千と千尋 神様 よきかな。 千と千尋の神隠しに見る八百万の神とは

千と千尋の神隠し

千と千尋 神様 よきかな

」 「千はどこだ!千を出せ!」 「千~っ。 小娘が何を食わしたぁ!!」 「 欲しがれ」 概要 黒い影のような体にお面をつけたような姿をしている。 手から金などの人が欲しがるものを出す力を持つが、それはただの土くれを変えたものに過ぎず、それを欲した瞬間に相手を飲み込んでしまう。 また「己」を持たず、呑み込んだ他人の声を借りなければ会話ができない(普段は「あ・・・」や「え・・・」と言ったか細い声を搾り出すだけで、表情も無い。 ただし後述の様に相手の言葉にある程度反応はするため、簡単なボディーランゲージなら可能な模様)。 後、僅かだがお面にも感情が反映されてたりしている。 橋の欄干でハクの術で気配を消して見えないはずのを見かけた時から執拗に彼女を求めるようになり、の一件の前に、渡り廊下の外で佇んでいたが千尋に招き入れられた この時は「雨に紛れてろくでもないものが紛れ込んだかな?」と感づいていた 際はもっと喜んでもらいたい一心で番台蛙から薬湯の札を盗んだり、大量の金を手から出し千尋に渡そうとした。 その後オクサレ神様の身体からこぼれ出た砂金に興奮する従業員達を見て土くれでニセの金を大量生産できる力を使い、それを餌に夜間に大湯に忍び込んだ青蛙をおびき寄せ、ニセの金に手をつけた瞬間捕まえ呑み込み、青蛙声で喋るようになる。 その後兄役から、大量に金を出せる「お大尽様」と呼ばれ、もてなされてはたらふく食べて肥大化していく。 再び出会った千尋にも砂金を差し出したが断られ、絶望したところにやってきた兄役の愛想笑いに逆上し、手に残った一つの金を落とし、取ろうと近くでいた従業員の湯女と共に飲み込んでしまう。 その後更に肥大化して千尋と対面するが彼女に拒絶され、残った最後の苦団子を食べさせられると強烈な味に今まで食べたものを嘔吐し、怒りで暴走(この時湯婆婆の魔法攻撃すら弾き、逆に吐瀉物の泥で埋めてしまった)し、飲み込んだ人々や、食べた物が変化したと思われる泥を千尋を追いかけている途中に全て吐き出し、元の姿に戻った。 元に戻った後はまた大人しい性格に戻り、千尋についての所に行き、そのまま引き取られ銭婆の所に留まることになる。 余談 実はが現れる場面と前後して登場している。 千尋のセリフから「ハクって人は二人いるの?」とリンに尋ねる場面があり、ハクの正体はカオナシなのかと思わせたこともあったが、終盤で一緒に映る場面は無いが、竜のハクと交互に登場している。 元々は重要キャラではなく、単なる「橋の上で単にハクの術で気配を消していた千尋が見えており、通り過ぎるだけの何か」(つまり )程度であったが、監督が物語を進めるに当たって、後からキーパーソンになるキャラに起用した経緯を持つ。 顔を持たないというキャラクター性から、海外版においても名称の変わらないキャラクター達の中で唯一彼のみが各国語に翻訳された名前が使われている。 (例:英語圏なら「No Face(ノーフェイス)」など) フィルム・コミック「千と千尋の神隠し3」には「仮面男」と書かれ、後にモデルがであったことが明かされている。 が、後に本人が後付けであると述べた。 正体 宮崎監督曰く「カオナシは誰の心にも存在する」という。 カオナシは現実世界でも油屋の世界でも居場所のない不安定な存在で、 千尋に故郷や親について聞かれた時に困惑した、また、銭婆にとどまるよう言われた=居場所を提供されたとき非常に喜んだことから 出処は 人間の心なのだろう。 そのキャラクター性を「 主体性が無く、居場所も無く、拾い物の他人の言葉でしか喋れず、金品を以外の他人(特に)とのがわからず、拒絶されたと思いこむとキレて暴れだす」とざっくり要約すれば、程度の差こそあれど大なり小なり身に覚えのある人はけっこう多いのではなかろうか。 千尋が来るまでは一般的に馬鹿にされていた人物がこれほどの大問題を起こすほどの力をつけたというのもなんらかの因果を感じる。 また、カオナシは 欲の権化、とくに 金銭欲であるという意見もある。 金銭欲に取り憑かれた湯婆婆は「ヤバい」という事を事前に察知するが侵入を防げず、大損をすることになる。 同じく、従業員も、上役に至るまで、湯婆婆に通すこともせずに上客としてもてなしてしまう。 しかし、金銭欲に惑わされず、 河の神様やハク、カオナシや坊への接し方などから暗示されている 物事の本質を捉えられる千尋や銭婆 絵コンテには、財力にも溢れる優れた魔女であると書かれている はカオナシに取り込まれる事はなかった。 一方で、人間がカオナシに取り込まれると、元の世界に戻れても金の亡者に成り果ててしまうのではないだろうか? そして、財力を持ちながらも金銭欲に縛られない銭婆の下こそ、カオナシが安住できる環境であると仮定できる。 金銭欲の権現だったカオナシは、個性を失い自分の感情を表現する事もままならなかったが、千尋達と出会い感情を取り戻し、最終的には彼自身が憑き物が落ちた様に解放されている。 また、「 世界のルールに従わざるを得ない」という本作の設定の一つからして、カオナシは「ハクや従業員を魔法で奴隷にしようとしていた 絵コンテより 」&「財を他者の為に使う事もせず、神々の疲れを癒す仕事とはいえ金の亡者に成り果て他者を欲のために苦しめていた」、そして、神であるハクを奴隷として苦しめ悪事を働かせたり、息子の事を見ているようで見えていなかった 湯婆婆に降りかかった「天罰」や「神罰」なのでは?などの声もある。 これらの悪しき結果に対し「神々の為」という罰当たりな言い訳を考えさせてしまいかねない意味でも、湯婆婆を踏み留まらせるための神罰および神々からの贈り物だとも考えられる。 同時に、当初は落ち込んでやる気をなくしていて、そして同じ人間の可能性がある 千尋だからこそ欲に駆られたり焦ったりせず、カオナシを最初から受け入れ、無下にしなかった千尋は、金ではなく本当に欲しかった物である、家族とハク つまりハクの名前 と自分の自由を手にする事ができた。 河の神様の苦団子やおしら様がエレベーターで隠してくれた事、千尋が最初に出会ったり傷付いたハク龍の姿を見た従業員がリンだった事、カオナシの来訪、ハクを操っていたすばやい虫を千尋が踏み潰した事、など あらゆる事が千尋やハク等の心正しい者達への救いだった、または 「成長する機会や改心する機会があればやり直せる者達」へのチャンスだったとも取れる。 それは同時に、 千尋一家の来訪も、神々の為に働くが魔法で縛られてきた油屋の面々や、自身を欲とエゴとコンプレックスで縛っていて、息子の本当の姿すら見えていなかった湯婆婆への神々からの贈り物だったのかもしれない。 事実、終盤では湯婆婆に意見をしたりブーイングする、千尋を応援するなど、従業員達にも多少の変化が見られていた それ以前からも、河の神様の砂金の没収に対して不満をもらすなどはあったが。 そうすると、一見天罰にも思える損をしている湯婆婆も、息子の成長、本当の息子と向き合う機会を与えられた、従業員との心の壁の消失と其による将来的な仕事の効率化、等々、やはり救われている事になり、宮崎監督の「本当の意味での悪人はいない」、つまり「やり直せる者へのチャンスは与えられる」といる事にも繋がる。 彼の言葉の意味について 実は彼の言葉にはある程度の法則がある。 つまり、言葉だけでもある程度カオナシが何を考えているのかある程度読み取ることが出来る。 この時仮面の表情も変わっている。 あ・・・ 物をあげるときに使うことが多い。 基本的に物を差し出しながら発する。 仮面の表情はどことなく笑顔。 え・・・ 断られるなどしてショックを受けているときに使うことが多い。 文字通り「え・・・」という意味である。 仮面の表情はどことなく落ち込んでいる。 その他 演じた中村は当時、日本テレビ系列『ズームイン!! SUPER』のインタビューに答えており、「うめき声しかセリフがなく、演じ分けるのに苦労した」と語った。 ちなみにCM前はモザイク代わりにカオナシの仮面で顔を隠されていたため、見様によっては 「流暢にしゃべるカオナシ」というかなりシュールな珍場面となった。 主要人物になるに当たり、初期のイメージは星の模様が付いたマントや体などがあしらわれ、髪も緑色で痩せたカオナシはややファンタジックなヒーロー調となっている。 宮崎駿が作詞したカオナシの歌がある。 歌詞は「さみしい」、「たべちゃいたいの」など、カオナシの欲っしても満たされない孤独な心を表現した少々おぞましいものとなっている。 の漫画『不安の立像』に仮面のないカオナシのような"影"が登場する。 アニメ『』に、 「」という不気味なを着けて本作のカオナシと似た特徴も有する ののようなが登場する。 pixivでは pixivにも多くのイラストが投稿されている。 そのなかには、などカオナシをに書いたイラストがあり、人気を集めている。 関連イラスト.

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千と千尋の神隠し【電車のシーンの謎とメッセージ】考察・解説

千と千尋 神様 よきかな

今回は 「名作の考察・解釈・謎解き・解説」をテーマに記事を書いていきます。 「強いメッセージ性は感じるけど、意味が良く分からない」という名作や名言って、沢山ありますよね? それを、RINRISM的に考察し、解釈して、その名作や名言をより深く理解できるような手助けが出来ればと思っています。 せっかく「名作・名言」なのだから、その素晴らしい価値が、より深く、より多くの人に伝わったのなら、 それを作った人にとっても本望なのではないかと思います。 もちろん、考察や解釈は人それぞれで良いのだと思います。 あくまでも主観的な解釈であり、「これを伝えたいんじゃないかな?」という視点で解釈していきます。 さて、本題です。 僕、アニメが大好きです。 その中でも宮崎駿監督のジブリ映画は大好きです。 …という事で、今回解釈するのは スタジオジブリの名作 「千と千尋の神隠し」です! ・・・先にお伝えします。 ネタばれ有りです! ・・・さて、千と千尋の神隠しと言えば に公開。 興行収入は300億円を超え、第1位の記録 は現在も塗り替えられていない。 批評的にも日本国内にとどまらない評価を受けた。 ではを受賞。 ではを受賞した。 同部門を受賞した唯一の手描きアニメーションであり、唯一の日本のアニメーション映画である。 とにかく、記録的に大ヒットしましたよね。 これは名作です。 そのまま何も考えずストーリーで見ただけでも面白いですし、全てにおいてクオリティがとても高いと思います。 そして作中には「強いメッセージ性」を感じるシーンが、多々あります。 これは、宮崎駿監督がこの作品を通じて「何か」を伝えたがっていると思うわけです。 ご両親が豚になったシーンの意味• 「名前を取られる」の意味• なんで風俗店がテーマなの?• カオナシってなんなの?• 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの?• 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味• 最初赤かったトンネルが、最後色が違うのはなぜ?• 千尋が現実世界に戻っても、銭婆にもらった髪留めだけが残った意味 などが、この作品の「謎」であり「メッセージ性」を感じる部分です。 根拠を読み取りながら、 一つずつ、解釈していきます。 千と千尋の神隠しのテーマ 宮崎駿監督が、この作品を通じて人に伝えたかった事。 すなわち 「この作品のテーマ・メッセージ」から、お伝えする事が必要だと思います。 ・・・いきなり、重々しく感じるかもしれませんが(笑) で書いたように、この社会には、洗脳が溢れています。 宮崎駿監督は、それをどうにかしたいがゆえに、この作品を作ったのではないかと私は思っています。 何事も結論から話すと、分かりやすくなるものです。 とりあえず今は「へーそうなんだ」くらいに思って頂ければと思います。 下記の謎解きと、解釈を読んで頂ければ「そうかもしれない」と思ってもらえると思います。 ご両親が豚になったシーンの意味 この映画を見始めて、最初に衝撃を受けるシーンは 「パパとママ、豚になっとる!」 というシーンだと思います。 僕は小学生の時にこの映画を見たのですが、トラウマになりそうなくらいの衝撃でした。 そのシーンまでのざっくりした流れとしましては、、、 不思議な街に、千尋とご両親が入ってしまって、 屋台っぽい場所に美味しそうな料理が並べられていて、 パパとママが「お、うまそうだな」とか言いながら、ためらい無くその料理を食べ始める。 そして千尋は「やめようよ~」とか言い、止めようとするが、パパママは「うまいうまい」と言って止まらない。 そして千尋が一人で探索していたらハクと出会い「ここにはいてはいけない!」と怒られて、千尋はパパとママの居るところに戻る。 そしたら、パパとママ豚になっとる・・・。 ・・・という流れです。 この衝撃的なシーンには、どんなメッセージが込められているのでしょうか? 単純に 「魔法のやばい世界に入っちゃった」と捉えるには、もったいないくらい、衝撃的なシーンです。 ・・・辛辣な表現にもなってしまいますが、 豚とは、代表的な家畜です。 人に、人のために、飼いならされているのが家畜です。 ほとんどの大人たちは、この社会で生きるうちに洗脳されて、家畜化させられてしまっています。 (辛辣な表現ですみません) TVの情報、新聞の情報、メディアの嘘の情報にさらされているうちに、嘘の情報を信じ込んでしまっています。 すなわち洗脳され、社会の上の方の人たちにとって都合が良いように、働くように、疑わないように「飼いならされて」しまっています。 そして、子供なら 『こんなの変だ!』と素直に思うような嘘の情報を、簡単に信じ込んでしまっています。 ・・・宮崎駿監督は、まずそれを伝えたかったのだと思います。 「社会には洗脳が溢れていて、みな洗脳されてしまっている」ということを伝えたかったのだと思います。 気付かぬうちに、社会に飼いならされて家畜化されてしまっていることを、伝えたかったのだと思います。 豚=代表的な家畜 疑わずに、バクバク食べる=情報の鵜呑み 子供なら簡単に「変だ」とわかる事が、分からない大人たち これが、このシーンの意味だと、僕は解釈しています。 「名前を取られる」の意味 【名言の紹介】 ハク「湯婆婆は相手の名を奪って支配するんだ。 いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ」 ハク「名を奪われると、帰り道が分からなくなるんだよ。 私はどうしても思い出せないんだ」 ・・・この映画では、 「名前を忘れてはいけない」「名前を湯婆婆に取られたら、一生この環境から抜け出せない」 という表現が良く登場します。 「名前」というものは、その人のアイデンティティであり、個性であり、名付けた親の思いが込められています。 すなわち名前には「自分の生まれた意味」が込められています。 「名は体を表す」のです。 キャプテンと呼ばれれば、だんだんキャプテンらしくなっていくものですし、 社長と呼ばれれば、だんだん社長らしくなっていくものです。 (名前、呼び名というものは奥が深いので、いつか別に記事を書きたいと思います) ・・・この社会には、 この社会に適合するように頑張って生きているうちに、 「自分の生まれた意味」を忘れさせる仕組みがあります。 お金のために、生きるために、家族を守るために、常識から外れないようにするために、と頑張って生きているうちに、 「自分は誰で、何をしたい人か」つまり 「自分の生まれた意味」という、大事なことを忘れさせられるのです。 宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。 なんで風俗がテーマなの? 千尋が「湯女」として働くことになる、湯婆婆の「湯屋」は、 表向きには「神様が疲れをいやす温泉旅館」のような環境として描かれていますが、 実際のところ「風俗店」であるという裏話があります。 「湯女」=「遊女」であるらしく、あの湯屋は、風俗店であるらしいです。 〈風俗店と資本主義社会の共通点〉• 生きるために、上の存在の快感を満たす世界• 神様的な偉い人のために、身を削って働いている• それが出来ないと、生きられない• 疑わずにそこで働かせるために、洗脳する• そして、「自分は誰で何をしたい人か」という「名前」を取られていく。 という事です。 湯婆婆「契約書だよ。 そこに名前を書きな。 働かせてやる。 その代わり嫌だとか、帰りたいとか言ったらすぐ子豚にしてやるからね」 という湯婆婆の、ブラック企業的なセリフが代表するように 風俗店も、資本主義社会も、 「神様的な偉い人」「支配者」の快適な生活のために、その社会で生きる一般人は、生きるために身を削って働かされているという事です。 すなわち「搾取」です。 下から上に吸い上げるようにして、生きるために働かせるようにして、この資本主義社会は成り立っています。 ピンと来ない方も、これについては少し調べてもらえればわかります。 宮崎駿監督は、それを皆に気付かせて、それに警鐘を鳴らしたかったのだと思います。 (中略)みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。 日本は少し前までああいう感じだったんです。 ぼくの考察の根拠として、追記させて頂きます。 要するに、宮崎駿監督が「湯屋」を通じて伝えたかったことは、 「あの湯屋の環境は、日本の社会の環境と同じだ」という事ではないでしょうか? カオナシって何なの? 『カオナシって何者なの?何なの?』 という疑問は、この映画を見たほとんどの人に生まれる疑問だと思います。 カオナシ=「名無し」 であるのだと思います。 つまりは、先ほどからの解釈と照らし合わせると 「自分は誰で何をしたい人か」が無い存在。 であるのだと思います。 〈カオナシの特徴〉• 「欲しい」が口癖• 「他者を食べること(奪うこと)で、ステータスを上げていく」 この社会に適合しようとして頑張って生きているうちに 「名前」が奪われ、「名無し」になり、「カオナシ」になり、「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせます。 そして、忘れた上でやることは「欲の追求」です。 『良い女が欲しい、良い車が欲しい、良い家が欲しい』と、 自分の本来の目的「自分は誰で何をしたい人か」という欲求ではなく、 作られた目先の欲を追求するようになってしまいます。 そして、自分第一主義になってしまいます。 自分と一握りの身内だけが、得をするように、得をするように、生きるようになってしまいます。 自分より下のものから搾取したり、自分を守るために行動したり、自分のストレスを解消するために目下の者に当たり散らしたりする。 いわゆる「ブラック企業」ですね。 そして「貰う事、奪う事が目的」になってしまいます。 「もらう事が目的」という事は、それは「価値のある人生」とは真逆です。 価値のある人生とは「与える事を優先する」ことで手に入ります。 宮崎駿監督は、 社会には、カオナシのような人「もらう事を優先する人」を生み出すシステムがあるのだと、 伝えたいのだと思います。 あそこを出た方がいいんだよ」 というのがあります。 それは、そういう事です。 この社会に適合して生きようとするから、そうなってしまうのです。 この社会のシステムから抜け、この作られた常識から抜ければ、 今どんなにブラックなカオナシみたいな人も、みな本当は良い人なのです。 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味 ストーリー的には、千尋の職場の支配者の 「湯婆婆」には、双子の姉の 「銭婆」が居ます。 物語の終盤。 千尋は銭婆を訪ね、相談に乗ってもらいます。 湯婆婆と、銭婆。 「欲」と「良心」。 どちらも、誰でも持ち合わせているものです。 しかし、この両者が両立しないという状況は、存在します。 宮崎駿監督が伝えたかったのは、 「二面性を持たないと、この社会システムでは生きられない」 という事だと思います。 「湯婆婆」の強欲で、お金第一主義で、人を大切にしないキャラクター。 その正反対の 「銭婆」の、心を感じられ、愛情があり、質素で、人を大切にするキャラクター。 銭婆「あたしたちは二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ」 そうです。 「欲」と「良心」というものは、全ての人が持っているのです。 しかし、それを切り離して「二面性」を持たなくては、生きられない社会になってしまっているのです。 分かりやすい例だと「ハク」がそうです。 二重人格キャラですよね。 千尋に「優しい心」を見せたかと思えば、湯婆婆の元で生きるため「心ない冷徹で効率的」な人にもなる。 ・・・この社会は、そうなってしまうシステムがあるのです。 二面性無くして、生きられなくなってしまっているのです。 「会社ではひどい上司だけど、家では良いパパ」 こういう人は、沢山いるのだと思います。 宮崎駿監督は、 『二面性を持たずしては生きられない社会ではダメだ』と、言いたいのではないでしょうか。 この社会は、「良心より欲を優先するようにさせるシステム」があります。 良心も欲も、両方あって一人前の人間です。 しかし、欲を優先するばかりで、良心の部分がないがしろになってしまう、社会になってしまっています。 本当は、欲も良心も、両立できるはずです。 「他者を優先する気持ち」というものは、人間誰しも持っています。 心理学的に言うところの「返報性」というやつです。 皆、本来それを持っているのに、その優先順位が低くなってしまっているのです。 「欲よりも、心を優先する社会システム」は、作れるはずです。 それが、目指すべき良い社会であると、僕は思います。 ・・・カオナシは、湯婆婆の環境を離れ、銭婆の元に居場所を与えられて働くことになります。 そして、描かれてはいませんが、カオナシは本来持っていた「素朴な良い心」を引き出して働いていくのだと思います。 どんな悪い人も皆、この社会システムにいるから、そうなってしまうのです。 この社会システムに間違いがあるのだと、宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。 この社会のあらゆる問題は、 この社会システムの間違いから始まる。 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの? 千尋が「もとの世界に戻るために呪いを解く試練」として、湯婆婆から問題を出されます。 「沢山いる豚の中から、千尋の両親を探し当てろ」という問題です。 そして千尋は答えます。 千尋「おばあちゃんだめ、ここにはお父さんもお母さんもいないもん」 みんな「大当たり~~!」 ・・・そして、千尋の呪いは解けます。 ・・・ここが、見てる人にとって一番の 「なんで?」ってポイントだと思います。 この社会には洗脳があり、 全ての人が、大なり小なり、洗脳されてしまっています。 それを解くための方法は 「挑戦」なのです。 目的を持ち、挑戦し、失敗し、反省することで、自分の中の間違った情報(洗脳されていた部分)に気付くことが出来ます。 そして、その間違った情報に気付き、取り除いて行くことで洗脳から解放されて生き、理想的な人生が手に入ります。 (詳しくは過去の記事をご参照ください) 千尋は、湯婆婆の作る環境の常識にとらわれず、 「元の世界に戻る」という目的を持ち続け、沢山の挑戦と失敗を繰り返したことで、湯婆婆の洗脳が解けたのです。 奪われかけた名前を、取り戻したのです。 つまり「自分は誰で何をしたい人か」を取り戻したのです。 ・・・その「洗脳から解放された千尋」だから、たくさんいる豚を見た時に「明らかに、ここに両親はいない」と分かったのです。 「洗脳され切った人」と、 「洗脳されていない人」とでは、 世界の見え方が違います。 宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。 ・・・さて、ここでクエスチョンです。 ではなぜ、映画を視聴している観客である我々は 「あの中に両親が居ない」と、分からなかったのでしょうか? あのシーンについて、どのように目を凝らして、並んでいる豚さんを見ても、 観客の我々には、本物の両親を見つけられなかったはずです。 見つけるためのヒントのようなものも描かれていません。 ・・・これは、宮崎駿監督なりの、風刺であり、ブラックなジョークに見えて仕方がないのですが。 我々が見えなかった理由は、 「我々が皆、洗脳されているから」です。 ・・・これは、笑うところです。 あのシーンを通じて 「みんな社会に洗脳されてんだよ!」 という事を、宮崎駿監督は我々に伝えたかったのだと思います。 これは、スタンディングオベーションすべき、強烈な、ナイスジョークです。 ・・・これは、さっきの宮崎駿監督の 辛辣なジョークの「お詫び」のように感じています。 色の違いに気付けたお客さんに、 「ほら、みんなも洗脳から解けて、見え方が変わってきているよ」 という事を、伝えているのだと思います。 あの髪留めは、千尋の力になってくれた「銭婆」が、千尋にプレゼントしたものです。 物語が終わり、千尋からあの魔法の世界の記憶が薄れても、髪留めだけは残るのです。 「こんな社会でも『心を優先し、与えることを優先する事』が必要だ」と 宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。 自分のための欲よりも、他人のための良心を優先し、「他のために与えたもの」は、世の中に残り続けるのです。 逆に、欲を優先し、「もらう事」を優先しても、何も世の中に残すことは出来ないのです。 「墓までは持っていけない」というように、 自分だけのために手に入れたものは、 自分が死んでしまえば、自分の物語が終わってしまえば、消えてしまうのです。 ・・・しかし、今生きている間に「他に与えたもの」は、世の中に残り続けます。 物やお金もそうですし、 知識や知恵もそうですし、 人を助けたり元気づけたりして与えた「エネルギー」もそうです。 それは、たとえ自分が死んでしまっても、 世の中をめぐり続け、世の中に残り続けます。 「生きている間に、他にどれだけエネルギーを与えたか?」それが、価値のある人生であるのだと思います。 それを伝えたかったのだと思います。 ・・・ちなみにこれが、当ブログ『RINRISM』のメインテーマだったりします。 最初のシーンと最後のシーンで、変わらずに母にくっついて歩く千尋 最初と最後で、同じシーンが描かれています。 変わるという事は、簡単ではないのだと、言いたいのだと思います。 それでも、挑戦し、反省し、洗脳から脱却し、少しずつ成長し続けることが必要だと、言いたいのだと思います。 なんでこんなにまどろっこしいメッセージの発信の仕方なの? ここまでに書いてきた「宮崎駿監督が伝えたかったメッセージの考察」ですが、 これが仮に全てが「当たり」だったとして、 「なんでこんなに遠まわしで、まどろっこしいメッセージの伝え方なの?」 という疑問が湧きます。 どんなに人に役立つ良いメッセージを持っていても それを発信するために、映画を作るためには、 当然、「お金」が必要です。 スポンサーが必要です。 スポンサーは、この社会でお金を持っている権力のある、企業や人だと思われます。 スポンサーからお金を集めるために ストレートに「この映画のテーマは、資本主義社会の洗脳から脱却です」 といっても、ほとんどのスポンサーはお金を出してはくれないでしょう。 スポンサーのほとんどは、この社会システムで大儲けしている人です。 洗脳から脱却され、今の仕組みが壊れる事が、都合の悪い人です。 ・・・または そこまで深読みしなくても、 単純に 「メッセージやテーマがシビアに見えては、売れない」ということかもしれませんね。 売れて沢山の人に見てもらえなければ、せっかくの価値あるメッセージが、広がって行かない。 ・・・これもまた事実です。 メッセージ性を取るか、大衆受けを取るか。 これは、メッセージを発信する人たちにとって、永遠のテーマだと思います。 両立する道を、探したいですね。 そして、宮崎駿監督の作品は、それこそ芸術的にこれを両立できていると、僕は感じます。 ・・・いずれせよ、何らかの理由で、表向けのテーマは別のものにして、 「本当のテーマのメッセージは、あえて隠している」 という事だと、ぼくは思います。 そうすることで、 真実の情報を発信できないこの社会の中でも、 「表現方法を駆使して、発信していこう」としているのではないかと思います。 ・・・しかし、ここは深読みのし過ぎかもしれません。 ・・・何度も申し上げますが、ここまでの「考察・解釈・謎解き・解説」は全て「ぼくの主観」です。 合っているかもしれないし、まるで違っているかもしれません。 宮崎駿監督に、「この解釈どうですか」と聞いてみたいです! 「ぜんぜん違う!」 と、おっしゃるかもしれませんね(笑) とはいえ、 ここまで深く考えさせる映画をお作りになられた 宮崎駿は、まさに天才だと思います! 長文になってしまいましたが、 読んで下さり、ありがとうございました! この記事を気に入って下さった方、ぜひ、トップページから他の記事も読んでみて下さい。 『本物の人生』を全ての人が謳歌できる社会に向けて、価値の有る情報を配信しているブログです。 まさに探し求めていたものに辿り着けて、読んでいるうちに涙が溢れてきました。 私はこれまで、自分に正直に生きることを何よりも大事にしていて、資本主義社会のおかしさに気づき始めていました。 そんな私にとって、洗脳の始まりともいえる学校という場所が苦痛で仕方ありませんでした。 今もそうです。 世の中は洗脳された人がほとんどで、違和感を伝えようとしても「考えすぎ」「気持ちの持ちよう」で済まされてしまいます。 ふと気になって調べた大好きな作品の中にその答えが隠されていたなんて、こんなに感動的なことはありません。 人生と映画が繋がっているようです。 私事ですが、学生の私には可能性も選択肢もまだまだあります。 自己完結で済ませずに、社会にこのメッセージを伝えていくこと、影響を与えていくことを強く心に決めました。 現代の社会システムのおかしさに気づきながら生きるのは辛いけど、戦って行こうと思います。 きっとそれが、「自分の生まれた意味」だから。 soraさん。 心が熱くなるコメントを下さり、誠にありがとうございます。 そう言って頂けますと、書いてよかったと、本当に思います。 「自分に正直に生きる」という生き方。 素晴らしいです。 僕はそれを「心と言葉と行動を一致させる」と呼んでいます。 資本主義もそうですし、日本も世界も、社会のどこを見ても「おかしい」のです。 「現実」という結果を見て、 おかしな事や、嘘や、理不尽な事だらけなのに、まるで有効な対策を取らない社会なのです。 そして、それに慣れてしまって、「これが当たり前」と、感覚が麻痺してしまっている人が、ほとんどです。 そもそも、その「当たり前」「社会常識」「社会通念」と言うものが、間違っていて、嘘であり、洗脳です。 民をコントロールするために、誰かが作った、都合の良いルールです。 soraさんが感じられてきた「おかしい」「違和感」「なんだか合わない」という感覚。 僕から見てその感覚は、正しいです。 僕も、同じように感じています。 ただ、そういう正しい感覚を持った人が、うまく生きるのが難しい、この社会なのです。 根本的には誰も悪くない。 人を作る、社会が悪いのです。 社会を、根本的に改善していく事が必要なのです。 反対運動のような活動では、社会の根本的はなかなか改善しないと思っています。 では、どうすれば良いのか?ですが 「自分に正直に、心と言葉と行動の一致」 「自分も皆も、みんな幸せ。 両福」 「常に明るい方向を向いて、前に進む」 これにつきます。 いま、これから、どんな場所に居ようとも。 どんな仕事に就こうとも。 自分に正直に生きて、皆の幸せを願って、明るい方向を向いて生きていく。 これにつきます。 「類は友を呼ぶ」ように、 自分と合う人と、出会えます。 人は皆、合う人と一緒に居たいものです。 ぼくの文章に出会ってくれたように、必ず出会えます。 単純に、soraさんが、soraさんを生きる事です。 そして、環境を手に入れる事です。 「社会を良くしたい」と、同じ志の人たちが集まる、コミュニティを作るか、見つける事です。 その環境で、みな幸せに、みな学び、みな育ち、みなが影響力と情報の発信力を持つ。 その環境が、拡大していく。 この先に、社会の根本的な改善があると、僕は思っています。 ふと、千と千尋って何が言いたいんだろう?と突然気になり、こちらのブログを拝見しました。 すっと、頭に入ってきて、すごく納得できました。 わたしは現在、留学中で、また来年は就職活動をする学生です。 やっと自分について、自分の内面について目を向ける時間が出来、自分って何だろう?何がしたいんだろう?今まで何をしてきたんだろう?と自分探しの迷子中です。 また、私の留学先は、日本の裏側にある国で、GDPなどの経済指標も日本と比べると「発展途上国」なのかもしれません。 でも、この国の人は、日本の人より幸せそうで、自己肯定感が高いようにわたしには思えます。 そのような、異なる文化の中で、幸せって何だろう?と、貨幣の存在に不信感?のようなものも感じてきました。 正解がなくて、ずっと悩んでいたのですが、この記事や、他の記事も拝読し、考えを進めるヒントになり、少しスッキリしました。 長い文章になってしまいましたが、感謝の気持ちをお伝えしたくて、コメントさせていただきます。 honokaさん。 素敵なコメントをありがとうございます!励みになります。 少しでもお力になれるよう、これからも記事を書きます! 自分探しの活動、とても良いと思います。 「私は誰で、何をしたい人か」。 全ての人は自身のそれを見つけ、その人生を歩むべきだと思います。 結局、突き詰めれば「何が好きで、何が嫌いかが、自分」です。 要するに「自分は何をする事に、エネルギーが湧くのか、ワクワクするのか」という事です。 どうせなら、よりワクワクする人生の方向性を生きるべきだと、僕は思います。 その自分の人生の方向性を生きている状態が、幸せだと思います。 一般社会的には「お金できる限り稼いで安定する」という一つの方向だけを向かせようとしていますが、それだけではありません。 「人生の方向性」は、膨大な種類があります。 とは言え、人間は誰しも、知っていることしか知らないのです。 知らなければ、憧れる事も、目指す事が出来ません。 そこで、色んな人と出会い、人をよく見て「たくさんの人生の方向性を知る」という事が、大切です。 知って行く中で「これだ!」と憧れる、人生の方向性が見つかるはずです。 なので、honokaさんが今、留学によって、 場所を変え、環境を変え、居る人を変えているという事は、素晴らしい事だと思います。 きっと、色んな人に出会うと思います。 きっと、憧れる人生を生きている人にも出会うと思います。 そしたら「私は誰で、何をしたい人か」という事が、その憧れを通じて、分かると思います。 焦らずじっくりです。 一日一日、明るく楽しく生きるという事が一番です。 大学の授業で映画の作品分析をしていてこちらのサイトに辿りついたものです。 このサイトを最初に読んだとき、小さいときに見ていた映画はこんなに奥が深かったのだと改めて考えさせられました。 私も名前という自分の名札、肩書きに踊らされ、洗脳されて無理に納得して前に進んでしまっていたうちの一人でした。 好きか嫌いかという二択で生きているだけなのにその中で多数の人の意見に流されしまう、人生とは難しいですね。 奪う人生ではなく与えられる人生を生きられるようになりたいものです。 サイトに感動して思い切って感想を書いてしまい、あまり文がまとまっていなくてすみません。 考えと価値観にとても感動し、共感しました。 これからもこのサイトが沢山の人の心に響きますように。 みこさん 宮本です。 心のこもったコメントを下さり、誠にありがとうございます! 本当に励みになります!! おっしゃる通りです。 頑張って生きようとしているだけで、知らず知らず、社会に流されてしまいます。 そして、流されていくうちに「自分が本当に生きたい人生」から、遠ざかってしまいます。 やっぱり生まれて来た以上、『本当にやりたい事』を目一杯やっていきたいですよね。 それを目一杯やって、人を喜ばせて、与える事を優先する人生を生きる。 こう生きていきたいと強く思います。 本当は、それが当たり前に出来る社会でなくてはいけません。 しかし、こんな社会である以上、本当にやりたい事をやるためには、学ぶ必要があるのです。 これからも僕は、僕がそのために学んで来た事をブログに書いて行きたいと思います。 加えて、こんな社会である以上、 ご自身の「本音」「本心」を発見し、見据え、表現する事がとても大切です。 そして、本音や本心を互いに引き出して語り合える「本物の話し相手」「本音で語れる環境」が必要なのだと、 最近強く思っています。 この社会では、本心よりも、表面を合わせる事が優先されてしまっています。 それが原因となり様々な問題が解決に向かわず、そしてほとんどの人が「本当にやりたい事」を出来なくなってしまいます。 …そう思って、最近僕は「職業は、最高の話し相手です」と言うようにしています(笑) そしてこれから、そういう環境を作るために動いています。 電車の運転手さんについてです。 たしか、あの電車は自殺した人が乗る電車ですよね。 運転手さんも透けていた、つまりあの人も自殺をされたのでしょうか。 終点についてしまったらあの人はどうなるのでしょうか? とても気になっているのですが納得のいく考えが思い浮かびません…。 今ふと思ったのですが、カオナシが透けているのと、電車に乗っている方たちが透けているのは、なにか関係があるのでしょうか。 宮本さんの考えが知りたいです! このサイトをみていて、改めて宮崎監督がひとつひとつの映画を大切に製作しておられるのだと感じました。 その思いとじっくりと向き合っておられる宮本さんはすごいです! わたしもメッセージを読み取ろうと思うのですが、情景描写などの読み取りが苦手で、頭がパンクしてしまいそうになります。 それができるようになったら、さらに映画鑑賞が楽しくなるのに、と思います。 今から、宮本さんの解釈をもとに、もののけ姫を観賞したいと思っております。 再び疑問ができましたら、質問をしたいと考えていますので、またお付き合い願います。 最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました! てとさん。 ご丁寧なコメントを下さり、誠にありがとうございました! 大変励みになります! てとさんから、「電車のシーン」についてのご質問を頂いて、 改めて僕もそのシーンについて、考察してみました。 ブログの記事ではスルーしてしまっていたシーンですが、 今思えば、このシーンもまた、とても印象深いですよね。 何かメッセージが込められていると思います。 ここについて、あくまで僕の主観ですが、僕なりの解釈はあります! ただ、少し文章が長くなってしまう事と、 検証するために、そのシーンの映像をもう一度見直したいので、もう少しだけ待っていて下さい。 準備が整い次第、ブログの記事に、「追記」という形でアップロードします。 その時はまた、コメントにてお知らせします。 (^^) はい、僕にとっても考え直すきっかけになり、なにより楽しいので、 何か疑問がありましたら、ぜひ教えてください(^^) ありがとうございます! メイ こんにちは。 先週の金曜日に仲間たちと「千と千尋の神隠し」を見てきました。 宮本さんの解釈を読んでからの映画鑑賞はとても分かりやすく、心に伝わるものが多くすごく感動しました。 何回みても見るたびに得るものは違うと思います。 映画をみてからみんなと食事にいって感想を交わしたり、とても楽しい週末でした。 特に汽車に乗っているシーン、見てて涙が溢れてきました。 人の人生はお墓へ走る汽車に乗っているようだ。 途中にはたくさんの駅があるけど、ずっと最後までそばにいてくれる人はいない。 だからいてくれた人が降りる前に、いくらさびしくても、感謝の気持ちでさよならを言おう。 2年前に父親を亡くして、すごく悲しんできました。 千尋は汽車の中で人が次から次へと汽車から降りる人を静かに見ていました。 まるで自分みたく…. 世の中は再会と別れの繰り返し、父親はきっと違う世界で私を待っているのではと思ったらそんなに寂しくはないです。 なので父親の分も頑張って生きようと決めました。 中島みゆきさんの歌詞の中のようにたとえさよならでも愛している意味……とても意味深いです。 中国語の歌でFaye Wong 王菲-《你在終點等我》っていう唄があります。 日本語で訳すと「あなたは終点で私を待っている」です。 元は恋の歌なのですが、私は違う意味でこの曲を理解することになりました。 そばにいてくれた人、それで先に駅から降りた人たちはきっと人生を終着駅で私を待っていると…. とてもいい唄なのでおすすめしたいです。 最後にエンドソングの「いつも何度でも」が大好きです。 メイも歌えることになりました。 録音していますので送れるなら送ってみたいですが、残念です。 歌詞がとても意味深く歌っていてすごい感動を受けました。 聞いて歌って心が穏やかになります。 思いいたる所まで書いてしまい、失礼しました。 このサイトは何回も何回も読みました。 これからもまた読ませていただきたいと思います。 本当にここにたどり着いてラッキだと思います。 今後ともよろしくお願いします。 メィ 中国大連から メイさん ご丁寧なコメントを下さりまして、誠にありがとうございます! メイさんから、中国では先日から千と千尋の神隠しの映画が公開されたと聞いておりましたので、 中国の皆様がこの映画を見て、どのような感じになられたのかが、頂いたコメントから伝わってきました。 国は違いますが、日本の皆様と同じように映画を楽しまれたようで、なんだかとても嬉しい気持ちです! 映画のメッセージの解釈は、一人一人違っていて、十人十色である事が、素晴らしい事だと思います。 その中で、メイさんのこの映画の解釈に、このブログが少しでもお力になれたのでしたら幸いです! 一人一人これまでの人生の経験が違い、見え方も違います。 お父様を亡くされて、辛い胸中にいらっしゃるメイさんの見え方を通じて、 ぼくもまた、この映画の新しい見方をすることが出来ました。 本当にそうですね。 出会いが必ずある以上、別れも避ける事は出来なくて。 いくら寂しくても、感謝の気持ちでさよならを言って、前を向いて、その人の分も生きて行かないといけませんね。 中島みゆきをご存知とは、びっくりしました。 彼女の歌詞も、人生の真理を突いている言葉が沢山ありますよね。 おすすめ頂いた「faye wong」という曲も、後ほどYouTubeで探して聴かせて頂きます。 ところで、日本語が本当にお上手ですね!文章力もすごいです。 さらに、このブログではそれなりに難しいテーマについて書いているつもりですが、その日本語の文章を読解できるのもすごいです。 日本人より、日本語が上手だと思ってしまいます(笑)日本への留学の経験などがあるのですか? メールも下さりまして、ありがとうございました。 コメントだと長くなってしまいますので、続きは頂いたメールアドレスの方に送らせて頂きました。 ご確認ください。 ぜひ、また当ブログを見に来ていただいて、お気軽にコメントやご質問をしてください! ありがとうございました。 森薗漱志 突然のコメント失礼いたします。 この作品が好きすぎて、2004年に公開(当時私は小学生)されてから、すでに何十回も見ています。 年齢を重ねるごとに、見方も変わってきまして、最近時は作品全体のメッセージ性について考えていたところでして、このページを見つけました。 大変参考になります。 資本主義への風刺、、だなんて想定外でしたし、とても解説が分かりやすかったです。 しかも偶然、最近社会人になり、一日10時間、週5日も拘束されて働くことへの疑問をもちはじめたところだったんです。 本来自由なはずであるのに、なんでこんなに拘束されてるんだって。 しかもなんで周りは、疑問を持たないんだって。 ああ、結局、資本家の陰謀なんだよなって。 だからそれが、大好きな映画の大きなメッセージであったと分かり、感動しました。 記事を作っていただき、ありがとうございます。 感謝しています。 これからもこういう解説記事を作っていただけると大変うれしいです!! ご丁寧な熱いコメントをありがとうございます!大変、励みになります! ちょっとややこしいニュアンスですが、 「働く」のは良いこと、「働かされる」のは良くないこと。 と、僕はこう思っています。 要するに、「働く」という活動をするにあたって、自らの意思と目的を持ってやるような主体的な状態であるか、それとも誰かに言われて仕方なくやるような客体的な状態であるか。 という違いです。 自らの意思と目的を持って主体的に行う「働く」は、本当に価値が高いと思っています。 その目的のために、沢山のことを学び、能力が身につきます。 しかし、この社会は「働かせる」の仕組みが強いです。 自分の意思・目的というものを抱かせることなく、働かなくては生きて行けないような仕組みです。 本当は、社会がすべき事は「保証」だと思っています。 人々の生活を完全に保証してしまう事だと思います。 その上で皆、自分の個性を生かして、好きな事を追求して、負けたくない事で競争して、協力し合って、他に恩恵を与えるサービスを作って行くのが、僕の社会の理想像です。 しかしながら、今の社会は、なかなかそうなって行かなそうです。 だからこそ今、我々一般庶民が出来ることは、 「本音本心で繋がること」だと、思っています。 繋がって、当たり前のように助け合って、互いを保証し合う事だと思います。 「自立」ではなく、「共存共栄協力」こそ、あるべき姿だと僕は思います。 海を越え、文化を越え・・・・ジブリはもはや共通言語だ!同感です。 暖かいコメント、どうもありがとうございます。 心が癒されました! 「いつも何度でも」の曲にあわせて、中国語の歌、《你在終點等我》by Faye Wong 王菲をぜひ聞いてみてください。 今日はカオナシのことが思い出しました。 カオナシは「欲しい」が口癖、いつももらうことばかり考えているように見えますが、千尋に対してはいつも与えていて助けてあげようとしています。 きっと千尋のことが好きだったと思います。 ここからまた思ったのは恋っていうのは自分の思うままにはいかない、いくら好かれたとしても好きになることにはつながらない時があるのですね。 千尋はカオナシをかわいそうと思っているだけで、実際すきなのはハクのことです。 でもカオナシは多くの画面で千尋のそばにいました。 一瞬カオナシがかわいそうに見えました。 宮本さんのコメントのようにいくらブッラクなカオナシでも実は心のどこかは優しいいい人です。 生まれてから悪い人はまずいないのですね。 今日はカオナシの顔が思い浮かんでまたコメントを残しました。 よろしくお願いします。 メイ メイさん コメントとメールを下さり、ありがとうございます! 以前教えて頂いた「Faye Wong 王菲」さんのこの曲を、昨日にYouTubeで発見してから流して聴いております。 素晴らしいボーカリストですね!ぼくは中国語を読めませんので歌詞は理解できませんでしたが、メロディーと歌声が素晴らしく、作業用のBGMとしてリピートして聴いております。 素敵な曲を教えて下さり、ありがとうございました。 日本と中国は、政治的な都合の影響で、互いの情報がなかなか交換できない状況にあると思います。 実際に知り合いに居れば、情報を交換して共有する事が出来ますが、 特に、インターネットでの情報の交換が、難しくなっているのを感じます。 日本のマスメディアは政治的な方針が強く反映され、意見が偏っています。 それこそ、この千と千尋の神隠しのテーマにあるように、洗脳じみているメディアも沢山あります。 まだ中国には行ったことがないので分かりませんが、きっと中国でもこの「政治的なメディアの意見の偏り」というものは、あるのではないかと思います。 日本でも、中国でも、その他の国でも、 もっと互いの真実の純粋な情報を、リアルタイムで共有する事が出来たのなら、 国の違い、文化の違い、宗教の違い、あらゆる違いを超えて、 もっと仲良く、もっと楽しく、繋がっていけるはずだと思いっています。 TVや新聞などのマスメディアがダメなら、インターネットで個人がメディアになって行くことが、今の時代に必要だと思っています。 しかし、特に中国と日本の間には、そのインターネットでの繋がりに壁があるのが、悩ましい所です。 そういった意味で、メイさんがその壁を越えて、このブログを見つけて下さったことには、強い希望を感じております。 これからも、メールやコメントで、色々教えてください。 いつもありがとうございます! りゅう 昔はこのアニメを見たけど、あまり印象はありませんでした、まるでハクについての記憶を思い出せない千尋みたいですね。 今月、やっと正式版は中国で上映でき、私と妻が一緒に見ました。 妻と共感することは千尋の親、特にお母さんが千尋に冷たい感じも謎ですが、 やっぱり一番理解できないことは豚の集団の中に親がいないことをどうやってわかったかです。 日本のサイトをいろいろ探し、いろいろ答えがありました。 例えば「自然保護に加えてトトロの世界に共通する宮崎監督のいつも伝えたいメッセージである「純粋な子供には見える大切な事」だと思います。 」のような答えもあって、 「宮崎駿監督のコメント 最後の豚の集団をみて、千尋がお父さんとお母さんがそこにいないとなぜわかったのか説明していない。 理論としておかしいと、説明を求めるタイプの人たちがいる。 でも、僕はそういうのを大事だと思っていないから。 これだけ経験を経てきた千尋は両親がいないことがわかる。 なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 それしかないんですよ。 そんなにここが欠けていて、あそこが欠けていてって、指摘ができるなら、観客が自分で埋めればいいんだから。 僕はそんなところに無駄な時間を費やしたくないんですよ。 」のような公式でもはっきりしない答えもあります。 最終的に、このページにたどり着いて良かったと思います。 一番納得で、大人らしい答えを見つけました。 ありがとうございます。 コメントいただけたら幸いです。 中国吉林省長春市 りゅうより りゅうさん コメントを下さりまして誠にありがとうございます! つい最近、中国で「千と千尋の神隠し」が上映されるようになったそうですね。 りゅうさんの他にも中国の方がコメントを下さり、教えて下さりました。 りゅうさんも日本語が素晴らしくお上手ですね。 この宮崎駿監督の公式のコメントの事は、ぼくは知りませんでした。 とても参考になります。 そしてこの監督の意見に、ぼくも同意です。 映画でも絵画でも、芸術作品と言うものは「見る人によって見え方が違う」という所が、その価値なのだと思います。 一人一人、その人のこれまでの人生の経験によって、見え方は違います。 そして、見え方の違いこそが、人と人の違いであり、つまり個性なのだと思っております。 そして、一人一人が自分のその違いや個性を活かして、互いに力を合わせて組み合わさって行くことこそが、より大きな発展を生むのだと、ぼくは考えております。 そして、その人それぞれの見え方の違いに気付かせてくれる芸術作品と言うものが、ぼくは好きです。 さらに言えるのは、見え方というものは一人一人違うにしても、作品から受け取るメッセージがみんな違うにしても、 「より良い方が、良い」という事です。 自分の人生の成功のためにプラスになったり、社会の改善や発展のためにプラスになったりするような『より良い見え方・より良い受け取るメッセージ』があるはずです。 そして、それを発見するためには、『一人一人の見え方や、受け取ったメッセージについて、同じ立場で共有し合う』という事だと思っております。 共有する中で、より良いそれを磨き合い、より良いものが見つかって行くのだと、ぼくは思います。 そして、それが見つかった時、その芸術の価値は最高に高まるのだと思います。 さらに、ぼくがこのブログを使って、自分の考察を書かせて頂いているのは、 先述した「見え方と受け取ったメッセージを、磨くために共有する」という事のために有ります。 そういう意味で、 ぼくは日本人ですが、国や文化を超えて、中国人のりゅうさんが記事を読んで下さり、そして共感してコメントを書いて下さり、互いの見え方を共有する事が出来て、本当に嬉しく思います。 「人と社会のために、より良い方が良い」という前提となる価値観のもと、 国を超えて、文化を超えて、あらゆる違いを超えて、 このようにして、互いの意見を共有し合い、 そして、互いの意見を磨き合い、高め合う事が出来たのなら、 それは、より良い社会、より良い世界への、大きな一歩なのだと思います。 …このような目的で、ぼくは情報発信の活動をして行きたいと思っております! また何か感じるものがありましたら、ぜひコメントやご質問をしてみてください! コメントを下さり、ありがとうございました。

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【千と千尋の神隠し】オクサレ様のモデルや正体は?名シーンを紹介

千と千尋 神様 よきかな

以前に書かせて頂いた「千と千尋の神隠しの神隠しのメッセージ解釈」の記事へ、先日コメントを頂きました。 (沢山のコメントを頂き、誠にありがとうございます!) そのコメントにて、『電車のシーン』についての質問を頂きましたので、 そのシーンについての、僕の考察と解説を、書かせて頂きます。 本当は、その記事に《追記》として書こうと思っていましたが、 想像以上に文章が長くなってしまいましたので、新しい記事として、書かせて頂きます。 ちなみに、前回の千と千尋の神隠しの記事はこちらです。 確かに、『物語の終盤に千尋たちが電車に乗るシーン』は、 印象的で、謎が多いですよね。 千尋が、ハクを救うために、銭婆に会いにいくために、 釜爺からもらった電車のチケットを利用して、電車に乗ります。 カオナシと同じように、顔の無い、黒くて半透明な、何もしゃべらない乗客たちが、乗っています。 ・・・意味深で、なんだか不気味なシーンだと感じています。 このシーンを見ていて気になる「謎」ですが、• この電車は、何を表しているのか?• この乗客は、何を表しているのか?• この電車は、どこに向かっているのか?• 駅名の意味• 沼原駅で、ほとんどの乗客が降りている意味• 帰りが無いとは、どういう事か?• 「中道」という、電車の表札の意味• 運転手の意味• 電車のシーンで、宮崎駿監督はどんなメッセージを伝えたいのか という事だと思います。 これもまた全て「僕の主観」ですが、それぞれの謎について考察し、解説を書かせて頂きます。 Contents• 電車の意味。 電車と、乗客と、真っ直ぐなレールの映像が、印象的に描かれています。 この電車のシーンを通じて 『自分の意思とは関係なく、自分の人生が進んで行ってしまう、社会システムの存在』 というものを、表現しているのだと、僕は解釈しています。 ちなみに、社会システムとは、 社会のルール、社会の常識、社会の価値観、などという、 社会が決めた、社会の仕組みです。 この記事で特に触れている資本主義も、社会システムの1つです。 社会システムは、支配する人たちが人々をコントロールする事を目的に作られています。 ・・・さて、考察を始めます。 つまり、自分の意思とは関係なく、レールに従って、ある意味強制的に、目的地に向かって行くものです。 この 『電車・レール』というもので、 『社会の仕組み・社会の流れ』というものを、表していると、僕は解釈しています。 この社会を疑わずに、この社会で生きて、 この社会の常識に従って生きるという事は、 それは、社会と言う『電車に乗せられ』 社会の流れと言う『レールに従って生きている』のと、同じことです。 『〈一般常識・ルール〉と言うレールに従って生きている』と言えば分かりやすいでしょうか。 宮崎駿監督は、 この電車のシーンによって、それを表現したのではないでしょうか? ・・・例えば、 もし、あなたが自分の意思を押し殺して、 『社会』という電車・レールに乗せられているとします。 社会の決めた価値観に従い、社会の決めた人生観に従い、社会の決めた幸福観に従い、 まるで満足していないけど『人生、こういうものだ』と自分を納得させながら、最低では無いそれなりの生活は、送れると思います。 しかしその中では、『本物の自分の人生』を生きる事は、出来ません。 『自分は誰で何をしたいか』という事も分からず、やりたくない事を渋々とやり続ける。 『やりたい事』が分かっても、社会のネガティブな常識によって、それを目指す事が出来ない。 そして、電車に乗って、レールに従って進むように、 日々が、ルーティン化され、自動的に進んで行く。 ・・・ほとんどの人は、こうなってしまっていると思います。 『この社会がぴったり自分に合っている。 非常に満足している』という人もいると思います。 しかし、そういう人は、すごく少ないと思います。 ・・・自分の意思で道を決めて変える事が出来ない『電車』に乗って、乗客になってしまっていても、 自分の意思で、唯一、出来る事があります。 それは 「主体的に、自分の目的を持って、その電車を降りる」 という事です。 ・・・ここは後々、とても大事になって来る部分です。 この人たちは、カオナシと同じタイプの人たち、だと思っています。 要するに、この社会で生きる中で、 洗脳され、 名前を奪われ、 「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせられた人たちです。 そして無気力に、社会の仕組み(電車)に、『自分の意思とは関係なく流されて行ってしまっている人たち』です。 「自分は誰で何をしたい人か?」という事を知らずに、 自分の意思を押し殺して、 そして「自分自身が生きたい人生」を、生きられない状態が続くと、 単純に、エネルギーを失っていきます。 』 『モヤモヤし続ける』 こういう事に、なります。 つまり、シンプルに言えば、『エネルギーが減少していく方向性を生きている状態』です。 (エネルギーとは、生きるために必要なものです。 栄養とか、やる気とか、元気とか、モチベーションとか、ワクワク感とか、とりあえずそういうものとして、意識してください)• 自分が誰で何をしたい人かを知らない。 エネルギーが減少していく方向性を生きている。 自分の存在意義を意識できない。 本当の存在の価値を感じられていない。 この電車は、どこに向かっているのか? この疑問もまた、考察する価値があると思います。 この電車と、この電車のレールを、「社会の仕組み・社会の流れ」として考えると、 辛辣な表現ですが、一言で言って、「死」に向かっています。 エネルギーを(元気を)、失い続けた先が、死です。 エネルギーが減少し続ける方向性が、死に向かう。 エネルギーを増大し続ける方向性は、生に向かう。 (これについては、このブログの、もののけ姫の解釈の記事で、少し詳し目に書いています) 生きる事は、エネルギーを作る事です。 社会の仕組み・常識・嘘の情報に従って生きていると、 当然のように、『自分が本当に生きたい人生』を生きられなくなります。 要するに、『未来を想像した時のワクワク感』が、無くなって行きます。 ・・・そして、その状態は、人によって程度は違えども、 大きな方向性としては『エネルギーが減少していく方向性』です。 つまり、この電車のレールの終点は、『死』です。 駅名の謎 『登場する駅名』についても、意味深で、メッセージを感じます。 【登場する駅名】• 楽復時計台駅(仮称)• 油屋駅(仮称)• 沼の底 駅の順番は、間に登場していない駅があるにしても、 上から下に、おそらくこんな感じです。 ・・・すごく印象的な名前です。 『泉』とか 『沼』というキーワードが特に印象的です。 単純に、受ける印象としては• 【楽復時計台駅(仮称)】 神様的な人が遊ぶ、繁華街的な駅です。 キラキラしているそうです。 【油屋駅(仮称)】 千尋たちが働く、油屋がある駅です。 皆、名前を奪われながら、疑いもせず、せっせと働いています。 《台詞紹介》 リン「おれいつかあの街に行くんだ。 こんなとこ絶対にやめてやる。 まだ、希望があり、ワクワク感がある心の状態です。 【南泉駅】• 【沼原駅】• 【北沼駅】• 【沼の底駅】• 【駅名についてのまとめ】 まとめますと、 この電車・レールは、一言で言って『死』に向かっていて、 駅名で、この社会で生きる人の、心の状態を表しています。 この社会の成功者の心から、 駅が進むごとに、段々と、心が淀み、沈み、 そして、沼の底(絶望した心の状態)に到着するという事を、表現していると思います。 ・・・たぶん、その次の次くらいが、『死』という駅なんじゃないかと思います。 『沼原駅』で、ほとんどの乗客が降りている意味 黒くて半透明の顔の無い人たちは、おそらく全員、 この『沼原』駅で降りています。 何も言葉を発さず、決められたルールに従うように、トコトコと降りて行きます。 という事を、伝えたいのだと、考察しています。 つまり、先ほどの解釈からすると 『心が淀んでいるが、小さな希望もあるという、心の状態』 という事です。 エネルギーを失いながらも、小さな希望の中、生きている状態です。 ・・・みんな、そうなって、無気力になってしまっている。 と、宮崎駿監督は伝えたいのではないでしょうか。 『帰りが無い』という謎 千尋が電車に乗る前の会話で、釜爺が、意味深な事を言っています。 《台詞紹介》 釜爺:いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ。 千: 沼の底? 釜爺: とにかく六つ目だ。 千: 六つ目ね。 釜爺: 間違えるなよ。 昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。 それでも行くか千? という会話です。 まず、 『降りる駅を間違えるな』という事を、念入りに言っています。 ・・・そして気になるのは、この部分です。 『行きの電車』=沼の底駅へ向かう電車=絶望に向かう電車=死に向かう電車=エネルギーが減少する社会の方向性• 『戻りの電車』=楽復時計台駅へと向かう電車=成功者に向かう電車=生に向かう電車=エネルギーが増大する社会の方向性 社会システムが、エネルギーが増大する方向性、つまり生に向かっている事はあった。 つまり、電車と言う、社会システムに従って生きても、生に向かう事が出来る時代はあった。 という事です。 ・・・そして 今は、死に向かう方向性の、電車(社会システム)しかない。 という事です。 〈生に向かう方向性の社会システム〉について。 例えばですが、 昔の日本における、バブル期とかが、そうなんじゃないでしょうか。 バブルの時代は、 普通にこの社会で働いて、当然のようにお金が儲かって、成功者のように良い暮らしが出来る。 自分のやりたい事、快感を、満たす事が出来る。 という時代だったそうです。 僕は経験していませんが、こういう時代が、あったそうです。 本当に毎日が楽しかったそうです。 社会システムという電車に普通に乗って、エネルギーを増大する事が出来た、時代です。 ・・・しかし、今の社会では、普通に働いて、成功者になれるような気配は、ほぼ無いですよね。 釜爺の、この印象的な台詞は、これを表しているのではないかと解釈しています。 『中道』という、電車の表札 深読みのし過ぎかもしれませんが、 『社会の中の道』という事だと、考察しています。 先述したように、シンプルに「社会の中の道」というのが、僕の中ではしっくり来ていますが、 他にも、捉え方があるなと思い、追記を書いています。 仏教用語で、「中道」という言葉があります。 仏教で目標としている境地であり、スローガンと言っても良い、重要な言葉の1つです。 僕は無宗教ですし、宮崎駿監督の宗教は知りませんが、 この仏教的な観点から、この「中道」という言葉を使ったという可能性はあるとも、思います。 この仏教的な意味での「中道」とは? 僕の、ざっくりした解釈ですと、 『偏らない、ニュートラルな立ち位置で、物事を見る』 という、意識の使い方です。 『分けない考え方』 とも、言えます。 偏ったり、分けたりすると、感情的な対立が生まれ、物事の本質が見えなくなります。 洗脳をされないために、真実の情報を見据えて判断するために、必要な思考法であり、意識の使い方です。 昔の記事ですが、この記事が参考になると思います。 ・・・宮崎駿監督は 『社会に流されずに、中道的な見方をもって生きる事が必要だ』 と、伝えたいのかもしれません。 先述した『社会の中の道』とも、重複した意味になっていますが、 要は、 『中道』=『社会に流されている状態』『何となく生きている状態』『無目的に生きている状態』 という、捉え方も出来ます。 ・・・宮崎駿監督は、『中道」がこの捉え方だとしたら、 『社会に流されず、目的をもって生きなくてはならない』 と、伝えたかったのかもしれません。 〈考察・解説〉 役割を持っているが、その他の乗客と同じように、 エネルギーが減少する方向性を生きている人。 というように、解釈しています。 『運転手は、この死に向かう電車を運転していて、死ぬのかどうか?』 これは、すみません。 いくらでも想像できる部分で、ちょっと僕には分かりません。 ただ、千尋が〈沼の底駅〉で降りる時に、運転手の姿は、おそらく描かれていません。 電車のシーンで伝えたい事。 メッセージ 以上の解釈を総合して、 この電車のシーンを通じて宮崎駿監督が伝えたいメッセージを解釈します。 『自分の意思で、自分の目的を持って、社会という乗り物、社会と言うレールから、降りなければいけない』 『さもないと、生は無い』 『本物の人生は無い』 という事だと、解釈しています。 千尋は『ハクを助けるために、銭婆に会いに行く』という明確な自分の目的を持っていました。 それによって、主体的に、自分の意思で、電車を降りました。 つまり、社会の仕組み、社会のレールを、自分の意思で、降りました。 そして後々、 洗脳(魔法)を解きはらい、自分の名前も、ハクの名前も思い出す。 という展開に、繋がって行きました。 ・・・沼の底駅を降りてから、それまでハエドリに持ち上げてもらっていた坊ネズミが、自分の足で歩き始めたのも印象的なシーンです。 『自分の目的を決め、自分の目的に従い、社会と言う電車から自分の意思で降りて、自分の足で〈生の方向性〉に向かって歩む事』 これが必要だという事を、伝えたかったのではないでしょうか。 『無理に会社を辞める』とか、そういう意味では有りません。 『自分のエネルギーが増大する未来を決め、その未来に進む』 という事です。 社会システム、社会の常識と言うものに囚われずに、 『その自分の選択の先にある未来を想像した時に、エネルギーが減少するか、増大するか』 という事を最優先の判断基準として、今の生活のあらゆることを、自分で選択する。 という事です。 もし今、エネルギーが減少する方向性を生きてしまっているのなら、 自分の意思で、決めて、計画を立てて、その方向性から『降りる』という事が、必要です。 単純に言えば、 本当はやりたくない事をやっていて、その先の未来にワクワクできないのなら。 計画的に、それを止めて 計画的に、本当にやりたい事を始めて行く。 という、意識を持つ事です。 ・・・こういったメッセージを、宮崎駿監督は伝えたかったのでは無いでしょうか? ・・・以上が、僕の主観による、千と千尋の神隠しの『電車のシーン』の解釈でした! 読んでくださり、誠にありがと言うございました! 宮崎駿監督の作品は、メッセージが本当に深くて、考察するのがとても楽しいです。 また何か、気になる事や疑問がありましたら、ぜひ教えて下さい。 では、次の記事をご期待ください! 《お勧めの記事》 かつぜんです。 心と思考の明確家【Clearist(クリアリスト)】として活動しています。 『より良い社会を作りたい。 困っている人を助けたい。 』 この思いのもと、ネットでブログやYOUTUBEでの情報発信活動。 対面にてカウンセリング・コーチングの活動をしています。 関わった人の「心と思考」をすっきり明確にし、皆の悔いのない人生のために全力で貢献していきます。 この社会には、余りにも多くの「嘘」「捏造」「曖昧」「複雑」な情報が存在しています。 そして、悩みや問題に直面しても解決ができいなモヤモヤした状態に陥り、自分の理想と現実というものがどんどん食い違っていきます。 …この解決のために、ぼくがいます。 お気軽に何でもご相談ください。 出来る限りお答えします。 まおまおさん。 「私たちは2人で一人前なのにね」 みたいな事を、銭婆は言っていました。 そして、 「欲と良心を切り離さずには、生きられない現代社会の問題を表している」みたいな事を、考察しました。 …そこで、 「銭婆が沼の底駅に住んでいる理由」です。 「沼底は死に近い」みたいな事を、僕はこの記事で考察しました。 先述した通り、銭婆は「人の良心」を表現しているキャラクターと解釈しておりますので、 現代社会への風刺として、 『人の良心というものの優先順位が下がり、沈み、良心が死に向かっている、この現代社会』 という事を、表現しているのではないかと、考察しております。 銭婆自体が死に向かっているかどうかは分かりませんが、 銭婆を〈良心を表すキャラクター〉と捉えると、メッセージ的に、僕は納得が行きます。 そしてその結果、理不尽な現象が高い確率で起こる、社会なのだと思います。 そして、その社会の歪みが、我々国民に来て、理不尽なストレスに蝕まれています。 そのストレスから、 良心の優先順位が低い人は、自分より目下の人にさらに理不尽なストレスを撒き散らし、 良心の優先順位が高い人は、我慢して、耐えるしかない。 そして、精神的に落ち込んでいく。 …理不尽な社会システムから始まって、こういう結果になっている、社会なのだと思います。 それでも、良心の優先順位が高い、良い人、良い環境は、存在しています。 そういう人や環境と、繋がることなのだと思います。 ・出来たら、今の理不尽な環境から、新しい良い環境に移る。 ・それが出来なければ、今の環境に加えて、もう一つ良い環境を持つ。 見つける。 ・それが出来なければ、まずは一人でも、良い人を見つけて、関係性を築く。 ですが、ぼくにはこのように見えて、そしてそうだったのなら、「社会を良くしたい」という監督の強い意志を感じるシーンです。 影響力のある利己的な偉い人たちが、情報を隠したり、ねつ造したりしているので気付きにくい事ですが、 現実として、今の日本の社会はボロボロの状態です。 本当に、ボロボロの状態です。 宮崎駿監督は、こんな社会を改善するために、映画という媒体を通じて、我々大衆にメッセージを届けているのではないか?とぼくは思っています。 おそらく私と同世代かと思いますが、特に両親が正気を失くしていき豚になってしまうシーンについては、何を言わんとしているのかは私にとっては明白でした。 社会全体が正気を失った一つの巨大なマシーン、工場、人間農場になってる。 要するにマトリックスです。 比喩的な表現によって、直接言語で語るよりも直感的に訴える、感じさせる宮崎駿監督はやはり天才だと思います。 話がぶっ飛びますが、NASAなどの機関が宇宙事業に取り組んでいたり、有名な起業家などがスペースシャトルを打ち上げて失敗したりしてるのは、そういう「頑張ってますがこれが今限界です」というパフォーマンスを見せて、この支配された星から、一つの巨大な牢獄、牧場から逃れさせないようにする潜在意識への刷り込みだと思ってます。 けど私は絶対になんとかして脱獄したい。 笑 カートヴォネガットの作品は読まれたことありますか?なければ、もしかしたらお好きかもしれません。 わけのわからないこといきなりお話しして申し訳ありませんでした。 同じ事を感じている方がいると知れただけでも嬉しかったです。 それでは失礼いたします。 ともぞう様 素敵なコメントをありがとうございます!励みになります。 おっしゃる通りですね。 マトリックスも大好きな映画です。 この社会全体が、工場になっているのを感じます。 「ふつうな人」を生産する事を目的とする社会です。 ふつうな人とは、権力を握っている偉い人たちにとって、都合のいい人たちです。 ふつうを目指す中で ・ふつうの(誰かに決められた)幸せを目指すようになる ・周りと違う意見を言えなくなる ・周りと同じものに価値を感じるようになる ・簡単にメディアを信じるようになる ・おかしい事を、おかしいと感じられなくなる ・仕方ない、こういう物だと、簡単に諦めてくれて、異論を唱えなくなる。 などなど、偉い人たちにとって都合よくコントロールしやすい民が、仕上がっています。 おっしゃる通り、それは、潜在意識レベルの深い部分の意識まで刷り込まれてしまっています。 その「ふつう」が合わない、合わせられない、おかしいと感じるは人は、 自分は社会不適合だと落ち込み、辛い思いをしています。 …本当は、「ふつう」なんてものはなく、幻想です。 「みんな違って、みんな良い」が正解です。 みんな、自分が生きたい独自の幸せを、生きればいいのだと、ぼくは思っています。 ぼくらの世代でそれに気づき、 メディアを作って、真実を探求して発信して、 未来の子供たちに、より良い社会を提供したいと願っています。

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