セント サイモン。 血統の笠雄二郎

世界の名馬列伝集: ダイヤモンドジュビリー

セント サイモン

近年はネイティヴダンサーから ミスタープロスペクター、ターントゥから ヘイルトゥリーズン、ヘイルトゥリーズンから ヘイローや ロベルトといった馬へ派生。 日本が誇る名血・ サンデーサイレンスはヘイローから派生した一大系統となっています。 大系統分類 血統を競馬予想に活かすには、血統ごとの特徴を把握する必要があります。 現在、父として大きな影響を与えているのはナスルーラ・ヘイルトゥリーズン・ノーザンダンサー・ミスタープロスペクター・サンデーサイレンスです。 この5頭に加え、母系に入って影響力を与えている5系統を合わせた 10系統を大系統に分類し、 大系統をさらに細かく分類したものを小系統としています。 ここから各大系統について解説していきますが、僕は血統ビーム理論の提唱者である亀谷敬正さんの書籍で血統を勉強しましたので、基本的にはその考えが軸となります。 しかし、血統を分析されている方は数多く、それぞれ捉え方が違うこともありますので、ここではひとつの考え方として見ていただきたいと思います。 大系統分類 このブログでは、大系統を以下の10系統に分類しています。 サンデーサイレンス系• ヘイルトゥリーズン系• ミスタープロスペクター系• ノーザンダンサー系• ナスルーラ系• ハンプトン系• セントサイモン系• マイナー系• ヘロド系• マッチェム系 現在、世界的に父系として活躍しているのは1~5の系統で、日本ではサンデーサイレンス系が圧倒的な強さを見せています。 米国ではミスタープロスペクター系やナスルーラ系、欧州ではノーザンダンサー系が活躍。 国が違えば繁栄している系統も違うのが血統の面白さですね。 それでは、各系統について紹介していきます。 サンデーサイレンス系 サンデー(サイレンス)系は現在の日本競馬で主流となる系統で、その特徴は瞬発力に秀でた馬が多いこと。 現在は芝の長距離よりも2000m前後の中距離で行われるレースの価値が高く、道中はゆったりと追走し、最後の直線でどれだけスピードを発揮できるかが問われます。 そういった流れに滅法強いのがサンデー系であり、大レースでは出走馬の大半がサンデーの血を持つ馬で占めることも多々あります。 しかし、瞬発力に秀でている反面、ダートや短距離には適性が低いことが弱点。 90年代中盤から日本でサンデーサイレンス産駒が走るようになりましたが、その影響力は凄まじく、今ではサンデーの血を引く種牡馬が非常に多いです。 タイプによっては短距離やダートで活躍しやすい産駒を出す馬もおり、一括りにサンデー系とするには無理が出てきました。 そこで、サンデー系でも似た特徴を持つタイプを5つの小系統に分類し、予想に活かすようにしていきます。 ヘイルトゥリーズン系 ターントゥ産駒のヘイルトゥリーズンはヘイローとロベルトを輩出し、日本でも多くの活躍馬がいます。 サンデーサイレンスはヘイロー産駒なので、大きく括ればヘイルトゥリーズン系と言えますね。 サンデーを経由しないヘイロー系は、瞬発力よりもスピードやパワーに優れるため、主に短距離やダートで活躍。 ロベルト系はスタミナやパワーに優れ、休み明けよりも叩いて良化するタイプが多い特徴があります。 どちらもパワーがあるので芝・ダートともに走れることが多いです。 ミスタープロスペクター系 ミスタープロスペクター系は、一般的にミスプロ系と省略されて呼ばれます。 レイズアネイティヴを父に持つミスタープロスペクターは、米国の主流血統として多くの活躍馬を輩出しています。 その活躍は米国だけにとどまらず、欧州にも届きます。 米国はダートが主戦場ですが、欧州で走るタイプは芝適性が高くなります。 前者を米国型・後者を欧州型とわけて考えることで、馬券に活かすこともできます。 芝の大舞台でも活躍できる一部が、キングマンボの血を持つキングカメハメハ。 そのキングカメハメハを父に持つロードカナロア・ルーラーシップも、大舞台で活躍します。 ロードカナロアは初年度から牝馬三冠を制したアーモンドアイを輩出するなど、現在の日本ではサンデー系とミスプロ系(キングマンボ)のどちらかの血を持つことが、非常に重要な要素となっています。 ノーザンダンサー系 ノーザンダンサー系は世界中で活躍馬を出す大系統で、ミスプロ系と同じく欧州型と米国型にわけて考えることができます。 欧州型はタフな馬場をこなすスタミナを持ちますが、日本ではスピード不足で活躍の場は限られます。 米国型はダート向きのパワーを備え、2歳戦から短距離でガンガン走る産駒が多いですね。 このあたりはミスプロ系の米国型と似た傾向にあります。 短距離のレースが多い2歳戦では、欧州型が活躍できる場は少ないです。 しかし、年が明けて3歳以降になると、秘めたスタミナを発揮できる中距離以上のレースが増え、そこでいきなり激走する可能性もあるので要注意。 馬券的に妙味があるのは、どちらかと言えば米国型ですね。 ナスルーラ系 ナスルーラ系は、ノーザンダンサーが台頭する以前に世界を席巻していた大系統。 ナスルーラ自身は激しい気性とスピードを武器にしていましたが、母系からスタミナを補って欧州でも活躍する馬を多く輩出し、世界中で繁栄しました。 ナスルーラ系もダート向きの米国型、スタミナ豊富な欧州型、日本の短距離で活躍する日本型と様々なタイプの種牡馬がいます。 日本では70年代から90年代中盤まで活躍していましたが、サンデーサイレンスの登場により勢力図が大きく塗り替えられ、現在は大舞台で活躍する馬はほとんどいません。 欧州でもナスルーラ系に代わってノーザンダンサー系が主役の座を奪い、時代とともに淘汰される宿命を感じさせますね。 米国では今でもミスプロ系、ノーザンダンサー系に劣らない活躍ぶりを見せていますし、日本でも米国型の産駒はダートで強さを発揮しています。 その他の大系統 ここまでの5系統は、いずれもダーレーアラビアンの血を引くエクリプスからファラリスを経由した系統で、現在ではほとんどの馬がこれらの血を引いています。 エクリプスからはファラリス以外にも発展を遂げた父系があり、ハンプトン系・セントサイモン系・それ以外のマイナー系に分類されます。 また、三大始祖のうちバイアリータークからヘロド系が、ゴドルフィンアラビアンからマッチェム系が現在でも存続しています。 ハンプトン系 現在、ハンプトン系は父系としては残っていませんが、母系に入ってスタミナを伝えています。 日本ではディクタスからサッカーボーイという快速馬が出ましたが、サッカーボーイは種牡馬になると本来の特徴であるスタミナ豊富な産駒を輩出。 ツボに嵌まると大駆けしますが人気でもアテにできない特徴があります。 サッカーボーイの全妹ゴールデンサッシュとサンデーサイレンスの間に生まれたのがステイゴールドで、ステイゴールド産駒は大一番での強さと人気での脆さが特徴的ですが、元を辿ればこの系統の特徴ということですね。 種牡馬としても1890年から通算で9回、英国リーディングサイアーとなった歴史的大種牡馬であり、現在のサラブレッドのほとんどはセントサイモンの血を持つと言われています。 その特徴は豊富なスタミナと底力で、大舞台で強さを発揮するようになることです。 とくに、血統表にリボーという種牡馬がいる場合、何か期待せずにはいられない…そんな気にさせてくれる一族です。 (気がするだけかも) セントサイモンがリーディングサイアーの座を譲ったのが自身の産駒であり、以降は産駒が種牡馬として次々と活躍し、セントサイモン系が急激に発展していきます。 しかし、あまりにも反映しすぎた結果、血の飽和が起こって急速に衰退するようになりました。 現在の日本ではサンデーサイレンス系が急激に発展していますが、今後はセントサイモン系と同じように、血の飽和によって衰退していく可能性は高いでしょう。 マイナー系 エクリプス系には他にも各時代で活躍した父系が存在しますが、数が少なすぎるため残りはマイナー系として一括りにしています。 各小系統ごとにダート型、スタミナ型などの特徴はありますが、活躍する場面はかなり限定されるため、最初に覚える1頭には向いていませんね。 ヘロド系 三大始祖のうち、バイアリータークから派生して残っている系統です。 日本では90年代前半に、メジロマックイーンやトウカイテイオーといった名馬も輩出し、一時代を築いたと言えるでしょう。 しかし、馬場の高速化が進むにつれて適性が合わなくなり、すでに父系としては残っていません。 三冠馬オルフェーブルやゴールドシップの母父はともにメジロマックイーンで、母系に入って一定の存在感を示しています。 マッチェム系 三大始祖のうち、ゴドルフィンアラビアンから派生した系統です。 マッチェム系は三大始祖の中で最初に繁栄した系統で、今でも高いスピード能力と持続力を発揮しています。 新潟1000mの適性が高く、父か母父にマッチェム系の血を持つ馬がいたら黙って買っておくと良いことがあるかも。 (あるとは言っていない).

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セントサイモン〜<サラブレッドの血統の革命児、19世紀で最も偉大な種牡馬(メインウェーブ)

セント サイモン

煮えたぎる蒸気機関車セントサイモン 馬と猫。 種族の違う動物同士の友情・愛情はとっても可愛いですが、中には 例外もあります。 サラブレッドに絶大な影響を残した馬で、史上もっとも偉大なサラブレッド種牡馬と言われることもあるセントサイモンは「 煮えたぎる蒸気機関車」という異名で呼ばれたほど、とても気性の荒い馬。 厩務員を務めていたチャールズ・フォーダムは常にセントサイモンから攻撃を受け続け、命の危険を感じていました。 そんな中、ある対策を思いつきます。 他の気性の荒い馬たちが猫等と仲良くなることで気性が落ち着いたという話を聞きつけたのです。 チャールズ厩務員は早速、セントサイモンの気性の改善を図る為に猫を馬房に放してみました。 しかし 猫は即座に口に咥えて叩きつけられ、殺されてしまうことに…。 セントサイモンは短気なせいか常に発汗していたことでも知られ、他にも様々な努力を試みましたが、この気性の悪さは生涯治ることがなかったと言います。 そんなセントサイモンが唯一怖がったのが「蝙蝠傘」。 暴れてどうしようもなくなった時には杖に帽子を被せて蝙蝠傘に模しセントサイモンを大人しくさせていたんだとか。 神空鴉那様よりご提供頂きました。 ツナマヨ様よりご提供頂きました。 のん様よりご提供頂きました。 草原様よりご提供頂きました。 名無しのトレーナー様よりご提供頂きました。 ニシノ好きのトレーナー様よりご提供頂きました。 名無しのナイター様よりご提供頂きました。 アカヲ様よりご提供頂きました。 がとこ様よりご提供頂きました。 doze様よりご提供頂きました。 あいうえ様よりご提供頂きました。 しのーじ様よりご提供頂きました。 アーカイブ• 119• 116• 116• 119• 127• 168• 143• 124• 130• 118• 145• 263• 227• 152•

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セントサイモン〜<サラブレッドの血統の革命児、19世紀で最も偉大な種牡馬(メインウェーブ)

セント サイモン

和名:セントサイモン 英名:St. Simon 1881年生 牡 黒鹿 父:ガロピン 母:セントアンジェラ 母父:キングトム 英国クラシック競走には不参戦だったが圧倒的な強さを発揮、そして種牡馬として19世紀末の欧州に君臨してサラブレッドの歴史を塗り替えた世紀の大種牡馬 競走成績:2・3歳時に英で走り9戦9勝 サラブレッド史上最も偉大な馬とも言われる19世紀末英国の歴史的名馬。 競走馬としては英国クラシック競走に不参戦(出走資格が無かった)だったため、最上級の競走成績を残したとは言い難いが、レースにおける圧倒的なパフォーマンスは、過去に出現したあらゆる最上級馬と比較しても遜色無いと評された。 そして種牡馬としては歴史的な大成功を収め、今日のサラブレッドという種は本馬によって形成されたとまで言われる。 誕生からデビュー前まで 父の所有者でもあったハンガリーの貴族グスターヴ・バッチャーニ公により、ウィリアム・バロウ氏が所有する英国ニューマーケットの牧場で生産された。 ガロピンはバッチャーニ公がたいへん気に入っていた馬だったが、本馬が誕生する以前の種牡馬成績は振るわなかった(ガロピンにとって最初の大物産駒と言えるガリアードが英2000ギニーに優勝したのは、本馬が2歳の年である)。 本馬の母セントアンジェラは名繁殖牝馬として知られたラッドストーン(シンボリルドルフの牝系先祖)の半姉で、1840年の英ダービー馬リトルワンダーの姪の娘でもあり、また、繁殖牝馬の父として有力だったの娘でもあったため、当初は期待馬だった。 しかしセントアンジェラは競走馬としては8戦して、70ギニープレートを勝ったのみに終わり、繁殖牝馬としても本馬以前の産駒はエピスコプスという馬が勝ち星を挙げた程度で、本馬の2歳年上の全姉アンジェリカは不出走に終わっていた。 しかも受胎率もそれほど良くなく、15歳までに産んだ子は5頭に留まっていた。 そんなセントアンジェラの6番子として生を受けた本馬をバッチャーニ公は評価しておらず、英国クラシック競走には英2000ギニーのみ登録し、英ダービー・英セントレジャーの登録は見送ってしまった。 しかし仮に登録していても結果的には無意味に終わっていたはずである。 本馬が2歳時の5月に、バッチャーニ公は所有馬のガリアードが英2000ギニーを優勝し、お気に入りのガロピンがようやく種牡馬として花開くのを見ることなく、レース直前に死去してしまった(ガリアードが英2000ギニーを勝ったのを見て興奮して心臓発作を起こして死去したとする真逆の資料もある)のである。 当時の英国競馬には、レース登録者が死亡した場合は、その人が行ったレース登録がすべて無効になるというルールが存在したため、本馬は英2000ギニーの出走資格をこの時点で失ってしまったのだった。 バッチャーニ公の所有馬達は、彼の専属調教師だったジョン・ドーソン師(ガロピンの購入をバッチャーニ公に薦めたもの彼)の主導により、7月にニューマーケットにおいてタタソールズ社が実施した競売に出された。 この競売に出品された本馬に関してジョン・ドーソン師は「まるで雄牛のように太っているうえに、両膝は病気で白くなっている」と酷評している。 しかしこの競売に参加していたマシュー・ドーソン調教師(ジョン・ドーソン師とは兄弟だった)は、布で包まれた本馬の膝を調べて「何の問題もない」と思ったという。 どうもジョン・ドーソン師は本馬を売りたくなかったらしく、競売参加者を騙すために本馬を意図的に太らせて、さらには膝が悪いように見せかけるために白いペンキを塗っていたようである。 ジョン・ドーソン師の作戦は失敗に終わり、本馬はマシュー・ドーソン師と一緒にこの競売に参加していた第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャベンディッシュ・ベンティンク卿によって1600ギニーで購入された。 同じセリで父ガロピンは8千ギニーで、母セントアンジェラは320ギニーで、同じガロピン産駒の3歳馬フルメン(後に3度の独首位種牡馬に輝いている)は5千ギニーで取引されているから、本馬についた価格はそう高くも安くもないものだったが、これはサラブレッド史上最も大きな契約だったと後に評されている。 本馬を購入したベンティンク卿はこのとき25歳の若さだった。 4年前にポートランド公爵の地位と財産を受け継いでいたが、その中には第4代ポートランド公爵が1819年の英ダービー馬タイリーシアスを誕生させたウェルベックアベースタッドも含まれていた。 ベンティンク卿は、2年前に入手したモワリナ(英最優秀2歳牝馬モドワナ、世界賞金王となった名馬、英1000ギニー馬セモリナ、英国三冠馬に唯一の黒星をつけたレーバーンなどの母となる)という繁殖牝馬を基礎繁殖牝馬として馬産及び馬主活動を開始していたが、当時はまだ新米馬主に過ぎなかった。 マシュー・ドーソン師がニューマーケット競馬場に構えていたヒースハウス厩舎に来た本馬は、検査を受けた結果、完全に健康であることが判明した。 このとき、膝に塗られていた白いペンキもきれいに落とされたという。 そして調教が開始されたが、本馬の走り方は飛び跳ねるような風変わりなもので、はなはだ均整を欠いていたため、陣営を驚かせた。 その理由は、本馬は非常に背中が短いという特徴的な体型をしていたためとされている。 いったん身体が暖まってくると、凄まじいまでの弾力性と馬力を発揮してみせた。 その走り方は馬というよりもグレイハウンドに似ていたとされている。 そしてレースに使えるまでになったのだが、バッチャーニ公の死により、英国クラシック競走以外にも彼が行っていたレース登録は全て無効になっていたため、本馬が出走するレースを探すのに陣営は一苦労した。 競走生活(2歳時) 7月31日にグッドウッド競馬場で行われたハルネイカーS(T5F)で、フレッド・アーチャー騎手を鞍上にデビューした。 当日午前中の調教で印象的な動きを披露していた本馬は、レースに出てもやはり強く、2着リシュリューと3着チェルヴァ以下に6馬身差をつけて圧勝した。 翌日には同競馬場で行われた距離6ハロンの未勝利ステークスに出走した。 このレースは名前のとおり、原則として未勝利馬のみが出走できるものだった。 前日に既に勝ち星を挙げていた本馬は本来出走できないレースなのだが、初勝利を挙げる前にレース登録がされていたため、出走が認められた。 その代わりに他馬より8ポンド重い133ポンドという斤量が課せられたが、それでも大半の他馬は本馬を恐れて回避してしまい、果敢に挑んできたのはバルフェという馬1頭のみだった。 結果は本馬がバルフェに1馬身差をつけて勝利した。 続いて出走したのは、距離5ハロンの試走だった。 対戦相手は後のヨークシャーオークス馬クロシェット、フレタという2頭の馬だったが、まるで相手を小馬鹿にするような走りを見せた本馬が勝利を収めた。 8月31日にはダービー競馬場において、デヴォンシャーナーサリープレート(T5F)に出走した。 出走馬は本馬を含めて20頭で、本馬が124ポンドのトップハンデだった。 しかし本馬が馬なりのまま、19ポンド以上のハンデを与えた2着トリオンフィと3着アーチャー以下に2馬身差をつけて勝利した。 9月13日にはドンカスター競馬場において、プリンスオブウェールズナーサリープレート(T7F)に出走。 出走馬は本馬を含めて21頭で、本馬が126ポンドのトップハンデだった。 前走と2ポンドしか違わなかったが、他馬との斤量差は44ポンド以上と、前走より遥かに大きくなっていた。 しかし結果は前走以上にあっけなく、本馬が何の努力も無く8馬身差で圧勝してしまったのだった。 次走は10月24日に、ニューマーケット競馬場において行われた、初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー卿(大種牡馬、英国三冠馬、英国クラシック競走4勝馬の生産者)が所有するデュークオブリッチモンドというハンプトン産駒の牡馬とのマッチレースとなった。 レース前から両陣営は火花を散らし、双方の騎手に対して「スタートしたらあの乞食の首をかき切ってやれ」「観衆に実力の違いを見せ付けるために、わざと引き離さずに相手をいたぶってやれ」などという指示を出していた。 2歳時はこれが最後のレースで、5戦全勝(非公式競走を除く)の成績だった。 2歳馬が出走する主要なステークス競走には1度も出ていなかったが、それでも同世代馬ではトップクラスと目された。 競走生活(3歳前半):特筆されるべき2つの試走 英国クラシック競走に出走資格が無い本馬の3歳時における目標は、長距離のカップ競走となった。 その前の春シーズンに、本馬は本拠地のニューマーケットにおいて、何度かの試走に出走した。 この中で特筆されるべきなのは、牡馬ハーヴェスター、牝馬ビジーボディという同じ3歳馬2頭と顔を合わせた試走であろう。 ハーヴェスターはこの年の英ダービーをと同着ながら勝利する馬であり、ビジーボディは前年のミドルパークプレートの勝ち馬で、この年も英1000ギニー・英オークスを勝利する馬であったから、2頭とも同世代では最上級に位置する馬だった。 しかし2頭とも本馬にはまったく歯が立たなかった。 いや、歯が立たないどころの話ではなかったのである。 日本でも良く知られている「アーチャー騎手が拍車を入れるとセントサイモンは果てしなく暴走を始めた」事件はまさにこの時に起こったのだった。 詳細を改めて記載すると、もともと調整段階だった本馬は、レース前にはなんだか走る気が無いように見受けられた。 気が乗らないというのは本馬にはよくあることだったが、同世代の最上級馬2頭との対戦であるため、陣営はこの日は本馬に本気で走ってほしいと考えた。 そこで陣営はアーチャー騎手に対して、拍車(靴のかかとに装着して、馬の腹を刺激する金具)で本馬の腹を肘で小突くように軽く叩くように指示を出した。 競走が開始されると同時にアーチャー騎手が本馬の腹に拍車を入れると、本馬はハーヴェスターとビジーボディの2頭を置き去りにして猛然と走り出した。 このときの様子を見ていたベンティンク卿は後に回想録の中でこのように記している。 「私達は見ました。 セントサイモンは飛び出すと、同じ厩舎の馬達の前を凄まじい勢いで駆け抜けました。 そして別の厩舎の馬達が走っている前を一気に走り抜けました。 別の厩舎の馬達は、まるで狐に追われた鳩のように散り散りになりました。 そしてセントサイモンは瞬く間に私達の視界から消え去りました。 」本馬を制御することもどうすることも出来なかったアーチャー騎手は、ようやく本馬が静止すると、世界競馬史上に残る次の言葉を叫んだのだった。 「私は二度とあの動物に拍車は入れません!彼は馬ではありません!途方も無い蒸気機関車です!」 本馬が春シーズンに出走した試走の中でもう一つ特筆されるべきなのは、当時の英国最強古馬である、アスコット金杯・英チャンピオンS2回などの勝ち馬との試走であろう。 レースは距離12ハロンで行われ、2頭の馬にはそれぞれペースメーカーが用意された。 ここではアーチャー騎手ではなく、この年の英ダービーをセントガティエンに騎乗して勝利するチャールズ・ウッド騎手が騎乗した。 結果は本馬の6馬身差圧勝だった。 もっとも、斤量は本馬の112ポンドに対して、トリスタンは135ポンドだったから、かなりハンデは大きかった。 なお、トリスタンはこの試走翌日にハードウィックSに出走してハーヴェスター以下に完勝している。 いずれにしても、これらの試走の結果などにより、本馬の名声は日増しに高まっていったのだった。 なお、本馬の競走成績については日本ではこのトリスタンとの試走を含めて10戦全勝とすることが多いようだが、筆者が確認した海外の資料では、どれも9戦全勝となっている。 前述のとおり本馬はトリスタンと走った以外にも何度かの試走に出ているから、それらを含めれば実際には10戦より多くなるはずである。 もっとも今回の試走はペースメーカーが用意されるなど競走に近い性質を持っていたようなので、これを含めて10戦全勝としても特に問題は無いと思われる。 競走生活(3歳後半) 3歳時最初の公式競走は、5月30日のエプソム金杯(T12F)だったのだが、本馬との対戦を嫌がった他馬陣営が全て回避し、本馬が単走で勝利することになった。 次走は6月12日のアスコット金杯(T20F)だった。 ここではトリスタンやフォーアバラー(名種牡馬の全弟である英セントレジャー馬とは同名の別馬)を始めとする強豪古馬勢が対戦相手となった。 なお、このレースから本馬の鞍上はウッド騎手が務めることになった。 スタート直後は後方につけていた本馬だったが、やがてウッド騎手が押さえきれなくなると爆発的な加速力で一気に進出を開始。 ゴールでは2着トリスタンに20馬身差という記録的大差をつけて圧勝してしまった。 ここでも斤量は本馬の107ポンドに対して、トリスタンは130ポンドだったから、かなりハンデは大きかったのだが、着差が着差だけに、ハンデが無くても本馬の勝利は動かなかったと思われる。 なお、ゴールした後も勢いがつきすぎた本馬はなかなか止まってくれず、その後に約1マイルを走り続けてようやく止まったとされている。 次走は6月26日のニューカッスル金杯(T12F)となった。 チズルハーストという馬1頭だけが勇敢にも本馬に挑んできた。 本馬はチズルハーストを8馬身ちぎって勝利したが、このときの馬場状態は異常に堅かったためにレース後の本馬は脚にダメージを負って消耗しており、帰り道で座り込む場面も見られたという。 次走は7月20日のグッドウッドC(T20F)となった。 前年の英セントレジャー馬オシアン、この年の英セントレジャーを勝利するザラムキン、この年の英2000ギニー馬スコットフリー、ハーヴェスターなどが対戦相手となったが、本馬が2着オシアンに20馬身差をつけて大圧勝した。 英国クラシック競走の出走資格を持たない本馬だったが、このレースで同世代の英2000ギニー馬、英ダービー馬、英セントレジャー馬を一度に蹴散らしたため、英国三冠馬になるべき実力を有していた事をここで見事に証明してみせた。 3歳時はこれが最後のレースとなり、この年の成績は非公式競走を除いて4戦全勝だった。 脚の故障のため4歳時はレースに出ずに競走馬を引退 本馬と同世代の有力馬で唯一本馬と未対戦だったのは、英ダービーをハーヴェスターと同着で勝利していたセントガティエン(ジョッキークラブC3連覇の他、古馬になってアスコット金杯を勝っている)だった。 そのセントガティエンとのマッチレースの話もあった(当時の新聞であるオタゴ・ウィットネス紙の1885年5月16日号にその話が出ている)ため、本馬は4歳時も現役を続行した。 しかしニューカッスル金杯で痛めた脚の状態が芳しくなく、4歳時は1度もレースに出ることが出来ずにそのまま競走馬引退となった。 本馬は英国クラシック競走で同世代の他馬を打ち負かす事は無かったが、それ以外の競走において、同世代のみならず年上の馬達をも子ども扱いしており、当時から世紀の名長距離馬としての名声を確立していたようである。 本馬が競走馬を引退した翌1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、、、に次ぐ第4位にランクインした。 これは本馬の初年度産駒がデビューする前のことであり、競走実績のみで評価されたものである。 競走馬としての特徴など 本馬は成長すると体高は16ハンド又は16. 1ハンド、胴回りは78インチに達しており、当時としてはかなり大柄な馬だった。 しかし実際にはそれよりも小さく見えたという。 その理由は本馬の外見にあった。 非常に精巧かつ緻密に形成された身体の構成、流れるようなシルエット、彫像のような顔立ちなど、美しい外見が実際よりも本馬を小柄な馬に見せていたようである。 また、背中が標準よりも短かったというのも、本馬を小さく見せた一因だったのではと考えられる。 それによると本馬の肩にはあまりにも筋肉が付いていたために、身体から大きく出っ張っていたという。 そしてそれが本馬の体格を小さく見せた一因でもあったという。 あと、本馬の気性面に関して触れないわけにはいかないだろう。 マシュー・ドーソン師が「まるで電気か何か」と評した本馬の気性難については、もはや伝説の域に達しているほどである。 最も有名なのは前述の「アーチャー騎手が拍車を入れるとセントサイモンは果てしなく暴走を始めた」事件であり、海外の資料においても本馬が語られる際にはほぼ確実に触れられている。 こんな気性難の本馬を扱うために、周囲の人間に最も必要だったのは、忍耐力及び冷静さだったという。 本馬から踏んだり蹴ったり噛みついたりの虐待を受けていた担当厩務員達だったが、ある厩務員がある日、本馬がなぜか傘を恐れる事を発見したため、以降は傘を見せ付けて本馬を鎮めたという。 馬名は生産者バッチャーニ公が傾倒していた仏国の社会主義思想家アンリ・ド・サン・シモンに由来するらしいのだが、筆者が確認した範囲における海外の資料には馬名の由来が載っておらず、裏付けは取れなかった。 なお、本馬の名前は仏語読みだとサンシモンとなるが、英語読みだとセントサイモンとなり、日本では英語読みのほうが一般的である。 血統 Galopin Vedette Voltigeur Voltaire Blacklock Phantom Mare Martha Lynn Mulatto Leda Mrs. Ridgway Birdcatcher Sir Hercules Guiccioli Nan Darrell Inheritor Nell Flying Duchess The Flying Dutchman Bay Middleton Sultan Cobweb Barbelle Sandbeck Darioletta Merope Voltaire Blacklock Phantom Mare Juniper Mare Juniper Sorcerer Mare St. Angela King Tom Harkaway Economist Whisker Floranthe Fanny Dawson Nabocklish Miss Tooley Pocahontas Glencoe Sultan Trampoline Marpessa Muley Clare Adeline Ion Cain Paulowitz Paynator Mare Margaret Edmund Medora Little Fairy Hornsea Velocipede Cerberus Mare Lacerta Zodiac Jerboa 父は当馬の項を参照。 英ダービー馬にも関わらず、本馬の登場まではマイナー種牡馬であったが、本馬の出現以降人気が上昇し、英首位種牡馬に3度輝く名種牡馬となった。 日本では本馬と同じくガロピンも気性難だったという説が流布しているが、海外の資料には「気性難で知られたの血が血統表内に複数入っていた」「セントサイモンを筆頭に気性が激しい産駒が多かった」までは書いてあるのだが、ガロピン自身が気性難だったとは実は明記されておらず、状況証拠の域を出ない(本当にガロピンが気性難だったのなら、「ブラックロックの血が血統表内に複数入っていた」などという遠回しな書き方はしないと思われる)。 母セントアンジェラは、本馬と同じくバッチャーニ公の生産馬である。 本馬を産む以前の事については前出のとおりであるからここでは省く。 ベンティンク卿が本馬を購入した同じセリにおいてレオポルド・ド・ロートシルト卿によって320ギニーで購入されて仏国に移り住んでいる。 本馬以外に活躍馬を産むことは無かったが、本馬の全姉である不出走馬アンジェリカは母として、名競走馬にして名種牡馬の【エクリプスS2回・英チャンピオンS・リッチモンドS・デューハーストプレート・ミドルパークプレート・サセックスS・ゴードンS】を産んでいる。 また、セントアンジェラが渡仏した翌年に産んだ本馬の全妹シモンヌはスティクス【ジムクラックS】の母となっている。 後年に発生したセントサイモンの悲劇の影響か、セントアンジェラの牝系子孫は英国内では発展しなかった。 そしてアンジェリカの牝系子孫が最も活躍しているのは意外にも日本である。 セントアンジェラの半妹ラッドストーン(父ティブソープ)の牝系子孫も英国内ではあまり発展せず、英国外を中心に発展した。 競走馬引退後:種牡馬として記録的大成功を収める 競走馬を引退した本馬は5歳時から種牡馬入りした。 3歳時のグッドウッドCが現役最後のレースだったのに、種牡馬入りしたのが5歳時からとなった理由について、日本では「気性難の改善を図るために1年間の休養が与えられた」という説がまかりとおっているが、これは誤りである。 前述のとおり、本馬はレース出走こそ無かったものの4歳時も現役競走馬であった。 正式に引退が決まるまで本馬の調教は継続されており、引退決定時点ではこの年の繁殖シーズンが終わってしまっていたために、種牡馬入りしたのが翌5歳時からとなったのだと海外の資料に明記されている。 初年度は、マシュー・ドーソン師が所有していたヒースファームで供用されたが、翌年からはベンティンク卿が所有していたウェルベックアベースタッドに移動した。 13歳時の1894年に、ウェルベックアベースタッドにおいて伝染病が流行し、多くの繁殖牝馬が流産したため、本馬は一時的にラフォードアベースタッドに移動。 翌年に流行が完全に収束した後に、再びウェルベックアベースタッドに戻った。 マシュー・ドーソン師は本馬が種牡馬入りするに先立って、彼は世界の競馬人達がかつて見た中で最も偉大な種牡馬の1頭になるだろうと予言したとされる。 彼の予言どおりに、本馬は種牡馬として記録的な大成功を収めた。 初年度産駒から英最優秀2歳牝馬シニョリーナ(英ダービー・英オークスを制したの母)、英1000ギニー馬セモリナ、そして英オークス・英セントレジャーの勝ち馬メモワールを輩出。 これら初年度産駒の活躍により、1890年には2世代の産駒だけで英首位種牡馬を獲得した。 翌1891年にはヨークシャーオークスを勝ったチャーム、アスコットダービーを勝ったセントサイモンオブザロック、英シャンペンSなどを勝ったなどの活躍により、2年連続で英首位種牡馬を獲得。 翌1892年には英国牝馬三冠馬に輝いたラフレッチェの活躍などで、3年連続の英首位種牡馬を獲得。 翌1893年には英オークス馬ミセスバターウィックの活躍などにより、4年連続の英首位種牡馬を獲得。 翌1894年には英1000ギニー・英オークスを制したアミアブル、アスコット金杯・英チャンピオンSを制したラフレッチェなどの活躍により、5年連続の英首位種牡馬を獲得。 翌1895年には、グッドウッドC・ジョッキークラブCなどを制したフロリゼルなどの活躍により、6年連続の英首位種牡馬を獲得。 翌1896年には英ダービー・英セントレジャーを制した、英2000ギニー・エクリプスSを制したの活躍により、7年連続の英首位種牡馬を獲得。 翌1897年にはパーシモンがアスコット金杯・エクリプスSを勝つ活躍を見せたが、この年は英国三冠馬を出したケンダルに首位を奪われた。 翌1898年と1899年にはそれほど活躍馬を出せず、1898年には英2000ギニー馬ディズレーリなどが活躍した父ガロピンに、1899年には英国三冠馬などが活躍した甥のオームに首位を譲った。 しかし1900年には英国三冠馬、英1000ギニー馬ウィニフレダ、英オークス馬ラロシュの3頭で英国クラシック5競走を完全制圧して、8度目の英首位種牡馬を獲得。 1901年にはヨークシャーオークスの勝ち馬サンタブリジダ、ドンカスターCの勝ち馬シダスなどの活躍により9度目の英首位種牡馬を獲得した。 本馬が種牡馬としての全盛期を迎えていた一方、本馬の息子達も種牡馬として幅を利かすようになっていた。 1896年に息子セントセルフが英種牡馬ランキングにおいて本馬に次ぐ2位に入った(同年の3位は本馬の父ガロピンであり、父子3代でトップ3を独占している)のを皮切りに、次々に有力後継種牡馬が登場した。 そのために本馬の地位は相対的にではあるが低下。 1902年に英国クラシック競走4勝馬セプターが大活躍した息子パーシモンに首位を奪われた後は、首位に返り咲くことは無く、この年以降に英国クラシック競走の優勝馬を出すことも無かった。 しかしその代わりに今度は繁殖牝馬の父として猛威を振るうようになり、1903~07年、及び1916年の合計6回、英母父首位種牡馬に輝いた。 繁殖牝馬の父としての主な産駒は、英国三冠馬、英ダービー・英オークスを制したシニョリネッタ、英セントレジャー馬ウールワインダー、英オークス馬チェリモヤ、英オークス馬スノウマーテン、英オークス馬トボガン、他にはの父となったジョンオゴーント、世界的名牝系の祖となった、などである。 なお、1902年以降も本馬は父として活躍馬を出し続けており、1902年にはがアスコット金杯・ドンカスターC、ペルセウスがグッドウッドCを、1903年にはがグッドウッドCを、1904年にはダーレイデールがエクリプスS、ソルトペトレがグッドウッドCを、1908年にはシベリアがヨークシャーオークスを勝つなどしている。 死産を除くと本馬の産駒は423頭おり、それらが挙げた勝ち星は合計571勝に上った。 獲得賞金総額はステークス競走だけで50万ポンドに達したという。 1908年4月2日、本馬は午前中の運動の直後に心臓発作を起こして27歳で他界した。 前年まで現役種牡馬(1908年産馬はいる)であり、この年も死の直前までまったくの健康体だったらしいが、この年には種付けを行っていなかった(1909年産馬はいない)ようで、その理由は謎とされているが、年も年であるし、老齢による受精率低下が理由と考えるのが妥当であろう。 ウェルベックアベースタッドに墓碑が建立されたが、その下に眠っている本馬の遺体はごく一部であり、骨格はロンドン自然史博物館に、蹄は金箔で装飾された一対がニューマーケットにあるジョッキークラブに、もう一対がヨークシャーの競馬博物館に展示されている。 産駒の特徴 本馬自身は大柄な馬だったが、その特性を受け継いだのは一部の有力牡馬のみであり、特に牝馬は平均より小柄に出ることが多かったという。 ただし背中の短さと緻密な構成の脚は共通して受け継がれていたという。 産駒の出来に関しては(もちろん牡馬の活躍馬も多かったけれども)牝馬のほうが総じて良かったという。 自身は無尽蔵のスタミナを誇った馬だったが、産駒の多くは仕上がり早いスピードを有しており、2歳戦から活躍した。 そしてやはり優秀なスタミナを併せ持つ産駒が多く、2歳戦で活躍しても、そのまま3歳、4歳と活躍することが可能だった。 また、気性の激しさも産駒の多くに遺伝しており、ラフレッチェなどごく一部の例外を除いて、神経質で扱いづらい馬ばかりだったという。 また、本馬は黒鹿毛だったが、身体の一部には白い毛が混じっていた。 具体的には、額にある小さな星を筆頭に、下半身の左側にも少し白い部分があり、また後脚内側の爪先から繋ぎにかけては灰色だったという。 それにも関わらず、本馬の産駒における芦毛馬は生涯最後に出した産駒(牝馬)の1頭だけであり、本馬が持つ鹿毛の遺伝子は非常に優勢だったとされている。 後世に与えた影響 本馬は単に種牡馬として成功したというだけではなく、後世に与えた影響力の大きさでも他に類を見ないほどである。 後継種牡馬には非常に恵まれており、パーシモンが英愛首位種牡馬に4回、セントフラスキンが英愛首位種牡馬に2回、デスモンドも英愛首位種牡馬に1回輝いた。 英愛だけでなく、国外でも本馬の後継種牡馬は活躍し、ラブレーが仏首位種牡馬に3回、サイモニアンが仏首位種牡馬に2回、スールトが新首位種牡馬に5回、ダイヤモンドジュビリーが亜首位種牡馬に4回、ピーターマリッツバーグが亜首位種牡馬に1回輝いている。 また英愛母父首位種牡馬には、パーシモンが3回、が2回、セントフラスキンとウィリアムザサード、デスモンド産駒のバイジョージが各1回輝いている。 しかし直系については、本馬の血を受け継ぐ繁殖牝馬ばかりになってしまった事に伴い、血の袋小路状態に陥ってしまった。 そして本馬の直系以外の種牡馬が脚光を浴びることになった。 その結果として、19世紀末から20世紀初頭にかけてあれほど繁栄した本馬の直系はあっという間に衰退し、英国内からは一時期完全に姿を消してしまった。 俗に言う「セントサイモンの悲劇」である。 それでも、仏国や伊国で生き残っていた直系から登場したやの活躍により、本馬の直系は現在も残っている。 また、息子チョーサーが母の父として、、、、、といった根幹種牡馬を出しており、その血の影響力は現在も絶大なものとなっている。 現在のサラブレッドの殆どは本馬の血量を9~13%程度持つとされており、本馬の血を持っていないサラブレッドは世界中に1頭も存在しない。 英ダービーでは1922年、ケンタッキーダービーでは1924年を最後に本馬の血を持たない勝ち馬は出ておらず、東京優駿(日本ダービー)に至っては第1回から全ての勝ち馬が本馬の血を受けているのである。 そのため、本馬は現代のサラブレッドのプロトタイプであると評されている。 主な産駒一覧 生年 産駒名 勝ち鞍 1887 Memoir 英オークス・英セントレジャー・ナッソーS・ジュライC 1887 Semolina 英1000ギニー 1887 Signorina ミドルパークS 1887 St. Serf サセックスS 1888 Charm ヨークシャーオークス 1888 Friar Lubin クレイヴンS 1888 Simonian キングジョージS 1888 Siphonia リッチモンドS 1888 St. Simon of the Rock アスコットダービー 1889 Dunure コヴェントリーS 1889 英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・アスコット金杯・英チャンピオンS・モールコームS・英シャンペンS・ナッソーS・ケンブリッジシャーH 1889 St. Damien ハードウィックS 1890 Childwick シザレウィッチH 1890 Mrs. Butterwick 英オークス 1890 Silene コロネーションS 1891 Amiable 英1000ギニー・英オークス・パークヒルS 1891 Florizel セントジェームズパレスS・ゴールドヴァーズ・グッドウッドC・ジョッキークラブC 1891 Matchbox デューハーストS・サセックスS 1892 Raconteur デューハーストS 1893 His Reverence セントジェームズパレスS 1893 英ダービー・英セントレジャー・アスコット金杯・エクリプスS・コヴェントリーS・リッチモンドS・ジョッキークラブS 1893 Roquebrune ニューS 1893 St. Bris シザレウィッチH 1893 英2000ギニー・ミドルパークS・デューハーストS・エクリプスS・プリンセスオブウェールズS 1894 Perce-Neige ナッソーS 1895 Collar トライアルS・ハードウィックS 1895 Mousme ジュライS 1896 Boniface ハードウィックS 1896 Desmond コヴェントリーS・ジュライS 1896 Manners プリンスオブウェールズS 1896 Victoria May ヨークシャーオークス 1897 英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー・エクリプスS 1897 Dusky Queen ジムクラックS 1897 La Roche 英オークス・ヨークシャーオークス 1897 Sainte Nitouche コロネーションS 1897 Sidus ドンカスターC 1897 Simon Dale プリンスオブウェールズS 1897 The Gorgon ニューS 1897 Winifreda 英1000ギニー・リッチモンドS・コロネーションS 1898 Lauzun セントジェームズパレスS 1898 Pietermaritzburg ジョッキークラブS 1898 Santa Brigida ヨークシャーオークス 1898 St. Aldegonde パークヒルS 1898 アスコット金杯・ドンカスターC 1899 Perseus グッドウッドC 1900 ジムクラックS 1900 グッドウッドC 1900 Saltpetre グッドウッドC 1901 Darley Dale エクリプスS・アスコットダービー 1901 St. Denis プリンセスオブウェールズS 1902 Plum Centre プリンスオブウェールズS 1902 St. Oswald クレイヴンS 1904 Bright Steel MRCオークレイプレート 1905 Primer ハードウィックS 1905 Siberia ナッソーS・パークヒルS・ヨークシャーオークス・ジョッキークラブS.

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