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我が輩は猫である : 三郎の日記

我が輩はポンである

著者:夏目漱石 出版社:宝島社 発売日:2016年6月24日 概要 漱石が所属していた俳句雑誌『ホトトギス』では、小説も盛んになり、高浜虚子や伊藤左千夫らが作品を書いていた。 こうした中で虚子に勧められて漱石も小説を書くことになった。 それが1905年1月に発表した『吾輩は猫である』で、当初は最初に発表した第1回のみの、読み切り作品であった。 映画化から漫画化までの略歴 〈映画化〉 2度映画化された。 1936年版と1975年版がある。 映画製作所(現在の東宝)制作(87分)。 監督:山本嘉次郎。 主演:丸山定夫、徳川夢声。 監督:市川崑。 主演:仲代達矢、波乃久里子。 〈その他:オペラ化〉 オペラ『吾輩は猫である』- 曲・台本:林光(1998年2月21日初演/新国立劇場小劇場/こんにゃく座) 『吾輩は猫である』の主な登場人物の名前一覧 吾輩(主人公の猫) 珍野家で飼われている雄猫。 本編の語り手。 「吾輩」は一人称であり、彼自身に名前はない。 人間の生態を鋭く観察したり、猫ながら古今東西の文芸に通じており哲学的な思索にふけったりする。 人間の内心を読むこともできる。 三毛子 隣宅に住む二絃琴の御師匠さんの家の雌猫。 「吾輩」を「先生」と呼ぶ。 猫のガールフレンドだったが風邪をこじらせて死んでしまった(第二話)。 「吾輩」が自分を好いていることに気付いていない。 車屋の黒 大柄な雄の黒猫。 べらんめえ調で教養がなく、大変な乱暴者なので「吾輩」は恐れている。 しかし、魚屋に天秤棒で殴られて足が不自由になる(第一話)。 珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ) 猫「吾輩」の飼い主で、文明中学校の英語教師(リーダー専門)。 父は場末の名主で(第九話)、その一家は真宗(第四話)。 年齢は、学校を卒業して9年目か(第五話)、また「三十面(づら)下げて」と言われる(第四話)。 妻と3人の娘がいる。 偏屈な性格で、胃が弱く、ノイローゼ気味である。 迷亭(めいてい) 苦沙弥の友人の美学者。 ホラ話で人をかついで楽しむのが趣味の粋人(美学者大塚保治がモデルともいわれるが漱石は否定したという。 水島寒月(みずしまかんげつ) 苦沙弥の元教え子の理学士で、苦沙弥を「先生」とよぶ。 なかなかの好男子(寺田寅彦がモデルといわれる)。 越智東風(おちとうふう) 新体詩人で、寒月の友人。 「おち こち」と自称している。 故郷は鰹節の名産地。 八木独仙(やぎどくせん) 哲学者。 長い顔にヤギのような髭を生やし、深遠な警句を語る。 40歳前後。 金田(かねだ) 近所の実業家。 苦沙弥に嫌われている。 苦沙弥をなんとかして凹ませてやろうと嫌がらせをする。 珍野夫人 珍野苦沙弥の細君。 英語や小難しい話はほとんど通じない。 頭にハゲがあり、身長は低い(第四話)。 泥棒陰士 水島寒月と酷似する容貌の窃盗犯。 長身で、26、7歳。 喫煙者。 八(や)っちゃん 車屋の子供。 苦沙弥先生が怒る度泣くという嫌がらせを金田から依頼された。 引用元: 【簡単】3分でわかる『吾輩は猫である』のあらすじ 中学校で教師をしている珍野苦沙弥に拾われた猫は自分を「吾輩」と語り、その後から猫の世界に生きる自分の主観で、人間界を眺めていく。 そしていろんな感想を持ちながら、人間の優秀な点と愚かな点とを暴露していく。 それでも展開は非常に穏やか。 猫である自分も人間の真似をして、まるで猫が人間界に溶け込んでいこうと挑戦をする。 吾輩はその上で人間の言動を真似してみたり、人間が持ち合わせてきた文化・文明を理解しようと、数々の趣味を持ち、できるだけ人間(とくに飼い主の珍野苦沙弥)の考え方や見方を自分のものにしようと訓練をする。 だけれど猫の自分にはなかなかその行為が至難で、ついには葛藤を覚えながら、「人間界」と「自分の世界」とを確立した形で今度は人間界を俯瞰する姿勢を取っていく。 この辺りがとてもユーモラスな仕上がりで、とくに吾輩の珍妙な人間界の捉え方と口調が面白い。 そしてついには、人間になれないと悟った吾輩は猫として、人間界でのいろいろな楽しみを見つけようとしていく。 【猫を主人公に仕立てた「吾輩」が持つ影響とは?】 猫と人間の違いを踏まえた上で、より「人間界を客観視できる存在」を人間とは別の動物に捉えて描写した傾向が窺われ、その猫に「吾輩」と名乗らせることで、さらにその「人間界を客観視する存在」にそれなりの地位と権威を持たせた狙いが見られる。 そして人間が実に美味そうに飲むビールに目を留め、そのビールを「自分の景気づけに…」と三口ほど味わいます(猫にしてはこれで多量です)。 ビールを飲んで、また自分の生活へ戻ろうとするとき、つい体動を誤って想定外の水瓶の中へと落ち込んでしまいます。 その水瓶の中で最初もがきますが、何度もがいても出られないので、そのうち「足掻いても無駄だ」と抵抗するのをあきらめます。 そして人間が言うように「南無阿弥陀仏」を二度ほど繰り返して呟き、「我は死ぬ」と潔く水瓶の中で死んでしまいます。 【考察・解説】『吾輩は猫である』なぜ主人公を猫にしたのか? 「吾輩」が持つ影響力を考えるとき、先述しましたが、「人間界をさらに客観的視点を持つ存在」を立て、そのキャラクターに思想や主観を持たせていろいろなセリフを言わせることで、その人間界の様子を探らせることに絶大な効果をもたらすことが可能になります。 おそらく本作を執筆するに当たり、 猫という主人公に思想や主観、また人間のような感情を持たせることで、さらに人間界の実情を探らせるという特殊な方法が編み出されたのでしょう。 名前はまだ無い。 」 冒頭のこの箇所では、名前が個人を割り当てるキーワードのようなものになっているとする場合、その「名前」が無いことにより人間界では存在があやふやなものになり、人間界にはまだ属していないような「得体の知れない存在」をキープしています。 つまり、より「人間界を客観的視点により眺められる存在」をピックアップした形になります。 この冒頭箇所からすぐ後述の「どこで生れたかとんと見当がつかぬ」という表記もこれへの後押しになります。 すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤さんがしきりに立ちながら話をしている。 」 本作では数々の「事件」というか出来ごとが発生します。 この出来ごとを猫である吾輩は、猫の主観・視点・捉え方をもって、いろいろな空想を持ちながら眺めていきます。 眺めたあとで自分なりの思惑を、その出来ごとの痕跡を辿る形で補強します。 そしてこの「数々の出来ごと」に関わる幾多の人間が、とても小さなことで悩んでいたり、あるいは重要な物ごとを無視していたりする愚かさを、ことに吾輩はピックアップして暴露します。 当然「人間の善し悪し」を含めて眺めているわけですが、どうしても吾輩には「人間の愚かさや欲深さ」の方が目立つわけです。 本作後述にある「日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。 情なさけない事だ。 」の場面に、吾輩が人間を軽視する珍味が満載しています。 けれど吾輩は猫でありながら、それでも日本に住む人間に愛着を湧かせ、なるべく自分も、人間が繰り広げる文化や生活に慣れ親しもうとする努力をします。 」 このセリフを皮切りにして、心の中では人間を「愚かだ」や「情けない」と揶揄しながらも、人間の性善や地道に生きる生活の姿、そして共存に伴うさまざまな知恵というものに、それなりの感慨を受けとめます。 そして「人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい」などと少々高みに立った物言いをしながらも、吾輩は「人間が自分の立場を自覚すること」を条件に、「人間というものは自分が頼りにしてもよい崇高な存在であること」を肯定していきます。 つまりここで「人間界」と「猫の世界」とを分けた(確立した)上で、「人間には人間なりの尊重されるべき点」があることを述べています。 」&「吾輩は大きな甕かめの中に落ちている。 」 そしてラストシーン。 吾輩は水瓶の中に誤って落ち、そこで死んでしまいます。 「ビールを飲む」というのは、これまで吾輩が人間界で見てきた「人間の習慣」からなる行為です。 つまり吾輩は、人間の習慣を会得しようとし、三平君が残したビールに手をつけて心の景気を保とうと考えたのです。 それから千鳥足になって水瓶に落ち、二度とそこから這い上がることができませんでした。 ここで吾輩は完全に人間の文化に浸透しています。 人間でも泥酔して事故を起こし、そのまま亡くなることはあるものです。 吾輩もこの経過を辿って事故を起こし、人間のように死んでしまったと捉えてよいでしょう。 そのように踏まえて最後の吾輩のセリフ。 」 このセリフを吐かせた心情は、「人間の世界に自分が溶け込むことができ、その上で人間と同じように死ぬことができてありがたい」といった「人間に近寄ることができたことを賛美する思惑」にあるとも見て取れます。 つまり吾輩は、冒頭から人間を馬鹿にするような軽視をもっていたが、最後には人間と人間の世界を賛美して、人間らしく死んでいく自分をも受け入れるという、非常な改心を物語った結末に至ります。 これを踏まえて言えば『吾輩は猫である』という作品は、 「人間の愚かさや欲深さを暴露しながらも、それらを受容し賛美している人間賛歌の物語」 となるでしょう。 5】 『吾輩は猫である』というタイトルからはなかなか想像もできないほどの奥行きと難解さが、本作には多分に含まれているように思います。 内容だけを取れば 「非常に濃厚な作品」と言ってよいでしょう。 ですが「猫」という、人間の日常により身近な動物を主人公に立てたことで、おそらく読者側としてはその猫へのイメージや先入観がいくぶん浸透する形で、ストーリーの本意にいまいち踏み込めない弊害を持たされるきらいもあると思います。 そのぶんやはり児童文学系の作品に捉えられがちで、「本腰を入れて没頭して読む!」というまでには、少し工夫が要るかも知れません。 まとめ&感想 「動物目線」という設定で多少「児童向けの作品」に捉えがちですが、数々の形容や本意から得られる主張の具体性には、およそ一読では読み切れない怒涛のような「含み」が見えてきます。 まずは猫をゆくゆく人間のように仕立て上げていく 擬人法の駆使。 これにより読者は「人間の生活を、人間ではない客観的視点の持ち主による語り部」を想像させられ、ストーリーを幾様にも捉えられる重厚を打ち出されます。 次に、その擬人法で仕立てられた「吾輩(猫)」のいろいろな セリフや思惑。 客観的視点に強く立たされた上で読者は、この「人間離れしたようなキャラクターの視点」から、まるで自分が思い考えたような感想を得させられます。 最後に人間界に溶け込もうとする 吾輩の行動には、先述した「人間賛歌への愛着」が垣間見られ、 主に児童文学作品に見られるほのぼのとした安穏と、内容から得られる非情な奥深味(おくぶかみ)にある豊潤な解釈を持たされます。 この3点をもって読んだだけでも、本作に込められた特殊な面白味と感動が、読了後も尽きずに得られるのではないでしょうか。 マルチエンドの形を取った本作は、漱石作品の内でも非常に変わった創作譚と言えそうです。 当サイトイチオシの以下の電子書籍ストアを是非チェックしてみてください! 取り扱い書籍が豊富なので、お目当ての本がきっと見つかると思います。 第1位. eBookJapan 無料漫画だけでなんと9,000タイトル以上!廃版になった名作など、他の電子書籍ストアにはないタイトルもあり、漫画の取り扱い数は 業界No. 1! なんと購入額の 50%のポイント還元でお得 第2位. BookLive! (ブックライブ) 漫画・和書の取り扱いが多いのが特徴。 9,000冊以上の書籍を無料で立ち読みできます。 honto(ホント) 書店、通販、電子書籍のハイブリット総合書店。 コミックから雑誌まで幅広い書籍を取り扱っている。 共通hontoポイントは、提携書店である丸善、ジュンク堂、文教堂でも利用可能。

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名前

我が輩はポンである

我が輩は、犬である。 名前は未だ無い。 でも、おいらのご主人様のポン人社長が、会社の名前をもじってテツ一号と呼んでいるらしい。 なぜ一号かって、この会社には仲間が3人、失礼、3匹いるからなんだ。 おいら、年齢も分からないけど、この工場にふらふら迷い込んでご飯をもらう様になってからだいぶ時間が経つんだと思う。 おいらの仲間もみんな境遇は似たり寄ったりだが、食堂で余った残飯もらいながら暮らすのも、そこら辺の路地で野良犬人生を送るよりは上等だと思っているんだ。 一匹は、ガードマンのおじさんが大事にしてるんだそうで、毛づやがきれいだね。 おいら、ガキのころからろくな食事もにあり付けなかったんで、最近は体調がいまいちなんだ。 毛もパサパサしてきれいじゃなくなったし、片目が思うように見えなくなってきた。 ご主人様が言うには、ドッグイヤーと言って、おいらたちの一年を人間の7~8年に例えるから、おいらもかなり年なのなかなーと思うようになったけど、会社の人たちが番犬扱いしてくれて、とっても感謝してるんだ。 おいらたち、昼間はこれと言って仕事も無いんだが、夜は工場の敷地の中へ開放してくれるんで、勝手に3匹で自警団を組んでガードマンのおじさんの手伝いをしていると言う分けなんだ。 だから、昼間はこうやって玄関の前でねそべったり、スコールが来る前には工場の中に逃げ込んで雨宿りもさせてもらってる。 誰も、おいらたちを怒ったり追い払ったりしないから優雅な生活と言えばそうかもしれない。 ご主人の社長が言うには、おんなじ合弁でも中国の工場ではガードマンが飼っていた犬を大きく育ったからと言って、従業員が食べてしまったんだそうな。 ドッグフードを毎日上げて可愛がっていた日本人の工場長さんが、突然いなくなったんで心配で探したら、そんなことを平然と言われて意気消沈したんだって。 こっちは、仏教の国だから殺生は好まないだろうから、安心だな。 そう言えば、総務課長のミンさんが、おいらたちに社員証を作ってくれて年末にはドッグフードのボーナスを振舞ってくれるって言ってくれたけど、今から楽しみだね。 おいらたちは、本当に幸せだと思います。 406• 316• 143•

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夏目漱石『吾輩は猫である』3分で分かるあらすじと感想&徹底解説!

我が輩はポンである

6歳まで東京で育ったが、3年前に神戸に越してきた。 以来、主人は東京や福岡への出張が多いが、神戸の自宅で一日中過ごす日も増えている。 家では裸同然の姿でPCに向かい、不機嫌な顔で作業をしていることが多い。 家人やもう一匹の猫からの評判は決して良くないが、我が輩は心の底から主人を愛している。 主人が布団で寝る際、我が輩は左顔面にお尻を押しつけて寝ることにしている。 当然ながら加齢臭やよだれが気になるものの、外では気張っているらしい主人を癒やすことこそが我が輩の仕事と心得て、朝まで決して離れはしない。 褒めているのかdisっているのか、主人からはいつも「お前は顔だけ可愛い」と言われているので、本音では喜んでいるはずである。 実はまだ1歳にならぬ頃、腎臓を悪くして本格的に死にかけたことがある。 今でもレントゲンを撮ると、左の腎臓はピンポン球のように小さく、右の腎臓だけが頼りである。 それでも主人は「最低でもあと10年生きろ」と言う。 既に人間なら55歳を超えている年なのに、だ。 主人は「いずれ海外で住みたい」とも言う。 引っ越しとなれば我が輩は鎮静剤で眠らされ、新しい家の中で目覚めるだけのことだ。 とにかく、生きているうちは出来る限りの時間を一緒に過ごしてやろうと決めている。 どうせ今時、落ちて死ぬような井戸なんてないし。

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