問は価値観や人となりを見極めようとしています。 上述した東宝の求める人材像の中でも、特に「プロフェッショナル志向」「引き出しとアンテナ」があるかどうかを採用基準としていると考えられます。 つまり情報の「引き出し」を多く持ち、興味の「アンテナ」を広く張っている、また現実的な視点で物事を捉えられる人材であることをアピールすると良いでしょう。 最後に 本記事では東宝のインターン内容とその対策について紹介しました。 東宝のインターンの受け入れ人数はどのコースも少人数なので、しっかりと選考対策をする必要があると言えます。 また、選考フローはESから面接まで様々な選考がありますが、選考突破しインターンに参加するためにもまずES選考を通過しましょう。 そのためには、本記事で紹介したフレームワークを意識し、また東宝の求める人材像に沿って回答するようにしてみると良いと思います。 本記事を通して「企業理解・選考対策」を万全にしていただき、インターン選考突破を目指していただければと思います。

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東宝の選考を勝ち抜く対策と内定者の志望理由3つ

東宝 採用

「住まい」に関わるすべての人たちを、 「住まい」のもっと先へお連れするために。 私たち東宝ハウスグループは 創業40年から50年へ さらにその先の100年続く企業を目指しています。 お客様ひとり一人を見つめ、同じ空間を共有する。 そして、その人生に寄り添いながら 夢と希望と安心をお届けして 幸せな人生へと導いていく。 「モノや情報」が価値を持つ時代は過ぎ去り、「心」の時代が始まっている ーーー 東宝ハウスはそう確信しています。 「住まい」に関わるすべての人たちに、その先にある 「心」の平和をお届けしたい、幸せな未来を叶えるお手伝いをしたい。 私たちは、「心」に 配慮した新しい価値を、体温が感じられる新しいサービスを生み出し続けていきます。 ~東宝ハウス横浜 代表取締役 佐藤より~ お客様一人ひとりが抱いている「住まい」への想いは、ひとつとして同じものはありません。 その想いにどこまで近づくことができるのか、 どれだけ同じ風景やシーンを共有することができるのか。 そのために、私たちはお客様の言葉にしっかりと耳を傾け、同じ視点で見ること、 同じ気持ちで考えることを心がけながら、日々の仕事に携わっています。 お客様の心を100%理解することは不可能かもしれません。 でも、「お客様をわかる」ことへの努力を惜しまない人であり 会社でありたいと思っています。 私たちは、家を売ることが仕事だとは考えていません。 「住まい」を通じて、「今」そして「将来」も、 私たちのお客様が、心豊かで幸せに暮らしていくためのお手伝いを させていただくこと、それが東宝ハウスの仕事であると思っています。 東宝ハウス横浜の強み、未来の仲間に向けて 声を大にしてお伝えできる強みがあるとすれば、それは組織力です。 写真にある熊井次長は、東宝ハウスグループ全社での最優秀課の常連。 個人売上ではなく、チームワークと個性を大事にお客様と向き合い 組織としての売り上げ最大化をする事には定評があります。 事実、当社では 入社当初は何もできなかった、不安しかなかったというメンバーが 数か月後にはこのお仕事を好きになり、前向きに取り組め 結果としてお客様からの大きな期待をいただいている、という事も 何ら不思議ではございません。 10人のメンバーがいれば、それぞれ10人10色の強みや特徴があってしかるべき。 ステレオタイプ的に、右向け右の組織を作るのではなく 一人一人の個性に合わせた理想の営業スタイルを、上司と共に見つけていきましょう。 【入社前の経歴】 2018年新卒入社。 大学まで体育会サッカー部に所属し、青春時代の情熱のほとんどをサッカーに注ぎ込んでいました。 お勉強よりも、体を動かすこと、サッカーをする事がほとんどだったので、まさか今スーツをびしっと着て営業をやっているとは…当時の仲間からはびっくりされます。 【入社の決め手】 漠然とした不動産への興味(稼げそう)から、説明会を色々受けてました。 そんな中でも、話していただいた 佐井川社長(現東宝ハウスホールディングス社長) 佐藤社長(東宝ハウス横浜社長) 大家社長(東宝ハウス国分寺社長)など、お会いする方全てに惹かれ、「ここしかない!」と思って入社を決意しました。 【入社後について】 同期入社は8名。 最初の1年間は宅建士の資格に向けて勉強をひたすらしていました。 不動産の知識や、内覧、お客様のご案内を通じて無理なく知識を身に着ける事ができ、12月には無事に初契約をあげる事が出来ました。 今でも鮮明に覚えているのですが、同郷の九州出身の40代手前の4人ご家族で 足立区のマンションを購入していただきました。 お客様でありながらも、息子の様にかわいがってくれました。 若手は若手らしく、知識や経験には頼らずに、フレンドリーで身近な存在に居たい。 本音を言ってもらえるような存在でいたいな、とその時から意識するようになりました。 【将来について】 今期はラウンドテーブル(年収1000万円)をいよいよ目指したいです。 熊井次長のグループが表彰されたからこそ、個人も表彰されたい。 そういう成長意欲が出てきました! 将来は管理職を目指して頑張っていきたい。 プライベートでは、ここまで育ててくれた両親に旅行とか連れて行ってあげたいですね。 定時制高校に通いながら、日給で7~8000円貰えるので引っ越し業界で働き始めたのをきっかけに、その後は家具屋さんや友人の会社などで、主に配送などの現場系仕事に多く従事してきました。 お給料の面では特段不満などは無かったのですが、結婚を考えていた中で、 そろそろ30歳だし、体力的にも安心できるお仕事をしたい。 相手の親に会う時に、スーツを着たお仕事の方が印象が良いかな? との思いから、不動産企業を受けました。 競合大手さんと、東宝ハウス横浜に受かったのですが その当時大手さんは求人に書いてあることと、面接で聞いた時の印象や事実が異なってて、不安を覚えたのですが東宝ハウスにおいては、面接の時の印象がとても感じが良かったのと、包み隠さずすべてを見せてくれたのを今でも覚えています。 佐藤社長から「経験や知識が無くて不安だと思うけど、しっかり稼げうようにさせてあげるからな!」と力強く言われたのが今でも忘れられません。 人と接することは好きといえど、営業が自分に務まるのか?という不安はありましたが この仲間、上司となら大丈夫だろうと、漠然と思いました。 2016年9月に入社したのですが、入社してしばらくは案内はできているけど、契約にはなかなか至らず…という状態が5か月くらい続きました。 意気揚々と転職したものの、俺は向いてないんじゃないか? 大丈夫なんだろうか? という不安もよぎりましたが、それでも折れずに愚直に頑張れ続けたのは、 先輩・上司の存在が大きいです。 毎日指導をしてもらったり、忙しい中でも嫌な顔一つせずに質問に答えてくれたりする中で、入社から5か月後くらいから結果が出てきました。 2019年度がはじまるタイミングで、主任にもしていただきました。 自分の仕事も大事だけど仲間の仕事も助けてあげる。 お客様に提案できることの幅を広げたいと思い、FPや宅建の勉強をしていきたい。 次は宅建資格を取って、課長に。 社長・次長の元で恩返しをしていきたいという想いがあります!• いい話ではなく、悔しい話ですが… 最初の1年は、担当替えを2回程いただきました。 会社に対する自信、聞かれたことに対して深く答えられない。 当時を振り返ると、すべてに消極的だったと思います。 教えてもらう、受け身の仕事だけでは身につかない。 自分から率先して、能動的にやってみて、 身につくまでトライアンドエラーを繰り返せるのか?が大事です。 お客様も、人生の中で大きな決断を私たちにゆだねてくれます。 そんな苦楽を共にしたお客様だからこそ、今ではお付き合いを大事にしたいと想い 年末に、成約されたお客様に贈り物を送り続けています。 昨年はバウムクーヘンや、お出汁など。 ほんの些細なお気持ちですが、折角いただいたご縁ですから、 アフターサービスをしっかりしていきたい。 「年末のこの時期、贈り物を頂くと家を買ったときのあの気持ちを思い出します」 そんなお言葉を頂けると、やりがいもひとしおですね!.

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