時 を かける 少女 歌詞。 「未来で待ってる」だけじゃない! 時をかける少女の名言・セリフ10選!

原田知世 時をかける少女 歌詞

時 を かける 少女 歌詞

の『』の最初の映画化作品。 大林宣彦の「 」(他の2作は『』・『』)の2作目に数えられ、ロケの多くを(一部は)で行っている。 併映は『』。 主演の原田知世は、第7回新人俳優賞を受賞した。 は28億円を記録し、邦画では年間2位となった。 脇の細道()。 現在は猫の細道と呼ばれる。 高校1年生の芳山和子は3月、学校のスキー教室に来ていた。 夜、ゲレンデで幼馴染の堀川吾朗と話している場に同級生の深町一夫が現れる。 3人が集合場所へ戻り、皆が揃って下山しようとするとなぜか一夫のスキーセットだけが見当たらない。 一夫は帰路の列車では途中の駅で野草を摘む。 新学期となったの土曜日。 和子と一夫、そして吾朗は放課後に当番で理科教室の掃除をする。 吾朗と一夫にカバンを取りに行かせ、和子が1人理科教室にいると、無人のはずの隣の実験室から物音が聞こえた。 和子が実験室に入ると白い煙が漂っており、それを嗅いだ和子は気を失い倒れてしまう。 吾朗と一夫に保健室に運ばれた和子は、実験室で起きたことを話したところ、吾朗はそんな形跡はなかったという。 2人の先生とともに確かめてみるが実験室は綺麗になっていた。 奇妙に思いながらも和子は吾朗と一夫3人で下校する。 途中寄り道した一夫の家の温室で、和子は実験室で嗅いだ香りが漂っていることに気付く。 「を栽培しているんだ」という一夫。 月曜日、和子は元気に登校する。 しかし、違和を感じて部活を早退した。 その夜地震が起き、吾朗の家の辺りで火事が起きていると知った和子は家族の制止も聞かず近くまで行く。 心配した一夫もそこにいた。 火事が小火とわかって帰宅する途中、和子は何者かに襲われ、気が付くと自室のベッドで目覚めたところだった。 その朝、和子が吾朗と昨夜の事件を話しながら歩いていると、突然お堂の屋根瓦が落ちてくる。 気が付くと再び和子は部屋のベッドにいた。 変な夢ばかり見ると思いながら和子が登校すると、今日はの月曜だという。 吾朗に昨夜の出来事を話すが吾朗はそれを知らない。 さらに植物採集で学校を休むと言っていた一夫も登校していた。 授業が始まれば、以前やった問題が出される。 和子は訳が分からなくなり、一人悩む。 和子は部活を早退し、立ち寄った一夫の家で悩みを相談する。 一夫は驚きもせず、和子に起こった出来事を理解しようと論理づけながら話をする。 和子は幼い頃一夫と事故に遭い、ともに手に傷を負った過去があった事を思い出す。 「嫌だわ、普通じゃないのって」と、和子は苦悩する。 その夜、和子の予期した通り地震が起こる。 今度は火事が起こる前の吾朗の家近くに来ると、そこには一夫も来ていた。 「慌てなくても大丈夫って教えてあげようか」という和子に「なんて説明するんだい? 」と一夫は答え、2人は火事の現場を後にする。 帰路の中、一夫は和子にとを一緒にしたタイムリープという能力を持ってしまったのだと説明する。 別れ際、一夫が差し出した手に傷跡がないことに和子は気づく。 翌日、登校途中やはりお堂の瓦が落ち、和子は吾朗を助ける。 その手にはなぜか傷跡があった。 疑問を抱いた和子は、登校せずに一夫の家の温室でラベンダーの香りを嗅ぐと、一夫が植物採集をしている海岸に現れた。 本当のことを知りたいという和子に、一夫は「あの土曜日の実験室に戻る」ことを強く念じるように答える。 そして土曜日に戻った和子が実験室に入ると人影がいた。 それは一夫だった。 一夫はそこで自分の正体が西暦2660年の薬学博士であること、緑がほとんど絶滅した未来の世界で植物の成分が必要になり過去の世界にラベンダーを求めてやってきたこと、記憶操作を用いて息子一家をなくした老夫婦の孫として住みつき、和子が持つ吾朗との記憶を自らにすり替えていたことを明かす。 一夫がこの世界に来たのはスキー教室の時だった。 だが、一夫は未来に帰らなくてはならず、関わったこの時代の人間から自らの記憶を消さなくてはならないと述べる。 自分も一緒に連れて行ってほしい、それが無理なら一夫の記憶を大事にして生きたいと嘆願する和子に、例外は許されないと一夫は答え、再びこの時代に来ることがあってもそのときには自分だとわからないと告げながら薬品をかがせて、和子は気を失った。 それから11年後。 和子は薬学の研究者となっていた。 そんなある日、勤務先の廊下で一人の青年に道を尋ねられる。 青年は確かに一夫だったが、和子はそのことに気づかないまま行き先を教え、二人は別の方向に歩いていくのだった。 キャスト [ ] 演 - 、新井雅(3歳時)、新井瑞(5歳時) 高校2年生。 明朗活発な女の子で、ロマンチストで夢見がちな所がある。 普段はしっかりしている方だが、吾朗に言わせると少々お姉さんぶったところがある。 弓道部に所属。 子供の頃に自宅で遊んでいた時にはずみで鏡を割ってしまい、その時右手に少しケガをしていしまい今でも傷が残る。 作中では、映画の挿入歌である『愛のためいき』 ももくり三年かき八年の歌詞の歌 を歌っている。 実験室でラベンダーのような匂いのする薬品を嗅いでからタイムリープとテレポーテーションによる不思議な体験をするようになる。 特殊能力を得て喜ぶのではなく、以前の自分と変わってしまったことで不安な日々を過ごす。 深町一夫 演 - 、平野仙丈(5歳時) 和子のクラスメイト。 物静かで落ち着いた性格だが、気づいたらいつの間にかそばにいるようなタイプ。 和子からは「いつもいるんだかいないんだかわかんない」と評されている。 小さい頃に和子の家でひな祭りを一緒に祝うなど仲がいい。 祖父母の影響で、自身も植物が大好き。 部屋にを飾っている。 不思議な体験をするようになって落ち込む和子に気遣い、励ます。 堀川吾朗 演 - 、加藤岳史(5歳時) 和子のクラスメイト。 現実的な考え方を持ち、ロマンチストな和子とはお互いの考え方の違いに呆れている。 成長期ということもあり、いつもお腹を空かせていて作中では「腹減った〜腹減った〜」などと歌っている。 休みの日などは家業を手伝っており、普段とは別人のように真剣に取り組んでいる。 和子の高校の関係者 [ ] 神谷真理子 かみや 演 - 和子のクラスメイト。 学級委員らしく毎日の日付を黒板に書いたり、福島からの頼まれごとなどをこなしている。 福島利男 演 - 和子の高校の国語教師。 朗らかな性格で、授業中寝ていた吾朗にも怒らずに冗談めかして生徒たちを笑わせている。 作中では最近理科の実験室に誰かが勝手に入られた形跡があるため新しく鍵をつけた。 立花尚子 演 - 和子のクラス担任。 福島に好意を寄せていて、彼の誕生日にネクタイをプレゼントした。 和子の家族 [ ] 芳山哲夫 演 - () 和子の父親。 地震が起きた時は、食卓にあった洋酒のボトルを持って外に出た。 11年後成人した和子の結婚や仕事についてはのんびりと構えており、和子の好きなようにやらせている。 芳山紀子 演 - 和子の母親。 和子が高校の理科実験室で貧血で倒れたため、その後も少し心配している。 また後に成人しても、化粧っ気のない和子の結婚を不安視している。 芳山良子 演 - 山下陽子(7歳時)、(18歳時) 和子の妹。 食卓のそばにある日めくりカレンダーを毎日めくるのが日課。 いつも登校前の和子により、自身の朝食のおかずや飲み物をつまみぐいされている。 11年後、明るく快活な女子学生になる。 吾朗と一夫の家族 [ ] 堀川貞子 演 - きたむらあきこ 吾朗の母。 醤油屋を営む。 息子には大学に行って欲しいが、本人は進学せず家業を継ぐつもりであることに気をもんでいる。 深町正治 演 - (特別出演) 一夫の祖父。 自宅の庭にある温室でラベンダーなどの様々な花を育てている。 たつとは仲睦まじく庭のテーブルでお茶と共に話をして楽しんでいる。 深町たつ 演 - (特別出演) 一夫の祖母。 事故により亡くなった息子たち夫婦の代わりに一夫の育ての親として愛情を持って育てている。 一夫の父親(写真) 演 - 一夫の母親(写真) 演 - 山口保代 その他 [ ] 竹尾源造 演 - 升元泰造 時計屋の男 演 - (友情出演) 大学の女性研究員 演 - 黒岩美穂子 11年後、大学に残って薬学の研究を続ける和子の指導者。 年頃なのに研究に没頭している和子に「たまにはデートでもした方がいい、すぐにおばあちゃんになってしまうわよ」とアドバイスしている。 喪服の女 演 - 生徒 演 - 、石井きよみ、内藤研 自転車の少年 演 - 本岡隆 路地の老婆 演 - 高橋ます乃 弓道の先生 演 - 山崎澄男 野次馬 演 - 堀川寅夫 僧侶 演 - 高橋康照 弓道部員 演 - 弓道部 スタッフ [ ]• 原作:• 製作:• プロデューサー:・大林恭子• 監督・脚色・編集:• 助監督:内藤忠司• 脚本:• 撮影:• 録音:稲村和己• 照明:渡辺昭夫• スチール:遠藤功成• 美術デザイン:• 作画合成:岡田明方・山田孝• 人形製作:桑原実絵• 音楽監督:• 音楽プロデューサー:高桑忠男・石川光• 音楽デザイン:林昌平• 主題歌:「」 歌:原田知世、作詞・作曲:、編曲:松任谷正隆• 挿入歌:「愛のためいき」 作詞:平田穂生、作曲:大林宣彦• 製作会社:• 配給: ロケ地 [ ]• 広島県• 広島県• 胡堂(竹原市本町三丁目)• 西方寺(同上)• (同上)• 西方寺石段 製作 [ ] 企画経緯 [ ] はのファンで、映画『』での真田の相手役を探す「角川映画・東映大型女優一般募集オーディション」に応募し、そこでプロデューサーの目に留まり特別賞を受賞し芸能界入りした。 その後、主演映画をテレビドラマ化した『』『』のヒロイン役を経て、本作で映画デビュー・初主演を果たした。 角川は「原作のヒロインのイメージも、タイトル自体もぴったり 」という原作の「」を選び 、原田がとても気に入っていた『』の監督に「尾道で原田の映画を撮って欲しい」と1982年6月にラブコールを出した。 角川と大林は、この映画の8年前、大林が音楽監督を務めた監督『』(1975年)の試写室で知り合った。 大林はアメリカ映画『』が大ヒットした時、角川が原作小説の日本語版のを安く手に入れ、を展開していることを知り、「あなたが『ラブ・ストーリィ』に目をつけたのは、なかなかですね」と褒めた。 大林はその後『』(1979年)と『』(1981年)で角川映画のメガホンを取った。 角川は「本当は自分が結婚したいくらいだけど、年齢の差で無理だから、息子の嫁にしたい」というほど原田に惚れ込んでおり 、「彼女に1本だけ映画をプレゼントして引退させようと思う」と大林は伝えられた。 大林は故郷の尾道でまた映画を撮るつもりはなかったが、角川の原田に対する思い入れを汲み取り、プライベートフィルムというニュアンスで監督を引き受けた。 二本立ての併映は主演の『』で、観客動員は保証されていたため 、大林は若者に理解されなくても自分たちが楽しめるもの、をやろうと考えた。 大林はのちに「あの映画は完全に僕と春樹さんの幻想の中の少女なんです」と語っている。 『ねらわれた学園』でSFファンから「大林さんはSFはやめた方がいいよ」と言われたこともあり 、原作のSF的なところ、屈折した若者像など現代的なところは全部省いた。 大林は原作をと捉え、「『時の壁』というしばりの」として撮影した。 音楽監督のには、参考のためアメリカ映画『』(1980年)のビデオを渡した。 脚本 [ ] 脚本のは『転校生』を最後に映画界を去ってその頃(1982年6月)に転職し、の『』の編集次長になっていた。 大林が製作を決め、大林が剣持に脚本を頼みに行ったが、剣持は『スコラ』の売り上げを驚異的に伸ばしていて忙しく、夏休み中にハコを書いてくれと頼み、大林は尾道で休暇を取っていた。 東京に戻り剣持に連絡を取るとまだ一行も書いてないと言われた。 その日は講談社の退職パーティで、退職するまで一ヵ月かかったと聞かされた。 剣持にとって『転校生』が映画界への想いを個人的に綴ったサヨナラのシナリオなら、『時をかける少女』はプロとして再生した第一回作品となった。 剣持脚本はそこから、撮影が始まる直前まで7、8か月かかった。 大林も潤色という形でシナリオに関わっている。 撮影をめぐって [ ] 撮影は大まかに分けると、スキー場()、スタジオ、尾道という順番で行われた。 ポスターの撮影はのの生物室を使用し、撮影を見学した同校の高校生達は試写会の招待状を貰った。 本編中に映る桜は実際のロケ時にはまだ開花しておらず、登校シーンなど多くのカットはと散る花びらを用いることによって表現している。 大林は古典的なたたずまいを持つ原田に「の絵のような、現実にはいない少女」をやってもらおうと考え 、ヘアメイク担当者にはの絵のイメージを伝えた。 あえて時代錯誤の演技指導を行い、カメラを正面から見つめさせ、カメラの向こうにいる自分の目を見て台詞を言うように指導した。 今どきの猫背っぽい動きにならないよう、「ハンガーを入れているようにして歩きなさい」と教えると、原田は「窮屈です。 木彫の人形のようです」と言ったという。 角川と大林は本作1本を原田にプレゼントして映画界から辞めさせようと考えていたため、原田の中学の卒業から高校の入学までの短期間に強行軍28日間で撮影した。 通常1本の映画を撮るのは最低でも35〜40日、メジャーだと2ヶ月はかかる。 必然的に徹夜での撮影が増え、長時間の撮影で1日7回以上も食事が出た。 大林によると、ずっと働いているスタッフといえど食べるのに飽きかけているときでも原田はを何杯も食べ、(残すと捨てざるを得なくなるので)スタッフに運んで食べるよう勧めて回った。 その心遣いにカメラや照明などのスタッフが「頑張って撮ろう」という気になったと大林は話している。 原田は「今日は暗いうちに帰れますか」という言葉も残している。 断崖絶壁で植物(ラベンダー)採集をする深町一夫のところに芳山和子が駆け寄るシーンは、安全な場所での撮影を後ではめ込んだものではなく、本当の断崖絶壁で撮影されたもの。 は竹原市の黒滝山。 崖の下に打ち寄せる波だけは後から合成されたものであるが、それ以外は全て実写。 この撮影の際、深町一夫を演じるが、隣りの足場に移動したとたん、それまで立っていた足場がまるごと崩落するハプニングが起き、大きな岩が谷底で砕け散った。 高柳は「もう俳優なんてやってられない! 平凡なサラリーマンになって、休みの日には妻と子供を連れて焼肉屋に行くような生活をするんだ! 」と叫んだ。 大林監督がそれを面白がり、『』での台詞にそのまま使った。 高柳は言葉通り俳優を辞め、今日家族にその約束を果たしているという。 クライマックスの断崖からのタイムトラベルはブルーバック合成ではあるが、当初のスタントで撮影を行う予定から変更され、原田本人が1. 5メートルの合成素材から飛び降りている。 は実験室で倒れた原田が起き上がり、主題歌「」を歌いながらそれまでの名場面を巡る。 原田のためののような映像は、本編撮影のあとそれぞれのパートで歌う場面を撮影し、それらを編集したもの。 これを作った理由を大林は「映画で原田をな役に閉じ込め、映画にこだわるという意味で我慢して引きで撮り、原田のも笑顔も撮らなかったため、その我慢していた分を、で発散させた」と述べている。 原田は「床に倒れていたのに、起き上がって歌い出したり、何をやっているのか分かりませんでした。 見物人のいるロケ撮影ではすっごく恥ずかしかった」と話している。 出演者は歌う原田を優しく見守ったり、体を揺らしてリズムを取ったり、桜の花びらをに見立てて原田にかけたりして、新しいアイドルの誕生を祝う。 原田のを挟んで、拍手が鳴りやまないカーテンコールの中、神社の境内を下駄を履いた原田が遠くからこちらに駆け寄り、カメラの前ではにかむ。 素に解き放たれた少女がの境界を越え身近に感じる。 このカットは撮影がほぼ終わった時に撮ったもので、カメラの向こうには共演者やスタッフがおり、大林は「間に合った、学校に戻れるね」と声をかけているという。 笑顔の途中で原田はチラッと横を見るが、その時の頼りなげな表情に少年たちの心がオチた。 大林いわく「カット」の声がかかったあと、役者が「OKだったかな? 」と監督の顔を伺う表情だという。 「彼女の伸び伸びとした姿も、記録として残しておきたいと思ったんです。 映画の中で、知世を大正ロマンチシズムの世界に閉じ込めてしまっていた。 だから、『カット!』のあと、『さぁ、ふだんの、いつもの知世に戻ろう!』と言って、撮ったんです」と話している。 演出について [ ] "元祖アイドル映画監督"とも評される大林は 、1988年のインタビューで、アイドルの演出法、女優と監督の関係について本作を例に、「映画監督と女優の関係というのは非常に難しいもんでね。 映画というのは共同作業といいながら、実は監督の個人的な夢を描くわけです。 それも他人の人生を借りて表現するのね。 映画というのは短いものでも3ヵ月から半年くらいは撮影するのに必要ですから、『時をかける少女』でいえば、ボクにとっての45歳の数ヵ月、原田知世にとっては16歳の数ヵ月を一緒に過ごすわけです。 ボクは自分の映画を撮るからいいんだけど彼女にとっては人生の中で非常に貴重な時間でしょ。 それをボクに貸してくれるわけ。 半年でも映画の中に生きていると、人間ってのはその映画に影響されるものなんですよ。 映画の中の原田知世、役名芳山和子は、ある青年に恋をするんです。 それもこの世にないくらいの理想の恋を。 すると原田知世と芳山和子の区別が、彼女自身つかなくなってくるんですね。 その半年の間、芳山和子が体験した恋愛は原田知世の16歳の体験にもなってしまう。 もし、彼女がその後、誰かのことを好きになったときに、少しでも芳山和子的な部分があったとしたらね。 それは原田知世にとって幸福か不幸かと言えば、ボクは不幸だと思うんです。 ボクは彼女の実人生をどこかで少しづつ傷つけているのかもしれない。 そういう恐怖感を監督は持っているわけですよ。 で、ボクは彼女に大して何をしてやれるかと考える。 彼女の頭上のライトが落ちてきたらどうするか。 ボクは彼女を突き飛ばして身代わりに死ねるか。 これは思い込んでいくと恋愛と一緒でね。 オレは知世が大好きだ、身代わりに死んでもいいと思える瞬間が来るんですよ。 その時に、ヨーイ、スタートの声をかけるわけですね。 『時をかける少女』の原田知世は、演技するうちにどんどん芳山和子に成りきっていきました。 芳山和子って、ようするにボクが創ったボクの恋人ですからね。 カットをかけたくないですよ。 でも映画というのは、眼を閉じたり開いたりするように、時間を断ち切る作業ですから。 いつかストップしなくちゃいけない。 ボクにとっては、あらかじめ失恋を予想したプラトニックラブみたいなもんですよ。 で、遂にカットの声をかけます。 瞬間、それこそ『ここはどこ、私は誰?』って顔するんです。 これはね、地獄を見た顔ですよ。 今まで愛していると言われ続けた少女が、突然、嫌いだと言われた顔ですよ。 同時に『そうか、私は原田知世なのね』という顔もするんです。 カットと声をかけた後も、フィルムは少し回っているんだけど、3コマくらいにその瞬間が映ってるんですよ。 ボクの恋人が逃げて行く瞬間だね。 そういうフィルムをボクは大事に持っているんです」などと説明をしている。 1983年の一般公開前とみられるとの対談で、大林は以下のような作品解説をしている。 文中の"今"は1983年当時を指す。 「SFとか子供が主人公の映画というと、子供用の映画と思われちゃうんですけど、僕としては、子供を使って大人の映画を作っているわけで、むしろ、子供を使うことによって、大人の感情の純粋な部分が描けるというのが、ジュブナイルものであり、SFものだと思います。 少年少女はストイックなまでに肉体的存在でないから、感情としては実にセクシーなんです。 『転校生』で男女を入れ替えたのも今度の『時をかける少女』で、少女が未来少年と恋をするという設定も、結局、肉体を喪失しちゃうから、より感情としての純度が磨かれる。 それはまさに大人の感情模様である、だからセクシーでもあるのです。 という技法そのものは、1940年代、1950年代のでは、大人の感情を描くためにうまく使われていた。 それがいつの間にか、子供たちの愛玩物になってしまった。 大人がそうしてしまった風潮もある。 ファンタスティックな表現というのは、かつては大人の映画で実に優雅に使われていた。 ところが今は、そういう技法を使う作品というのは、限られたジャンルになってしまったところがある。 これは正にSFがを得たがために、逆にまた一つのジャンルに逆行してしまっているという状況でもある。 SFというのは本来、人間の魂のリリシズムであるとか、人間の尊厳であるとか、内面的世界をデリケートに感情豊かに描くための素材であったはずなのに、それがファッションになり過ぎてしまったという反省が僕にもあります。 今度の映画もストーリー的にはのだけど、これをベタベタした甘えの構造になるところが、SFファンタジーでやるからこそ、一種の節度、キリリとした礼節が生まれる。 それがリリシズムに繋がっています」「原田知世はもちろん15歳ですから、セリフはまだ、どちらかというとネンネ言葉だけれど、キリリとした大人の感性を持っている。 この表現力に感動しました。 『』のや『』のという、正統派のハリウッド少女スターのではないかと思いました。 原田知世は自己の存在を一度、抹消して、役の芳山和子としてスクリーンの中で甦る、そういう才能を持っていました。 思えば1950年代の少女スターたちが、映画館の暗闇の中にのみ、ほのかな夢のように息づいて、白日のもとでは遠い記憶のように消滅してしまう、そういう儚さを持っていたからこそ、スクリーンの中で存在感を得ることができた、そういうことと似ているかもしれない」「(本作一本だけ撮って原田を引退させるという話とは逆だが)原田の資質を見た時にこれはタレント映画にしてはいかん、この子はいろいろな役柄ができると信じているので、今回はストイックな役に閉じ込めてみたんです。 正統派の映画で芳山和子という役をきっちり演じさせてみようと思いました。 アイドル映画にも、タレント映画にもしなかったつもりです。 そのことによって原田知世という新人の魅力は光るだろうし、二作目、三作目で全く違うことがやれるだろうと思う。 彼女はそういう演技の幅は持ってると思います」「いくら相手が子供や少女でも、演出しているということは、感情的には男と女の関係にあるわけです。 その感情が乗り移らないと、少女は少女として輝かないんですね。 その辺がタレント映画を作るのとはちょっと違う。 というところを、自ら課しているところもあります。 これは『転校生』以降に変化した僕の演出論です」などと述べている。 堀川吾朗役は現実の少年、日常中の少年のため、吾朗役にリアリティがないと、話が全部になるという判断から、可哀想すぎる役ながら、作品のヘソをきっちり抑えて欲しいとを起用した。 深町一夫役のには、「突っ立ていろ、セリフは棒読みでいい」と伝え、高柳にを付けて指導させて、味のある棒読みをさせた。 三人のイメージは、とか、の間にいた。 技法面での特徴 [ ] の「A MOVIE」の字幕の後に出る、「ひとが現実よりも理想の愛を知ったとき、それはひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?」という言葉は、筒井原作にも剣持脚本にもない大林が自身の撮影台本の1頁に書き記したもの。 巻頭のでスキー場の後、に乗って平野を走る場面で、画面が風景の一部ずつからカラーになるという技法は、『』からで珍しくないが、画面の中央だけがカラーで端がモノクロという技法はこの映画が最初ともいわれる。 瀬戸内海沿岸の尾道市と竹原市が舞台だが、クライマックスでの合成の海(波)を除き、海が背景に写りこんでいない。 これは意図的な演出。 大林は「『転校生』が日向の尾道であったとすれば、『時をかける少女』は日陰の尾道です。 常に画面に陰と日向があって、その境目に揺らめくのような、つまりに原田知世を置いて、彼女の心のゆらめきを感じさせようと計算しています。 は抑えて我慢に我慢で、カメラを寄りたくても寄らずです。 最初の方の知世と高柳君が下校の途中、二人で歩く3カットなどは、今(1983年当時)の映画のテンポにないと思います。 あの歩き方をスリリングに感じてくれる人は最後まで乗れるだろうし、そこで置いてけぼりを喰っちゃうと、最後まで、これはどういう映画じゃということになる。 このシーンの引きの絵でじっくり見せるというテンポは、それだけこだわってみたんです。 キス人形からに移って地震を見せるシーンは苦労しました。 今、『』なんてのもあるから、どんな派手な地震を見せても誰も驚かない。 じゃ、一番密やかなところで地震を見せられないか、というところからキス人形のアイデアが浮かんだんです。 しかもキス人形を媒介として、高柳君と尾美君の間で揺れ動く彼女の心情も描くことが出来る。 尾美君が屋上で知世の匂いのするを顔にかけて泣くシーンは的感性です。 別に醤油屋の息子がを諦めてという生活のリアリティを描いたわけじゃなくて、あれは絵空事の話で、絵空事の花も実もあるリアリティでやっただけです」などと述べている。 また「二本続けて舞台を尾道に持って行ったのはやっぱり匂いです。 匂いというのは映画に移らない一番不便なものですから、映像の喚起力はまず匂いから始まる。 この映像にかかわっている時は、こういう匂いがしたとか。 匂いは感性がデリケートになっている時じゃないと感じませんから、悪臭は別にしてね。 その匂いの感情が描けるのは、唯一音楽ですね。 今度のは音楽、つまりをやろうと思ったわけです。 冒頭のモノクロ・シーンの劇伴は『』を手本にしたものです」 「最初はモノトーンでいきたいと思っていました。 が相当がんばって、高感度フィルムを使って、減感でするとか、かなりフィルムをいじり回しています。 それでああいう、色が褪せていく、その分だけ記憶が甦るという世界が作り出せたと思います」などと述べている。 のシーンはどう撮るか頭を悩ませた部分。 当時は『』のが話題を呼んでいたが 、大林はそれでは魂のリリシズムにならない、ファッションとしてのSFになってしまうとできるだけSF的な絵は避けたいと考えた。 それでのコンピュータグラフィックス的な絵で飾るのではなく、古いをパラパラとめくっていくような感じ、残像の中で垣間見えた景色によって時をかけていく、いつか見た懐かしい風景でないと、このドラマは成立しないとこの方法を思いつくまで苦労して、タイムスリップのシーンは50枚撮りのでで撮った。 「おそらく世界で初めてでタイムスリップを撮ったSF映画」と大林は話している。 原作にはない未来部分で 、去って行く一夫の遠近感がグーッと引き伸ばされるように歪む、被写体のフレームサイズは変わらないのに背景だけが動いていくという撮影技法(ドリーバック・ズームアップ)は、が『』で発明して、その後、多くの映画やCM、テレビドラマで使われるようになったもので 、英語では『めまい』のタイトルそのまま「」、あるいは「」「」などと呼ぶようであるが、日本では大林がこれを初めて使用し「逆ズーム」と命名したという。 大林は「『めまい』の頃は、子供だった故で、あれーと思ったが、それっきり。 この手法に意識的に出会ったのはの『』のラストで、がひとり生きる部屋のシーンで床がスルスルと奇妙に伸び続けた。 これをキャメラマンのと発見し、ののCMでと使用したのが、日本で初めての例。 私が"逆ズーム"と命名して、その後数々のCMで使用した。 『時をかける少女』では阪本キャメラマン設計の逆ズーム装置を使用して、幻想的な画面効果を得ることができた」と話している。 設定や作中の事物について [ ] 原作、シナリオでは浅倉であった吾朗の姓が完成版では「堀川」となっているのは、竹原市に実在する醤油店(を参照)を吾朗の実家として撮影する際、美術が立派な看板を作るので、撮影後も看板を記念に残して使えるようにとの配慮から直前になって変更したためで 、看板はその後も長い間醤油店の店先に掛けられていた。 物語のキーとなるは、本作で広く知られるようになったといわれる。 「桃栗三年柿八年」の歌は監督の大林が作曲したオリジナルのもの。 ちなみに「は九年でなりさがる、のばかめが十八年」と続く。 2000年代以降に生まれた人たちには、原田がのシーンで履くの体操着が珍しく見えるかもしれない。 本作のカレンダーは公開された1983年のものとなっている。 またラストの場面がに設定されたのは、この年の日付と曜日の対応が1983年とまったく同じであることが理由であった。 芳山家のカレンダーの上に見える短冊はがデザインした「昇龍と火用慎」であり、現在でもで頒布されている。 評価・影響 [ ] 夏休みロードショー作品として公開された当時は、原田知世という無名の新人への期待の薄さから「また角川アイドルのか」とか「『』の二番煎じだろう」というムードが映画ファンの間にはあった。 ところが映画が公開されると、この時代遅れの少女に多くの少年が虜になった。 は『探偵物語』との二本立てで28億円を記録し、1983年の邦画興行成績2位となる。 批評家の選ぶ「」では圏外だったが、読者が選ぶベスト・テンで第3位となった。 「時をかける少女」の映像化作品としては、の『』以来のものであったが 、本作は・の情景や叙情性にあふれる演出、原田知世の清新な魅力、を題材にとった先見の明などが人気を集め、その後の同作の映像化作品に多大な影響を与えることになった。 最初の映像化作品である『タイム・トラベラー』は、ラストの別れに恋心を匂わせるのみだったが 、本作は少女と青年の"純愛"を中心に据え、以降の映像化作品も全て"純愛"を基本とする大林版を継承した。 にのを描く"大林マジック"は本作によって確立された。 、の原点等 、"アイドル映画の金字塔"として今日でも評価が高く 、後にテレビドラマ、映画などで、その時々のトップアイドルを主役に据えたリメイクが何度も作られる契機を作った作品である。 が作詞・作曲し、原田が歌う主題歌「」はセールス累計58. 7万枚、シングルチャート最高2位とメジャーヒットを記録し、原田は歌手・女優としてアイドル的な人気を得ることになる。 『』2014年11月号の「特集:日本の女性アイドル・ソング・ベスト100 1980-1989」では、並みいるの名曲を抑えて"1980年代のナンバー1アイドルソング"に選ばれた。 また松任谷由実にとってもそれまでの女性としてのマイナー性を打破し、メジャーの心を掴んだ楽曲で 、これ以降、ミリオンヒットを連発し、1990年代に「恋愛の教祖」にまで昇華する切っ掛けとなった。 2019年8月23日放送の『』(系)では、俳優の歌声を聴いた10代・20代の衝撃度を調査した『若者が驚いた歌う俳優ランキング20世紀編』でも第一位に原田知世が選ばれた。 この楽曲の神話性を高めたのは、本作のに於ける大林のミラクル演出によるもの。 本作品が民放でテレビ放映される際は、カットされることが多いが 、で最初のテレビ放映のとき、エンドロールをカットしたのは大林自身である。 「エンドロールの映像は、知世のために作ってあげたシーンで、映画館で観てもらうためのもの。 『テレビの前の人に観せるものか!』という思いで切りました(笑)」と話している。 青少年層を中心に多くのファンを獲得し、漫画・アニメ業界人の、、、といった人々が本作について書いたり語ったりしたことでさらにそれが広がった一面もある。 彼らは同人誌「TOMO 16」を作って原田本人へ贈ったり、本作の翌年に原田主演で撮影された『』の一般エキストラに参加するほどであった。 また、ゆうきは、原田が出演したテレビドラマ『』と内容をミックスしたパロディ漫画「時をかける学園」(「ねらわれた少女」とルビ)を執筆している。 2003年『アイドル映画30年史』()誌上で、ゆうき、とりに、を加えた4人で「20年目の『時かけ』座談会」が行われた。 他になど、近年も熱狂的なファンが多く 、 、 、 、ら 、後続の映像クリエイターに大きな影響を与えた。 原作者のは同年に本作のパロディ「」を書いている。 筒井は、自身の小説から映画化された13本のうち、「やっぱり(映画の)ナンバー1は、大林監督の『時をかける少女』ですね」と話している。 本作の公開後には、のインスタントラーメン「303」のCMとして、「お湯をかける少女」というパロディ作品がオンエアされた。 セーラー服を着たがやかんを持って駆けてくるという内容で、バックに流れる歌も本作主題歌に似ている。 本作で原田の着る制服はではなくである。 は「が女学生スタアだった時代から、セーラー服はスクリーンの中で生き生きと自然に躍動し、の『』や『』では健気なになり、の『』ではのになった。 しかしこれほどアクの強いを大林は原田にはとても着せられなかった。 髪を小学生のように短くして、学校から帰ると木下駄を鳴らして尾道の石段を駆け上がる少女に"セーラー服"は重たすぎたのである。 この映画で少女はやっと重たいセーラー服と長い髪を脱ぎ捨て、新しい美少女像に生まれ変われたのではないか。 以来、"セーラー服"は映像の中の美少女の定番コスチュームとしてよりも『』での戦う少女たちの戦闘服として珍重され、映像の中ですら、浮いた存在になってしまった。 そのうちこの世で最後の"セーラー服"がどこかの撮影所の衣装部屋でひっそりと発見される日が来るかも知れない」などと論じていた。 後日譚 [ ] 角川春樹は麻薬所持容疑の保釈中、自らの監督作として『時をかける少女』(1997年版)を発表した。 舞台はと。 主演は、原田がナレーションを担当。 角川本人によればリメイクではなく、本作(1983年版)をパートIIとした形の前日譚であり、時間設定は3年前のとしている。 大林と角川春樹は2012年『』の「『時をかける少女』原田知世を語ろう」という対談で、角川は「舞台が尾道でなく、東京だったら、知世の存在感が半減してしまったんじゃないですかね。 観客が『あんな子、もう東京にはいない』とシラケしまう。 実際には、どこを探しても知世のような少女はいなかったんだけれども。 あの幻想的な古い町並みだからこそ知世が引き立った」 大林は「僕は一年前に『』で、生まれ育った尾道の夏を撮ったんです。 本当は二度と尾道は撮らないつもりでしたが、春樹さんが『尾道で』と言うから、考え込んだ末、よし『転校生』で撮った尾道の海と明るさは撮らず、山と暗さだけを撮ろうと決めました。 尾道は春樹さんの勘でしたが、偶然のようで必然だった。 それがこの映画の不思議な翳りを生み、を醸し出した」「(撮影時には)知世が主役のアイドル映画を撮っている気はまったくなく、惚れた子を映画で輝かせたいとしか思っていなかった」「この映画と知世は天の配剤めいていた。 映画の神様が降りて来たんでしょうかね。 あの頃の知世でしか撮れなかった。 半年遅れても撮れなかったでしょう」 角川は「『時をかける少女』には知世の魅力がすべて入っていると思います」「知世は目の前にいる本人よりフィルムの中で輝きを放った、非常に希有な女優でした」「未完成なものの美しさが際立って表せた映画を残せて、本当に良かった」「知世の映画を撮った時代は、私たちの青春でした」などと話している。 また、2013年『』の「僕と角川春樹が愛した原田知世よ! 」という特集で大林は、本作の制作費1億5千万円は角川春樹のポケットマネーだったことを明かした。 「角川春樹のプライベート映画だから、観客は角川春樹だけでいいと思っていた、二人の""ならぬ、"胴長おじさん"が、知世のために映画を1本プレゼントしてあげようと。 知世が30歳、40歳、50歳、おばあちゃんになったとき、昔を懐かしんで、部屋でひとり誰も観なかった『時をかける少女』を観ている姿もいいな、と考えていた」「その思いが観客に伝わったんでしょう。 純愛ラブレターをこっそり見せてもらったような感覚。 またファンのみんなにとっても『僕が愛した知世』になった。 それが、一種の奇跡を生んだんでしょうね」などと話している。 原田は完成した映画を初めて観た時「なんだか映画の私、ポキポキしていて、変ですね」と言っていたというが、3-4年が過ぎると「なんか、あれは大変すごい映画のようですね」と話したという。 デビュー作が代表作になったことが重くなり、原田は映画も歌も避けてきたといわれる。 「映画の印象が強すぎて、どう歌ったらいいのか分からなくなった。 あの時の感じは今の私には出せないし」と話していたが、2007年のデビュー25周年アルバム『』の中で長い封印を解き、調にアレンジした「」を歌った。 5月7日、で本作の上映会、大林と原田のトークイベントが行われ、これに高柳も参加、28年ぶりとなる3人の「3ショット」が披露された。 この時、原田は「私、ようやくあの映画でデビューしたことが本当によかったと思えるようになりました」と大林に話したという。 2012年、大林の上映会に訪れた原田は「いまでは監督の演出がよく分かります。 あの原田知世はいいですね。 私じゃないけど」と話したという。 2015年のの特集「映画の旅人」では、「10代の少女って毎年変わる。 15歳の私を大林監督が残してくれた。 そして見て下さった方々の青春の一ページにも、私の知らないところで刻み込まれている。 私にとって、この映画は宝物です」と話した。 に死去した大林監督への追悼番組として・で本作が()13:30 - 15:30に放送され、関東地区での平均は6. のトレンドランキングでは「 時をかける少女」が1位となり 、「4月18日」の「土曜日」に放送されたことについて、劇中設定を想起させると感嘆する声もあった。 本編最後には監督の笑顔の写真と追悼文のテロップが映し出されたが、エンドロールをカットして番組が終了したことへ不満の声も上がった。 一方、大林の出身地であるでは、(RCC・TBS系列)が同日深夜(19日未明)1:58 - 3:52に放送したが、こちらはエンドロールも放送された。 映像ソフト [ ]• 角川ヒロイン第一選集(3枚組 DVD-BOX)(2000年12月22日、、KABD-91) - 『』、『時をかける少女』、『』をセットにしたDVD-BOX。 時をかける少女()(2000年12月22日、角川エンタテインメント、KABD-93)• 原田知世ベスト・セレクションBOX(3枚組 DVD-BOX)(2003年3月21日、角川エンタテインメント、KABD-530) - 『時をかける少女』、『』、『』をセットにしたDVD-BOX。 時をかける少女 デジタル・リマスター版(DVD)(2011年6月24日、、DABA-0802)• 時をかける少女 ブルーレイ()(2012年9月28日 、角川映画、DAXA-4259)• 時をかける少女 4K Scanning Blu-ray(Blu-ray Disc)(2014年12月5日、、DAXA-4621)• 時をかける少女 角川映画 THE BEST(DVD)(2016年1月29日 、KADOKAWA、DABA-91119) 関連作品 [ ]• 『時をかける少女』PHOENIX、1984年1月、。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 2015年2月14日. 2015年3月13日閲覧。 2015年2月14日. 2015年3月13日閲覧。 『大林宣彦のa movie book尾道 新版』たちばな出版、2001年、195頁。。 44-45• LOCATION JAPAN. 地域活性プランニング 2016年9月15日. 2020年5月17日時点のよりアーカイブ。 2020年5月18日閲覧。 『いつかギラギラする日』、165頁。 2020年5月18日閲覧。 『いつかギラギラする日』、173頁。 35製作ノート〈時をかける少女〉• 石井博士ほか『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、287頁。 「人物日本列島人物 ウィークリー・データ連載 395 花の万博で史上初の360度映像に挑む映画監督大林宣彦 『監督はは女優の身代わりに死んでもいいと思う瞬間がある』」『』1989年12月28日号、、 84—85頁。 渡辺祥子「特集『時をかける少女』2 『少女への大人の憧れ』」『キネマ旬報』1983年7月旬号、キネマ旬報社、 62-63頁。 『日本映画』第三文明社、1992年、p162• 190-194• 2014年7月16日. 2014年10月27日閲覧。 35-36頁• 2016年12月8日閲覧。 2020年5月19日閲覧。 - 山陽新聞デジタル 、、 - 沖縄タイムス+プラス、、• 「僕たちの大好きな角川映画70s~90s!クロニクル」『』2009年12月号、、 54頁。 シネマトゥデイ. 2015年2月28日閲覧。 、、、• 『』2017年10月号(特集・大根仁)、59頁。 (Internet Archive)• 、、 澤本・権八のすぐに終わりますから 2015年4月7日. の2015年1月2日時点におけるアーカイブ。 2015年1月2日閲覧。 「〔映画マニアック講座〕 セーラー服 健気な戦闘服であり、青春のドレス、それは"セーラー服"」『キネマ旬報別冊 Video days ビデオデイズ 第5号』1988年6月号、、 88頁。 『いつかギラギラする日』、172頁。 Twitter. 2020年4月14日閲覧。 週間高世帯視聴率番組. 2020年4月23日閲覧。 日刊スポーツ 2020年4月18日. 2020年4月19日閲覧。 2016年8月13日閲覧。 2016年8月13日閲覧。 参考文献 [ ]• 大林宣彦『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』フィルムアート社、1987年。 『アイドル映画30年史』〈 VOL. 2〉、2003年。 大林宣彦『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』、2008年。 『筒井康隆の『仕事』大研究』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2010年。 角川春樹、『いつかギラギラする日:角川春樹の映画革命』角川春樹事務所、2016年。 外部リンク [ ]• - (英語)• - (英語).

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時をかける少女 (1983年の映画)

時 を かける 少女 歌詞

の『』の最初の映画化作品。 大林宣彦の「 」(他の2作は『』・『』)の2作目に数えられ、ロケの多くを(一部は)で行っている。 併映は『』。 主演の原田知世は、第7回新人俳優賞を受賞した。 は28億円を記録し、邦画では年間2位となった。 脇の細道()。 現在は猫の細道と呼ばれる。 高校1年生の芳山和子は3月、学校のスキー教室に来ていた。 夜、ゲレンデで幼馴染の堀川吾朗と話している場に同級生の深町一夫が現れる。 3人が集合場所へ戻り、皆が揃って下山しようとするとなぜか一夫のスキーセットだけが見当たらない。 一夫は帰路の列車では途中の駅で野草を摘む。 新学期となったの土曜日。 和子と一夫、そして吾朗は放課後に当番で理科教室の掃除をする。 吾朗と一夫にカバンを取りに行かせ、和子が1人理科教室にいると、無人のはずの隣の実験室から物音が聞こえた。 和子が実験室に入ると白い煙が漂っており、それを嗅いだ和子は気を失い倒れてしまう。 吾朗と一夫に保健室に運ばれた和子は、実験室で起きたことを話したところ、吾朗はそんな形跡はなかったという。 2人の先生とともに確かめてみるが実験室は綺麗になっていた。 奇妙に思いながらも和子は吾朗と一夫3人で下校する。 途中寄り道した一夫の家の温室で、和子は実験室で嗅いだ香りが漂っていることに気付く。 「を栽培しているんだ」という一夫。 月曜日、和子は元気に登校する。 しかし、違和を感じて部活を早退した。 その夜地震が起き、吾朗の家の辺りで火事が起きていると知った和子は家族の制止も聞かず近くまで行く。 心配した一夫もそこにいた。 火事が小火とわかって帰宅する途中、和子は何者かに襲われ、気が付くと自室のベッドで目覚めたところだった。 その朝、和子が吾朗と昨夜の事件を話しながら歩いていると、突然お堂の屋根瓦が落ちてくる。 気が付くと再び和子は部屋のベッドにいた。 変な夢ばかり見ると思いながら和子が登校すると、今日はの月曜だという。 吾朗に昨夜の出来事を話すが吾朗はそれを知らない。 さらに植物採集で学校を休むと言っていた一夫も登校していた。 授業が始まれば、以前やった問題が出される。 和子は訳が分からなくなり、一人悩む。 和子は部活を早退し、立ち寄った一夫の家で悩みを相談する。 一夫は驚きもせず、和子に起こった出来事を理解しようと論理づけながら話をする。 和子は幼い頃一夫と事故に遭い、ともに手に傷を負った過去があった事を思い出す。 「嫌だわ、普通じゃないのって」と、和子は苦悩する。 その夜、和子の予期した通り地震が起こる。 今度は火事が起こる前の吾朗の家近くに来ると、そこには一夫も来ていた。 「慌てなくても大丈夫って教えてあげようか」という和子に「なんて説明するんだい? 」と一夫は答え、2人は火事の現場を後にする。 帰路の中、一夫は和子にとを一緒にしたタイムリープという能力を持ってしまったのだと説明する。 別れ際、一夫が差し出した手に傷跡がないことに和子は気づく。 翌日、登校途中やはりお堂の瓦が落ち、和子は吾朗を助ける。 その手にはなぜか傷跡があった。 疑問を抱いた和子は、登校せずに一夫の家の温室でラベンダーの香りを嗅ぐと、一夫が植物採集をしている海岸に現れた。 本当のことを知りたいという和子に、一夫は「あの土曜日の実験室に戻る」ことを強く念じるように答える。 そして土曜日に戻った和子が実験室に入ると人影がいた。 それは一夫だった。 一夫はそこで自分の正体が西暦2660年の薬学博士であること、緑がほとんど絶滅した未来の世界で植物の成分が必要になり過去の世界にラベンダーを求めてやってきたこと、記憶操作を用いて息子一家をなくした老夫婦の孫として住みつき、和子が持つ吾朗との記憶を自らにすり替えていたことを明かす。 一夫がこの世界に来たのはスキー教室の時だった。 だが、一夫は未来に帰らなくてはならず、関わったこの時代の人間から自らの記憶を消さなくてはならないと述べる。 自分も一緒に連れて行ってほしい、それが無理なら一夫の記憶を大事にして生きたいと嘆願する和子に、例外は許されないと一夫は答え、再びこの時代に来ることがあってもそのときには自分だとわからないと告げながら薬品をかがせて、和子は気を失った。 それから11年後。 和子は薬学の研究者となっていた。 そんなある日、勤務先の廊下で一人の青年に道を尋ねられる。 青年は確かに一夫だったが、和子はそのことに気づかないまま行き先を教え、二人は別の方向に歩いていくのだった。 キャスト [ ] 演 - 、新井雅(3歳時)、新井瑞(5歳時) 高校2年生。 明朗活発な女の子で、ロマンチストで夢見がちな所がある。 普段はしっかりしている方だが、吾朗に言わせると少々お姉さんぶったところがある。 弓道部に所属。 子供の頃に自宅で遊んでいた時にはずみで鏡を割ってしまい、その時右手に少しケガをしていしまい今でも傷が残る。 作中では、映画の挿入歌である『愛のためいき』 ももくり三年かき八年の歌詞の歌 を歌っている。 実験室でラベンダーのような匂いのする薬品を嗅いでからタイムリープとテレポーテーションによる不思議な体験をするようになる。 特殊能力を得て喜ぶのではなく、以前の自分と変わってしまったことで不安な日々を過ごす。 深町一夫 演 - 、平野仙丈(5歳時) 和子のクラスメイト。 物静かで落ち着いた性格だが、気づいたらいつの間にかそばにいるようなタイプ。 和子からは「いつもいるんだかいないんだかわかんない」と評されている。 小さい頃に和子の家でひな祭りを一緒に祝うなど仲がいい。 祖父母の影響で、自身も植物が大好き。 部屋にを飾っている。 不思議な体験をするようになって落ち込む和子に気遣い、励ます。 堀川吾朗 演 - 、加藤岳史(5歳時) 和子のクラスメイト。 現実的な考え方を持ち、ロマンチストな和子とはお互いの考え方の違いに呆れている。 成長期ということもあり、いつもお腹を空かせていて作中では「腹減った〜腹減った〜」などと歌っている。 休みの日などは家業を手伝っており、普段とは別人のように真剣に取り組んでいる。 和子の高校の関係者 [ ] 神谷真理子 かみや 演 - 和子のクラスメイト。 学級委員らしく毎日の日付を黒板に書いたり、福島からの頼まれごとなどをこなしている。 福島利男 演 - 和子の高校の国語教師。 朗らかな性格で、授業中寝ていた吾朗にも怒らずに冗談めかして生徒たちを笑わせている。 作中では最近理科の実験室に誰かが勝手に入られた形跡があるため新しく鍵をつけた。 立花尚子 演 - 和子のクラス担任。 福島に好意を寄せていて、彼の誕生日にネクタイをプレゼントした。 和子の家族 [ ] 芳山哲夫 演 - () 和子の父親。 地震が起きた時は、食卓にあった洋酒のボトルを持って外に出た。 11年後成人した和子の結婚や仕事についてはのんびりと構えており、和子の好きなようにやらせている。 芳山紀子 演 - 和子の母親。 和子が高校の理科実験室で貧血で倒れたため、その後も少し心配している。 また後に成人しても、化粧っ気のない和子の結婚を不安視している。 芳山良子 演 - 山下陽子(7歳時)、(18歳時) 和子の妹。 食卓のそばにある日めくりカレンダーを毎日めくるのが日課。 いつも登校前の和子により、自身の朝食のおかずや飲み物をつまみぐいされている。 11年後、明るく快活な女子学生になる。 吾朗と一夫の家族 [ ] 堀川貞子 演 - きたむらあきこ 吾朗の母。 醤油屋を営む。 息子には大学に行って欲しいが、本人は進学せず家業を継ぐつもりであることに気をもんでいる。 深町正治 演 - (特別出演) 一夫の祖父。 自宅の庭にある温室でラベンダーなどの様々な花を育てている。 たつとは仲睦まじく庭のテーブルでお茶と共に話をして楽しんでいる。 深町たつ 演 - (特別出演) 一夫の祖母。 事故により亡くなった息子たち夫婦の代わりに一夫の育ての親として愛情を持って育てている。 一夫の父親(写真) 演 - 一夫の母親(写真) 演 - 山口保代 その他 [ ] 竹尾源造 演 - 升元泰造 時計屋の男 演 - (友情出演) 大学の女性研究員 演 - 黒岩美穂子 11年後、大学に残って薬学の研究を続ける和子の指導者。 年頃なのに研究に没頭している和子に「たまにはデートでもした方がいい、すぐにおばあちゃんになってしまうわよ」とアドバイスしている。 喪服の女 演 - 生徒 演 - 、石井きよみ、内藤研 自転車の少年 演 - 本岡隆 路地の老婆 演 - 高橋ます乃 弓道の先生 演 - 山崎澄男 野次馬 演 - 堀川寅夫 僧侶 演 - 高橋康照 弓道部員 演 - 弓道部 スタッフ [ ]• 原作:• 製作:• プロデューサー:・大林恭子• 監督・脚色・編集:• 助監督:内藤忠司• 脚本:• 撮影:• 録音:稲村和己• 照明:渡辺昭夫• スチール:遠藤功成• 美術デザイン:• 作画合成:岡田明方・山田孝• 人形製作:桑原実絵• 音楽監督:• 音楽プロデューサー:高桑忠男・石川光• 音楽デザイン:林昌平• 主題歌:「」 歌:原田知世、作詞・作曲:、編曲:松任谷正隆• 挿入歌:「愛のためいき」 作詞:平田穂生、作曲:大林宣彦• 製作会社:• 配給: ロケ地 [ ]• 広島県• 広島県• 胡堂(竹原市本町三丁目)• 西方寺(同上)• (同上)• 西方寺石段 製作 [ ] 企画経緯 [ ] はのファンで、映画『』での真田の相手役を探す「角川映画・東映大型女優一般募集オーディション」に応募し、そこでプロデューサーの目に留まり特別賞を受賞し芸能界入りした。 その後、主演映画をテレビドラマ化した『』『』のヒロイン役を経て、本作で映画デビュー・初主演を果たした。 角川は「原作のヒロインのイメージも、タイトル自体もぴったり 」という原作の「」を選び 、原田がとても気に入っていた『』の監督に「尾道で原田の映画を撮って欲しい」と1982年6月にラブコールを出した。 角川と大林は、この映画の8年前、大林が音楽監督を務めた監督『』(1975年)の試写室で知り合った。 大林はアメリカ映画『』が大ヒットした時、角川が原作小説の日本語版のを安く手に入れ、を展開していることを知り、「あなたが『ラブ・ストーリィ』に目をつけたのは、なかなかですね」と褒めた。 大林はその後『』(1979年)と『』(1981年)で角川映画のメガホンを取った。 角川は「本当は自分が結婚したいくらいだけど、年齢の差で無理だから、息子の嫁にしたい」というほど原田に惚れ込んでおり 、「彼女に1本だけ映画をプレゼントして引退させようと思う」と大林は伝えられた。 大林は故郷の尾道でまた映画を撮るつもりはなかったが、角川の原田に対する思い入れを汲み取り、プライベートフィルムというニュアンスで監督を引き受けた。 二本立ての併映は主演の『』で、観客動員は保証されていたため 、大林は若者に理解されなくても自分たちが楽しめるもの、をやろうと考えた。 大林はのちに「あの映画は完全に僕と春樹さんの幻想の中の少女なんです」と語っている。 『ねらわれた学園』でSFファンから「大林さんはSFはやめた方がいいよ」と言われたこともあり 、原作のSF的なところ、屈折した若者像など現代的なところは全部省いた。 大林は原作をと捉え、「『時の壁』というしばりの」として撮影した。 音楽監督のには、参考のためアメリカ映画『』(1980年)のビデオを渡した。 脚本 [ ] 脚本のは『転校生』を最後に映画界を去ってその頃(1982年6月)に転職し、の『』の編集次長になっていた。 大林が製作を決め、大林が剣持に脚本を頼みに行ったが、剣持は『スコラ』の売り上げを驚異的に伸ばしていて忙しく、夏休み中にハコを書いてくれと頼み、大林は尾道で休暇を取っていた。 東京に戻り剣持に連絡を取るとまだ一行も書いてないと言われた。 その日は講談社の退職パーティで、退職するまで一ヵ月かかったと聞かされた。 剣持にとって『転校生』が映画界への想いを個人的に綴ったサヨナラのシナリオなら、『時をかける少女』はプロとして再生した第一回作品となった。 剣持脚本はそこから、撮影が始まる直前まで7、8か月かかった。 大林も潤色という形でシナリオに関わっている。 撮影をめぐって [ ] 撮影は大まかに分けると、スキー場()、スタジオ、尾道という順番で行われた。 ポスターの撮影はのの生物室を使用し、撮影を見学した同校の高校生達は試写会の招待状を貰った。 本編中に映る桜は実際のロケ時にはまだ開花しておらず、登校シーンなど多くのカットはと散る花びらを用いることによって表現している。 大林は古典的なたたずまいを持つ原田に「の絵のような、現実にはいない少女」をやってもらおうと考え 、ヘアメイク担当者にはの絵のイメージを伝えた。 あえて時代錯誤の演技指導を行い、カメラを正面から見つめさせ、カメラの向こうにいる自分の目を見て台詞を言うように指導した。 今どきの猫背っぽい動きにならないよう、「ハンガーを入れているようにして歩きなさい」と教えると、原田は「窮屈です。 木彫の人形のようです」と言ったという。 角川と大林は本作1本を原田にプレゼントして映画界から辞めさせようと考えていたため、原田の中学の卒業から高校の入学までの短期間に強行軍28日間で撮影した。 通常1本の映画を撮るのは最低でも35〜40日、メジャーだと2ヶ月はかかる。 必然的に徹夜での撮影が増え、長時間の撮影で1日7回以上も食事が出た。 大林によると、ずっと働いているスタッフといえど食べるのに飽きかけているときでも原田はを何杯も食べ、(残すと捨てざるを得なくなるので)スタッフに運んで食べるよう勧めて回った。 その心遣いにカメラや照明などのスタッフが「頑張って撮ろう」という気になったと大林は話している。 原田は「今日は暗いうちに帰れますか」という言葉も残している。 断崖絶壁で植物(ラベンダー)採集をする深町一夫のところに芳山和子が駆け寄るシーンは、安全な場所での撮影を後ではめ込んだものではなく、本当の断崖絶壁で撮影されたもの。 は竹原市の黒滝山。 崖の下に打ち寄せる波だけは後から合成されたものであるが、それ以外は全て実写。 この撮影の際、深町一夫を演じるが、隣りの足場に移動したとたん、それまで立っていた足場がまるごと崩落するハプニングが起き、大きな岩が谷底で砕け散った。 高柳は「もう俳優なんてやってられない! 平凡なサラリーマンになって、休みの日には妻と子供を連れて焼肉屋に行くような生活をするんだ! 」と叫んだ。 大林監督がそれを面白がり、『』での台詞にそのまま使った。 高柳は言葉通り俳優を辞め、今日家族にその約束を果たしているという。 クライマックスの断崖からのタイムトラベルはブルーバック合成ではあるが、当初のスタントで撮影を行う予定から変更され、原田本人が1. 5メートルの合成素材から飛び降りている。 は実験室で倒れた原田が起き上がり、主題歌「」を歌いながらそれまでの名場面を巡る。 原田のためののような映像は、本編撮影のあとそれぞれのパートで歌う場面を撮影し、それらを編集したもの。 これを作った理由を大林は「映画で原田をな役に閉じ込め、映画にこだわるという意味で我慢して引きで撮り、原田のも笑顔も撮らなかったため、その我慢していた分を、で発散させた」と述べている。 原田は「床に倒れていたのに、起き上がって歌い出したり、何をやっているのか分かりませんでした。 見物人のいるロケ撮影ではすっごく恥ずかしかった」と話している。 出演者は歌う原田を優しく見守ったり、体を揺らしてリズムを取ったり、桜の花びらをに見立てて原田にかけたりして、新しいアイドルの誕生を祝う。 原田のを挟んで、拍手が鳴りやまないカーテンコールの中、神社の境内を下駄を履いた原田が遠くからこちらに駆け寄り、カメラの前ではにかむ。 素に解き放たれた少女がの境界を越え身近に感じる。 このカットは撮影がほぼ終わった時に撮ったもので、カメラの向こうには共演者やスタッフがおり、大林は「間に合った、学校に戻れるね」と声をかけているという。 笑顔の途中で原田はチラッと横を見るが、その時の頼りなげな表情に少年たちの心がオチた。 大林いわく「カット」の声がかかったあと、役者が「OKだったかな? 」と監督の顔を伺う表情だという。 「彼女の伸び伸びとした姿も、記録として残しておきたいと思ったんです。 映画の中で、知世を大正ロマンチシズムの世界に閉じ込めてしまっていた。 だから、『カット!』のあと、『さぁ、ふだんの、いつもの知世に戻ろう!』と言って、撮ったんです」と話している。 演出について [ ] "元祖アイドル映画監督"とも評される大林は 、1988年のインタビューで、アイドルの演出法、女優と監督の関係について本作を例に、「映画監督と女優の関係というのは非常に難しいもんでね。 映画というのは共同作業といいながら、実は監督の個人的な夢を描くわけです。 それも他人の人生を借りて表現するのね。 映画というのは短いものでも3ヵ月から半年くらいは撮影するのに必要ですから、『時をかける少女』でいえば、ボクにとっての45歳の数ヵ月、原田知世にとっては16歳の数ヵ月を一緒に過ごすわけです。 ボクは自分の映画を撮るからいいんだけど彼女にとっては人生の中で非常に貴重な時間でしょ。 それをボクに貸してくれるわけ。 半年でも映画の中に生きていると、人間ってのはその映画に影響されるものなんですよ。 映画の中の原田知世、役名芳山和子は、ある青年に恋をするんです。 それもこの世にないくらいの理想の恋を。 すると原田知世と芳山和子の区別が、彼女自身つかなくなってくるんですね。 その半年の間、芳山和子が体験した恋愛は原田知世の16歳の体験にもなってしまう。 もし、彼女がその後、誰かのことを好きになったときに、少しでも芳山和子的な部分があったとしたらね。 それは原田知世にとって幸福か不幸かと言えば、ボクは不幸だと思うんです。 ボクは彼女の実人生をどこかで少しづつ傷つけているのかもしれない。 そういう恐怖感を監督は持っているわけですよ。 で、ボクは彼女に大して何をしてやれるかと考える。 彼女の頭上のライトが落ちてきたらどうするか。 ボクは彼女を突き飛ばして身代わりに死ねるか。 これは思い込んでいくと恋愛と一緒でね。 オレは知世が大好きだ、身代わりに死んでもいいと思える瞬間が来るんですよ。 その時に、ヨーイ、スタートの声をかけるわけですね。 『時をかける少女』の原田知世は、演技するうちにどんどん芳山和子に成りきっていきました。 芳山和子って、ようするにボクが創ったボクの恋人ですからね。 カットをかけたくないですよ。 でも映画というのは、眼を閉じたり開いたりするように、時間を断ち切る作業ですから。 いつかストップしなくちゃいけない。 ボクにとっては、あらかじめ失恋を予想したプラトニックラブみたいなもんですよ。 で、遂にカットの声をかけます。 瞬間、それこそ『ここはどこ、私は誰?』って顔するんです。 これはね、地獄を見た顔ですよ。 今まで愛していると言われ続けた少女が、突然、嫌いだと言われた顔ですよ。 同時に『そうか、私は原田知世なのね』という顔もするんです。 カットと声をかけた後も、フィルムは少し回っているんだけど、3コマくらいにその瞬間が映ってるんですよ。 ボクの恋人が逃げて行く瞬間だね。 そういうフィルムをボクは大事に持っているんです」などと説明をしている。 1983年の一般公開前とみられるとの対談で、大林は以下のような作品解説をしている。 文中の"今"は1983年当時を指す。 「SFとか子供が主人公の映画というと、子供用の映画と思われちゃうんですけど、僕としては、子供を使って大人の映画を作っているわけで、むしろ、子供を使うことによって、大人の感情の純粋な部分が描けるというのが、ジュブナイルものであり、SFものだと思います。 少年少女はストイックなまでに肉体的存在でないから、感情としては実にセクシーなんです。 『転校生』で男女を入れ替えたのも今度の『時をかける少女』で、少女が未来少年と恋をするという設定も、結局、肉体を喪失しちゃうから、より感情としての純度が磨かれる。 それはまさに大人の感情模様である、だからセクシーでもあるのです。 という技法そのものは、1940年代、1950年代のでは、大人の感情を描くためにうまく使われていた。 それがいつの間にか、子供たちの愛玩物になってしまった。 大人がそうしてしまった風潮もある。 ファンタスティックな表現というのは、かつては大人の映画で実に優雅に使われていた。 ところが今は、そういう技法を使う作品というのは、限られたジャンルになってしまったところがある。 これは正にSFがを得たがために、逆にまた一つのジャンルに逆行してしまっているという状況でもある。 SFというのは本来、人間の魂のリリシズムであるとか、人間の尊厳であるとか、内面的世界をデリケートに感情豊かに描くための素材であったはずなのに、それがファッションになり過ぎてしまったという反省が僕にもあります。 今度の映画もストーリー的にはのだけど、これをベタベタした甘えの構造になるところが、SFファンタジーでやるからこそ、一種の節度、キリリとした礼節が生まれる。 それがリリシズムに繋がっています」「原田知世はもちろん15歳ですから、セリフはまだ、どちらかというとネンネ言葉だけれど、キリリとした大人の感性を持っている。 この表現力に感動しました。 『』のや『』のという、正統派のハリウッド少女スターのではないかと思いました。 原田知世は自己の存在を一度、抹消して、役の芳山和子としてスクリーンの中で甦る、そういう才能を持っていました。 思えば1950年代の少女スターたちが、映画館の暗闇の中にのみ、ほのかな夢のように息づいて、白日のもとでは遠い記憶のように消滅してしまう、そういう儚さを持っていたからこそ、スクリーンの中で存在感を得ることができた、そういうことと似ているかもしれない」「(本作一本だけ撮って原田を引退させるという話とは逆だが)原田の資質を見た時にこれはタレント映画にしてはいかん、この子はいろいろな役柄ができると信じているので、今回はストイックな役に閉じ込めてみたんです。 正統派の映画で芳山和子という役をきっちり演じさせてみようと思いました。 アイドル映画にも、タレント映画にもしなかったつもりです。 そのことによって原田知世という新人の魅力は光るだろうし、二作目、三作目で全く違うことがやれるだろうと思う。 彼女はそういう演技の幅は持ってると思います」「いくら相手が子供や少女でも、演出しているということは、感情的には男と女の関係にあるわけです。 その感情が乗り移らないと、少女は少女として輝かないんですね。 その辺がタレント映画を作るのとはちょっと違う。 というところを、自ら課しているところもあります。 これは『転校生』以降に変化した僕の演出論です」などと述べている。 堀川吾朗役は現実の少年、日常中の少年のため、吾朗役にリアリティがないと、話が全部になるという判断から、可哀想すぎる役ながら、作品のヘソをきっちり抑えて欲しいとを起用した。 深町一夫役のには、「突っ立ていろ、セリフは棒読みでいい」と伝え、高柳にを付けて指導させて、味のある棒読みをさせた。 三人のイメージは、とか、の間にいた。 技法面での特徴 [ ] の「A MOVIE」の字幕の後に出る、「ひとが現実よりも理想の愛を知ったとき、それはひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?」という言葉は、筒井原作にも剣持脚本にもない大林が自身の撮影台本の1頁に書き記したもの。 巻頭のでスキー場の後、に乗って平野を走る場面で、画面が風景の一部ずつからカラーになるという技法は、『』からで珍しくないが、画面の中央だけがカラーで端がモノクロという技法はこの映画が最初ともいわれる。 瀬戸内海沿岸の尾道市と竹原市が舞台だが、クライマックスでの合成の海(波)を除き、海が背景に写りこんでいない。 これは意図的な演出。 大林は「『転校生』が日向の尾道であったとすれば、『時をかける少女』は日陰の尾道です。 常に画面に陰と日向があって、その境目に揺らめくのような、つまりに原田知世を置いて、彼女の心のゆらめきを感じさせようと計算しています。 は抑えて我慢に我慢で、カメラを寄りたくても寄らずです。 最初の方の知世と高柳君が下校の途中、二人で歩く3カットなどは、今(1983年当時)の映画のテンポにないと思います。 あの歩き方をスリリングに感じてくれる人は最後まで乗れるだろうし、そこで置いてけぼりを喰っちゃうと、最後まで、これはどういう映画じゃということになる。 このシーンの引きの絵でじっくり見せるというテンポは、それだけこだわってみたんです。 キス人形からに移って地震を見せるシーンは苦労しました。 今、『』なんてのもあるから、どんな派手な地震を見せても誰も驚かない。 じゃ、一番密やかなところで地震を見せられないか、というところからキス人形のアイデアが浮かんだんです。 しかもキス人形を媒介として、高柳君と尾美君の間で揺れ動く彼女の心情も描くことが出来る。 尾美君が屋上で知世の匂いのするを顔にかけて泣くシーンは的感性です。 別に醤油屋の息子がを諦めてという生活のリアリティを描いたわけじゃなくて、あれは絵空事の話で、絵空事の花も実もあるリアリティでやっただけです」などと述べている。 また「二本続けて舞台を尾道に持って行ったのはやっぱり匂いです。 匂いというのは映画に移らない一番不便なものですから、映像の喚起力はまず匂いから始まる。 この映像にかかわっている時は、こういう匂いがしたとか。 匂いは感性がデリケートになっている時じゃないと感じませんから、悪臭は別にしてね。 その匂いの感情が描けるのは、唯一音楽ですね。 今度のは音楽、つまりをやろうと思ったわけです。 冒頭のモノクロ・シーンの劇伴は『』を手本にしたものです」 「最初はモノトーンでいきたいと思っていました。 が相当がんばって、高感度フィルムを使って、減感でするとか、かなりフィルムをいじり回しています。 それでああいう、色が褪せていく、その分だけ記憶が甦るという世界が作り出せたと思います」などと述べている。 のシーンはどう撮るか頭を悩ませた部分。 当時は『』のが話題を呼んでいたが 、大林はそれでは魂のリリシズムにならない、ファッションとしてのSFになってしまうとできるだけSF的な絵は避けたいと考えた。 それでのコンピュータグラフィックス的な絵で飾るのではなく、古いをパラパラとめくっていくような感じ、残像の中で垣間見えた景色によって時をかけていく、いつか見た懐かしい風景でないと、このドラマは成立しないとこの方法を思いつくまで苦労して、タイムスリップのシーンは50枚撮りのでで撮った。 「おそらく世界で初めてでタイムスリップを撮ったSF映画」と大林は話している。 原作にはない未来部分で 、去って行く一夫の遠近感がグーッと引き伸ばされるように歪む、被写体のフレームサイズは変わらないのに背景だけが動いていくという撮影技法(ドリーバック・ズームアップ)は、が『』で発明して、その後、多くの映画やCM、テレビドラマで使われるようになったもので 、英語では『めまい』のタイトルそのまま「」、あるいは「」「」などと呼ぶようであるが、日本では大林がこれを初めて使用し「逆ズーム」と命名したという。 大林は「『めまい』の頃は、子供だった故で、あれーと思ったが、それっきり。 この手法に意識的に出会ったのはの『』のラストで、がひとり生きる部屋のシーンで床がスルスルと奇妙に伸び続けた。 これをキャメラマンのと発見し、ののCMでと使用したのが、日本で初めての例。 私が"逆ズーム"と命名して、その後数々のCMで使用した。 『時をかける少女』では阪本キャメラマン設計の逆ズーム装置を使用して、幻想的な画面効果を得ることができた」と話している。 設定や作中の事物について [ ] 原作、シナリオでは浅倉であった吾朗の姓が完成版では「堀川」となっているのは、竹原市に実在する醤油店(を参照)を吾朗の実家として撮影する際、美術が立派な看板を作るので、撮影後も看板を記念に残して使えるようにとの配慮から直前になって変更したためで 、看板はその後も長い間醤油店の店先に掛けられていた。 物語のキーとなるは、本作で広く知られるようになったといわれる。 「桃栗三年柿八年」の歌は監督の大林が作曲したオリジナルのもの。 ちなみに「は九年でなりさがる、のばかめが十八年」と続く。 2000年代以降に生まれた人たちには、原田がのシーンで履くの体操着が珍しく見えるかもしれない。 本作のカレンダーは公開された1983年のものとなっている。 またラストの場面がに設定されたのは、この年の日付と曜日の対応が1983年とまったく同じであることが理由であった。 芳山家のカレンダーの上に見える短冊はがデザインした「昇龍と火用慎」であり、現在でもで頒布されている。 評価・影響 [ ] 夏休みロードショー作品として公開された当時は、原田知世という無名の新人への期待の薄さから「また角川アイドルのか」とか「『』の二番煎じだろう」というムードが映画ファンの間にはあった。 ところが映画が公開されると、この時代遅れの少女に多くの少年が虜になった。 は『探偵物語』との二本立てで28億円を記録し、1983年の邦画興行成績2位となる。 批評家の選ぶ「」では圏外だったが、読者が選ぶベスト・テンで第3位となった。 「時をかける少女」の映像化作品としては、の『』以来のものであったが 、本作は・の情景や叙情性にあふれる演出、原田知世の清新な魅力、を題材にとった先見の明などが人気を集め、その後の同作の映像化作品に多大な影響を与えることになった。 最初の映像化作品である『タイム・トラベラー』は、ラストの別れに恋心を匂わせるのみだったが 、本作は少女と青年の"純愛"を中心に据え、以降の映像化作品も全て"純愛"を基本とする大林版を継承した。 にのを描く"大林マジック"は本作によって確立された。 、の原点等 、"アイドル映画の金字塔"として今日でも評価が高く 、後にテレビドラマ、映画などで、その時々のトップアイドルを主役に据えたリメイクが何度も作られる契機を作った作品である。 が作詞・作曲し、原田が歌う主題歌「」はセールス累計58. 7万枚、シングルチャート最高2位とメジャーヒットを記録し、原田は歌手・女優としてアイドル的な人気を得ることになる。 『』2014年11月号の「特集:日本の女性アイドル・ソング・ベスト100 1980-1989」では、並みいるの名曲を抑えて"1980年代のナンバー1アイドルソング"に選ばれた。 また松任谷由実にとってもそれまでの女性としてのマイナー性を打破し、メジャーの心を掴んだ楽曲で 、これ以降、ミリオンヒットを連発し、1990年代に「恋愛の教祖」にまで昇華する切っ掛けとなった。 2019年8月23日放送の『』(系)では、俳優の歌声を聴いた10代・20代の衝撃度を調査した『若者が驚いた歌う俳優ランキング20世紀編』でも第一位に原田知世が選ばれた。 この楽曲の神話性を高めたのは、本作のに於ける大林のミラクル演出によるもの。 本作品が民放でテレビ放映される際は、カットされることが多いが 、で最初のテレビ放映のとき、エンドロールをカットしたのは大林自身である。 「エンドロールの映像は、知世のために作ってあげたシーンで、映画館で観てもらうためのもの。 『テレビの前の人に観せるものか!』という思いで切りました(笑)」と話している。 青少年層を中心に多くのファンを獲得し、漫画・アニメ業界人の、、、といった人々が本作について書いたり語ったりしたことでさらにそれが広がった一面もある。 彼らは同人誌「TOMO 16」を作って原田本人へ贈ったり、本作の翌年に原田主演で撮影された『』の一般エキストラに参加するほどであった。 また、ゆうきは、原田が出演したテレビドラマ『』と内容をミックスしたパロディ漫画「時をかける学園」(「ねらわれた少女」とルビ)を執筆している。 2003年『アイドル映画30年史』()誌上で、ゆうき、とりに、を加えた4人で「20年目の『時かけ』座談会」が行われた。 他になど、近年も熱狂的なファンが多く 、 、 、 、ら 、後続の映像クリエイターに大きな影響を与えた。 原作者のは同年に本作のパロディ「」を書いている。 筒井は、自身の小説から映画化された13本のうち、「やっぱり(映画の)ナンバー1は、大林監督の『時をかける少女』ですね」と話している。 本作の公開後には、のインスタントラーメン「303」のCMとして、「お湯をかける少女」というパロディ作品がオンエアされた。 セーラー服を着たがやかんを持って駆けてくるという内容で、バックに流れる歌も本作主題歌に似ている。 本作で原田の着る制服はではなくである。 は「が女学生スタアだった時代から、セーラー服はスクリーンの中で生き生きと自然に躍動し、の『』や『』では健気なになり、の『』ではのになった。 しかしこれほどアクの強いを大林は原田にはとても着せられなかった。 髪を小学生のように短くして、学校から帰ると木下駄を鳴らして尾道の石段を駆け上がる少女に"セーラー服"は重たすぎたのである。 この映画で少女はやっと重たいセーラー服と長い髪を脱ぎ捨て、新しい美少女像に生まれ変われたのではないか。 以来、"セーラー服"は映像の中の美少女の定番コスチュームとしてよりも『』での戦う少女たちの戦闘服として珍重され、映像の中ですら、浮いた存在になってしまった。 そのうちこの世で最後の"セーラー服"がどこかの撮影所の衣装部屋でひっそりと発見される日が来るかも知れない」などと論じていた。 後日譚 [ ] 角川春樹は麻薬所持容疑の保釈中、自らの監督作として『時をかける少女』(1997年版)を発表した。 舞台はと。 主演は、原田がナレーションを担当。 角川本人によればリメイクではなく、本作(1983年版)をパートIIとした形の前日譚であり、時間設定は3年前のとしている。 大林と角川春樹は2012年『』の「『時をかける少女』原田知世を語ろう」という対談で、角川は「舞台が尾道でなく、東京だったら、知世の存在感が半減してしまったんじゃないですかね。 観客が『あんな子、もう東京にはいない』とシラケしまう。 実際には、どこを探しても知世のような少女はいなかったんだけれども。 あの幻想的な古い町並みだからこそ知世が引き立った」 大林は「僕は一年前に『』で、生まれ育った尾道の夏を撮ったんです。 本当は二度と尾道は撮らないつもりでしたが、春樹さんが『尾道で』と言うから、考え込んだ末、よし『転校生』で撮った尾道の海と明るさは撮らず、山と暗さだけを撮ろうと決めました。 尾道は春樹さんの勘でしたが、偶然のようで必然だった。 それがこの映画の不思議な翳りを生み、を醸し出した」「(撮影時には)知世が主役のアイドル映画を撮っている気はまったくなく、惚れた子を映画で輝かせたいとしか思っていなかった」「この映画と知世は天の配剤めいていた。 映画の神様が降りて来たんでしょうかね。 あの頃の知世でしか撮れなかった。 半年遅れても撮れなかったでしょう」 角川は「『時をかける少女』には知世の魅力がすべて入っていると思います」「知世は目の前にいる本人よりフィルムの中で輝きを放った、非常に希有な女優でした」「未完成なものの美しさが際立って表せた映画を残せて、本当に良かった」「知世の映画を撮った時代は、私たちの青春でした」などと話している。 また、2013年『』の「僕と角川春樹が愛した原田知世よ! 」という特集で大林は、本作の制作費1億5千万円は角川春樹のポケットマネーだったことを明かした。 「角川春樹のプライベート映画だから、観客は角川春樹だけでいいと思っていた、二人の""ならぬ、"胴長おじさん"が、知世のために映画を1本プレゼントしてあげようと。 知世が30歳、40歳、50歳、おばあちゃんになったとき、昔を懐かしんで、部屋でひとり誰も観なかった『時をかける少女』を観ている姿もいいな、と考えていた」「その思いが観客に伝わったんでしょう。 純愛ラブレターをこっそり見せてもらったような感覚。 またファンのみんなにとっても『僕が愛した知世』になった。 それが、一種の奇跡を生んだんでしょうね」などと話している。 原田は完成した映画を初めて観た時「なんだか映画の私、ポキポキしていて、変ですね」と言っていたというが、3-4年が過ぎると「なんか、あれは大変すごい映画のようですね」と話したという。 デビュー作が代表作になったことが重くなり、原田は映画も歌も避けてきたといわれる。 「映画の印象が強すぎて、どう歌ったらいいのか分からなくなった。 あの時の感じは今の私には出せないし」と話していたが、2007年のデビュー25周年アルバム『』の中で長い封印を解き、調にアレンジした「」を歌った。 5月7日、で本作の上映会、大林と原田のトークイベントが行われ、これに高柳も参加、28年ぶりとなる3人の「3ショット」が披露された。 この時、原田は「私、ようやくあの映画でデビューしたことが本当によかったと思えるようになりました」と大林に話したという。 2012年、大林の上映会に訪れた原田は「いまでは監督の演出がよく分かります。 あの原田知世はいいですね。 私じゃないけど」と話したという。 2015年のの特集「映画の旅人」では、「10代の少女って毎年変わる。 15歳の私を大林監督が残してくれた。 そして見て下さった方々の青春の一ページにも、私の知らないところで刻み込まれている。 私にとって、この映画は宝物です」と話した。 に死去した大林監督への追悼番組として・で本作が()13:30 - 15:30に放送され、関東地区での平均は6. のトレンドランキングでは「 時をかける少女」が1位となり 、「4月18日」の「土曜日」に放送されたことについて、劇中設定を想起させると感嘆する声もあった。 本編最後には監督の笑顔の写真と追悼文のテロップが映し出されたが、エンドロールをカットして番組が終了したことへ不満の声も上がった。 一方、大林の出身地であるでは、(RCC・TBS系列)が同日深夜(19日未明)1:58 - 3:52に放送したが、こちらはエンドロールも放送された。 映像ソフト [ ]• 角川ヒロイン第一選集(3枚組 DVD-BOX)(2000年12月22日、、KABD-91) - 『』、『時をかける少女』、『』をセットにしたDVD-BOX。 時をかける少女()(2000年12月22日、角川エンタテインメント、KABD-93)• 原田知世ベスト・セレクションBOX(3枚組 DVD-BOX)(2003年3月21日、角川エンタテインメント、KABD-530) - 『時をかける少女』、『』、『』をセットにしたDVD-BOX。 時をかける少女 デジタル・リマスター版(DVD)(2011年6月24日、、DABA-0802)• 時をかける少女 ブルーレイ()(2012年9月28日 、角川映画、DAXA-4259)• 時をかける少女 4K Scanning Blu-ray(Blu-ray Disc)(2014年12月5日、、DAXA-4621)• 時をかける少女 角川映画 THE BEST(DVD)(2016年1月29日 、KADOKAWA、DABA-91119) 関連作品 [ ]• 『時をかける少女』PHOENIX、1984年1月、。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 2015年2月14日. 2015年3月13日閲覧。 2015年2月14日. 2015年3月13日閲覧。 『大林宣彦のa movie book尾道 新版』たちばな出版、2001年、195頁。。 44-45• LOCATION JAPAN. 地域活性プランニング 2016年9月15日. 2020年5月17日時点のよりアーカイブ。 2020年5月18日閲覧。 『いつかギラギラする日』、165頁。 2020年5月18日閲覧。 『いつかギラギラする日』、173頁。 35製作ノート〈時をかける少女〉• 石井博士ほか『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、287頁。 「人物日本列島人物 ウィークリー・データ連載 395 花の万博で史上初の360度映像に挑む映画監督大林宣彦 『監督はは女優の身代わりに死んでもいいと思う瞬間がある』」『』1989年12月28日号、、 84—85頁。 渡辺祥子「特集『時をかける少女』2 『少女への大人の憧れ』」『キネマ旬報』1983年7月旬号、キネマ旬報社、 62-63頁。 『日本映画』第三文明社、1992年、p162• 190-194• 2014年7月16日. 2014年10月27日閲覧。 35-36頁• 2016年12月8日閲覧。 2020年5月19日閲覧。 - 山陽新聞デジタル 、、 - 沖縄タイムス+プラス、、• 「僕たちの大好きな角川映画70s~90s!クロニクル」『』2009年12月号、、 54頁。 シネマトゥデイ. 2015年2月28日閲覧。 、、、• 『』2017年10月号(特集・大根仁)、59頁。 (Internet Archive)• 、、 澤本・権八のすぐに終わりますから 2015年4月7日. の2015年1月2日時点におけるアーカイブ。 2015年1月2日閲覧。 「〔映画マニアック講座〕 セーラー服 健気な戦闘服であり、青春のドレス、それは"セーラー服"」『キネマ旬報別冊 Video days ビデオデイズ 第5号』1988年6月号、、 88頁。 『いつかギラギラする日』、172頁。 Twitter. 2020年4月14日閲覧。 週間高世帯視聴率番組. 2020年4月23日閲覧。 日刊スポーツ 2020年4月18日. 2020年4月19日閲覧。 2016年8月13日閲覧。 2016年8月13日閲覧。 参考文献 [ ]• 大林宣彦『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』フィルムアート社、1987年。 『アイドル映画30年史』〈 VOL. 2〉、2003年。 大林宣彦『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』、2008年。 『筒井康隆の『仕事』大研究』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2010年。 角川春樹、『いつかギラギラする日:角川春樹の映画革命』角川春樹事務所、2016年。 外部リンク [ ]• - (英語)• - (英語).

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松任谷由実 時をかける少女 歌詞

時 を かける 少女 歌詞

時をかける少女について 私は時をかける少女が大好きなんですが何回か見るうちに毎回エンディングの意味を考えてしまいます。 もし真琴がタイムリープを覚えなかったら千昭と二度と会えないことにはならなかったのでしょうか? それともタイムリープを覚えなかったら真琴は踏切で死んでしまっていたから、結果的に千昭は真琴の命を救ったことになるんでしょうか? せっかく時を越えて両思いになれたのにすごく切ないです。 でも真琴は「絵を守っていく」という「やりたいこと」が見つかったし、ガーネットの歌詞のように「共に過ごした日々を胸に焼き付ける」ことで「いつか他の誰かを好きになったとしても、あなたは大切で特別でまたこの季節が廻っていく」から、2人にとっていいエンディングだったのでしょうか? みなさんはこの映画のラストをどう見解しましたか? 是非聞かせてください! 当時から見解は様々でした、あえて言うなら千昭の行動がよろしくない説の事ですね。 理由をざっくりあげます。 そもそも主人公の時代にタイムリープした理由から、遅かれ早かれ 未来の帰るつもりだったのに関らず、真琴に思いを告げる、もし真琴がタイムリープ に一切関っていなかった場合、どこまで責任をとったのか、この時代で生きていくつもりがあったのか。 あまりにも目立つ、行動の矛盾点から千昭が語るタイムリープに関る、制限と未来の規則が本当なのかすらあやしくなってくるわけです。 なので個人の判断によって他の時代での人生をおくることは許されていないと解釈されます。 実は初めタイムリープの回数制限表示はなかったんですよね、千昭が後で意図的に回数制限し 真琴に行動を選ばせたのでは?とも言われています。 私は質問者さんと一緒で、一度目見たときは、なにこの切ない恋、たまらんなぁと思って綺麗にとらえていたのですが、 2度目見た際に似たような疑問にぶつかりました、 千昭の行動がそうとうよろしくない説は多数の方がおもっているようです。 個人としてはいいエンディングと思いたいのですが、他の見解も説得力があるのも事実なんですよね。 3.*せっかく時を越えて両思いになれたのにすごく切ないです。 真琴は3人(真琴・功介・千昭)の関係(真琴にすれば男友達)でいる事が実は一番の望みであった と私は思います。 もう一つは、千昭の最後のタイムリープにより、真琴に最後のタイムリープ01が戻り、千昭のタイムリープを 01に戻す為真琴が行った真琴の最後のタイムリープ=713の日(7月13日)の放課後に戻した、真琴は、 早川友梨=(千昭が好き)に「私、千昭の事好きだ・ゴメン」と言っている事よりだと想像できます。 ですので、両思いではあるかもしれませんが、真琴はあくまで男友達としての千昭を望んでいると思います。

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