リー オズワルド。 ケネディ大統領暗殺事件の犯人は?機密文書公開はなぜ延期された?

ケネディ大統領暗殺事件の犯人は?機密文書公開はなぜ延期された?

リー オズワルド

4月が始まり、東京の桜満開。 ブログやでもあちこちの桜の写真で満開のことでしょう。 当方も負けずに拙い写真を載せますが、いつも散歩する北沢川緑道と東大キャンパスです。 今年は冬が長く寒かったせいか、殊のほか結構な風情です。 現役の働き盛りは期末・期初と忙しい時期、当方は「相変わらず」の日常。 最近はインターネットのお陰で「細部」を検索しながら読む愉しみが出てきたということを前回も書きました。 この小説は「歴史フィクション(historical fiction)」と呼ばれて、大統領()暗殺を1963年の過去に戻って阻止するというお話です。 もちろん「フィクション(作り物)」ですが、出来事や人物は歴史上の事実が多く取り上げられます。 その筆頭が、暗殺の犯人リー・オズワルドです。 彼は1930年ニュー・オルリーンズ生まれ。 今生きていたら私と同じく75歳。 を暗殺し、ジャック・ルビーに射殺された時はまだ24歳。 もと員で日本に勤務したこともある。 ロシア語を学び、自らをと称し、除隊後に亡命する。 テレビ工場で働きながら、ロシア人女性マリーナと結婚。 2人の女児ができた。 しかし、1962年6月犯行の1年半前にカに帰国(入国許可を得るのに半年かかる)以後ダラス郊外に住み、当地に住むロシア人のグループとも付き合う。 因みに父親を早く亡くし、強い母親と母方の叔父に育てられ、叔父はマフィアとのつながりのある人物だった。 物語とはいえ「歴史フィクション」である以上、キングは広範な調査をしたようで その点を「あとがき」で書いていますが、特徴的なのは「オズワルド単独説」を取っていることです。 50年経っても未だに、CIAだの軍だのマフィアだの、様々な陰謀説が消えない中で「単独説」を押し出すのは興味深いです。 もちろん真相は分りませんが、彼は厖大な資料を読みこんだ上の結論としています。 この小説を書く上で、その方が書きやすいということは言えるでしょう。 単独説を取れば、主人公はオズワルド1人を「正義のために」場合によって殺害してもいいと思って行動する、陰謀説を取れば主人公の行動はもっと複雑かつ困難にならざるを得ません。 こういう前提に立って、キングは 1 オズワルド本人は自惚れの強い、功名心にかられた自己中心の、ケチくさい人物 2 そこには、息子に強い影響を与えた支配慾の強い・強欲な母親の存在があった 3 他方で、ロシア人妻のマリーナは彼のに悩まされた気の毒な被害者だった という見方に立って物語を進めます。 たしかに、オズワルドの母親は、かなり問題ある人物だったようです。 上の写真の人物) 1976年、暗殺の14年後に彼女を取材した雑誌の記事をいまもネットで読むことができますが、取材者(当時ABC放送の記者)にはまことに不快な時間だったようで「彼女に会って、リー・オズワルドにほんの少し同情したぐらいだった」と書いています。 母親はもちろんオズワルドは「はめられた」という主張ですが、事件のあと妻マリナを初め遺族がマスコミの取材を一切避けて沈黙を続けたのに対して、彼女だけがテレビなどの取材に積極的に応じ、その全てにお金を要求したそうです。 他方でマリーナは(もちろん、法廷で要求された証言のような公式の場を除いて)沈黙を守り、巨額の印税を払うから夫との暮らしを本に書かないかという申し出も断り、その後再婚して、いまも存命とのことです。 また彼女は、「とても魅力ある美しい女性で、彼女に好意を持つ友人も(男女を問わず)少なくなかった」そうで、キングはマリーナの美しさを度々、同情をこめて書いています。 となると、私であれば、どんな女性だったろうか?と知りたくなります。 そこでグーグル検索をすると、母親もマリナも「画像やサイト」が出てきて、これを眺め、なるほど美人なあとキングに同感し、資料も序でに少し読み(先ほどの母親のインタビュー記事など)道草を食いながら、小説を読み続けることになります。 前回も触れましたが、こういう「細部」を見たり調べたりするのに、インターネットの存在はまことに便利で嬉しいです。 そして小説家が 「本を読むとき、なによりも細部に注意して、それを大事にしなくてはならない。 という通り、小説の魅力は「細部」にあるなと痛感します。 が書いたのはまだネットのない時代ですから、いま私たちは、読書の楽しみをいっそう増やしてくれる時代に生きている幸せ者です。 因みに少し長くなりますが、の言葉を少し続けて引用しましょう(『ヨーロッパ文学講義』野島秀勝訳1982年) ・・・・たとえば(フローベルの)『』を読むに当って、この小説は階級の告発であるというような先入観をもって読みはじめるぐらい、退屈で、作者に対しても不公平なことはない。 しかしこの小説も1950年代末から60年代初めのカの田舎町を舞台にした「新しい世界」を造り出している。 前回紹介した、この時代を象徴するような底抜けに明るいダンス、これもネットのを見ることで雰囲気を感じ取ることができて、キングの創造する「新しい世界を綿密に研究し」彼と一緒に楽しむことができます。 ここに挙げたオズワルドの妻の画像は「マリーナ・オズワルド」で画像検索すれば出てきますし、英語版で「Marina Oswald Porter」で検索すれば以下のウィぺディアを初めとしてたくさんのサイトを見ることができます。 読者にとっても、さらには作家自身にとっても、あるいはそれを翻訳する人にとっても研究者にとってもまことに便利な時代になりました。 もちろん素晴らしいことだけれど、努力する行為・実地に調べて考えて自分で検証する行為が怠りがちになるかもしれない。 例えば、私は、事件というのは知識が無いのでまったく分からず、分からないことについては発言を控えようという態度でおります。 ただ、一般論としては、こういうネット時代の最近の風潮が多少は影響しているかもしれないな、という感じは持っています。 ksen.

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まだスティーブン・キング『11/22/63』とマリーナ・オズワルド

リー オズワルド

『パークランド 暗殺、真実の4日間』を見てきた。 暗殺に巻き込まれた市民たちの姿を切り取ったドキュメンタリーふうな映画である。 中心になるのは大統領とその暗殺容疑者リー・ハーヴェイ・オズワルド両方を手当することになったパークランド病院のスタッフたち、暗殺を防げなかったシークレットサーヴィスやFBI、暗殺の瞬間をたまたま撮影してしまったエイブラハム・ザプルーダー、リー・ハーヴェイ・オズワルドの兄であるロト。 かなりたくさん人が出てきて、さらにどの役もかなり実力のある俳優が演じている。 全体的にはあまりエモーショナルにならず、淡々と出来事を描く映画で、変ななどにも肩入れしていなくて悪くないと思ったのだが、盛り上がりが少なく最後のほうたるんできた気がする。 かなりエピソードから他のエピソードへの切り替えを速くして観客を飽きさせないようにしていると思うのだが、それでもちょっと途中からきつくなってくるところがある。 一番いいと思ったのはオズワルドの兄ロトのエピソードである。 ロトはかなりの常識人で、もちろん弟が暗殺を企てていたなんていうことは全く知らず、報道で初めて知って驚愕する。 さらにこのオズワルド兄弟の母であるマーゲリートは完全にれた人で面倒を増やすだけ、リーの妻は出身だそうで英語もあやしく、逮捕され やがて暗殺され た弟のための善後策は全部ロトの仕事になってしまう。 この実に気の毒な人をジェイムズ・バッジ・デイルが抑えた演技で表現している。 この他、パークランド病院の若い医師キャリコ先生をが演じていて、いかにも若くてあたふたしている感じがよく出ていたし、看護婦長役の・ゲイ・ハーデンなんかも地味だがいい役だ。 ザプルーダー役のは、出てきていきなり趣味の悪いを言って「それもう聞きました」とか従業員に言われるというひどい登場なのに、だんだん演技に引き込まれてしまうあたり、さすがである。 個人的にはシークレットサーヴィスのソレルズ役で出てきたがあまりにも老けた感じに作ってきていてびっくりした。 saebou.

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ケネディ大統領暗殺事件

リー オズワルド

オズワルドは1959年10月中旬、フィンランドから1週間の観光ビザでソ連に入国し、すぐにソ連の市民権を取得したいと願い出た。 だがソ連政府から却下され、ホテルの浴室で手首を切り、自殺をはかった。 これは未遂に終わった。 この時、19歳の元海兵隊員であったオズワルドは、アメリカに帰国することを嫌がった。 ソ連には遠回りして来た。 9月20日にアメリカのニューオーリンズからフランスのル・アーヴル行きの船に乗り、フランスからイギリスに行った。 イギリスに入国する際は、スイスで勉強すると言ったが、スイスへは行かずに、飛行機でフィンランド・ヘルシンキに向かった。 ここでソ連の観光ビザを取得した。 すべて計画通りであった。 若きマルクス主義者は、社会主義国家に暮らしたいと考えていた。 招かれざる客 リー・ハーヴェイ・オズワルドはミンスクでマリーナ・プルサコワに恋をし、結婚したが、それでもアメリカに帰国したいと考えるようになった。 Getty Images ソ連は、オズワルドの予期せぬ入国に、手を焼いたようだ。 ニキータ・フルシチョフ第1書記が1959年9月中旬にアメリカを訪問していたため、アメリカからの亡命者(特にオズワルドのような役立たず)はソ連にとって望ましくなかった。 だがオズワルドが自殺未遂したことから、ソ連で死なれてはもっと大変なことになると考え、滞在を許した。 喜んだオズワルドは、アメリカ国籍を放棄することを公言した(結局は放棄にはいたらなかった)。 そしてモスクワ国立大学への入学を希望した。 ソ連政府はその代わりに、オズワルドを白ロシア共和国(現ベラルーシ)のミンスクに送り、旋盤工としてラジオ工場に就職させた。 オズワルドの日記によれば、ソ連の当局者に「ミンスクはシベリアにあるのか」と聞いて、笑われたという。 ヘタな旋盤工 オスワルドが住んでいたアパートのビル、ミンスク Wikipedia オズワルドが配属された工場には、英語を話せる者が複数いた。 そのうちの一人スタニスラフ・シュシケヴィチは、オズワルドのロシア語の教師を務めた。 不思議な偶然だが、シュシケヴィチは、オズワルドとは無関係に、後に有名人となる。 この人物は、ソ連崩壊後の独立したベラルーシの初代最高指導者である(1991~1994年)。 シュシケヴィチは、2013年の「ロシア通信」のインタビューの中で、未来の暗殺犯オズワルドはとても清潔好きで、「ヘタな旋盤工」だったと話している。 また、オズワルドは「無気力」で、ケネディ大統領を暗殺したとは考えられない、とも話している。 本当に暗殺したのか ベラルーシのジャーナリスト、ラリサ・サエンコ氏は、オズワルドと一緒に働いたパーヴェル・ゴロヴァチョフさんに取材を行った時のことを語っている。 ゴロヴァチョフさんは、オズワルドがケネディ氏を殺害したということを信じていなかった。 オズワルドは工場の射撃大会で悲惨な結果を出すほどの、ヘタな射撃手だったという。 むろん、これらの意見が正しいとは限らない。 オズワルドのミンスクでの生活に関する本を出版したベラルーシのジャーナリスト、アレクサンドル・ルカシュク氏は、アメリカの伝記作家ノーマン・メイラー氏と同じ考え方を示している。 ケネディ氏を暗殺したのはオズワルドで、単独犯だったと。 オズワルドの関与に関する憶測は、今後も続くであろう。 ミンスクのリッチで退屈な生活 マリーナ・プルサコワ(左側)、娘のジューン・リー、リー・ハーヴェイ・オズワルド、ミンスク。 Getty Images オズワルドはミンスクで貴族のような生活をしていた(社会主義国家に貴族がいたならば)。 「金を使うところがない」と、オズワルドは日記に不満を書いている。 第一世界的な悩みである。 ミンスクの生活は退屈すぎた。 ナイトクラブもボウリングもなく、労働組合主催のダンス会以外、リラックスできる場所がなかった。 ソ連の生活様式、政治的なプロパガンダ、ミンスクの友だちの間に存在する共産主義のイデオロギーに対する懐疑的な見方も、失望の要因となった。 ホームシック.

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