ゼロになるからだが 耳をすませる。 【ゼロ】の例文や意味・使い方

「いつも何度でも」歌詞の意味を教えます。【千と千尋の神隠し】

ゼロになるからだが 耳をすませる

木村弓 Yumi Kimura :いつも何度でも Lyrics さんの歌う 『いつも何度でも』は、私の大好きな曲の1つです。 でも木村さんの体調は不安定な状態でした。 歌がそう励ましてくれています。 「千と千尋の神隠し」の物語に沿って解釈することもできますが、この歌詞はもともとの企画だった「煙突描きのリン」のイメージを重ねることで、よりぴったりくるようにも思います。 木村弓さん『いつも何度でも』の歌詞をブログ等にリンクしたい場合、下記のURLをお使いくださいませ。 手紙の中の作品アイデアを読み、しばらくしてからふとメロディーが生まれ、それが「いつも何度でも」になりました。 忙しいはせっかくの経験を忘れてしまうでしょう。 歌詞 「いつも何度でも」木村弓 無料 これまで少女は遠い場所にばかり目を向けていました。 私はこの2本の腕で、光を抱くことができる。 未来の前に すくむ心が いつか名前を 思い出す 叫びたいほど 愛おしいのは ひとつのいのち 帰りつく場所 わたしの指に 消えない夏の日 これは2番の歌詞の一部ですが、千尋がハクに見送られて不思議の国を後にするシーンを思い浮かべて切なくなってしまいます。 木村弓さん『いつも何度でも』の歌詞 イツモナンドデモ words by カクワカコ music by キムラユミ Performed by キムラユミ. 長いですが、よろしくお願いいたします。 そうした中にも希望が見える、そんな情景が浮かびます。 All Rights Reserved 「 」では、著作権保護の観点より歌詞の印刷行為を禁止しています。 映画音楽は、曲を聴いただけで物語や映像が浮かんでくるものが多いですが、ジブリ作品では特に印象に残る楽曲が多いと感じます。 そんな夢を見ています。 人は間違うことがあります。 主題歌「いつも何度でも」誕生秘話 この曲について、木村弓さんが映画完成前に作曲し、宮崎駿監督へ送った経緯があるというのは結構よく知られた話です。 そのとき「決して振り返ってはいけないよ」と言われました。 始まりは、木村さんが映画「もののけ姫」を観たことにありました。 だけどいつか自分を変えてくれる「誰か」が現れるんじゃないか……。 かわりに同じくちびるで優しい歌を自分に歌ってあげて。 Somewh ere, a voice calls, in the depths of my heart May I always be dreaming, the dreams that move my heart So many tears, of sadness, uncountable through and through I know on the other side, of them, I'll find you Every time we fall down to the ground, we look up to the blue sky above We wake to its blueness, as for, the first time Though the road is long and lonely and the end far away, out of sight I can with these two arms, embrace the light As I bid farewell, my heart stops, in tenderness I feel My silent empty body begins to listen to what is real The wonder of living, the wonder of dying The wind, town and flowers, we all dance one unity Somewhere, a voice calls in the depths of my heart Keep dreaming your dreams, don't ever let them part Why speak of all your sadness or of life's painful woes Instead let the same lips sing a gentle song for you The whispering voice, we never want to forget, in each passing memory Always there to guide you When a mirror has been broken, shattered pieces scattered on the ground Glimpses of new life, reflected all around Window of beginnings, stillness, new light of the dawn Let my silent empty body be filled and reborn No need to search outside, nor sail across the sea Cause here shining inside me, it's right here inside me I've found a brightness, it's always with me どこかで声が呼んでいる、私の心の奥深くで。 その優しさを私は感じる。 実際に体内時計が狂ってしまった人は朝に日光を浴びるとリセットされると言いますよね。 場所が変われば新しい自分が始まるんじゃないか……。 大切なことを見誤ったり、見ない振りをしてはいけない。 home. com 歌詞 自分がいろいろ難しく考えすぎていたことに気づくのです。 「もののけ姫」に感銘を受けた木村さんは、ご自身の作品CDやテープを手紙とともに宮崎監督に送ったそうです。 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心躍る 夢を見たい かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える 繰り返すあやまちの そのたび ひとは ただ青い空の 青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう かなしみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう 閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される はじまりの朝の 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ 海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから. これまでと自分が明らかに違っていることを。 冒頭のシーンで車の後部座席に背中を預けて面をしていた少女とはまるで別人です。 でもでは何日も経っていたのに、戻ってきたらまだ同じ日だったようです。 そして木村さんは「」を見て、監督に共感を覚えます。 島本須美 いつも何度でも 歌詞 そう思っているだろうけど 今ここがすべてなんだ。 のたくさんの人と出会っていくうちに自分の中で眠っていた感情を取り戻していきます。 元の世界に戻るため、少女は両親が待っているトンネルに向かいます。 結局「煙突描きのリン」は形になりませんでしたが、少し後に木村さんに連絡が来ます。 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心踊る 夢を見たい かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える 繰り返すあやまちの そのたび ひとは ただ青い空の 青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ ラ ラ ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラ ラン… ホ ホ ホ… ル ル ル… ル ル ル ル… 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう かなしみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう 閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される はじまりのあさの 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ 海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから ラ ラ ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラ ラン… ホ ホ ホ… ル ル ル… ル ル ル ル… Powered by この曲を購入する. 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心踊る 夢を見たい かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える 繰り返すあやまちの そのたび ひとは ただ青い空の 青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ ラ ラ ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラ ラン… ホ ホ ホ… ル ル ル… ル ル ル ル… 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう かなしみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう 閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される はじまりのあさの 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ 海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから ラ ラ ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラン… ラン ラン ラ ラ ラン… ホ ホ ホ… ル ル ル… ル ル ル ル…. 死んでしまったら心臓が再び動くことはありません。

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いつも何度でも

ゼロになるからだが 耳をすませる

スーパームーン、見られましたか? この超が付く月は2001年のもので、 下に見える波は、 大好きな大好きなホワイトハウス。 このふたつのコンビネーション作品は、 とても不思議な気持ちにさせてくれます。 以前にもここでお伝えしましたが、 「いつも何度でも」 という美しい楽曲がある。 これを聴けば聴くほど、 歌詞の意味を読み解けば読み解くほど、 その永遠に続く輪廻のような気流に乗り、 どこまでも透けるような清浄と、 全て悟ってしまったような優しさに包まれる。 さらにはメロディと精神の同化の深さに酔い、 しばし満たされている新しい自分に気づく。 その中身があまりにもすばらしいので、 この曲のことを人に伝えようとして、 「すばらしいのです。 特に歌詞が」 と言うのだが、ほぼ全ての人が、 「知ってますけど、歌詞の意味までは…. 」 この世界に入ることを直感的に拒まれてしまう。 「この世界」と書いたが、 自分は宗教家ではないので何も確信も持ってはいない。 さらに言うと、私もこの歌詞の意味がわからない。 できることなら作詞した人に直接伺ってみたい。 けど、しかし、いやきっと、 10年以上も聴き続けているし、 ここまで好きになった意味もあるだろうから 自分なりの解釈をここに書こうと思い立ったのが今朝。 まずはもう一度聴いてください。 これは作曲家の木村弓さんのオリジナル。 この楽曲は、 宮崎駿さんの映画 『千と千尋の神隠し』の主題歌となったことで、 私、そして多くの人に届いたメッセージです。 彼女は6歳のときに 『チェルノブイリ原子力発電所爆発事故』 によって被曝したという。 家族、友人、故郷。 そのさまざまな悲しみをナターシャが受けて、 そして背負ってきたのだろう。 ナターシャはこの歌詞の意味を深く知り、 その慈しみの解釈を入れて、 自身の人生と重ねつつ、さらには生と死の輪まで予感させ、 そして心を寄せて歌っているのがこちら。 初めてこのナターシャバージョンを聴いたときは涙が止まらなかった。 いまでも涙ぐんでしまうほどで、 音楽の持つ歓びと力強さを再確認させられた。 このすばらしい彼女の活動のサポートとなればと思い、 ここにナターシャ自主製作CDの販売リンクをおいておきます。 さて、 この歌詞の意味を自分なりに読み解いてみました。 まずこの詩で一番のキーワードとなるのが、 「さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが耳をすませる」 この一節でしょうか。 覚さんによると、 「この歌詞は12、3分程度で書き上げました」 とあって、 彼女にとってそういうこと(短い時間で完成すること) はとても珍しいことだそうです。 これを読み解くと、 それぞれの解釈がありますが、 この詩を貫くのは、 心 魂 神 愛 みたいな言葉で表現できると思います。 そして今までは、 この歌詞内の「ゼロ」は、 (=)死だと思っていたんです。 「そんなわけはない」 と一度ふりだしに戻し、ゼロという言葉を調べていくと、 インドの数のゼロが「シューニャ」だということを見つけました。 「覚さんは無意識のうちにこのゼロ、 つまりシューニャという単語を得たのではないか?」 そう推測してみると全ての説明が付いてしまった。 ここにその研究結果をおいておきますね。 まずはゼロ(0)はサンスクリット語で「シューニャ」。 このシューニャは仏教での概念であるのです。 同意語が「空(くう)」も意味しているとあった。 また「成長と繁栄を意味する動詞」でもあるそうで、 そこからこの詩を翻訳すると、 「さよならのときの静かな胸 新しくはじまったからだが耳をすませる」 となりました。 そして、 「さよならのとき」のラインがとても悲しいので気になります。 上にも書きましたが、 覚さんがこの箇所の作詞中に 「すごく大きなものとつながったことを感じました」 と言っていらして、 とするとこの場合の『さよなら』は、 じつは前向きな言葉なのではないか? と直感しました。 というのは詩の後半に 「悲しみの数を言いつくすより 同じくちびるでそっとうたおう」 とあり、 これは「今までのエゴや悲しみを持つ自分」 と決別できたのだと思うのです。 そして生きる、という生命哲学が成就した証に 「生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」 と生と死を達観し、 植物も無機質なものも人と同じように消失するとしています。 さらには大事なのが、 「消失と、今までの自身と決別できた結果」 として詩の中ごろに 「呼んでいる胸のどこか奥で いつも何度でも夢を描こう」 ここにこの作品のヘッドラインが完成しています。 だからこの詩の題名が『いつも何度でも』となっているのですね。 覚さんはきっとこの題名を『いつも何度でも夢を描こう』としながらも、 あえて『いつも何度でも』と後半部分を省略したのでしょう。 でもこの省略は、 「気づける人だけに気づいて欲しい」 という形の「このことはあえて言わないし、書きません」 というスタイルとなっているようです。 「閉じていく思い出のそのなかに いつも忘れたくないささやきを聞く」 前記した「今までのエゴや悲しみを持つ自分」 がここでリピートされています。 ただ、その前世の自分が持っていた 「大事な言葉」を新しくなる自分に残しておいてね、 という示唆があります。 その後すぐに 「こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が映される」 ここでの鏡とは=自分のこと 新しい景色とは、上記した新人生でのものということですね。 そして詩の最後はこうして終わります。 「海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに わたしのなかに見つけられたから」 「海」=前世で見続けていた*ニライカナイ伝説。 (*ニライカナイ伝説=海の彼方にあるとされる理想郷。 沖縄県や鹿児島県奄美群島に伝わる他界概念) 海の向こうが理想郷ではない、そして、 「輝くもの」=心躍る新しい生き方 つまりわたしのなかに見つけられた=新しい生き方を獲得したということです。 この歌詞は「死の現実」と読み解かれることが多いようですが、 私流の解釈では、 できれば生きているうちに死を知って、 それを良い方向としてみたいというのが根本にあるのではないか、と。 まとめますと、この歌詞の意味は、 「 新しく人生をはじめて、いつも何度でも夢を見よう」 ということではないでしょうか。 いまを辛く、悩んでいる人、 そしてこの楽曲が好きな人たちが、 優しく、新しい人生が始められますように。 最新の記事• カテゴリー• 101• 1,713• 133• 2,132• 382• 936• 435• 446• 485• 1,029• 261• 1,305• 143• 423• 464• 837• 486• 294• 219• 178• 1,014• 105• 148• 265• 224• 106• 311• 142• 1,043• 256 アクセスの多い記事TOP5• Current Moon Phase New Moon The moon is currently in Leo The moon is 1 day old.

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【千と千尋の神隠し】いつも何度でも(歌詞付き)【スタジオジブリ / by Macro Stereo & Elmon】

ゼロになるからだが 耳をすませる

投稿者: 服部滋 - 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心踊る 夢を見たい かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える 映画『千と千尋の神隠し』の主題歌である。 覚和歌子作詞の『いつも何度でも』の冒頭二連。 明快な詞で、わからないところはない。 ひとつのフレーズ—— さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる あるいは、 はじまりの朝の 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ の「ゼロになるからだ」をのぞいては。 このフレーズは一篇の詞の核であり、全体を統べるメタファーでもある。 死者の声に「耳をすませ」る巫女のからだに。 『いつも何度でも』にはこういうフレーズもある。 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ 本書は、「生きている不思議」「ゼロになる身体」「死んでいく不思議」の三つの章に、それぞれ五〜十数篇の「詩」が収められている。 「ゼロになる身体」の章の「さかな」という一篇を引いておこう。 いのちのなかみを/かろうじて覆うものは/いつでも破けそうな/一枚きりの薄い粘膜/水に浸していなければ/ひからびる さかなよ/わたしは いのちをむきだしにしているか/ヒトの心に 水を感じて/この世を思うさま 泳いでいるか/ハハの望む私と/私の望む私を しずかに区別しているか/ハハのまなざしを やさしく受けとめながら/私は誰だと 問い続けているか 薄皮一枚へだてて命をむきだしにしているのは、さかなか胎児か。 命が干からびていないかと問いかけるのは、羊膜に包まれていたわたしにか。 「ゼロになるからだ」とは「0になる身体」なのだろう。 0という薄い皮膜に覆われた無? いやむしろ無限。 お魚ぽいし。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者 2002. ん?なんだろ?と読み進むうちに、この本の世界にだんだん引きずり込まれてしまいました。 著者がこのような体裁をとったのは、声に出して読むことを意図されたような気がします。 本書は、生きること、そして死んでいくことがテーマになっていますが、全体に達観したような空気が流れているように感じました。 生きているといろんなことがあって、長く生きれば生きるほど、後悔ばかりが積み重なっていきます。 ふと立ち止まり、振り返ってみては悔いることばかり。 でも悔やんでみても仕方ないとわかっているなら、いっそ人生をあるがままに受け入れて、とにかく死ぬまで生きてみるしかないのかもしれません。 死ぬことと同じように、誰にも避ることができないのが生きることなのですから。 命は生まれたその瞬間から、死に向かって時を刻んでいます。 いろいろあるけど、いつの日か〝ゼロになるからだ〟ですもんネ。 もしかすると、そんな風に感じる心持が、この詩のような物語、物語のような詩に達観したような空気を感じたのかもしれません。 でも、生きることは必ずしも真理を悟ることが目的ではないかもしれません。 生きるってことは迷うこと。 悔やみ続けることなのかもネ。 巻末に掲載されている〝千と千尋の神隠し〟の主題歌の歌詞にも、文字にしてあらためて読んでみると、新たな発見がありました。 goo. だから、言葉の一つ一つに肉声を、ややもすると聞いてしまう。 物語を現実と取り違えそうになる。 同じ高校の同じ文科系の部に所属していた、ということにはなるのだけれど、別の体育会系の部活を肩を壊して辞めてから入部した時、実質活動を終えていた3年生の彼女とはほとんど接点はなかった。 それでもコンサートの後の打ち上げや、予餞会での弾き語りや、部の送別会での彼女の印象がとても濃く残っている。 その時代にそれ程言葉を交わした訳でもないのに、詩集の中から不思議とどこかで聞いたような声がする。 人の芯というのは変わらないものなのだなという当たり前のようなことが、改めて思われる。 ああ自分もあの頃から、ひょっとして何も変わっていないのだろうな、そんな思いに絡め取られる。 身体は魂の乗り物だと、昔高校の倫理・社会と呼ばれた教科で教わったけど、ゼロになるからだ、と呼ばれる身体とは頭の中で渦巻く何やかやをゼロにしたからだという意味だろう。 魂が出て行ってしまうわけではないんだろう。 そんなことを考える。 インプットを一端全部止めて、身体の中をインプットされたものがすべて通り抜けてアウトプットとして出てしまうまで、じっくりと待つ。 そうして、体の中に何も反応するものがないような状態でも、不思議と何かが自分の芯から湧いてくる。 それが自分のイメージする、ゼロになるからだ。 それはきっとずうっと変わらず自分の中にあり続けるものなんだろう。 だから魂が出て行ってしまったわけではないんだろう、と思う。 それは確かにずっとそこにあった筈。 気付いていても気付かなくても。 送別会の後、駅へ向かう道すがらに振り向いて手を振る姿が、自然と縦書きの言葉に重なる。 しかし言葉の中に懐かしさを覚えているわけでは決してない。 それでも聞こえるあの人の声が。 変わらない何かをそこに感じている。

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