多賀 盛岡。 【割烹酒場 TAGA 多賀】盛岡・居酒屋

マンション多賀 岩手県盛岡市南大通2仙北町駅の中古マンション(物件番号:93527089)の物件詳細

多賀 盛岡

ページ番号1010433 更新日 令和2年1月7日 保護庭園 盛岡市は,盛岡市の歴史と共に生き続けた由緒,由来がある庭園を選定し,「保護庭園」として指定しています。 現在7件の保護庭園が指定され表示板が設置されています。 保護庭園 指定番号 名称 所在地 指定年月日 面積 摘要 1 秀清閣 盛岡市内丸63番1号 1972年 昭和47年 11月25日 1500平方メートル 1981年 昭和56年 8月指定廃止 2 新小路クラブ 盛岡市神明町6番12号 1972年 昭和47年 11月25日 3571平方メートル 1977年 昭和52年 6月指定廃止 3 賜松園 盛岡市南大通一丁目7番3号 1972年 昭和47年 11月25日 1200平方メートル 公開 4 老梅園 盛岡市大慈寺町7番18号 1972年 昭和47年 11月25日 1400平方メートル 非公開 5 大清水多賀庭園 盛岡市清水町12番10号 1972年 昭和47年 11月25日 1205平方メートル 2013年(平成25年)8月指定廃止 6 武田邸 盛岡市長田町19番1号 1972年 昭和47年 11月25日 2000平方メートル 公開 7 小泉邸 盛岡市馬場町5番33号 1973年 昭和48年 2月1日 500平方メートル 非公開 8 下田邸 盛岡市前九年一丁目4番14号 1974年 昭和49年 2月1日 4700平方メートル 非公開 9 一ノ倉邸 盛岡市安倍館町19番64号 1974年 昭和49年 2月1日 6500平方メートル 公開 10 南昌荘 盛岡市清水町13番46号 2000年 平成12年 5月16日 2300平方メートル 公開• 賜松園 ししょうえん• 指定番号:3• 所在地:盛岡市南大通7番3号• 庭園面積:約1200平方メートル• 指定年月日:1972年 昭和47年 11月25日• 池の対岸東寄りに築山を配して,ここに庭の中心を置き,その対角線にあたる南西隅一帯はウメ,サクラの樹林としているなど,その配置は巧みです。 建物からの正面右寄りは,かつて借景的扱いをしていたものと思われます。 市内には池泉回遊式庭園は多い中にあって,この庭はひときわ優れているといわれています。 施行 作庭年代が古い割に,後補と思われるもの シダレカツラ,アオギリ が比較的少なく,古い作庭の面影をよく残しています。 植栽,石組,各局部の取扱は巧みです。 池の付近は宅地化で水を失い,池底には簗川青玉石を敷いていますが,これは後から補なったものです。 材料 石材 飛石,捨石,灯籠共に優れています。 灯籠は,春日型2,雪見型1,山灯灯籠1,置灯籠1 原敬愛用といわれている 植栽 池畔のイチイ,サツキの刈込のほか,築山上に立つエドヒガンの古木は優品です。 東側の隅に立つイチョウも強調材料として効果を上げています。 また,南西隅のウメ,サクラはアクセントとして効果を成しています。 造園年代・作者など この庭園は明治維新後のことしか詳しく分かっていませんが,維新前までは花輪という武士の屋敷であったといわれています。 1868年 明治初年 ,菊池金吾の所有となりました。 「賜松園」という名の由来については,この建物が明治天皇御光臨のおりに宿舎にあてられ,庭の松が「見馴れの松」と名付けられたのですが,1884年 明治17年 11月盛岡の大火でこの見馴れの松が焼けたため,後に陛下より3本を賜ったことから,このように呼ばれるようになりました。 エドヒガンの樹齢からして,江戸中期頃の作庭と推定されます。 老梅園 ろうばいえん 非公開• 指定番号:4• 所在地:盛岡市大慈寺町7番18号• 庭園面積:約1400平方メートル• 指定年月日:1972年 昭和47年 11月25日• 庭園様式:池泉築山回遊式庭園 地割 池泉回遊式庭園の多い中にあって,異色のある地割を持つ優れた庭園です。 盛岡市の地形的特色である河成段丘地形を巧みに利用した自然風の庭園で,庭は建物の南西部にあります。 建物のある段丘面に続く部分が上段の庭で,その南西側の下の部分に池をうがち,上段の庭の浅い池と水路 流水 をもって連絡しています。 玄関前は段丘崖を緩い斜路として見事なアプローチを形成しています。 主庭に付属する茶室周辺には露地として造成されたものはなく,玄関横からの部分が露地的役割をなしています。 施行 地形を巧みに利用し,主庭からの観賞を考慮に入れた手法は巧みです。 市内のビル建設によって下段の池に近い湧水は枯れ,今は上・下とも水はありませんが,無駄のない行き届いた施行です。 材料 石材・植物についても誇張がなく,いずれも良いものを用いている点では賜松園と共に市内では有数と言えます。 玄関アプローチのサツキ刈込,これに続く真の飛石は,桂離宮を模したといわれています。 樹木ではコウヤマキ,イトヒバのほか,モミジ,チョウセンゴヨウ,サワラに優れたものがあります。 灯籠は変形春日型,茶室前の置灯籠が据えられています。 造園年代・作者など 盛岡市内の庭園のうちでは最も由緒のあるものといわれています。 今から約280年前の1722年 享保7年 第32代南部利幹公の時代に造られたもので,当時桜山にあった南部家の菩提所聖寿寺の第9代逸彦米禅師が隠居したとき,南部公が蓬莱造りの庭園と書院造りの茶室を造って贈りました。 禅師はここに隠居して『老梅園』と号したといわれています。 所見 ここの建物の東南部に『表千家不審庵残月亭』写しの間があり,その写しは京都のそれにきわめて忠実で,文化財的価値が高いとされています。 なお,京都の『残月亭』は,『不審庵』とともに表千家の中心的茶席です。 武田邸 たけだてい• 指定番号:6• 所在地:盛岡市長田町19番1号• 庭園面積:約2000平方メートル• 指定年月日:1972年 昭和47年 11月25日• 庭園様式:池泉築山回遊式庭園 地割 玄関まわり・主庭という地割で,主庭は建物の南側に位置します。 主庭は,「中心より東寄りに位置する池泉とその対岸の一部ある築山」という,市内の池泉回遊式庭園の様式に近いが,池泉が大きく明るい庭です。 庭の東隅の一部に茶室,雪隠,露地を配し,ここから西寄りの野立ての小広場を用意してあります。 施行 当初の作庭から所有者が変わるたびに手を入れて補ってきているものの馴染んだ形で残されています。 局部としては,玄関前の「つくばい」,建物南側の手洗鉢などが優れています。 材料 石材・植物などは一般的に無難で,後補といわれている池畔のサツキ・イチイの刈込は,良く馴染んでいます。 この地方として珍しいものにヒメカカラ サルトリイバラに似てごく小型 ,ナツツバキがあります。 造園年代・作者など 1868年 明治初年 の頃,川目末松の作庭とされていますが,基本的作庭は江戸末期の頃と推定されます。 小泉邸 こいずみてい 非公開• 指定番号:7• 所在地:盛岡市馬場町5番33号• 庭園面積:約500平方メートル• 指定年月日:1973年 昭和48年 2月1日• 庭園様式:池泉築山回遊式庭園 地割 主庭と裏庭とからなり,建物の東側の部分で連絡しています。 共に小型の築山を持つ池泉回遊式庭園で,主庭の方は枯池ですが,裏庭の池には水がありました。 裏庭の築山は石組が主体で回遊できるようになっていますが,座敷からの観賞が主体であったと思われます。 東隅に近い所に浅井戸と思われる凹地があり,池に連絡していますが,これは当初の造庭が破損したものと思われます。 表・裏ともせまい土地を巧みに利用して,自然風の味を出し,奥行きを感じさせる手法は巧みです。 施行 石組は表・裏ともによくできており,特に裏庭の築山石組などは古風な手法で,地割も含めて作庭年代の差を感じさせます。 植栽や,主庭門近くに小型春日灯籠を配したあたりは巧みな手法であり,狭いながら非常にまとまりのある庭園です。 材料 特に優れた材料を用いているわけではありませんが,配置,組み合わせによってまとめている点が優れているといわれています。 灯籠 置灯籠2,五重塔1,小型春日1 植栽 モミ,コウヤマキ,チョウセンゴヨウ,アカマツ,モミジ及びイチイ,サツキ刈込が効いている。 造園年代・作者など 明治末期に内田徳太郎作庭といわれますが,それ以前の江戸中~末期のころ武家屋敷の庭として作庭されたものが再整備されたものと思われます。 下田邸 しもだてい 非公開• 指定番号:8• 所在地:盛岡市前九年一丁目19番64号• 庭園面積:約4700平方メートル• 指定年月日:1974年 昭和49年 2月1日• 庭園様式:池泉回遊式庭園 都市の緑地に準ずる機能 庭園内の樹木は自然林的林況をなし,リスの生息が見られるほど。 樹種としては,ケヤキ,カキ,クリ,モミジ,サワラ,イチイ,イチョウ,トチノキ,ホホノキ,キタゴヨウ,スギ,ハリギリ,チョウセンゴヨウ,ニセアカシヤ,クリ等が植えられています。 庭園の特徴 南部家家老職の屋敷跡内のこの庭園は,江戸中期以降に造られたもののようで,現在は自然林的な林況を呈しています。 当時は北から西にかけて流れを持つ池泉をうがった回遊式庭園であった模様。 池及び南西側の築山とその付近に散在する石により,当時の面影が偲ばれます。 園内にリスが生息し,市街地内の樹林としては希少価値が高いとされています。 一ノ倉邸 いちのくらてい• 指定番号:9• 所在地:盛岡市安倍館町19番64号• 庭園面積:約6500平方メートル• 指定年月日:1974年 昭和49年 2月1日• 庭園様式:池泉回遊式型 地割 当時はこの屋敷は四周に濠をめぐらし,土堤で囲んでいたものと思われる遺構が残存しています。 建物の西から南に3個の中島を持つかなり大きい池 心字型 を中心にした庭で,一部に築山を配した回遊式庭園です。 細工を施さない自然そのままの木々が配置されている様が,雄大さを感じさせています。 材料 京都高尾山から運んだとされる数百本のモミジ類を主体にし,これにアカマツなど針葉樹を若干加えた植栽となっており,秋になると樹齢80年~90年以上のモミジが紅一色に包まれて,火の燃えさかるような光景を呈しています。 造園年代・作者など 1902年から1903年 明治35年~36年 頃,阿部浩 阿部貞任の子孫といわれています。 東京府知事 が東京から庭師を招いて造庭したとされています。 南昌荘 なんしょうそう• 指定番号:10• 所在地:盛岡市清水町144番地1• 庭園面積:約2300平方メートル• 指定年月日:2000年 平成12年 5月16日• 庭園様式:池泉回遊式庭園 地割 建物の南側の河成段丘 低い を利用したもので,今は枯渇していますが,段丘崖の崖麓に湧く2箇所の湧水を基礎にして池の形を決定しています。 池は庭園面積の3分の1を占め,市内の池を持つ庭園のうちでは最も大きく深い池であり,形は変化回遊式庭園としては市内第一です。 また,市内に多く見られる池泉回遊式庭園の千編一律な地割計画に比べて異色があり,この点からも,きわめて優れた庭園といえます。 施行 池泉岩組の一部に破損が認められますが,石組,配植は優れています。 材料 樹種はモミジとサワラが主体ですが,庭内には樹齢50年以上の老木が林立しており,市街地の緑地として貴重なものとなっています。 庭園内のアオギリは県内有数の幹の太さを示し,珍奇種として貴重だとされています。 また,アカマツ,モミ,フジ,シダレカツラなどのように独立した庭木として好ましい形態を示すものが多く残ります。 造園年代・作者など 現在の邸宅は1885年 明治18年 の建設とされていますが,南昌荘の屋敷名は後年新渡戸仙岳の命名によります。 庭園部分は,1868年 明治初年 ごろ,瀬川安五郎所有時代に,阿部仁太郎 大清水多賀の庭園を作庭した阿部長太郎の父 と川目末松の2名の手で作庭。 一部は東京の庭師に造らせたという説もあります。 作庭年代は,1877年から1887年 明治10年から明治20年 の間と推定されます。 その後,屋敷の所有者は大矢馬太郎,金田一国土,赤沢多兵衛と変遷しましたが,卓越した技術を持つ庭師三代の藤村治太郎・益治郎・典哉 現在有限会社豊香園 らの協力を得て,おおむね作庭当初の姿を保持しつつ,現在のいわて生協協同組合の管理下に移行しました。

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公会堂多賀の閉店と「地域に愛される著名店の突然死」を防ぐために弁護士ができること

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ページ番号1010433 更新日 令和2年1月7日 保護庭園 盛岡市は,盛岡市の歴史と共に生き続けた由緒,由来がある庭園を選定し,「保護庭園」として指定しています。 現在7件の保護庭園が指定され表示板が設置されています。 保護庭園 指定番号 名称 所在地 指定年月日 面積 摘要 1 秀清閣 盛岡市内丸63番1号 1972年 昭和47年 11月25日 1500平方メートル 1981年 昭和56年 8月指定廃止 2 新小路クラブ 盛岡市神明町6番12号 1972年 昭和47年 11月25日 3571平方メートル 1977年 昭和52年 6月指定廃止 3 賜松園 盛岡市南大通一丁目7番3号 1972年 昭和47年 11月25日 1200平方メートル 公開 4 老梅園 盛岡市大慈寺町7番18号 1972年 昭和47年 11月25日 1400平方メートル 非公開 5 大清水多賀庭園 盛岡市清水町12番10号 1972年 昭和47年 11月25日 1205平方メートル 2013年(平成25年)8月指定廃止 6 武田邸 盛岡市長田町19番1号 1972年 昭和47年 11月25日 2000平方メートル 公開 7 小泉邸 盛岡市馬場町5番33号 1973年 昭和48年 2月1日 500平方メートル 非公開 8 下田邸 盛岡市前九年一丁目4番14号 1974年 昭和49年 2月1日 4700平方メートル 非公開 9 一ノ倉邸 盛岡市安倍館町19番64号 1974年 昭和49年 2月1日 6500平方メートル 公開 10 南昌荘 盛岡市清水町13番46号 2000年 平成12年 5月16日 2300平方メートル 公開• 賜松園 ししょうえん• 指定番号:3• 所在地:盛岡市南大通7番3号• 庭園面積:約1200平方メートル• 指定年月日:1972年 昭和47年 11月25日• 池の対岸東寄りに築山を配して,ここに庭の中心を置き,その対角線にあたる南西隅一帯はウメ,サクラの樹林としているなど,その配置は巧みです。 建物からの正面右寄りは,かつて借景的扱いをしていたものと思われます。 市内には池泉回遊式庭園は多い中にあって,この庭はひときわ優れているといわれています。 施行 作庭年代が古い割に,後補と思われるもの シダレカツラ,アオギリ が比較的少なく,古い作庭の面影をよく残しています。 植栽,石組,各局部の取扱は巧みです。 池の付近は宅地化で水を失い,池底には簗川青玉石を敷いていますが,これは後から補なったものです。 材料 石材 飛石,捨石,灯籠共に優れています。 灯籠は,春日型2,雪見型1,山灯灯籠1,置灯籠1 原敬愛用といわれている 植栽 池畔のイチイ,サツキの刈込のほか,築山上に立つエドヒガンの古木は優品です。 東側の隅に立つイチョウも強調材料として効果を上げています。 また,南西隅のウメ,サクラはアクセントとして効果を成しています。 造園年代・作者など この庭園は明治維新後のことしか詳しく分かっていませんが,維新前までは花輪という武士の屋敷であったといわれています。 1868年 明治初年 ,菊池金吾の所有となりました。 「賜松園」という名の由来については,この建物が明治天皇御光臨のおりに宿舎にあてられ,庭の松が「見馴れの松」と名付けられたのですが,1884年 明治17年 11月盛岡の大火でこの見馴れの松が焼けたため,後に陛下より3本を賜ったことから,このように呼ばれるようになりました。 エドヒガンの樹齢からして,江戸中期頃の作庭と推定されます。 老梅園 ろうばいえん 非公開• 指定番号:4• 所在地:盛岡市大慈寺町7番18号• 庭園面積:約1400平方メートル• 指定年月日:1972年 昭和47年 11月25日• 庭園様式:池泉築山回遊式庭園 地割 池泉回遊式庭園の多い中にあって,異色のある地割を持つ優れた庭園です。 盛岡市の地形的特色である河成段丘地形を巧みに利用した自然風の庭園で,庭は建物の南西部にあります。 建物のある段丘面に続く部分が上段の庭で,その南西側の下の部分に池をうがち,上段の庭の浅い池と水路 流水 をもって連絡しています。 玄関前は段丘崖を緩い斜路として見事なアプローチを形成しています。 主庭に付属する茶室周辺には露地として造成されたものはなく,玄関横からの部分が露地的役割をなしています。 施行 地形を巧みに利用し,主庭からの観賞を考慮に入れた手法は巧みです。 市内のビル建設によって下段の池に近い湧水は枯れ,今は上・下とも水はありませんが,無駄のない行き届いた施行です。 材料 石材・植物についても誇張がなく,いずれも良いものを用いている点では賜松園と共に市内では有数と言えます。 玄関アプローチのサツキ刈込,これに続く真の飛石は,桂離宮を模したといわれています。 樹木ではコウヤマキ,イトヒバのほか,モミジ,チョウセンゴヨウ,サワラに優れたものがあります。 灯籠は変形春日型,茶室前の置灯籠が据えられています。 造園年代・作者など 盛岡市内の庭園のうちでは最も由緒のあるものといわれています。 今から約280年前の1722年 享保7年 第32代南部利幹公の時代に造られたもので,当時桜山にあった南部家の菩提所聖寿寺の第9代逸彦米禅師が隠居したとき,南部公が蓬莱造りの庭園と書院造りの茶室を造って贈りました。 禅師はここに隠居して『老梅園』と号したといわれています。 所見 ここの建物の東南部に『表千家不審庵残月亭』写しの間があり,その写しは京都のそれにきわめて忠実で,文化財的価値が高いとされています。 なお,京都の『残月亭』は,『不審庵』とともに表千家の中心的茶席です。 武田邸 たけだてい• 指定番号:6• 所在地:盛岡市長田町19番1号• 庭園面積:約2000平方メートル• 指定年月日:1972年 昭和47年 11月25日• 庭園様式:池泉築山回遊式庭園 地割 玄関まわり・主庭という地割で,主庭は建物の南側に位置します。 主庭は,「中心より東寄りに位置する池泉とその対岸の一部ある築山」という,市内の池泉回遊式庭園の様式に近いが,池泉が大きく明るい庭です。 庭の東隅の一部に茶室,雪隠,露地を配し,ここから西寄りの野立ての小広場を用意してあります。 施行 当初の作庭から所有者が変わるたびに手を入れて補ってきているものの馴染んだ形で残されています。 局部としては,玄関前の「つくばい」,建物南側の手洗鉢などが優れています。 材料 石材・植物などは一般的に無難で,後補といわれている池畔のサツキ・イチイの刈込は,良く馴染んでいます。 この地方として珍しいものにヒメカカラ サルトリイバラに似てごく小型 ,ナツツバキがあります。 造園年代・作者など 1868年 明治初年 の頃,川目末松の作庭とされていますが,基本的作庭は江戸末期の頃と推定されます。 小泉邸 こいずみてい 非公開• 指定番号:7• 所在地:盛岡市馬場町5番33号• 庭園面積:約500平方メートル• 指定年月日:1973年 昭和48年 2月1日• 庭園様式:池泉築山回遊式庭園 地割 主庭と裏庭とからなり,建物の東側の部分で連絡しています。 共に小型の築山を持つ池泉回遊式庭園で,主庭の方は枯池ですが,裏庭の池には水がありました。 裏庭の築山は石組が主体で回遊できるようになっていますが,座敷からの観賞が主体であったと思われます。 東隅に近い所に浅井戸と思われる凹地があり,池に連絡していますが,これは当初の造庭が破損したものと思われます。 表・裏ともせまい土地を巧みに利用して,自然風の味を出し,奥行きを感じさせる手法は巧みです。 施行 石組は表・裏ともによくできており,特に裏庭の築山石組などは古風な手法で,地割も含めて作庭年代の差を感じさせます。 植栽や,主庭門近くに小型春日灯籠を配したあたりは巧みな手法であり,狭いながら非常にまとまりのある庭園です。 材料 特に優れた材料を用いているわけではありませんが,配置,組み合わせによってまとめている点が優れているといわれています。 灯籠 置灯籠2,五重塔1,小型春日1 植栽 モミ,コウヤマキ,チョウセンゴヨウ,アカマツ,モミジ及びイチイ,サツキ刈込が効いている。 造園年代・作者など 明治末期に内田徳太郎作庭といわれますが,それ以前の江戸中~末期のころ武家屋敷の庭として作庭されたものが再整備されたものと思われます。 下田邸 しもだてい 非公開• 指定番号:8• 所在地:盛岡市前九年一丁目19番64号• 庭園面積:約4700平方メートル• 指定年月日:1974年 昭和49年 2月1日• 庭園様式:池泉回遊式庭園 都市の緑地に準ずる機能 庭園内の樹木は自然林的林況をなし,リスの生息が見られるほど。 樹種としては,ケヤキ,カキ,クリ,モミジ,サワラ,イチイ,イチョウ,トチノキ,ホホノキ,キタゴヨウ,スギ,ハリギリ,チョウセンゴヨウ,ニセアカシヤ,クリ等が植えられています。 庭園の特徴 南部家家老職の屋敷跡内のこの庭園は,江戸中期以降に造られたもののようで,現在は自然林的な林況を呈しています。 当時は北から西にかけて流れを持つ池泉をうがった回遊式庭園であった模様。 池及び南西側の築山とその付近に散在する石により,当時の面影が偲ばれます。 園内にリスが生息し,市街地内の樹林としては希少価値が高いとされています。 一ノ倉邸 いちのくらてい• 指定番号:9• 所在地:盛岡市安倍館町19番64号• 庭園面積:約6500平方メートル• 指定年月日:1974年 昭和49年 2月1日• 庭園様式:池泉回遊式型 地割 当時はこの屋敷は四周に濠をめぐらし,土堤で囲んでいたものと思われる遺構が残存しています。 建物の西から南に3個の中島を持つかなり大きい池 心字型 を中心にした庭で,一部に築山を配した回遊式庭園です。 細工を施さない自然そのままの木々が配置されている様が,雄大さを感じさせています。 材料 京都高尾山から運んだとされる数百本のモミジ類を主体にし,これにアカマツなど針葉樹を若干加えた植栽となっており,秋になると樹齢80年~90年以上のモミジが紅一色に包まれて,火の燃えさかるような光景を呈しています。 造園年代・作者など 1902年から1903年 明治35年~36年 頃,阿部浩 阿部貞任の子孫といわれています。 東京府知事 が東京から庭師を招いて造庭したとされています。 南昌荘 なんしょうそう• 指定番号:10• 所在地:盛岡市清水町144番地1• 庭園面積:約2300平方メートル• 指定年月日:2000年 平成12年 5月16日• 庭園様式:池泉回遊式庭園 地割 建物の南側の河成段丘 低い を利用したもので,今は枯渇していますが,段丘崖の崖麓に湧く2箇所の湧水を基礎にして池の形を決定しています。 池は庭園面積の3分の1を占め,市内の池を持つ庭園のうちでは最も大きく深い池であり,形は変化回遊式庭園としては市内第一です。 また,市内に多く見られる池泉回遊式庭園の千編一律な地割計画に比べて異色があり,この点からも,きわめて優れた庭園といえます。 施行 池泉岩組の一部に破損が認められますが,石組,配植は優れています。 材料 樹種はモミジとサワラが主体ですが,庭内には樹齢50年以上の老木が林立しており,市街地の緑地として貴重なものとなっています。 庭園内のアオギリは県内有数の幹の太さを示し,珍奇種として貴重だとされています。 また,アカマツ,モミ,フジ,シダレカツラなどのように独立した庭木として好ましい形態を示すものが多く残ります。 造園年代・作者など 現在の邸宅は1885年 明治18年 の建設とされていますが,南昌荘の屋敷名は後年新渡戸仙岳の命名によります。 庭園部分は,1868年 明治初年 ごろ,瀬川安五郎所有時代に,阿部仁太郎 大清水多賀の庭園を作庭した阿部長太郎の父 と川目末松の2名の手で作庭。 一部は東京の庭師に造らせたという説もあります。 作庭年代は,1877年から1887年 明治10年から明治20年 の間と推定されます。 その後,屋敷の所有者は大矢馬太郎,金田一国土,赤沢多兵衛と変遷しましたが,卓越した技術を持つ庭師三代の藤村治太郎・益治郎・典哉 現在有限会社豊香園 らの協力を得て,おおむね作庭当初の姿を保持しつつ,現在のいわて生協協同組合の管理下に移行しました。

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割烹酒場 TAGA(地図/写真/盛岡/居酒屋)

多賀 盛岡

概要 [ ] (5年)創業。 敷地面積1300、大広間は178畳あり 、庭園は盛岡市の保護庭園となっていた。 建物は造りの木造2階建ての高度な技術を用いた近代和風建築であり 、立体的な天井など洋風建築技法も取り入れていた。 床面積は店舗と住宅部分を含めると4300平方メートルで、全て個人所有だった。 (19年)にで放送された「」のモデルとなった。 岩手県を代表する老舗料亭とされ 、市民にも長年愛された。 宴会やレストラン、仕出しのほか婚礼も人気があった。 所在した場所 [ ] 岩手県盛岡市清水町12-10 歴史 [ ] 創業当初は、でとれた川魚料理がメイン の腰掛け茶屋 であったが、その後のが名物料理となった。 (明治38年)頃に盛岡市清水町に移転。 (13年)に本館が建設された。 (6年)本館1階の大広間が180畳に増築された。 (平成14年)の年越しでは20人の社員と10人のアルバイトで1200食のを調理した。 おせち料理は室温5度に保った大広間にお重を数百個並べ、を身につけて作業をした。 (平成15年)に開催されたでは170人の・の門下生が集まった。 2005年(平成17年)頃よりうなぎは産だけを使用した。 (平成21年)の7月の連休3日間では2000食のうなぎが準備された。 (平成24年)にはうなぎの仕入れ価格の上昇に伴い、かば焼き弁当の値段を例年の3割増しに改定せざる得なかった。 うなぎは解体された後に一度焼いた後に水に漬け 、高温で蒸したのちに秘伝のタレに漬け、その後もう一度焼き上げられていた。 岩手県の育成にも貢献したとされる。 庭園 [ ] 庭園は(大正10年)に造成され、池泉築山回遊式庭園であった。 主庭は南北に長い池泉とで構成され 、5重の塔など6基のが配置されていた。 池の形状や庭石の選定も高く評価されていた。 当初は庭面積は2300あった。 保護庭園は(昭和47年)11月に指定され、それによりが免除されていた。 課税の問題 [ ] (平成13年)に先代の死去時に伴う資産譲渡税や支払のため庭園のうち1100平方メートルが大手住宅メーカーに売却され、9階建ての高層が建設された。 これにより庭面積は1200平方メートルに減った。 この売却により多賀別館も解体された。 この固定資産処分によっても相続に伴う税金を完済することが出来ず 、事業資金としての借入金とともに経営を圧迫した。 閉鎖 [ ] 創業から約140年が経過していたが、不況や接待の自粛 、相続税の負担 、後継者難 、施設の維持管理コスト 、他業者との競合による業績不振となった。 に敷地を全て売却することで負債を完済する契約が結ばれた。 敷地売却のために、保護庭園の申請も解除申請が盛岡市環境企画課に(平成25年)提出された。 従業員23人は同年7月末で全員解雇。 同年7月末で廃業した。 存続の動きと解体 [ ] 経営の委譲も検討されたが、維持管理コストが問題となって引き受け先が見つからなかった。 市民や調理師会からは存続を望む声が上がり 、歴史的資産の保存の在り方が問う意見も寄せられた。 閉鎖後も建物の歴史的価値を評価し、活用する望む声があり 、「大清水多賀本店保存推進協議会」が結成され保存運動も実施された。 盛岡市も保存活用を検討してもらうよう、大清水多賀と大和ハウス工業に申し入れたが 、話し合いの場は設けられず 、2013年9月2日より建物の解体が開始された。 庭園も更地とされ 、高層マンションが建設される。 庭木の一部や灯篭、石橋、柱の一部、什器数十点は盛岡市が譲り受けた。 庭木は公園などに移植され 、什器は町家に展示する予定とされた。 その後、名店の味を残していきたいという思いから、元料理長が地元飲食店経営者と盛岡市大通りに(割烹酒場TAGA)を開店している。 出典 [ ]• 27 、178畳、180畳とするものがある• 本館建設は1923年とする資料もある 河北新報2001. 年越し大詰め…料理屋やそば屋、大忙し */岩手 『』 2002年12月31日 地方版/岩手 19頁 写図有 全586字• [沿北南央]12月30日=岩手『』2010年12月30日 東京朝刊 21頁 写有 全415字• 華やかにお点前披露/盛岡で初釜式 『河北新報』 01月13日 写有 全317字• [いんたびゅー]盛岡調理師会副会長・小田島忠夫さん=盛岡市 /岩手 『毎日新聞』2003年11月16日 地方版/岩手 21頁 写図有 全1,402字• わがまち魅力再発見/大清水多賀本店(盛岡市)/美しい庭園は料亭の命 『河北新報』 2001年08月27日 写有 全1,083字• 盛岡経済新聞 2013年11月27日. 2019年4月10日閲覧。

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